小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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三章

12、照れるので

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 翌朝、アレクの出勤時間の頃には、わたしは自室の椅子に座っていた。
 いつもアレクは早めに出勤してくるし、昔、わたしが駄々をこねたせいで王宮の通用口ではなく庭を通ってくる。
 もうバルコニーで、今か今かと待ちわびたりしないの。だって幼稚ですものね。

 でも、足音が聞こえるたびに気になって。腰が椅子から浮いてしまう。
 だめだめ。そんな子どもっぽい態度をとっては。

 ああ、でもアレクとどんな顔をして会えばいいの? 普通にできるかしら。声が上ずったりしないかしら。
 膝の上できゅっと握った手。そのてのひらがしっとりと汗ばむ気がした。

 だめだってば。手汗をかいているなんてレディ失格よ。
 なのに、耳が巨大になったみたいにアレクの足音を拾おうとする。

 コツコツ、と廊下を歩く音が聞こえた。メイドの早足でも軽いけれどゆっくりとした侍女のでもない。
 わたしは反射的に立ち上がり、ドアの方へと向かった。いつもより出勤が早いわ。アレクも落ち着かなかったのかしら。

 表情がおかしくないか、鏡で確認する暇はない。指で頬や口の周囲に触れて、真面目な顔つきであることを確認する。

「失礼いたします。マルティナさま」

 ノックの音がして、目の前で扉が重々しく開く。
 顔を表したのはアレクじゃなくって、執事だった。

 え? なんで? もしかしてアレクは今日お休みなの? そんな話はしていなかったわ。
 それとも病気になってしまったのかしら。ならばお見舞いに。
 どこの病院かしら。王宮にいる侍医に診てもらえばいいのに。

 踵を返して出かける用意をしようとしたら、執事に「落ち着きなさいませ」とたしなめられた。すでにわたしは薄手の外套に手を掛けていた。

「アレクサンドルは、用事があって少し遅れるそうでございます」
「何の用事なの?」
「そこまでは伺っておりませんが。遅れるといっても勤務時間には到着するそうです。姫さまが心配なさってはいけないからとの伝言ですが。彼の読みが当たりましたね」

 少し呆れた表情を執事は浮かべた。
 わたしは、そーっと淡い春の花のような黄色の外套から手を離す。
 
「……もしやアレクサンドルが病院にいて、そこまで見舞いに行くお考えでしたか?」
「うっ」
「馬車の用意を、と仰るおつもりで?」

 返す言葉もございません。
 でも、アレクの具合が悪いわけじゃないんだわ。わたしはほっとして肩を落とした。
 
◇◇◇

 出勤前に街に出たので、少し遅くなってしまった。
 朝市帰りの女性たちにぶつかりそうになり。馬車に乗っているエーミルに「叔父さま、一緒に乗っていきませんか?」と声をかけられ。気持ちは嬉しいが、断るために立ち話をする時間も惜しい。

 結局、用事を終えた私は出勤時間ぎりぎりに王宮に戻った。

 ゆうべは私の見送りをなさらなかった姫さまだ。今日もバルコニーに出たりせずに、おとなしく椅子に座って詩集でも読んでおいでだろう。
 そう思ったのだが。

「アレクー!」

 バルコニーの柵を乗り越えんばかりの勢いで、ぶんぶんと手をふる姫さまの姿を見て、我が目を疑いましたよ。

 ちょっとあなたは、何をなさっているんですか? 落ちたいんですか? 怪我をしたいんですか? さすがにいくら鍛えていても、二階から落ちたマルティナさまを受け止めて私も無傷ではいられませんよ。
 
「危ないです、落ちますよ」
「無事だったのね、心配したのよ」
「同僚に、執事への伝言を頼んだはずですが。聞いていらっしゃいませんか?」
「……聞いたわ」

 少ししょぼんとなさった姫さまの声が、小さくなる。
 聞いたのなら、どうして? そう考えて、頬がかーっと熱くなるのを感じた。
 
 遅刻というほど遅れてもいない。だが普段よりは確かに遅い。
 それに私は遅れる理由を明確には伝えていない。
 
 心配なさったのか、私のことを。
 あまりにも嬉しいマルティナさまの心遣いに、耳まで熱くなった。

「どうしたの? やっぱり熱があるんじゃないの? 耳が赤いわ」
「赤くないです」
「顔も赤いもの。待ってて、侍医に診てもらいましょう」

 どうして庭と二階に離れているのに、そんなに目がいいんですか。
 当然いいですよね。私のどんな表情も見逃すまいと、姫さまは常に私を見つめておられるのですからね。それほどに私を好いておられるんですからね。

 ああ、もう。自分の考えに「どれだけ自惚れているんだよ」と突っ込みたくなる。
 むしろ、誰か突っ込んでくれ。
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