小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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一章

3、姫さまの護衛になりました【2】

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 薄紅や淡い黄色のバラが咲く王宮の庭で、マルティナさまと私は向かい合って座っていた。
 姫さまのエプロンドレスが汚れぬように、下草の上に敷物を敷いてさしあげる。
 
 ちんまりとお座りになった姫さまは、おもちゃの木のナイフで平たい粘土板のようなものを切ろうとなさっている。

「粘土板……考古学者ごっこですか? ですが、出土品ならば割らぬ方がよろしいかと」
「こうこがくしゃってなぁに?」
「うっ」

 さすがに四歳の王女に対しての言葉づかいではなかったか。
 うーん。うちの兄の次男が四歳の時はどうだっただろうか? ほんの少し前のことなのだが。実家である伯爵家を訪れた時も、甥っ子はにこにこと私の話を聞いたり、一緒に散歩するだけだったからな。

 子どもの相手は難しい。

「これはね、パンなの。うすくきって、やくのよ」
「パンでしたか。失礼いたしました」
「たっぷりのバターとね、おかあさまがつくったジャムをぬってね、たべるの」

 昨日か一昨日に作ったであろう粘土板……もといパンはかぴかぴに乾燥してしまって、木のナイフでは切れそうにもない。
 それを全体重をかけて切ろうとなさるマルティナさま。
 白いエプロンドレスのフリルが、ふるふると緊張したように震えている。

 ぱかっ、と突然土のパンは切れた。というか砕けた、砕け散った。

 お父上である王太子殿下によく似た蒼い瞳を、姫さまは大きく見開いた。瞬きもせずに。
 そして次の瞬間、ぽろぽろと涙が零れだしたのだ。
 水晶の粒のようなきれいな涙が、まるでネックレスの糸が切れたかのように地面に落ちていく。

「え? え? あの、泣くほどのことですか?」
「アレクにあげようとおもったのに……」

 ぐすぐすとしゃくりあげながら、姫さまは土のついた小さな手で涙を拭おうとなさる。手についた土が湿って、濃い茶に色が変わっていった。

「お待ちください。姫さま」
「う、うぅ。いっしょうけんめいつくったのにぃ」
「お気持ちは、その、嬉しいです。ありがとうございます」

 だが、汚れた手で目を擦ったら、目の病になってしまう。
 私は慌てて清潔なガーゼのハンカチで、姫さまの涙を拭いてさしあげた。

 一生懸命と仰ったが、本当に心を込め、時間をかけて作ってくださったのだろう。そのお気持ちを思うと、胸の奥に暖かな灯がともるのを感じた。
 ああ、この方は愛されてまっすぐに育っていらっしゃる。ならばこそ、この私がお守りしなければ。

「うわぁぁーん」
「大丈夫です。私は嬉しかったですよ」
「でも、でもぉ」

 ガーゼのハンカチはすぐにびしょ濡れになってしまった。次の一枚を取り出そうとすると、マルティナさまは私にしがみついてくる。
 小さな頭を私の胸に埋めて「パンがぁー。アレクのパンがぁ」と、心底哀しそうな声が私の騎士服に吸い込まれていく。
 
 困りましたね。二枚目のハンカチが取りだせませんよ。

 私は姫さまを抱っこして、そのまま立ち上がった。
 急に高い位置に移動したからだろう。驚いた姫さまは泣くのが止まった。ただし、まだしゃくりあげていらっしゃるが。

「ほら、蝶がいますよ」
「ちょうちょ?」
「黄色い蝶ですね。『マルティナさま、どうしたの? 泣かないで』と申してますよ」
「ちょうちょ、しゃべるの?」

 喋りません。ですが、嘘も方便です。

「はい。このアレクには蝶の声が聞こえるのです。『元気出して、マルティナさま』『パンはまた作ればいいわ』だそうです」
「すごい、すごいね」

 マルティナさまは、ひらひらと風に漂う蝶に手を伸ばす。
 むろん、蝶は警戒して飛んで行ってしまうが。それでも嬉しそうだ。濡れた目を細めて、微笑んでいらっしゃる。
 丈高い白銀葭しろがねよしが風に揺れて、さわさわと波のようになびいている。
 小さな蝶は、まるで海峡を渡っていくかのように見えた。
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