後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
55 / 171
五章 女炎帝

6、不審すぎる

しおりを挟む
 橋を渡りはじめた陳燕チェンイェンを見て、翠鈴ツイリンは目をすがめた。

 陳燕の体の動きがおかしい。歩き方が左右で均等ではないのだ。妙に上体がぶれている。
 くんに隠れているが。陳燕は右足を引きずっていた。

 しかも左の頬が腫れている。布に油で溶いた薬を塗った湿布を張りつけてあるのだろう。ゴマ油の独特な匂いがした。

「どうかしたの?」
「え?」

 翠鈴に問いかけられて、今度は陳燕が呆気にとられた。

「女炎帝さまは、民に気さくでいらっしゃるの?」

 だから女神ではないんだけど。けれど、自分はあなたが毛嫌いしていた司燈ですよ、とも言いづらい。
 翠鈴は圍巾ウェイジンを引きあげた。
 絹のような、柔らかな手触りの襟巻だ。

「怪我は花盆沓かぼんくつのせいでしょうね。よろけたか、つまずいた? 顔は誰かに叩かれた?」
「すごいです!」

 夜の静けさを破るほどの大きな声だった。
 木の枝で眠っていた鳥が目を覚ましたのだろう。夜更けなのに「コォ」と啼く声が聞こえた。

 陳燕が一歩を踏みだす。橋の板が一部、ぎしりと音を立てた。

「さすがは女炎帝さまでいらっしゃいます。お分かりになるのですね。わたくしが叔父に足を引っかけられて、転んだことまで」

 いや、さすがにそこまでは分からないって。あなたの親族なんて知らないし。
 翠鈴はたじろいで、一歩下がった。

 けれど、陳燕は瞳を煌めかせている。
 今ここで正体を明かせば、どうなるだろう。陳燕は、最近はおとなしかったけれど。再び翠鈴にケンカをふっかけてくるのだろうか。
 それも面倒だ。

 さらに圍巾ウェイジンを上げて、目もとだけが見えるようにする。明らかに変質者だ。上質すぎる圍巾の使い方としては、間違っている。
 こんな不審な女神なんて、いないでしょ。

「湿布を貼っているということは、医局に行ったのでしょう? ならば、わたしの薬は不要です」

 陳燕に関わると、ろくなことがない。
 翠鈴は「それでは」と、立ち去ろうとした。
 だが、首が締まった。

「ちょ、なに、くるしっ」

 ふり返れば、陳燕が翠鈴の圍巾を掴んでいた。
 まるで「行かせてなるものか」とでもいうように。

「どうかわたくしをお救いください」
「だから、あなたを救うのは医局であって。わたしではないです」

 首が締まらないように、圍巾の間に翠鈴は指を突っ込んだ。
 なんなの? 彼女のこの必死さは。

「医師や医官は、叔父を懲らしめてはくれません。罰を与えてはくれません。だって……」

 陳燕は、目に涙を浮かべた。彼女の指先が震えている。

「叔父が、罰を与える側なんですもの」

 とうとう陳燕は、しゃくりあげて泣きはじめた。
 するりと陳燕の手が、翠鈴の圍巾から離れる。そのまま彼女は橋の上にしゃがみこんだ。

 あれほど高慢だった陳燕が、まるで幼女のように泣いている。肩を震わせ、声を殺して。
 
 橋面には夜露が降りて、しっとりと濡れている。陳燕がはいている裙の裾も濡れてしまうだろうに。気にする余裕もなさそうだ。

「話ぐらいなら聞きますよ」

 もう帰ろうと思ったのに。翠鈴は肩を落とした。

「女炎帝さまぁ」

 うん、違うから。
 そういう純粋な瞳で見つめるのは、やめてくれないかな。どうせ正体を知った途端に「騙された」とか「嘘つき」って罵るだろうに。

 それでも。きれいな涙をぽろぽろとこぼす陳燕に、翠鈴は手帕ハンカチを差しだした。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。 ※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。