後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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十一章 蓖麻子《ひまし》

11、うずら豆

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 すぐに医者と二人の医官が来てくれた。医官の中には胡玲フーリンがいる。翠鈴と同郷で幼なじみであり、翠鈴が年を偽っていることを知っている。

「担架を持ってきました。医局まで運びますね」

 竹と毛布でできた担架を胡玲は地面に置いた。初老の医者は、横たわる鳩児から事情を聞いている。
 受け答えが明瞭なので、鳩児の貧血は少し治まっているようだ。

「陸翠鈴、君がいてくれて助かった。判断が速いな」
「恐れ入ります。でも当然のことをしたまでです」

 翠鈴は、鳩児ジウアーの脈を測っている医者に頭を下げた。
 頭を下げて、足を上げる。着衣を緩める。水分を取らせる。嘔吐に気をつける。どれも当たり前の対処だ。
「何を言ってるんだ」と、医者は呆れたような声を出した。声の大きさに鳩児の指がぴくりと動く。

「君にとっては普通のことかもしれんが。君が率先して動き、指示を出してくれたから、すぐに皆が動くことができたんだ」
「そ、そうですよ。私達じゃ何もできなかったもの。倒れている人を助けてあげたいって思っても、どうすれば正しいのか分からなくて」
「女炎……えっと翠鈴さんが教えてくれなかったら、ずっと『大丈夫?』って声をかけるだけだったわ」

 医者の言葉に、女官や宮女が賛同する。
 呆気にとられる翠鈴の隣に、胡玲がやってきた。

「おしゃべりしている暇はないので、もう行きますね。でも、翠鈴姐ツイリンジェはこの後宮に必要な人なんですよ」

 さらに翠鈴に近寄った胡玲は、耳もとに口を寄せた。

「今後、ここから出ていく日が来ても、たまには医局に顔を見せてくださいね。いえ、しょっちゅう訪れてくれないと困ります。でないと私が寂しいですから」

 胡玲は子供のようににっこりと微笑んだ。同僚の医官たちは、そんなあどけない表情の胡玲を見たことがなかったのだろう。驚いたように瞠目している。

 鳩児の状態に緊急性はないと判断したのだろ。医官たちは普段通りにしゃべっている。
 担架に乗せられた鳩児を運んでくれたのは、居合わせた宦官だった。
 鳩児が運ばれていくのを見送った女性たちは、それぞれの仕事場へと向かった。

「由由。わたしがむしろを返してくるわ」
「えー、食堂なら一緒に行こうよ」

 他の女官や宮女たちと違い、司燈は早朝の仕事を終えている。翠鈴と由由のふたりで、筵と鳩児に水を飲ませた碗を返しにいった。

「やっぱり翠鈴は頼りになるわ」
「いや、もういいから。普通のことをしただけだから」

 あまりにも褒めらえると、反応に困ってしまう。土の匂いのする筵に、思わず顔を埋めそうになったほどだ。

 食堂で筵を返却しながら礼を告げた翠鈴は、厨房にいる女官に声をかけた。確認したいことがあったのだ。
「うずら豆を料理として出す予定はありますか?」と。

 朝食後の洗い物の水音が聞こえる調理から、責任者である女官が出てきた。
 食堂も朝食を提供する忙しい時間は終わったが、片づけがあるので長居はできない。

「うずら豆?」
「甘い八宝粥パーパオツォウに、うずら豆を用いますよね」

 翠鈴は問うた。小豆や三角豆、花生ピーナッツ蓮子はすのみなど八種の豆で作った甘い八宝粥にはうずら豆も用いられる。陳皮で香りがつけられ、祝いの席では白玉が入る。

 豆は乾燥しているので、戻すのに時間がかかるから。宮女たちが利用する食堂で、八宝粥を作るなど現実的ではないが。

「あー、八宝粥には使うね。でも、うずら豆は仕入れてないわ」

 女官に礼を告げて、翠鈴は食堂を出た。

「どうしたの? なんで豆のことを訊いたの?」

 由由が翠鈴の後を追う。手の中のうずら豆を、翠鈴は握りしめた。
 五、六粒の豆なのに。その硬さの中に鳩児は何を閉じこめているのだろう、と翠鈴は訝しんだ。

 ◇◇◇

 後日。体調の戻った鳩児が翠鈴の部屋を訪れた。
 顔色はよくなっているが、やはり元々痩せているからだろう。どうにも「元気」という風には見えない。

 まだ消灯までには時間がある。廊下からは宮女たちの話す声が、水面に起こるさざ波のように聞こえてきた。

 部屋の中にも入らず、礼を告げて立ち去ろうとする鳩児を、翠鈴は呼びとめた。
 鳩児の持つ油灯ようとうの明かりに、細い影が廊下の壁に伸びる。

「預かっていた物を返すわ。ちょっと待って」

 預かるも何も、翠鈴が勝手に拾っただけなのだが。あんなにも握りしめていたのだから、きっと大事なうずら豆なのだろう。
 落ちていた五粒の豆は、布に包んである。
 受け取った鳩児は翠鈴の顔を見上げて、おどおどしながら包みを開いた。

「ひっ」

 か細い悲鳴を鳩児は上げた。寝台に座っていた由由が、驚いた様子で立ちあがる。
 ばしんっ。開いた扉に叩きつけられたうずら豆が、床に落ちていった。

 なるほど、やっぱりね。翠鈴は目を細めた。
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