小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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三章

8、自覚してしまったので

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 勤務時間を終えて、私は王宮を辞した。
 宮殿の敷地の中にある宿舎へと向かう時、背中に視線を感じた。

 肩越しに振り返ると、二階のバルコニーに立つマルティナさまと目が合った。
 あまい蜂蜜色の髪が、夕日の名残を宿して煌めいている。
 途端に、マルティナさまは慌てて座っておしまいになる。
 隠れてしまわれた、と落胆する自分が意外だった。

 私は今日姫さまに求婚したのだ。
 あれほど押して押して押しまくってきた姫さまが、私の方から押せば恥じらっておしまいになる。
 なのに求婚の返事は即答だ。
 いじらしいというか、愛らしいというか。

 きっと今のマルティナさまの頬は、幾重にも赤や朱を重ねた夕焼けを映した色に染まっていることだろう。
 その表情を引き出したのは、他でもない私だ。

 うわ、考えたら……なんか照れてきたぞ。これ、私の頬まで赤くなっていないか?

「あら、どうしたの?」と、声をかけてきたのはマルガレータ妃殿下の護衛の女騎士だ。ちょうど退勤時間が同じだったらしい。
 彼女は立ち止まると、私の顔をじーっと覗きこんできた。

 やめてくれ。今は人に見せられる顔じゃないんだ。私はそーっと顔の向きを横にずらした。

「顔、赤い?」
「夕焼けが映っているんだろう?」
「熱でもあるのかと……」
「いや、君も夕映えで顔が赤いぞ」

 こんな口から出まかせが通じるとは思わなかったが。「それもそうね」と存外、簡単に通じた。

「そういえば、エーミルはちゃんとお仕えしてる? あの子、子どもの相手は苦手そうだけど」
「バート殿下のことか?」
「そう。私、だめなのよね、子ども。マルティナさまに初対面の時に泣かれてから、どうにもねぇ。あんたの方が顔は私よりも怖いし、エーミルは私よりも冷たそうなんだけど」

 えらい言われようだな。
 君は気づいていないだろうが、そうやって人を判断するところが子どもに避けられるんじゃないかな。

 エーミルも最初は戸惑っていたし、バートさまも人見知りをなさっていたが。あの二人は大丈夫だろうという気がする。

「なんか、どうしたの?」
「え?」
「今日は表情が柔らかいのね。なんかいいことでもあった?」

 ぎくっ。
 いかん、表情に関しては夕映えのせいにはできない。このままだと根掘り葉掘り訊かれてしまう。話題を変えなければ、話題、話題。

 機転の利かない性格が、こんな時は本当に困る。
 だが口下手な私が、うーんと唸っている間に彼女は「ま、いいわ」と手を振って去っていった。

 は? もう帰るのか? やめてくれないかな。そんな風に人を惑わせて、しかもさほど興味もないなら尋ねないでくれ。王太子殿下から発表があるまでは、求婚のことはまだ人に話すわけにはいかないんだ。

 ほっとして肩を落としたとたん、しみじみと幸福感に満たされた。
 そうだ、求婚したんだった。
 いかん。頬が緩んでしまう。

 私は手でぺちぺちと自分の頬を叩いた。
 同僚の女騎士が、自分の家に戻ったのだろう。扉を閉める軋む音が春の風にのって微かに聞こえた。
 
 王宮の外の街は賑やかなのだろうが、夕闇が静かに降りてくる王宮の広い敷地はとても静かだ。
 よく手入れされた木々は、影絵のように華やかな夕空へとすっと伸びている。
 巣に帰る鳥の群れ、遠く聞こえる幽かな鳴き声。

 家まで戻ると、かつてマルティナさまが種を飛ばしていっぱいにしてくださったたんぽぽが出迎えてくれた。そろそろ暗くなる時刻だから、愛らしい黄色い花も閉じることだろう。
 
 ああ、お返事を下さった時のようすは、本当に清らかでまぶしかった。
 思い出すと、もう恥ずかしくて恥ずかしくて。
 
 多分、今夜はマルティナさまの夢を見ることだろう。そして姫さまも私の夢を見るに違いない。
 宵祭りのおまじないの花束がなくとも、今夜は夢で逢える。
 そう確信した。
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