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第三章 若い頃に婚約破棄されたけど、不惑の年になってようやく幸せになれそうです。
109◉ユリア編◉ 05.ふくらむ幸せ
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ユリアーナとディートフリートは、結婚後もコトリ亭で働いている。
ディートフリートが来てからというもの、コトリ亭だけでなく、エルベスの町自体がものすごい勢いで活性化していた。
人も集まり始め、コトリ亭も改装するとおかみのケーテが言い出して、毎日が慌ただしく過ぎていた、そんなある日のこと。
「ユリア、どうしたんだ?」
ディートフリートの作ってくれるいつもの料理が、なぜか気持ち悪くて食べられない。ユリアーナはとうとうフォークをテーブルに戻してしまった。
「ごめんなさい……なんだかちょっと食欲が……」
「大丈夫かい。無理して食べなくていい。医者を呼ぼう」
「そんな、大袈裟です」
「大袈裟なくらいでちょうどいいんだよ。何事もなければあとで笑えばいいんだから。ベッドで寝ておいで。来てもらえるよう頼んでくる」
「いえ、歩くくらいはできるので……あ、ディー!」
自分で医者に行くという前に、ディートフリートは家を出ていってしまった。
普段はびっくりするほど冷静で行動も的確なのに、ユリアーナが絡むとディートフリートは感情の方が先立ってしまうようだ。それがまた、微笑ましく嬉しいのだが。
きっと帰ってきた時に寝ていないと怒られるのだろうなと思ったユリアーナは、言われた通りに起きてきたばかりのベッドに戻ることにした。
最近はディートフリートの働き方改革のおかげで労働時間も短くなり、仕事はかなり楽になっている。そんな中で風邪を引くとは思えないのだが、最近はどこか熱っぽさを感じる時があった。
(なにか、変な病気とかじゃないわよね……?)
もう四十歳になった体だ。もしもディートフリートを置いて逝くようなことがあったらと思うと、背筋が凍った。
死ぬことはもちろん怖いが、それよりもディートフリートを悲しませてしまうことがなによりつらい。
「ユリアーナ、先生を連れてきた!」
そんなことを考えていると、驚くほど早くディートフリートが医師を連れて帰ってきた。ワガッドという老医師は、かわいそうなくらいハァハァと息を切らしている。
「これ、老人を労らんか」
「もう、ディーったら……! すみません、ワガッド先生」
「でも食欲がないなんて気になって」
「食欲がなくなることくらい、誰だってあるわい」
そう言いながら、ワガッドは最近のユリアーナの症状を細かに聞き取って診察してくれる。
「ふむ」
「先生、ユリアは大丈夫ですか?!」
重い病気でないことを祈りながらワガッドを見る。
「これは妊娠じゃな」
「「え?」」
ワガッドの口からさらっと出てきた言葉に、ユリアーナたちはポカンと口を開けた。
妊娠。
考えていなかったわけではないが、正直無理だろうと思っていたので、お互い口に出したことはなかった。
もちろん、できれば嬉しいしディートフリートもそう思っていたはずだ。だからこそ、ユリアーナにプレッシャーにならないようになにも言わずにいてくれたのだろう。
「妊娠……本当ですか……?」
声を振るわせるディートフリートに、ワガッドがこくりと頷きを見せた。
「まぁまず間違いないじゃろう。おめでとうさん」
まさかの受胎に、ユリアーナはディートフリートと瞳を合わる。
「ディー……!」
「ユリア……嘘みたいだ。嬉しいよ、ありがとう……!」
「私の方こそ……!」
目に涙を浮かべるディートフリートが、ユリアーナを抱きしめてくれる。
昔見ていた夢が、また一つ叶った。
幸せがどんどん膨らんでいくのを感じて、ユリアーナもまた抱きしめ返す。
ワガッドに礼を言ってディートフリートと二人っきりになると、彼は嬉しそうにユリアーナのお腹をそっと撫でてくれた。
「男の子か、女の子か……どっちに似るかな」
「気が早いですよ、ディー」
「君に似た女の子もいいけど、君に似た男の子もいいな」
「私は、ディーに似た女の子もきっとかわいいと思います」
「それはどうかな」
「だって、フローリアン様の女装姿、とても似合っていたじゃありませんか」
「そういえば、そうだったね」
