81 / 171
六章 出会い
10、秘密の共有
しおりを挟む
桃莉公主は人見知りだ。それは誰もが知っている。
「なぁ、雲嵐。子供というのは、急に内気さや恥ずかしがり屋が治るものなのか?」
「成長と共に改善はするでしょうが。ある日、突然というのは妙ですね」
光柳と雲嵐は囁きあっている。
すでに地面に下された桃莉は、紙と筆を握った手を光柳に突きだした。
「はい。タオリィにかてないと、はいれないよ」
くしゃくしゃになった紙を、光柳は開いた。
いろんな筆跡で、文字が書かれている。
「ああ、接龍だな」
本来は四文字熟語の末尾の文字を、次の熟語の一文字目に使うしりとりなのだが。
さすがに桃莉には難しいのか、二文字の熟語が書かれている。
「ふむ。最後は『春風』か。では『風花』でいいかな?」
墨壺に筆を浸して、光柳はさらりと文字を記した。ほのかに墨の匂いが立つ。
「かざはなってなぁに?」
「雪のことだな。趣のある呼び名だ」
光柳はしゃがんで、桃莉と目の高さを合わせる。
「わかんない。なんでゆきなのに、はななの? おもむきってなぁに?」
「光柳さま。遠まわしな表現は難しいですよ」
「ゆきはつめたくて、とけちゃうよ。おはなは、とけないよ」
「ほら。やはり難解ではありませんか」
左右から、桃莉と雲嵐に話しかけられる。
子供の相手は難しい。光柳が子供であったのは二十年も前のことで。その頃の感覚は、とうに忘れてしまっている。
「……勘弁して、通してください。公主」
ぽつりと光柳は呟いた。
◇◇◇
ようやく未央宮の中に入れてもらえた光柳は、翠鈴の元へ向かった。
蘭淑妃の部屋にいるというので訪れると。翠鈴と梅娜が、椅子に座って頭を突きあわせている。
「どうかしたのか?」
光柳と雲嵐が部屋に入って来たので、梅娜は急いで立ち上がった。お茶の用意をするためだ。
未央宮では、結婚のために侍女がひとり辞めてしまったという。梅娜は侍女頭ではあるが、こまごまとした用事で忙しそうだ。
光柳が蘭淑妃に挨拶をすると、苦笑いで返される。
「それがね。桃莉の手紙をどう届けたらいいものかと、思案していたのよ」
蘭淑妃は、部屋に飾ってある茶梅花の香りをかいだ。八重に咲いた花は、うすべにの薔薇に似ている。
雪中四友といわれる、梅、蝋梅、茶梅花、水仙のひとつだ。高級官僚など文人が、絵の画題として好んでいる。
聞けば、桃莉公主に友人ができたらしい。
施潔華という名だそうだ。
「ジエホアお姉さま、と公主が仰っていた相手ですね」
「あら。わたくしからお話ししようと思っていたのに。桃莉ったら、先にあなたに話したのね」
「人が代わったように、公主さまは快活におなりになったようですが」
椅子を勧められた光柳は、腰を下ろしながら翠鈴に視線を向ける。
なにやら真剣に考えているようで、顔を上げもしない。
「手紙を届けるのなら、使いを立てればよいではないですか」
「それがね。桃莉が自分で届けたいっていうのよ」
驚いた光柳は、瞠目した。
姫さま自ら、王宮の外の友人に手紙を届けるなど。これまで耳にしたこともない。
人見知りの期間が長かったから。桃莉は、そのぶんを取り戻そうとでもしているのか? それにしても向こう見ずだろ。
「届け先は城市の中ですか?」
「施家ですから。杷京ね。宮城に近いわ」
「施家って。皇后陛下の実家ですよね!」
光柳の声が、室内に響いた。翠鈴が顔を上げ、扉からは「なぁに? どうしたの?」と桃莉が飛びこんでくる。
(いや。なんで桃莉公主が皇后の実家を訪れたいんだ? 確かに皇后と蘭淑妃は、仲がよいが)
混乱している光柳の元に、翠鈴がやってきた。
「皇后陛下の姪御さんと、桃莉公主がお友だちになったんですよ」
口ではそう言っているが。翠鈴はすっと身を寄せて、座っている光柳の耳もとで囁く。
「本当は甥御さんなんですが。これは決して他言なさらぬように。淑妃さまと侍女頭の梅娜さまだけがご存じです」と。
翠鈴の話した意味を理解するのに、数瞬かかった。
(これはもしや、秘密の共有なのか? 私のことを信頼して、打ち明けてくれたのか?)
