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八章 陽だまりの花園
2、髪を梳く手つき
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「詩が詠めないって。髪のクセと関係がありますか?」
翠鈴は問うた。
確かに机の上には、書きかけの紙が散乱している。
「大ありだ。髪が乱れていると、心の静寂が保てない。すぐに気が散ってしまうんだ」
光柳は言い募るが。それって、単に雨天で気が滅入ってるだけなのでは?
話を聞くと、皇后から詩の依頼があったという。
身ごもっておられるので、寿華宮からなかなか出かけることも叶わず。蘭淑妃をお誘いになって、麟美の詩を観賞する予定らしい。
「鑑賞会のために、新作が必要なのですね」
「五作は欲しいとのことだ」
「すみません。雨のせいだけではありませでしたね」
「何のことだ?」と、光柳は片方の眉を上げたが。さすがに重圧が原因とは、翠鈴は言えなかった。
詩人はよく言えば繊細で、悪くいえば神経質だ。こだわりも強い。
たとえるなら孤独を経験し、荒野の空にたったひとつの瞬く星を見つける人だ。その星に手を伸ばして。届かずとも追いかけ続けて、こぼれる光をなんとか留めようとする人なのだろう。
光のかけらは言葉となり。その言葉は、読んだ人の涙と変わる。
「皇后陛下の依頼とあれば、しょうがありませんね」
翠鈴は立ち上がった。
「光柳さま。櫛はお持ちですか?」
「あ、ああ」
何も指示は出されていないのに。雲嵐が、紫檀の棚から櫛を持ってきた。
翠鈴は礼を告げて、受けとる。
(梳いたくらいで、まっすぐになるわけじゃないけど)
光柳の髪をほどき、丁寧に梳いていく。絹糸のように滑らかで。てのひらから、するりと逃げてしまいそうだ。
(確かにふだんよりは、髪がうねっているかな。でも、気にするほどじゃないのに)
しょうがないなぁ。この人は、手がかかるんだから。
翠鈴は光柳の横に立った。櫛を彼の頭にあてる。そのままゆっくりと、優しく動かしていく。
(手で頭を撫でると、接吻の意味になるらしいからね)
妙な意味を込めなくてもいいんだけど。頭に触れてあげると、人は心が落ち着くものらしい。
確かに翠鈴も、姉の明玉に撫でてもらうと安心したものだ。
もう取り返すことのできない、優しい時間。
今でも姉のことを考えると、心の奥が痛むけれど。それでも、つらいからといって、姉との思い出を封印することはない。
「大丈夫ですよ。光柳さまは、才能がおありです」
「そうか?」
尋ねてくる光柳の声は、自信がなさそうだ。
翠鈴が櫛を動かしていると、光柳は瞼を閉じた。
「……不思議だな。眠くなる」
「もしかして、夜更かしをなさいましたか? 詩のことで思案して、寝つけませんでしたか」
「分かるか?」
どうしてだか、光柳の声は嬉しそうだった。
「雲嵐さまの睡眠の邪魔をしないように、布団の中で身動きもせずに天井を見上げてらしたんじゃないですか?」
「なぜ、そこまで分かる?」
そりゃあね、と言いたい気持ちを翠鈴は堪えた。
人を振り回すことの多い光柳だが。決して傲慢なわけではない。
むしろ気を遣う方だろう。
「机の前に座ってばかりでは、感性も鈍くなってしまいます。次の休みが晴れなら、後宮の花園を一緒に訪れませんか?」
ぱぁぁ、と光柳の表情が輝いた。
「はい、陸翠鈴老師。酒を持参してもよろしいでしょうか」
官吏になるための試験勉強をする書院の生徒のように。光柳は手を上げた。
「誰が老師ですか」
もう大丈夫だ。先の楽しいことを考えれば、気鬱は霧のようにかすんでいく。
翠鈴は苦笑した。
翠鈴は問うた。
確かに机の上には、書きかけの紙が散乱している。
「大ありだ。髪が乱れていると、心の静寂が保てない。すぐに気が散ってしまうんだ」
光柳は言い募るが。それって、単に雨天で気が滅入ってるだけなのでは?
話を聞くと、皇后から詩の依頼があったという。
身ごもっておられるので、寿華宮からなかなか出かけることも叶わず。蘭淑妃をお誘いになって、麟美の詩を観賞する予定らしい。
「鑑賞会のために、新作が必要なのですね」
「五作は欲しいとのことだ」
「すみません。雨のせいだけではありませでしたね」
「何のことだ?」と、光柳は片方の眉を上げたが。さすがに重圧が原因とは、翠鈴は言えなかった。
詩人はよく言えば繊細で、悪くいえば神経質だ。こだわりも強い。
たとえるなら孤独を経験し、荒野の空にたったひとつの瞬く星を見つける人だ。その星に手を伸ばして。届かずとも追いかけ続けて、こぼれる光をなんとか留めようとする人なのだろう。
光のかけらは言葉となり。その言葉は、読んだ人の涙と変わる。
「皇后陛下の依頼とあれば、しょうがありませんね」
翠鈴は立ち上がった。
「光柳さま。櫛はお持ちですか?」
「あ、ああ」
何も指示は出されていないのに。雲嵐が、紫檀の棚から櫛を持ってきた。
翠鈴は礼を告げて、受けとる。
(梳いたくらいで、まっすぐになるわけじゃないけど)
光柳の髪をほどき、丁寧に梳いていく。絹糸のように滑らかで。てのひらから、するりと逃げてしまいそうだ。
(確かにふだんよりは、髪がうねっているかな。でも、気にするほどじゃないのに)
しょうがないなぁ。この人は、手がかかるんだから。
翠鈴は光柳の横に立った。櫛を彼の頭にあてる。そのままゆっくりと、優しく動かしていく。
(手で頭を撫でると、接吻の意味になるらしいからね)
妙な意味を込めなくてもいいんだけど。頭に触れてあげると、人は心が落ち着くものらしい。
確かに翠鈴も、姉の明玉に撫でてもらうと安心したものだ。
もう取り返すことのできない、優しい時間。
今でも姉のことを考えると、心の奥が痛むけれど。それでも、つらいからといって、姉との思い出を封印することはない。
「大丈夫ですよ。光柳さまは、才能がおありです」
「そうか?」
尋ねてくる光柳の声は、自信がなさそうだ。
翠鈴が櫛を動かしていると、光柳は瞼を閉じた。
「……不思議だな。眠くなる」
「もしかして、夜更かしをなさいましたか? 詩のことで思案して、寝つけませんでしたか」
「分かるか?」
どうしてだか、光柳の声は嬉しそうだった。
「雲嵐さまの睡眠の邪魔をしないように、布団の中で身動きもせずに天井を見上げてらしたんじゃないですか?」
「なぜ、そこまで分かる?」
そりゃあね、と言いたい気持ちを翠鈴は堪えた。
人を振り回すことの多い光柳だが。決して傲慢なわけではない。
むしろ気を遣う方だろう。
「机の前に座ってばかりでは、感性も鈍くなってしまいます。次の休みが晴れなら、後宮の花園を一緒に訪れませんか?」
ぱぁぁ、と光柳の表情が輝いた。
「はい、陸翠鈴老師。酒を持参してもよろしいでしょうか」
官吏になるための試験勉強をする書院の生徒のように。光柳は手を上げた。
「誰が老師ですか」
もう大丈夫だ。先の楽しいことを考えれば、気鬱は霧のようにかすんでいく。
翠鈴は苦笑した。
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