実は結婚式の日、現王のフローリアンがお忍びで、元ディートフリートの護衛騎士であるシャインや他の護衛と見に来てくれていたのだ。
その際、王だとバレない用心のためか、フローリアンは女の装いをしていた。シャインが隣にいなければ、誰だか気づけなかったところだろう。
話こそできなかったが、変装をしてまで来てくれたことに、ディートフリートは心から喜んでいた。
ディートフリートと似た顔立ちのフローリアンの女装がかわいかったということは、ディートフリート似の女の子でもきっとかわいいに違いない。
「じゃあ、どっちに似てもいいし、男女どちらでも構わない。ユリアが無事で、この子も元気に生まれてくれるなら、それでいいよ」
そんなディートフリートの願い通り、五ヶ月後、ユリアーナは無事に女児を出産した。
すでに四十一歳となっていて高齢出産のリスクはあったが、ユリアーナも娘も問題なく元気だった。
「おめでとうございます、ディート! ユリア様もお疲れ様でした!」
赤髪の元護衛騎士ルーゼンが、妻を連れてユリアーナたちの家に祝いに来てくれた。そんなルーゼンに、ユリアーナはふっと息を吐き出す。
「いい加減、ユリアと呼んでください、ルーゼン。あなただけですよ、この町で私をそう呼ぶのは」
ユリアーナの訴えに、ルーゼンは「ははっ!」と頭を掻いて笑っているだけだ。
「なにかあったらうちのやつを頼ってやってください! 子守でもなんでも手伝いたいと言ってるんで!」
メルミというルーゼンの妻が、ペコリと頭を下げてくれた。すぐに働くつもりはないが、宿は改装したてで気になるし、彼女を頼ることも多くあるだろう。
「ありがとう、その時はよろしくね。メルミ」
「はい。もう子どもも手を離れましたから、誰かのお手伝いをしたいと思っていたんです。よろしくお願いします」
「で、名前はなににされたんです?」
ルーゼンが生まれたての赤ん坊のほっぺを、ぷにぷにと楽しそうに突きながら聞いている。
「リシェルだよ。ユリアが名付けたんだ。」
「リシェル! いい名ですね!」
ルーゼンに褒めてもらい、ユリアーナはふふっと笑みが漏れた。
本当はディートフリートに名付けてもらおうと思っていたのだが、「こういうのは母親が名付けたいもののようだから」と言って、ユリアーナに譲ってくれたのだ。
彼の弟のフローリアンも、名付けは王妃だったらしい。そういう細やかなディートフリートの気配りが温かく嬉しかった。
リシェルの名前の意味は、〝力強い支配者〟である。
それこそ大昔、ディートフリートと婚約者だったころに夢想していた名前だった。男の子だったら同じ意味を持つリクワードにするつもりだったが、まさか本当に自分の思い通りの名前を付けられるだなんて思ってもいなかった。
夢見ていたことが、ひとつずつ叶っていくことに喜びを噛み締める。
ディートフリートがおっかなびっくりリシェルを抱っこしているのを、となりから兄貴分のルーゼンがああだこうだと指導している姿は微笑ましい。そして二人の顔は、とても優しい。
「こんな風に、王の……いや、ディートとユリアーナ様の子を見られるなんて、感慨深いですよ」
いつもは陽気なルーゼンが、しんみりとした口調でそう言った。
「ルーゼンや、シャインのおかげだよ……もし二人がいなければ……そしてフローが生まれなければ、僕は、子を持つことはできなかったと思う……」
ぽろり、とディートフリートの目から涙がこぼれ落ちた。
ディートフリートもまた、諦めていたのかもしれない。そして、ユリアーナに子どもを産ませられないであろうことを、申し訳なく思っていたのかもしれない。
きっと彼の心の中では、もっともっと早くユリアーナを迎えに来たかったはずだ。けれど、それができなかった悔しさ……その心を一番よくわかっているのは、きっと腹心の部下たちなのだろう。
ユリアーナと再会するのがもう少し遅ければ……そしてディートフリートの後継となる人物が生まれていなければ、妊娠できていたかどうかはわからない。たった一年遅れただけでも、妊娠率は変わってくるのだから。
リシェルが生まれたのはそのギリギリだったのだと思うと、ユリアーナも身体中の血が喜ぶように熱くなった。
薄いガラスを扱うように、ディートフリートはリシェルを抱いている。その目から、はらはらと涙をこぼしながら。
「……まったく、俺の弟は泣き虫だな」
「あなたも涙目じゃない」
「うっせ、メルミ!」
