「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

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死んだふり令嬢、黒い噂の奴隷伯爵に嫁ぐ。

中編

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 それからもヴァネッサは、ブランと一緒に子どもたちの世話をし続けた。
 結婚したはずのノワールには、三ヶ月経った今もまだ会ったことがない。

 ノワール様って、どんな人なのかしら……
 彼が帰ってきたら、私はノワール様に……

 夫ではあるが、会ったこともない男に身を委ねなければいけないことを考えて、背中がぞわりとする。
 黒い噂は、ブランがしていたことが発端だったのだから、実際のノワールは悪い人ではないのだろうが。

 でも、やだ……だって、私……

 大きな洗濯かごに子どもたちの着替えを詰め込んで外に出ると、みんながきゃいきゃいと遊んでいる。

「ヴァネッサさまぁ! お洗濯、手伝いますー!」

 そのうちの数人がヴァネッサに気付いて、手を振ってくれた。

「じゃあ、干す時に手伝っ……きゃっ?!」
「おい、危ない」

 足元に置いてあった洗濯桶に気づかずに転びそうになった時、後ろからすっと抱きしめるように支えてくれる人がいた。

「ブ、ブラン!」
「気をつけろ」
「洗濯桶、ブランが用意しておいてくれたの?」
「……悪かったな」
「ううん、ありがとう! 今から取りに行こうと思ってたから!」

 ヴァネッサがそう言うと、ブランは口の端だけで笑った。
 うっすらと見えるその瞳は優しく細められているようで、ヴァネッサも微笑み返す。

 ブランが結婚相手だったらよかったのに……

 最初は高圧的な態度に見えたブランも、知っていくうちに彼の内側の優しさが見えてきた。
 知れば知るほど、ブランに惹かれてしまう。

 ヴァネッサが井戸端で洗濯をし、ブランに手渡すと彼はぎゅうっと搾り上げてくれる。
 それをまた子どもたちが受け取り、自分の洗濯物は自分で干していく。

「ぶらん~、背がとどかない~!」

 洗濯紐にまで届かない子が、ぴょんぴょんジャンプしながらブランを呼ぶ。
 するとブランは「まったく」と面倒くさそうな顔をしながら抱き上げて、その子自身に干させてあげていた。

 ブラン、自分でわかってないんだろうな……
 子どもを抱き上げた瞬間は、幸せそうな顔してること。

「ヴァネッサ様、またブランを見てにやにやしてるー!」
「してるー!」
「し、してないわよ?!」
「顔あかーい!」
「あかーい!」
「赤くないったら!」

 ヴァネッサが子どもにからかわれてワタワタしていると、ブランに視線を向けられた。
 目が合ってしまうと、さらに顔が熱くなる。

「ヴァネッサ様、かわいいー!」
「かわいー!」
「ねぇ、ブランもそう思うよね?!」

 きゃーー、ちょっとやめてーー?!

 内心大慌てだが、子どもたちを叱るわけにもいかず、行き場のない手だけがうろうろとする。
 子どもたちに急に話を振られたブランは、ヴァネッサを見たあと、すぐにそっぽを向いてしまった。

 う……やっぱりブランは私のことなんか……

「そう、だな……」

 ……え?

 ブランの返答にヴァネッサの頭は追いつかず、一時停止した。

 そうだなって……私をかわいいって思ってるってこと?!

 ばくんばくんと胸を打ち鳴らしながらブランを見ると、彼の横顔は耳まで赤くなっていた。

「ブランも顔まっかー!」
「まっかー」
「うるさい。洗濯物を干し終わったんなら、さっさと遊びにいけ」
「おこったー!」
「ぶらんがおこったー!」

 子どもたちはきゃーきゃー叫びながら去っていき、その声が遠ざかっていく。
 後にはヴァネッサとブランだけが残った。

 ど、どうしよう……意識しちゃう!
 もしかして、ブランも私のこと?
 やだ、嬉しい……っ

「ヴァネッサ」
「は、はい?!」

 心臓が飛び跳ねて、しゃきんと背筋を伸ばす。

 もしも愛の告白だったら、私はブランと駆け落ちだってするわ……!!

 一歩一歩近づいてくるブランはどこか嬉しそうで、ヴァネッサの期待も次第に高まっていく。

「重大な知らせがある」
「な、なにかしら?」
「ノワールが、今夜帰ってくる。ヴァネッサに会いたいそうだ」
「………え?」

 さっきまでの浮かれた気分は一転、地獄に叩き落とされる。
 頭がクラクラとした。
 しかもブランはいつも無愛想な顔ではなく、どこかそわそわとしている。

 そんなにもこの家の主人が帰ってくるのが嬉しいの……?
 私は今夜、その人に抱かれなきゃいけないっていうのに……
 ブランは私のこと、好きなわけじゃなかったんだわ……!

 ショックが重なり合って、胸が悲鳴をあげるように苦しくなる。
 わかっている。わかっていた。
 いつかは夫である男に抱かれなければいけないことは。
 ブランと共に駆け落ちなど、夢物語だということは。

 しょうがないじゃない……私、こんなにブランのことが好きになっていたんだんだもの!!

 どれだけ強く想おうと、ヴァネッサの気持ちがブランに届くはずもないのだ。そわそわとしている彼を見ると、ヴァネッサの心が締めつけられそうになる。

「だから、夕食後は歩き回らず、部屋にいるように」
「……わかったわ」
「それと、俺はしばらく仕事でこの屋敷を出なければならないが、子どもたちのことは他の者に任せるから心配しなくていい」
「……そう」

 子どもたちのお世話ですら、必要のない人間と見られていたのかと思うと、涙が込み上げてきそうになる。しかしブランの前で大泣きするわけにもいかず、その場はなんとか耐えたのだった。




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