後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
102 / 171
八章 陽だまりの花園

2、髪を梳く手つき

しおりを挟む
「詩が詠めないって。髪のクセと関係がありますか?」

 翠鈴は問うた。
 確かに机の上には、書きかけの紙が散乱している。

「大ありだ。髪が乱れていると、心の静寂が保てない。すぐに気が散ってしまうんだ」

 光柳は言い募るが。それって、単に雨天で気が滅入ってるだけなのでは?

 話を聞くと、皇后から詩の依頼があったという。
 身ごもっておられるので、寿華宮じゅかきゅうからなかなか出かけることも叶わず。蘭淑妃をお誘いになって、麟美リンメイの詩を観賞する予定らしい。

「鑑賞会のために、新作が必要なのですね」
「五作は欲しいとのことだ」
「すみません。雨のせいだけではありませでしたね」

「何のことだ?」と、光柳は片方の眉を上げたが。さすがに重圧が原因とは、翠鈴は言えなかった。
 詩人はよく言えば繊細で、悪くいえば神経質だ。こだわりも強い。

 たとえるなら孤独を経験し、荒野の空にたったひとつの瞬く星を見つける人だ。その星に手を伸ばして。届かずとも追いかけ続けて、こぼれる光をなんとか留めようとする人なのだろう。
 光のかけらは言葉となり。その言葉は、読んだ人の涙と変わる。

「皇后陛下の依頼とあれば、しょうがありませんね」

 翠鈴は立ち上がった。

「光柳さま。櫛はお持ちですか?」
「あ、ああ」

 何も指示は出されていないのに。雲嵐が、紫檀したんの棚から櫛を持ってきた。
 翠鈴は礼を告げて、受けとる。

(梳いたくらいで、まっすぐになるわけじゃないけど)

 光柳の髪をほどき、丁寧に梳いていく。絹糸のように滑らかで。てのひらから、するりと逃げてしまいそうだ。

(確かにふだんよりは、髪がうねっているかな。でも、気にするほどじゃないのに)

 しょうがないなぁ。この人は、手がかかるんだから。
 翠鈴は光柳の横に立った。櫛を彼の頭にあてる。そのままゆっくりと、優しく動かしていく。

(手で頭を撫でると、接吻の意味になるらしいからね)

 妙な意味を込めなくてもいいんだけど。頭に触れてあげると、人は心が落ち着くものらしい。
 確かに翠鈴も、姉の明玉メイユィに撫でてもらうと安心したものだ。

 もう取り返すことのできない、優しい時間。
 今でも姉のことを考えると、心の奥が痛むけれど。それでも、つらいからといって、姉との思い出を封印することはない。

「大丈夫ですよ。光柳さまは、才能がおありです」
「そうか?」

 尋ねてくる光柳の声は、自信がなさそうだ。
 翠鈴が櫛を動かしていると、光柳は瞼を閉じた。

「……不思議だな。眠くなる」
「もしかして、夜更かしをなさいましたか? 詩のことで思案して、寝つけませんでしたか」
「分かるか?」

 どうしてだか、光柳の声は嬉しそうだった。

「雲嵐さまの睡眠の邪魔をしないように、布団の中で身動きもせずに天井を見上げてらしたんじゃないですか?」
「なぜ、そこまで分かる?」

 そりゃあね、と言いたい気持ちを翠鈴は堪えた。
 人を振り回すことの多い光柳だが。決して傲慢なわけではない。
 むしろ気を遣う方だろう。

「机の前に座ってばかりでは、感性も鈍くなってしまいます。次の休みが晴れなら、後宮の花園かえんを一緒に訪れませんか?」

 ぱぁぁ、と光柳の表情が輝いた。

「はい、陸翠鈴老師ルーツイリンせんせい。酒を持参してもよろしいでしょうか」

 官吏になるための試験勉強をする書院しょいんの生徒のように。光柳は手を上げた。

「誰が老師せんせいですか」

 もう大丈夫だ。先の楽しいことを考えれば、気鬱は霧のようにかすんでいく。
 翠鈴は苦笑した。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。