妻のつっこみに、ルーゼンは目の端に涙を溜めながら言い返して笑っている。
ディートフリートもそれに合わせるように笑っていて、小さな家は優しい空気でいっぱいになっていった。
ディートフリートが来てからというもの、コトリ亭だけでなく、エルベスの町自体がものすごい勢いで活性化していた。
人も集まり始め、コトリ亭も改装するとおかみのケーテが言い出して、毎日が慌ただしく過ぎていた、そんなある日のこと。
「ユリア、どうしたんだ?」
ディートフリートの作ってくれるいつもの料理が、なぜか気持ち悪くて食べられない。ユリアーナはとうとうフォークをテーブルに戻してしまった。
「ごめんなさい……なんだかちょっと食欲が……」
「大丈夫かい。無理して食べなくていい。医者を呼ぼう」
「そんな、大袈裟です」
「大袈裟なくらいでちょうどいいんだよ。何事もなければあとで笑えばいいんだから。ベッドで寝ておいで。来てもらえるよう頼んでくる」
「いえ、歩くくらいはできるので……あ、ディー!」
自分で医者に行くという前に、ディートフリートは家を出ていってしまった。
普段はびっくりするほど冷静で行動も的確なのに、ユリアーナが絡むとディートフリートは感情の方が先立ってしまうようだ。それがまた、微笑ましく嬉しいのだが。
きっと帰ってきた時に寝ていないと怒られるのだろうなと思ったユリアーナは、言われた通りに起きてきたばかりのベッドに戻ることにした。
最近はディートフリートの働き方改革のおかげで労働時間も短くなり、仕事はかなり楽になっている。そんな中で風邪を引くとは思えないのだが、最近はどこか熱っぽさを感じる時があった。
(なにか、変な病気とかじゃないわよね……?)
もう四十歳になった体だ。もしもディートフリートを置いて逝くようなことがあったらと思うと、背筋が凍った。
死ぬことはもちろん怖いが、それよりもディートフリートを悲しませてしまうことがなによりつらい。
「ユリアーナ、先生を連れてきた!」
そんなことを考えていると、驚くほど早くディートフリートが医師を連れて帰ってきた。ワガッドという老医師は、かわいそうなくらいハァハァと息を切らしている。
「これ、老人を労らんか」
「もう、ディーったら……! すみません、ワガッド先生」
「でも食欲がないなんて気になって」
「食欲がなくなることくらい、誰だってあるわい」
そう言いながら、ワガッドは最近のユリアーナの症状を細かに聞き取って診察してくれる。
「ふむ」
「先生、ユリアは大丈夫ですか?!」
重い病気でないことを祈りながらワガッドを見る。
「これは妊娠じゃな」
「「え?」」
ワガッドの口からさらっと出てきた言葉に、ユリアーナたちはポカンと口を開けた。
妊娠。
考えていなかったわけではないが、正直無理だろうと思っていたので、お互い口に出したことはなかった。
もちろん、できれば嬉しいしディートフリートもそう思っていたはずだ。だからこそ、ユリアーナにプレッシャーにならないようになにも言わずにいてくれたのだろう。
「妊娠……本当ですか……?」
声を振るわせるディートフリートに、ワガッドがこくりと頷きを見せた。
「まぁまず間違いないじゃろう。おめでとうさん」
まさかの受胎に、ユリアーナはディートフリートと瞳を合わる。
「ディー……!」
「ユリア……嘘みたいだ。嬉しいよ、ありがとう……!」
「私の方こそ……!」
目に涙を浮かべるディートフリートが、ユリアーナを抱きしめてくれる。
昔見ていた夢が、また一つ叶った。
幸せがどんどん膨らんでいくのを感じて、ユリアーナもまた抱きしめ返す。
ワガッドに礼を言ってディートフリートと二人っきりになると、彼は嬉しそうにユリアーナのお腹をそっと撫でてくれた。
「男の子か、女の子か……どっちに似るかな」
「気が早いですよ、ディー」
「君に似た女の子もいいけど、君に似た男の子もいいな」
「私は、ディーに似た女の子もきっとかわいいと思います」
「それはどうかな」
「だって、フローリアン様の女装姿、とても似合っていたじゃありませんか」
「そういえば、そうだったね」
実は結婚式の日、現王のフローリアンがお忍びで、元ディートフリートの護衛騎士であるシャインや他の護衛と見に来てくれていたのだ。
その際、王だとバレない用心のためか、フローリアンは女の装いをしていた。シャインが隣にいなければ、誰だか気づけなかったところだろう。
