51 / 78
三章
12、照れるので
しおりを挟む
翌朝、アレクの出勤時間の頃には、わたしは自室の椅子に座っていた。
いつもアレクは早めに出勤してくるし、昔、わたしが駄々をこねたせいで王宮の通用口ではなく庭を通ってくる。
もうバルコニーで、今か今かと待ちわびたりしないの。だって幼稚ですものね。
でも、足音が聞こえるたびに気になって。腰が椅子から浮いてしまう。
だめだめ。そんな子どもっぽい態度をとっては。
ああ、でもアレクとどんな顔をして会えばいいの? 普通にできるかしら。声が上ずったりしないかしら。
膝の上できゅっと握った手。そのてのひらがしっとりと汗ばむ気がした。
だめだってば。手汗をかいているなんてレディ失格よ。
なのに、耳が巨大になったみたいにアレクの足音を拾おうとする。
コツコツ、と廊下を歩く音が聞こえた。メイドの早足でも軽いけれどゆっくりとした侍女のでもない。
わたしは反射的に立ち上がり、ドアの方へと向かった。いつもより出勤が早いわ。アレクも落ち着かなかったのかしら。
表情がおかしくないか、鏡で確認する暇はない。指で頬や口の周囲に触れて、真面目な顔つきであることを確認する。
「失礼いたします。マルティナさま」
ノックの音がして、目の前で扉が重々しく開く。
顔を表したのはアレクじゃなくって、執事だった。
え? なんで? もしかしてアレクは今日お休みなの? そんな話はしていなかったわ。
それとも病気になってしまったのかしら。ならばお見舞いに。
どこの病院かしら。王宮にいる侍医に診てもらえばいいのに。
踵を返して出かける用意をしようとしたら、執事に「落ち着きなさいませ」とたしなめられた。すでにわたしは薄手の外套に手を掛けていた。
「アレクサンドルは、用事があって少し遅れるそうでございます」
「何の用事なの?」
「そこまでは伺っておりませんが。遅れるといっても勤務時間には到着するそうです。姫さまが心配なさってはいけないからとの伝言ですが。彼の読みが当たりましたね」
少し呆れた表情を執事は浮かべた。
わたしは、そーっと淡い春の花のような黄色の外套から手を離す。
「……もしやアレクサンドルが病院にいて、そこまで見舞いに行くお考えでしたか?」
「うっ」
「馬車の用意を、と仰るおつもりで?」
返す言葉もございません。
でも、アレクの具合が悪いわけじゃないんだわ。わたしはほっとして肩を落とした。
◇◇◇
出勤前に街に出たので、少し遅くなってしまった。
朝市帰りの女性たちにぶつかりそうになり。馬車に乗っているエーミルに「叔父さま、一緒に乗っていきませんか?」と声をかけられ。気持ちは嬉しいが、断るために立ち話をする時間も惜しい。
結局、用事を終えた私は出勤時間ぎりぎりに王宮に戻った。
ゆうべは私の見送りをなさらなかった姫さまだ。今日もバルコニーに出たりせずに、おとなしく椅子に座って詩集でも読んでおいでだろう。
そう思ったのだが。
「アレクー!」
バルコニーの柵を乗り越えんばかりの勢いで、ぶんぶんと手をふる姫さまの姿を見て、我が目を疑いましたよ。
ちょっとあなたは、何をなさっているんですか? 落ちたいんですか? 怪我をしたいんですか? さすがにいくら鍛えていても、二階から落ちたマルティナさまを受け止めて私も無傷ではいられませんよ。
「危ないです、落ちますよ」
「無事だったのね、心配したのよ」
「同僚に、執事への伝言を頼んだはずですが。聞いていらっしゃいませんか?」
「……聞いたわ」
少ししょぼんとなさった姫さまの声が、小さくなる。
聞いたのなら、どうして? そう考えて、頬がかーっと熱くなるのを感じた。
遅刻というほど遅れてもいない。だが普段よりは確かに遅い。
それに私は遅れる理由を明確には伝えていない。
心配なさったのか、私のことを。
あまりにも嬉しいマルティナさまの心遣いに、耳まで熱くなった。
「どうしたの? やっぱり熱があるんじゃないの? 耳が赤いわ」
「赤くないです」
「顔も赤いもの。待ってて、侍医に診てもらいましょう」
どうして庭と二階に離れているのに、そんなに目がいいんですか。
当然いいですよね。私のどんな表情も見逃すまいと、姫さまは常に私を見つめておられるのですからね。それほどに私を好いておられるんですからね。
ああ、もう。自分の考えに「どれだけ自惚れているんだよ」と突っ込みたくなる。
むしろ、誰か突っ込んでくれ。
いつもアレクは早めに出勤してくるし、昔、わたしが駄々をこねたせいで王宮の通用口ではなく庭を通ってくる。
もうバルコニーで、今か今かと待ちわびたりしないの。だって幼稚ですものね。
でも、足音が聞こえるたびに気になって。腰が椅子から浮いてしまう。
だめだめ。そんな子どもっぽい態度をとっては。
ああ、でもアレクとどんな顔をして会えばいいの? 普通にできるかしら。声が上ずったりしないかしら。
膝の上できゅっと握った手。そのてのひらがしっとりと汗ばむ気がした。
だめだってば。手汗をかいているなんてレディ失格よ。
なのに、耳が巨大になったみたいにアレクの足音を拾おうとする。
コツコツ、と廊下を歩く音が聞こえた。メイドの早足でも軽いけれどゆっくりとした侍女のでもない。
わたしは反射的に立ち上がり、ドアの方へと向かった。いつもより出勤が早いわ。アレクも落ち着かなかったのかしら。
表情がおかしくないか、鏡で確認する暇はない。指で頬や口の周囲に触れて、真面目な顔つきであることを確認する。
「失礼いたします。マルティナさま」
