後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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六章 出会い

10、秘密の共有

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 桃莉タオリィ公主は人見知りだ。それは誰もが知っている。

「なぁ、雲嵐ユィンラン。子供というのは、急に内気さや恥ずかしがり屋が治るものなのか?」
「成長と共に改善はするでしょうが。ある日、突然というのは妙ですね」

 光柳クアンリュウと雲嵐は囁きあっている。
 すでに地面に下された桃莉は、紙と筆を握った手を光柳に突きだした。

「はい。タオリィにかてないと、はいれないよ」

 くしゃくしゃになった紙を、光柳は開いた。
 いろんな筆跡で、文字が書かれている。

「ああ、接龍せつりゅうだな」

 本来は四文字熟語の末尾の文字を、次の熟語の一文字目に使うしりとりなのだが。
 さすがに桃莉には難しいのか、二文字の熟語が書かれている。

「ふむ。最後は『春風』か。では『風花』でいいかな?」

 墨壺に筆を浸して、光柳はさらりと文字を記した。ほのかに墨の匂いが立つ。

「かざはなってなぁに?」
「雪のことだな。趣のある呼び名だ」

 光柳はしゃがんで、桃莉と目の高さを合わせる。

「わかんない。なんでゆきなのに、はななの? おもむきってなぁに?」
「光柳さま。遠まわしな表現は難しいですよ」
「ゆきはつめたくて、とけちゃうよ。おはなは、とけないよ」
「ほら。やはり難解ではありませんか」

 左右から、桃莉と雲嵐に話しかけられる。
 子供の相手は難しい。光柳が子供であったのは二十年も前のことで。その頃の感覚は、とうに忘れてしまっている。

「……勘弁して、通してください。公主」

 ぽつりと光柳は呟いた。

◇◇◇

 ようやく未央宮の中に入れてもらえた光柳は、翠鈴の元へ向かった。
 蘭淑妃の部屋にいるというので訪れると。翠鈴と梅娜メイナーが、椅子に座って頭を突きあわせている。

「どうかしたのか?」

 光柳と雲嵐が部屋に入って来たので、梅娜は急いで立ち上がった。お茶の用意をするためだ。
 未央宮では、結婚のために侍女がひとり辞めてしまったという。梅娜は侍女頭ではあるが、こまごまとした用事で忙しそうだ。

 光柳が蘭淑妃に挨拶をすると、苦笑いで返される。

「それがね。桃莉の手紙をどう届けたらいいものかと、思案していたのよ」

 蘭淑妃は、部屋に飾ってある茶梅花さざんかの香りをかいだ。八重に咲いた花は、うすべにの薔薇に似ている。
 雪中四友せっちゅうのしゆうといわれる、梅、蝋梅ろうばい茶梅花さざんか、水仙のひとつだ。高級官僚など文人が、絵の画題として好んでいる。

 聞けば、桃莉公主に友人ができたらしい。
 施潔華シージエホアという名だそうだ。

「ジエホアお姉さま、と公主が仰っていた相手ですね」
「あら。わたくしからお話ししようと思っていたのに。桃莉ったら、先にあなたに話したのね」
「人が代わったように、公主さまは快活におなりになったようですが」

 椅子を勧められた光柳は、腰を下ろしながら翠鈴に視線を向ける。
 なにやら真剣に考えているようで、顔を上げもしない。

「手紙を届けるのなら、使いを立てればよいではないですか」
「それがね。桃莉が自分で届けたいっていうのよ」

 驚いた光柳は、瞠目した。
 姫さま自ら、王宮の外の友人に手紙を届けるなど。これまで耳にしたこともない。

 人見知りの期間が長かったから。桃莉は、そのぶんを取り戻そうとでもしているのか? それにしても向こう見ずだろ。

「届け先は城市まちの中ですか?」
シー家ですから。杷京ね。宮城きゅうじょうに近いわ」
「施家って。皇后陛下の実家ですよね!」

 光柳の声が、室内に響いた。翠鈴が顔を上げ、扉からは「なぁに? どうしたの?」と桃莉が飛びこんでくる。

(いや。なんで桃莉公主が皇后の実家を訪れたいんだ? 確かに皇后と蘭淑妃は、仲がよいが)

 混乱している光柳の元に、翠鈴がやってきた。

「皇后陛下の姪御さんと、桃莉公主がお友だちになったんですよ」

 口ではそう言っているが。翠鈴はすっと身を寄せて、座っている光柳の耳もとで囁く。

「本当は甥御さんなんですが。これは決して他言なさらぬように。淑妃さまと侍女頭の梅娜さまだけがご存じです」と。
 翠鈴の話した意味を理解するのに、数瞬かかった。

(これはもしや、秘密の共有なのか? 私のことを信頼して、打ち明けてくれたのか?)

 光柳の鼓動が速くなる。
 女性や宦官以外で後宮に入れるのは、陛下の息子のみ。それも幼い子供と限られている。
 たとえ皇后といえども、甥を招き入れることはない。ふつうは。

 そして甥に引きあわせたのが、桃莉公主。
 淑妃の実家である蘭家と施家の結びつきを強固なものにしたいのであれば。なにも桃莉公主を選ぶ必要もない。
 公主の将来を決めるのは、皇帝だからだ。

「なるほど。陛下が娘を駒として扱わぬように。事前に手を打っておこうというところか」
「お静かに」

 翠鈴にたしなめられて、光柳は思考が口に出ていたことに気づいた。
 翠鈴が眉をしかめている。「やっぱり教えるんじゃなかった」とでもいう風に。

(このままでは、私の信頼が地に落ちてしまう)

 それはいけない。光柳は考えた。そして口にしたのだ。

「私が、桃莉公主の手紙を一緒に届けよう。護衛は雲嵐に任せればよい」と。
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