後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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八章 陽だまりの花園

3、十六歳でしたっけ

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翠鈴姐ツイリンジェ。これで揃っていますか?」

 光柳と花園で会う日の朝。翠鈴は、胡玲の宿舎を訪れていた。
 医官である胡玲の部屋は、宮女の翠鈴と違い個室だ。

 翠鈴は司燈なので、仕事の時間が他の宮女と違うこともあり、由由とふたり部屋だが。
 他の宮女たちは大部屋を複数で使っている。

薫衣草くんいそう冬菩提樹ふゆぼだいじゅの花。うん、どちらも合ってるね」

 椅子に座った翠鈴が、胡玲に用意してもらった乾燥花を確認する。
 どちらも不眠に効く。

「光柳さまに差しあげるんですよね。生薬じゃなくて、いいんですか?」

 寝台に腰を下ろして、胡玲が問う。

「うーん。薬も考えたんだけどね」

 不眠ならば、酸棗仁さんそうにんという酸っぱいナツメ、松の根に寄生するキノコである茯苓ぶくりょう、芹の一種の川芎せんきゅうの根、ハナスゲの根である知母ちも甘草かんぞう。これらを煎じたものを飲めばいい。

「でも光柳さまの場合は、なんというか、無理に寝ればいいというものでもない気がして」

 翠鈴は左右の指を組んだり外したりを、くり返した。
 ふつうの状態であれば、雨が降ったからといって気鬱にはならない。

 やはり詩というのは、心が動いたときに湧きあがってくるもので。それが切なさであれ、憧憬であれ、机に齧りついて生まれてくるものではない……ような気がする。

 薫衣草は、夏に花を咲かせる生薬だ。新杷国しんはこくからさらに西の果ての国では、ラベンダーと呼ばれる。初夏にはあわい紫の花が一面に咲くそうだ。

(きっと薫衣草の中にたたずめば、光柳さまも眠くなるんじゃないかな)

 薬ではなく、穏やかな香りで眠りに誘ってあげたい。

「だから花のお茶なんですね。効能は、生薬よりも穏やかですから」
「飲まなくても、枕元に置くだけでもいいらしいけどね」

 ふと、思いついたように胡玲が翠鈴を見据えた。

「変わりましたね、翠鈴姐」
「そう、だよね。変かな?」

 確かに以前の自分であれば、不眠ならば医局に行けばいいと勧めただろう。
 それが最善であると、疑うこともなかったはずだ。

 なのに、悩みを抱える光柳には薬の処方では寄りそうことにならない気がする。
 だから必死に考えて、何が光柳に必要なのかを探ろうとしている。

 答えは書物の中にはない。誰かが親切に教えてくれるものでもない。難しいのだ。

「変ですけど。十五歳の少女でしたら、普通ですね。ああ、年が明けたから翠鈴姐は数えで十六歳になったんでしたっけ」
「忘れてた」

 というか、十五歳なら普通という点が、とても引っかかるが。あえて胡玲に訊かない方がいいんだろう。
 胡玲は優しいが。地味に痛いところを突っ込んできそうな気がする。

「意外と皆さん、気づかぬふりをしてくれてるんですよ。まぁ、翠鈴姐と同じで、本当に忘れてたりもするんでしょうが」
「……ごめん。気にかけてくれて。こういうの胡玲にしか相談できなくて」

 思いがけない言葉だったのだろう。
 胡玲は瞬きをくり返した。そして急に、へにゃっと笑ったのだ。

「いえ、いいんですよ。翠鈴姐が私を頼ってくれるのは、大歓迎です。いつも翠鈴姐は頼られてばかりですからね」

 どうしてだろう。幼い胡玲の姿が見えた気がした。

「ツイリンジェ、ツイリンジェ」と、いつも翠鈴の背中を追いかけてきた胡玲。翠鈴は立ちどまってふり返り、胡玲と手をつないだのだ。
 花海棠はなかいどうが散る下を。緑滴る葉から、木洩れ日が射す中を。
 子供の頃の胡玲は、今も確かに彼女の中に存在するのに。

――まるで本当の姉妹みたいだねぇ。

 薬師の村の大人たちは、手をつないで道を歩く翠鈴と胡玲を微笑ましく眺めていた。
 皆が、本当の姉の明玉の悲惨な死を覚えている。誰もが忘れることなんてできない。

 姉を死に追いやった男への復讐を、幼い翠鈴は忘れることはなかったが。
 それでもちゃんと子供として暮らせたのは、胡玲がいたからだろう。彼女は翠鈴についてまわる「可哀想な子」という印を気にしない。村の他の子は、翠鈴に対してどこか遠慮がちだったのに。

「どうせなら、薫衣草くんいそうと冬菩提樹の花茶を売ろうかな」

 飲んでもよし、枕元に置いてもよし。という謳い文句はどうだろう。

「そうですね。安眠できる人はそもそも、夜更けに現れる薬師の元を訪れたりしませんから」

 確かに仕事で疲れた女官や宮女は、夜中まで起きてはいられない。

「じゃあ、胡玲。医局で仕入れる時に声をかけてね。わたしも注文するから」
「相変わらずお金が好きそうで、安心しました」

 胡玲はひどいことを、さらっと言った。とても嬉しそうに。
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