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六章 出会い
11、明かせない
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桃莉公主は、潔華からの手紙の返事をなんとか書き終えた。
五日ほどかかった。しかも大人が三人がかりだ。蘭淑妃と侍女頭の梅娜、そして翠鈴。
書くべき内容を桃莉から聞き取って。それから、その文章に用いる文字の練習だ。
桃莉は、文字の勉強を嫌がるかと思ったが。なんとか返事を書いて届けたい一心で、頑張った。
「子供の成長は、早いのね」
蘭淑妃は、書き上がった手紙を見て涙ぐむほどだ。
◇◇◇
よく晴れた朝。未央宮の前で馬車が止まった。光柳と雲嵐が、桃莉公主を迎えに来たのだ。
「子供の足では、宮城を出る頃には午後になってしまうからな」
光柳に導かれて、桃莉は馬車に乗りこむ。
とはいえ、皇后陛下の実家である施家に先触れは出していない。ただ手紙を届けるだけだからだ。公主が訪れるとなると、施家での準備が大変なことになる。
「よろしいですか、桃莉さま。途中からは歩きになります。それに公主であることを知られてはなりません」
「はいっ。タオリィは、ただのタオリィです」
光柳に向かって、元気よく答える桃莉だが。「大丈夫かなぁ」「分かってるのかなぁ」と、蘭淑妃と梅娜と翠鈴は唸っている。
「桃莉さま。これを」
翠鈴に声をかけられて、桃莉は馬車の艙の窗から顔を出した。
「だいじょうぶ。すぐにかえってくるからね、ツイリン」
「はい。ですが、これをお持ちください。いざという時は、ぎゅっと握ってくださいね」
翠鈴は、目の粗い布で包んだ玉を桃莉に手渡した。
「おてだまみたい」
「お手玉のように、中は豆ではないのです。中に石が入っていて、力をこめれば出てきます。迷子には……ならないと信じておりますが。これがあれば光柳さまたちが、桃莉さまの行方をたどれます」
「すごいねぇ。タオリィのしるしだね」
「はい。今は力を入れないでくださいね」
翠鈴は念を押した。
施家は有力な貴族なので、住まいは宮城に近い。もともと施家が領有している封地は、西方だ。本家の人たちは領地で暮らしているが。分家筋の人は杷京で過ごすことが多い。
宮城の門を出て、堀に架かった橋を馬車は進む。
「大丈夫ですか? 公主。気分は悪くありませんか」
「……へいき」
慣れぬ馬車に揺られて、桃莉公主は硬い表情をしている。
光柳の隣の席で、膝の上で小さな手を握りしめている。右手に手紙、左手には翠鈴から渡された布の包みを持って。
ようやく人見知りも治ってきたのに。以前の桃莉に戻ってしまったかのようだ。
「しょうがありませんよ。蘭淑妃の里帰り以外では、初めての外出なのではありませんか? それに、光柳さまと私に囲まれては、緊張なさいますよね」
向かいの席に座る雲嵐に声をかけられて、桃莉は顔を上げた。
「ユィンラン。いいひと」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「ずるいぞ、雲嵐。自分だけいい人になろうとして」
三人が話していると、馬車が止まった。大人だけならば当然、徒歩の距離だ。
「宮城の近くでよかったですね。もし市場や店のある場所なら、桃莉さまは迷子になってしまうところでした」
「そうだな。この辺りは屋敷の塀がずらっと続いているから。子供が興味を引くようなものはないな」
だが、馬車を降りた桃莉はすぐに走り出した。
「わぁ。へいがあかくないよ」
慌てて、光柳と雲嵐が、桃莉の肩を掴む。
「ねぇ、なんであかくないの?」
「ずっと後宮に閉じこもっているのも問題だな。塀が灰色なだけで興奮なさっているぞ」
「なんでも楽しめて、いいじゃないですか」
やはり兄弟がいる中で育ったからだろうか。雲嵐は気にした様子もない。
ふと、かぐわしい香りがした。よく知る香の匂いに似ているが、爽快感のある柑橘を奥に感じる。
見れば、光柳たちの前方に少年が立っている。
細身で、優しそうな面立ちだ。肌も白く、髪は栗色に近い。
(珍しいな。乳香か)
乳香は、真の薫香とも称えられる。遥か西の国ではフランキンセンスと呼ばれる貴重な香だ。木の樹脂から作られ、祈祷の際に焚かれる。
(ああ、そうか)
光柳はすぐに納得した。もともと勘の鋭い方だが。翠鈴といることが多いので、推測が早くなったようだ。
(この子が、皇后陛下の甥か。確かに少年だが。着ているものを変えれば、女の子に見えるかもしれんな)
桃莉は、その少年が施潔華の真の姿と気づいていない。
「ねぇねぇ、はやくー」
何も気づかぬ桃莉が走りだす。潔華……いや、潔士は、小さな背中に手を伸ばした。