光柳の鼓動が速くなる。
女性や宦官以外で後宮に入れるのは、陛下の息子のみ。それも幼い子供と限られている。
たとえ皇后といえども、甥を招き入れることはない。ふつうは。
そして甥に引きあわせたのが、桃莉公主。
淑妃の実家である蘭家と施家の結びつきを強固なものにしたいのであれば。なにも桃莉公主を選ぶ必要もない。
公主の将来を決めるのは、皇帝だからだ。
「なるほど。陛下が娘を駒として扱わぬように。事前に手を打っておこうというところか」
「お静かに」
翠鈴にたしなめられて、光柳は思考が口に出ていたことに気づいた。
翠鈴が眉をしかめている。「やっぱり教えるんじゃなかった」とでもいう風に。
(このままでは、私の信頼が地に落ちてしまう)
それはいけない。光柳は考えた。そして口にしたのだ。
「私が、桃莉公主の手紙を一緒に届けよう。護衛は雲嵐に任せればよい」と。
「なぁ、雲嵐。子供というのは、急に内気さや恥ずかしがり屋が治るものなのか?」
「成長と共に改善はするでしょうが。ある日、突然というのは妙ですね」
光柳と雲嵐は囁きあっている。
すでに地面に下された桃莉は、紙と筆を握った手を光柳に突きだした。
「はい。タオリィにかてないと、はいれないよ」
くしゃくしゃになった紙を、光柳は開いた。
いろんな筆跡で、文字が書かれている。
「ああ、接龍だな」
本来は四文字熟語の末尾の文字を、次の熟語の一文字目に使うしりとりなのだが。
さすがに桃莉には難しいのか、二文字の熟語が書かれている。
「ふむ。最後は『春風』か。では『風花』でいいかな?」
墨壺に筆を浸して、光柳はさらりと文字を記した。ほのかに墨の匂いが立つ。
「かざはなってなぁに?」
「雪のことだな。趣のある呼び名だ」
光柳はしゃがんで、桃莉と目の高さを合わせる。
「わかんない。なんでゆきなのに、はななの? おもむきってなぁに?」
「光柳さま。遠まわしな表現は難しいですよ」
「ゆきはつめたくて、とけちゃうよ。おはなは、とけないよ」
「ほら。やはり難解ではありませんか」
左右から、桃莉と雲嵐に話しかけられる。
子供の相手は難しい。光柳が子供であったのは二十年も前のことで。その頃の感覚は、とうに忘れてしまっている。
「……勘弁して、通してください。公主」
ぽつりと光柳は呟いた。
◇◇◇
ようやく未央宮の中に入れてもらえた光柳は、翠鈴の元へ向かった。
蘭淑妃の部屋にいるというので訪れると。翠鈴と梅娜が、椅子に座って頭を突きあわせている。
「どうかしたのか?」
光柳と雲嵐が部屋に入って来たので、梅娜は急いで立ち上がった。お茶の用意をするためだ。
未央宮では、結婚のために侍女がひとり辞めてしまったという。梅娜は侍女頭ではあるが、こまごまとした用事で忙しそうだ。
光柳が蘭淑妃に挨拶をすると、苦笑いで返される。
「それがね。桃莉の手紙をどう届けたらいいものかと、思案していたのよ」
蘭淑妃は、部屋に飾ってある茶梅花の香りをかいだ。八重に咲いた花は、うすべにの薔薇に似ている。
雪中四友といわれる、梅、蝋梅、茶梅花、水仙のひとつだ。高級官僚など文人が、絵の画題として好んでいる。
聞けば、桃莉公主に友人ができたらしい。
施潔華という名だそうだ。
「ジエホアお姉さま、と公主が仰っていた相手ですね」
「あら。わたくしからお話ししようと思っていたのに。桃莉ったら、先にあなたに話したのね」
「人が代わったように、公主さまは快活におなりになったようですが」
椅子を勧められた光柳は、腰を下ろしながら翠鈴に視線を向ける。
なにやら真剣に考えているようで、顔を上げもしない。
「手紙を届けるのなら、使いを立てればよいではないですか」
「それがね。桃莉が自分で届けたいっていうのよ」
驚いた光柳は、瞠目した。
姫さま自ら、王宮の外の友人に手紙を届けるなど。これまで耳にしたこともない。
人見知りの期間が長かったから。桃莉は、そのぶんを取り戻そうとでもしているのか? それにしても向こう見ずだろ。
「届け先は城市の中ですか?」
「施家ですから。杷京ね。宮城に近いわ」
「施家って。皇后陛下の実家ですよね!」
光柳の声が、室内に響いた。翠鈴が顔を上げ、扉からは「なぁに? どうしたの?」と桃莉が飛びこんでくる。
(いや。なんで桃莉公主が皇后の実家を訪れたいんだ? 確かに皇后と蘭淑妃は、仲がよいが)
混乱している光柳の元に、翠鈴がやってきた。
「皇后陛下の姪御さんと、桃莉公主がお友だちになったんですよ」
口ではそう言っているが。翠鈴はすっと身を寄せて、座っている光柳の耳もとで囁く。
「本当は甥御さんなんですが。これは決して他言なさらぬように。淑妃さまと侍女頭の梅娜さまだけがご存じです」と。
翠鈴の話した意味を理解するのに、数瞬かかった。
(これはもしや、秘密の共有なのか? 私のことを信頼して、打ち明けてくれたのか?)
光柳の鼓動が速くなる。
女性や宦官以外で後宮に入れるのは、陛下の息子のみ。それも幼い子供と限られている。
たとえ皇后といえども、甥を招き入れることはない。ふつうは。
そして甥に引きあわせたのが、桃莉公主。
淑妃の実家である蘭家と施家の結びつきを強固なものにしたいのであれば。なにも桃莉公主を選ぶ必要もない。
公主の将来を決めるのは、皇帝だからだ。
「なるほど。陛下が娘を駒として扱わぬように。事前に手を打っておこうというところか」
「お静かに」
翠鈴にたしなめられて、光柳は思考が口に出ていたことに気づいた。
翠鈴が眉をしかめている。「やっぱり教えるんじゃなかった」とでもいう風に。
(このままでは、私の信頼が地に落ちてしまう)
それはいけない。光柳は考えた。そして口にしたのだ。
「私が、桃莉公主の手紙を一緒に届けよう。護衛は雲嵐に任せればよい」と。
68
あなたにおすすめの小説
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。
※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。