103 / 171
八章 陽だまりの花園
3、十六歳でしたっけ
しおりを挟む
「翠鈴姐。これで揃っていますか?」
光柳と花園で会う日の朝。翠鈴は、胡玲の宿舎を訪れていた。
医官である胡玲の部屋は、宮女の翠鈴と違い個室だ。
翠鈴は司燈なので、仕事の時間が他の宮女と違うこともあり、由由とふたり部屋だが。
他の宮女たちは大部屋を複数で使っている。
「薫衣草。冬菩提樹の花。うん、どちらも合ってるね」
椅子に座った翠鈴が、胡玲に用意してもらった乾燥花を確認する。
どちらも不眠に効く。
「光柳さまに差しあげるんですよね。生薬じゃなくて、いいんですか?」
寝台に腰を下ろして、胡玲が問う。
「うーん。薬も考えたんだけどね」
不眠ならば、酸棗仁という酸っぱいナツメ、松の根に寄生するキノコである茯苓、芹の一種の川芎の根、ハナスゲの根である知母に甘草。これらを煎じたものを飲めばいい。
「でも光柳さまの場合は、なんというか、無理に寝ればいいというものでもない気がして」
翠鈴は左右の指を組んだり外したりを、くり返した。
ふつうの状態であれば、雨が降ったからといって気鬱にはならない。
やはり詩というのは、心が動いたときに湧きあがってくるもので。それが切なさであれ、憧憬であれ、机に齧りついて生まれてくるものではない……ような気がする。
薫衣草は、夏に花を咲かせる生薬だ。新杷国からさらに西の果ての国では、ラベンダーと呼ばれる。初夏にはあわい紫の花が一面に咲くそうだ。
(きっと薫衣草の中にたたずめば、光柳さまも眠くなるんじゃないかな)
薬ではなく、穏やかな香りで眠りに誘ってあげたい。
「だから花のお茶なんですね。効能は、生薬よりも穏やかですから」
「飲まなくても、枕元に置くだけでもいいらしいけどね」
ふと、思いついたように胡玲が翠鈴を見据えた。
「変わりましたね、翠鈴姐」
「そう、だよね。変かな?」
確かに以前の自分であれば、不眠ならば医局に行けばいいと勧めただろう。
それが最善であると、疑うこともなかったはずだ。
なのに、悩みを抱える光柳には薬の処方では寄りそうことにならない気がする。
だから必死に考えて、何が光柳に必要なのかを探ろうとしている。
答えは書物の中にはない。誰かが親切に教えてくれるものでもない。難しいのだ。
「変ですけど。十五歳の少女でしたら、普通ですね。ああ、年が明けたから翠鈴姐は数えで十六歳になったんでしたっけ」
「忘れてた」
というか、十五歳なら普通という点が、とても引っかかるが。あえて胡玲に訊かない方がいいんだろう。
胡玲は優しいが。地味に痛いところを突っ込んできそうな気がする。
「意外と皆さん、気づかぬふりをしてくれてるんですよ。まぁ、翠鈴姐と同じで、本当に忘れてたりもするんでしょうが」
「……ごめん。気にかけてくれて。こういうの胡玲にしか相談できなくて」
思いがけない言葉だったのだろう。
胡玲は瞬きをくり返した。そして急に、へにゃっと笑ったのだ。
「いえ、いいんですよ。翠鈴姐が私を頼ってくれるのは、大歓迎です。いつも翠鈴姐は頼られてばかりですからね」
どうしてだろう。幼い胡玲の姿が見えた気がした。
「ツイリンジェ、ツイリンジェ」と、いつも翠鈴の背中を追いかけてきた胡玲。翠鈴は立ちどまってふり返り、胡玲と手をつないだのだ。
花海棠が散る下を。緑滴る葉から、木洩れ日が射す中を。
子供の頃の胡玲は、今も確かに彼女の中に存在するのに。
――まるで本当の姉妹みたいだねぇ。
薬師の村の大人たちは、手をつないで道を歩く翠鈴と胡玲を微笑ましく眺めていた。
皆が、本当の姉の明玉の悲惨な死を覚えている。誰もが忘れることなんてできない。
姉を死に追いやった男への復讐を、幼い翠鈴は忘れることはなかったが。
それでもちゃんと子供として暮らせたのは、胡玲がいたからだろう。彼女は翠鈴についてまわる「可哀想な子」という印を気にしない。村の他の子は、翠鈴に対してどこか遠慮がちだったのに。
「どうせなら、薫衣草と冬菩提樹の花茶を売ろうかな」
飲んでもよし、枕元に置いてもよし。という謳い文句はどうだろう。
「そうですね。安眠できる人はそもそも、夜更けに現れる薬師の元を訪れたりしませんから」
確かに仕事で疲れた女官や宮女は、夜中まで起きてはいられない。
「じゃあ、胡玲。医局で仕入れる時に声をかけてね。わたしも注文するから」
「相変わらずお金が好きそうで、安心しました」
胡玲はひどいことを、さらっと言った。とても嬉しそうに。