「走ったら転ぶよ」とでも言いたかったのだろう。だが、今の桃莉には供がついている。
潔士は、ゆっくりと手をおろした。
五日ほどかかった。しかも大人が三人がかりだ。蘭淑妃と侍女頭の梅娜、そして翠鈴。
書くべき内容を桃莉から聞き取って。それから、その文章に用いる文字の練習だ。
桃莉は、文字の勉強を嫌がるかと思ったが。なんとか返事を書いて届けたい一心で、頑張った。
「子供の成長は、早いのね」
蘭淑妃は、書き上がった手紙を見て涙ぐむほどだ。
◇◇◇
よく晴れた朝。未央宮の前で馬車が止まった。光柳と雲嵐が、桃莉公主を迎えに来たのだ。
「子供の足では、宮城を出る頃には午後になってしまうからな」
光柳に導かれて、桃莉は馬車に乗りこむ。
とはいえ、皇后陛下の実家である施家に先触れは出していない。ただ手紙を届けるだけだからだ。公主が訪れるとなると、施家での準備が大変なことになる。
「よろしいですか、桃莉さま。途中からは歩きになります。それに公主であることを知られてはなりません」
「はいっ。タオリィは、ただのタオリィです」
光柳に向かって、元気よく答える桃莉だが。「大丈夫かなぁ」「分かってるのかなぁ」と、蘭淑妃と梅娜と翠鈴は唸っている。
「桃莉さま。これを」
翠鈴に声をかけられて、桃莉は馬車の艙の窗から顔を出した。
「だいじょうぶ。すぐにかえってくるからね、ツイリン」
「はい。ですが、これをお持ちください。いざという時は、ぎゅっと握ってくださいね」
翠鈴は、目の粗い布で包んだ玉を桃莉に手渡した。
「おてだまみたい」
「お手玉のように、中は豆ではないのです。中に石が入っていて、力をこめれば出てきます。迷子には……ならないと信じておりますが。これがあれば光柳さまたちが、桃莉さまの行方をたどれます」
「すごいねぇ。タオリィのしるしだね」
「はい。今は力を入れないでくださいね」
翠鈴は念を押した。
施家は有力な貴族なので、住まいは宮城に近い。もともと施家が領有している封地は、西方だ。本家の人たちは領地で暮らしているが。分家筋の人は杷京で過ごすことが多い。
宮城の門を出て、堀に架かった橋を馬車は進む。
「大丈夫ですか? 公主。気分は悪くありませんか」
「……へいき」
慣れぬ馬車に揺られて、桃莉公主は硬い表情をしている。
光柳の隣の席で、膝の上で小さな手を握りしめている。右手に手紙、左手には翠鈴から渡された布の包みを持って。
ようやく人見知りも治ってきたのに。以前の桃莉に戻ってしまったかのようだ。
「しょうがありませんよ。蘭淑妃の里帰り以外では、初めての外出なのではありませんか? それに、光柳さまと私に囲まれては、緊張なさいますよね」
向かいの席に座る雲嵐に声をかけられて、桃莉は顔を上げた。
「ユィンラン。いいひと」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「ずるいぞ、雲嵐。自分だけいい人になろうとして」
三人が話していると、馬車が止まった。大人だけならば当然、徒歩の距離だ。
「宮城の近くでよかったですね。もし市場や店のある場所なら、桃莉さまは迷子になってしまうところでした」
「そうだな。この辺りは屋敷の塀がずらっと続いているから。子供が興味を引くようなものはないな」
だが、馬車を降りた桃莉はすぐに走り出した。
「わぁ。へいがあかくないよ」
慌てて、光柳と雲嵐が、桃莉の肩を掴む。
「ねぇ、なんであかくないの?」
「ずっと後宮に閉じこもっているのも問題だな。塀が灰色なだけで興奮なさっているぞ」
「なんでも楽しめて、いいじゃないですか」
やはり兄弟がいる中で育ったからだろうか。雲嵐は気にした様子もない。
ふと、かぐわしい香りがした。よく知る香の匂いに似ているが、爽快感のある柑橘を奥に感じる。
見れば、光柳たちの前方に少年が立っている。
細身で、優しそうな面立ちだ。肌も白く、髪は栗色に近い。
(珍しいな。乳香か)
乳香は、真の薫香とも称えられる。遥か西の国ではフランキンセンスと呼ばれる貴重な香だ。木の樹脂から作られ、祈祷の際に焚かれる。
(ああ、そうか)
光柳はすぐに納得した。もともと勘の鋭い方だが。翠鈴といることが多いので、推測が早くなったようだ。
(この子が、皇后陛下の甥か。確かに少年だが。着ているものを変えれば、女の子に見えるかもしれんな)
桃莉は、その少年が施潔華の真の姿と気づいていない。
「ねぇねぇ、はやくー」
何も気づかぬ桃莉が走りだす。潔華……いや、潔士は、小さな背中に手を伸ばした。
「走ったら転ぶよ」とでも言いたかったのだろう。だが、今の桃莉には供がついている。
潔士は、ゆっくりと手をおろした。
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