小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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二章

11、夕暮れの道

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 子どもの頃か、と私は暗い木々の間から見える夕暮れの空を見上げながら思いを馳せた。
 上に兄がいるので、外遊びばかりしていたな。虫を捕ったり、川で魚を釣る兄ののんびりさに痺れを切らして、手で魚を掴もうとしたり。(むろん逃げられたし、兄には「邪魔をするな」とこっぴどく叱られた)

 当然、女の子と遊ぶことなどなかった。

 ままごとをするようになったのは、姫さまの遊びのお相手をするようになってからだ。
 正直、三歳の頃の姫さまが満面の笑みで泥団子を差し出して「たべて」と仰った時。これは本当に食べるべきなのか? と混乱した。

 そして「のんでね」と勧められたのは、草の浮いた水だった。
 木のカップになみなみと入った水は、姫さま曰く「しんしゅ」だそうで。恐らくは林檎酒の新酒を模したのだろう。
 草は……ミントのおつもりだろうか。明らかに雑草なのだが。
 飲むんですか? これ。

 花野の中でままごとをしていた少女たちは、どうだったろう?
 仲間に加わることがなかったので、思い出すことも出来ない。

 いや、分かるんだ。ごっこ遊びということは。
 だが、幼子があんなにも真剣に握って丸めて、手を泥だらけにして作った物は、食べる真似をするだけで許されるのだろうか?
 小さな姫さまが「アレクが、たべてくれないの」と泣きだしたらと思うと、哀れで哀れで。

 ですが姫さま。泥を食べて私が体調を崩したら、誰が姫さまのお相手……もといお守りするんですか?

 本当に初めてのままごとは、緊張したんだ。
「まずは姫さまから召し上がってください」などと言って、様子を見るにしても、もし本当に姫さまが泥団子をぱくりを召し上がったらどうする。
 重大な責任問題だ。

 薔薇の咲き誇る宮殿の中庭で、幼い姫さまは蒼い瞳をきらきらと煌めかせて、私が手にした泥団子(姫さまは「けぇき」と仰っていた)を注視なさっていた。

――アレク。けぇき、たべないの?
――申し訳ございません。勉強不足なもので、食べ方が分かりません。
――じゃあ、マルティナがたべさせてあげる。

 え? もしかして泥団子を口にねじ込まれるのか?
 赤子の頃から、私の姿を見つけては高速で這い這いなさって追いかけていらした姫さまだ。妃殿下によく似た愛らしい面立ちに反して、なかなかにワイルドな一面がおありなのだが。

 不安を表情に出さぬように緊張していると、姫さまはおもちゃの木のナイフで切り取った泥団子の一片を私の方へ向けて「はい、あーん」と差し出した。
 
 いかん。頬が引きつる。
 どう反応していいのか分からずにいる私の前で「おいしかった?」と姫さまが問いかけてくる。

 あ、実際に食べなくていいんだ。

 まぁ、考えてみればままごと初心者の私と違い、姫さまは妃殿下とままごとをなさったことがあるはずなので。僅か三歳の姫さまの方が、ままごとの経験者であったわけなのだが。
 そこまで考えが至らなかった。

 ほっとした時、風が吹き抜けて薔薇の花びらが一斉に散った。
 白に黄色、薄紅の花びらが甘い芳香と共に舞っている。
 まるでマルティナさまの笑顔が、花びらに変化して風に広がっていくようだった。

「ね、アレク。おいしかった?」
「はい。おいしゅうございました」
「よかったぁ」

 輝く笑顔で、ふわふわの髪に薔薇の花をまとわせる姫さまは小さな春の女神だった。
 この方を生涯お守りする。それはただの任務ではなく、自分に与えられたとても尊い使命だと思えた。

 お生まれになった時から知っているからだろうか。殿下や妃殿下に対する敬愛とはまた違う、姫さまに対する親しさは何なのだろう。
 今、十二歳の姫さまは私の隣を歩いてくださっている。

 あと何年、こうしていられる? ヨアキム少年との縁談は結ばれなかったが、いずれ次々と縁談が舞い込んでくることだろう。

 私は姫さまの夫となる方のことを、心から歓迎できるのだろうか。
 
 ああ、いつまでも暗くならない長い夜は苦手だ。
 考えなくていいことを、ずっと考えてしまう。夕暮れが永遠に続くかのように、姫さまとの時間も永遠であるかもしれないと錯覚してしまうのだから。

 いっそ夜の闇に閉ざされた冬の方が、眠ってしまえるだけまだましだ。
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