光柳と花園で会う日の朝。翠鈴は、胡玲の宿舎を訪れていた。
医官である胡玲の部屋は、宮女の翠鈴と違い個室だ。
翠鈴は司燈なので、仕事の時間が他の宮女と違うこともあり、由由とふたり部屋だが。
他の宮女たちは大部屋を複数で使っている。
「薫衣草。冬菩提樹の花。うん、どちらも合ってるね」
椅子に座った翠鈴が、胡玲に用意してもらった乾燥花を確認する。
どちらも不眠に効く。
「光柳さまに差しあげるんですよね。生薬じゃなくて、いいんですか?」
寝台に腰を下ろして、胡玲が問う。
「うーん。薬も考えたんだけどね」
不眠ならば、酸棗仁という酸っぱいナツメ、松の根に寄生するキノコである茯苓、芹の一種の川芎の根、ハナスゲの根である知母に甘草。これらを煎じたものを飲めばいい。
「でも光柳さまの場合は、なんというか、無理に寝ればいいというものでもない気がして」
翠鈴は左右の指を組んだり外したりを、くり返した。
ふつうの状態であれば、雨が降ったからといって気鬱にはならない。
やはり詩というのは、心が動いたときに湧きあがってくるもので。それが切なさであれ、憧憬であれ、机に齧りついて生まれてくるものではない……ような気がする。
薫衣草は、夏に花を咲かせる生薬だ。新杷国からさらに西の果ての国では、ラベンダーと呼ばれる。初夏にはあわい紫の花が一面に咲くそうだ。
(きっと薫衣草の中にたたずめば、光柳さまも眠くなるんじゃないかな)
薬ではなく、穏やかな香りで眠りに誘ってあげたい。
「だから花のお茶なんですね。効能は、生薬よりも穏やかですから」
「飲まなくても、枕元に置くだけでもいいらしいけどね」
ふと、思いついたように胡玲が翠鈴を見据えた。
「変わりましたね、翠鈴姐」
「そう、だよね。変かな?」
確かに以前の自分であれば、不眠ならば医局に行けばいいと勧めただろう。
それが最善であると、疑うこともなかったはずだ。
なのに、悩みを抱える光柳には薬の処方では寄りそうことにならない気がする。
だから必死に考えて、何が光柳に必要なのかを探ろうとしている。
答えは書物の中にはない。誰かが親切に教えてくれるものでもない。難しいのだ。
「変ですけど。十五歳の少女でしたら、普通ですね。ああ、年が明けたから翠鈴姐は数えで十六歳になったんでしたっけ」
「忘れてた」
というか、十五歳なら普通という点が、とても引っかかるが。あえて胡玲に訊かない方がいいんだろう。
胡玲は優しいが。地味に痛いところを突っ込んできそうな気がする。
「意外と皆さん、気づかぬふりをしてくれてるんですよ。まぁ、翠鈴姐と同じで、本当に忘れてたりもするんでしょうが」
「……ごめん。気にかけてくれて。こういうの胡玲にしか相談できなくて」
思いがけない言葉だったのだろう。
胡玲は瞬きをくり返した。そして急に、へにゃっと笑ったのだ。
「いえ、いいんですよ。翠鈴姐が私を頼ってくれるのは、大歓迎です。いつも翠鈴姐は頼られてばかりですからね」
どうしてだろう。幼い胡玲の姿が見えた気がした。
「ツイリンジェ、ツイリンジェ」と、いつも翠鈴の背中を追いかけてきた胡玲。翠鈴は立ちどまってふり返り、胡玲と手をつないだのだ。
花海棠が散る下を。緑滴る葉から、木洩れ日が射す中を。
子供の頃の胡玲は、今も確かに彼女の中に存在するのに。
――まるで本当の姉妹みたいだねぇ。
薬師の村の大人たちは、手をつないで道を歩く翠鈴と胡玲を微笑ましく眺めていた。
皆が、本当の姉の明玉の悲惨な死を覚えている。誰もが忘れることなんてできない。
姉を死に追いやった男への復讐を、幼い翠鈴は忘れることはなかったが。
それでもちゃんと子供として暮らせたのは、胡玲がいたからだろう。彼女は翠鈴についてまわる「可哀想な子」という印を気にしない。村の他の子は、翠鈴に対してどこか遠慮がちだったのに。
「どうせなら、薫衣草と冬菩提樹の花茶を売ろうかな」
飲んでもよし、枕元に置いてもよし。という謳い文句はどうだろう。
「そうですね。安眠できる人はそもそも、夜更けに現れる薬師の元を訪れたりしませんから」
確かに仕事で疲れた女官や宮女は、夜中まで起きてはいられない。
「じゃあ、胡玲。医局で仕入れる時に声をかけてね。わたしも注文するから」
「相変わらずお金が好きそうで、安心しました」
胡玲はひどいことを、さらっと言った。とても嬉しそうに。
156
あなたにおすすめの小説
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。