話こそできなかったが、変装をしてまで来てくれたことに、ディートフリートは心から喜んでいた。
ディートフリートと似た顔立ちのフローリアンの女装がかわいかったということは、ディートフリート似の女の子でもきっとかわいいに違いない。
「じゃあ、どっちに似てもいいし、男女どちらでも構わない。ユリアが無事で、この子も元気に生まれてくれるなら、それでいいよ」
そんなディートフリートの願い通り、五ヶ月後、ユリアーナは無事に女児を出産した。
すでに四十一歳となっていて高齢出産のリスクはあったが、ユリアーナも娘も問題なく元気だった。
「おめでとうございます、ディート! ユリア様もお疲れ様でした!」
赤髪の元護衛騎士ルーゼンが、妻を連れてユリアーナたちの家に祝いに来てくれた。そんなルーゼンに、ユリアーナはふっと息を吐き出す。
「いい加減、ユリアと呼んでください、ルーゼン。あなただけですよ、この町で私をそう呼ぶのは」
ユリアーナの訴えに、ルーゼンは「ははっ!」と頭を掻いて笑っているだけだ。
「なにかあったらうちのやつを頼ってやってください! 子守でもなんでも手伝いたいと言ってるんで!」
メルミというルーゼンの妻が、ペコリと頭を下げてくれた。すぐに働くつもりはないが、宿は改装したてで気になるし、彼女を頼ることも多くあるだろう。
「ありがとう、その時はよろしくね。メルミ」
「はい。もう子どもも手を離れましたから、誰かのお手伝いをしたいと思っていたんです。よろしくお願いします」
「で、名前はなににされたんです?」
ルーゼンが生まれたての赤ん坊のほっぺを、ぷにぷにと楽しそうに突きながら聞いている。
「リシェルだよ。ユリアが名付けたんだ。」
「リシェル! いい名ですね!」
ルーゼンに褒めてもらい、ユリアーナはふふっと笑みが漏れた。
本当はディートフリートに名付けてもらおうと思っていたのだが、「こういうのは母親が名付けたいもののようだから」と言って、ユリアーナに譲ってくれたのだ。
彼の弟のフローリアンも、名付けは王妃だったらしい。そういう細やかなディートフリートの気配りが温かく嬉しかった。
リシェルの名前の意味は、〝力強い支配者〟である。
それこそ大昔、ディートフリートと婚約者だったころに夢想していた名前だった。男の子だったら同じ意味を持つリクワードにするつもりだったが、まさか本当に自分の思い通りの名前を付けられるだなんて思ってもいなかった。
夢見ていたことが、ひとつずつ叶っていくことに喜びを噛み締める。
ディートフリートがおっかなびっくりリシェルを抱っこしているのを、となりから兄貴分のルーゼンがああだこうだと指導している姿は微笑ましい。そして二人の顔は、とても優しい。
「こんな風に、王の……いや、ディートとユリアーナ様の子を見られるなんて、感慨深いですよ」
いつもは陽気なルーゼンが、しんみりとした口調でそう言った。
「ルーゼンや、シャインのおかげだよ……もし二人がいなければ……そしてフローが生まれなければ、僕は、子を持つことはできなかったと思う……」
ぽろり、とディートフリートの目から涙がこぼれ落ちた。
ディートフリートもまた、諦めていたのかもしれない。そして、ユリアーナに子どもを産ませられないであろうことを、申し訳なく思っていたのかもしれない。
きっと彼の心の中では、もっともっと早くユリアーナを迎えに来たかったはずだ。けれど、それができなかった悔しさ……その心を一番よくわかっているのは、きっと腹心の部下たちなのだろう。
ユリアーナと再会するのがもう少し遅ければ……そしてディートフリートの後継となる人物が生まれていなければ、妊娠できていたかどうかはわからない。たった一年遅れただけでも、妊娠率は変わってくるのだから。
リシェルが生まれたのはそのギリギリだったのだと思うと、ユリアーナも身体中の血が喜ぶように熱くなった。
薄いガラスを扱うように、ディートフリートはリシェルを抱いている。その目から、はらはらと涙をこぼしながら。
「……まったく、俺の弟は泣き虫だな」
「あなたも涙目じゃない」
「うっせ、メルミ!」
妻のつっこみに、ルーゼンは目の端に涙を溜めながら言い返して笑っている。
ディートフリートもそれに合わせるように笑っていて、小さな家は優しい空気でいっぱいになっていった。
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