後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
99 / 171
七章 毒の豆

16、寝言語録

しおりを挟む
 年越しである守歳しゅさいの火は、朝まで消してはならない。なので、火鉢の炭が消えぬように、雲嵐は時々火箸で確認している。
 室内には年糕ニィエンガオを焼いたときの甘く香ばしいにおいが、ほのかに残っている。

守火炉ショウフォルーの習慣がなくても、寒いから火は消せませんけどね」
「本当ですね」

 どこの宮でも宿舎でも、朝まで人の気配がする。
 夜の寂しさが紛れるようで。翠鈴はほっとした。

「寝ないのだが。なんだろうな。長椅子が私を呼んでいる」

 夜も更けた頃。あくびをしながら、光柳が椅子から立った。

「寝てもいいと思いますよ。全員が起きている必要もないんですから」
「光柳さま。毛布をお持ちください」
「寝るわけではないのだが」

 雲嵐に答えながら、光柳は右に左に体を揺らしながら進む。そのまま長椅子に吸いこまれてしまった。

 ◇◇◇

 春節を迎えた朝。まだ日が昇る前に、翠鈴は書令史の部屋を辞すことにした。
 卓子の上に並んだ皿や碗を、雲嵐と一緒に奥の部屋に運ぶ。

 事務仕事をしている女官は、春節の間は休めるが。司燈はそうはいかない。
 暗くなれば明かりを灯さなければ、妃嬪が暮らせない。同様に食事を担当する女官や宮女も、一斉に休むことはできない。

 結局、光柳は夜明け前の今も熟睡だ。

「翠鈴さまとご一緒できたからでしょうか。嬉しそうな寝顔をなさっておいでです」

 雲嵐は、光柳の毛布を掛けなおした。

「どう答えていいのか、分からないですね」

 翠鈴の声が耳に届いたのだろうか。軟墊クッションに頭を載せた光柳が、身動きした。

「可愛いなぁ」

 それは寝言だった。何かいい夢でも見ているのだろう。

「翠鈴は可愛いよな。そう思うだろ、雲嵐」
「えっ!」

 予想外の寝言だ。翠鈴は慌てて、長椅子の側に立つ雲嵐の顔を見た。
 あ、目を逸らされた。しかも驚いた様子でもない。

「あのー。雲嵐さまは光柳さまと同室ですよね。こういった寝言は……」
「慣れております。むしろ今夜は控えめですね。甘美に愛を囁くときもありますよ。さすがは二代目麟美リンメイさまと言うべきでしょうか」

 さらっととんでもない発言をされてしまった。

「えっと、わたしは可愛くないですよ。人を射殺しそうな目だと、この人に言われましたし」
「あれは失言でしたね。大丈夫、叱っておきましたから」

 いや、そういうことではなくて。
 翠鈴はおろおろした。年が明けて初めての感情が、狼狽とは。どうしたものか。

「以前、翠鈴が話していましたね。私が常に筆と紙を持って、光柳さまが戯れに紡ぐ詩を書きとめればいい、と」

 あ、嫌な予感がする。

「なので、実践しているのです。主に、光柳さまの寝言ですが。『松光柳ソンクアンリュウの届けられぬ愛の寝言語録ねごとごろく』です。ご覧になりますか?」
「ご覧になりませんっ」

 雲嵐は温厚で物静かなのに。時々、とんでもない暴風雨を起こす。名前負けをしていない。

「そうですね。せめて糸で綴じて冊子にできるくらいになれば、お届けします」

 どこまでが冗談なのか分からない。
 
 ◇◇◇

「除夕を共に過ごすことができて、嬉しかったです。と、光柳さまにお伝えください」

 戸の外まで見送ってくれた雲嵐に、翠鈴は頭を下げた。

「あと、寝言語録はいりませんので」
「そんなつれないことを言わずとも」

 雲嵐は、明らかに笑いをこらえている。肩が震えているのだから。
 鶏の鳴く声が、微かに聞こえた。

「寒くなりそうですよ。お気をつけて」

 雲嵐は、翠鈴の手から圍巾ウェイジンをとると彼女の首に巻いた。

「本人が眠っていますから。私は代理ということで」

 空はまだ濃藍や紺色の夜に支配されているが。東の空は暗い青を溶かすように白んでいる。
 冷えた空気をいっぱいに吸いこみながら、翠鈴は歩きだした。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。 ※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。