ノックの音がして、目の前で扉が重々しく開く。
顔を表したのはアレクじゃなくって、執事だった。
え? なんで? もしかしてアレクは今日お休みなの? そんな話はしていなかったわ。
それとも病気になってしまったのかしら。ならばお見舞いに。
どこの病院かしら。王宮にいる侍医に診てもらえばいいのに。
踵を返して出かける用意をしようとしたら、執事に「落ち着きなさいませ」とたしなめられた。すでにわたしは薄手の外套に手を掛けていた。
「アレクサンドルは、用事があって少し遅れるそうでございます」
「何の用事なの?」
「そこまでは伺っておりませんが。遅れるといっても勤務時間には到着するそうです。姫さまが心配なさってはいけないからとの伝言ですが。彼の読みが当たりましたね」
少し呆れた表情を執事は浮かべた。
わたしは、そーっと淡い春の花のような黄色の外套から手を離す。
「……もしやアレクサンドルが病院にいて、そこまで見舞いに行くお考えでしたか?」
「うっ」
「馬車の用意を、と仰るおつもりで?」
返す言葉もございません。
でも、アレクの具合が悪いわけじゃないんだわ。わたしはほっとして肩を落とした。
◇◇◇
出勤前に街に出たので、少し遅くなってしまった。
朝市帰りの女性たちにぶつかりそうになり。馬車に乗っているエーミルに「叔父さま、一緒に乗っていきませんか?」と声をかけられ。気持ちは嬉しいが、断るために立ち話をする時間も惜しい。
結局、用事を終えた私は出勤時間ぎりぎりに王宮に戻った。
ゆうべは私の見送りをなさらなかった姫さまだ。今日もバルコニーに出たりせずに、おとなしく椅子に座って詩集でも読んでおいでだろう。
そう思ったのだが。
「アレクー!」
バルコニーの柵を乗り越えんばかりの勢いで、ぶんぶんと手をふる姫さまの姿を見て、我が目を疑いましたよ。
ちょっとあなたは、何をなさっているんですか? 落ちたいんですか? 怪我をしたいんですか? さすがにいくら鍛えていても、二階から落ちたマルティナさまを受け止めて私も無傷ではいられませんよ。
「危ないです、落ちますよ」
「無事だったのね、心配したのよ」
「同僚に、執事への伝言を頼んだはずですが。聞いていらっしゃいませんか?」
「……聞いたわ」
少ししょぼんとなさった姫さまの声が、小さくなる。
聞いたのなら、どうして? そう考えて、頬がかーっと熱くなるのを感じた。
遅刻というほど遅れてもいない。だが普段よりは確かに遅い。
それに私は遅れる理由を明確には伝えていない。
心配なさったのか、私のことを。
あまりにも嬉しいマルティナさまの心遣いに、耳まで熱くなった。
「どうしたの? やっぱり熱があるんじゃないの? 耳が赤いわ」
「赤くないです」
「顔も赤いもの。待ってて、侍医に診てもらいましょう」
どうして庭と二階に離れているのに、そんなに目がいいんですか。
当然いいですよね。私のどんな表情も見逃すまいと、姫さまは常に私を見つめておられるのですからね。それほどに私を好いておられるんですからね。
ああ、もう。自分の考えに「どれだけ自惚れているんだよ」と突っ込みたくなる。
むしろ、誰か突っ込んでくれ。
10
あなたにおすすめの小説
モンスターを癒やす森暮らしの薬師姫、騎士と出会う
甘塩ます☆
恋愛
冷たい地下牢で育った少女リラは、自身の出自を知らぬまま、ある日訪れた混乱に乗じて森へと逃げ出す。そこで彼女は、凶暴な瘴気に覆われた狼と出会うが、触れるだけでその瘴気を浄化する不思議な力があることに気づく。リラは狼を癒し、共に森で暮らすうち、他のモンスターたちとも心を通わせ、彼らの怪我や病を癒していく。モンスターたちは感謝の印に、彼女の知らない貴重な品々や硬貨を贈るのだった。
そんなある日、森に薬草採取に訪れた騎士アルベールと遭遇する。彼は、最近異常なほど穏やかな森のモンスターたちに違和感を覚えていた。世間知らずのリラは、自分を捕らえに来たのかと怯えるが、アルベールの差し出す「食料」と「服」に警戒を解き、彼を「飯をくれる仲間」と認識する。リラが彼に見せた、モンスターから贈られた膨大な量の希少な品々に、アルベールは度肝を抜かれる。リラの無垢さと、秘められた能力に気づき始めたアルベールは……
陰謀渦巻く世界で二人の運命はどうなるのか
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
これは政略結婚ではありません
絹乃
恋愛
勝気な第一王女のモニカには、初恋の人がいた。公爵家のクラウスだ。七歳の時の思い出が、モニカの初恋となった。クラウスはモニカよりも十三歳上。当時二十歳のクラウスにとって、モニカは当然恋愛の対象ではない。大人になったモニカとクラウスの間に縁談が持ちあがる。その返事の為にクラウスが王宮を訪れる日。人生で初めての緊張にモニカは動揺する。※『わたしのことがお嫌いなら、離縁してください』に出てくる王女のその後のお話です。
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
呪われた黒猫と蔑まれた私ですが、竜王様の番だったようです
シロツメクサ
恋愛
ここは竜人の王を頂点として、沢山の獣人が暮らす国。
厄災を運ぶ、不吉な黒猫─────そう言われ村で差別を受け続けていた黒猫の獣人である少女ノエルは、愛する両親を心の支えに日々を耐え抜いていた。けれど、ある日その両親も土砂崩れにより亡くなってしまう。
不吉な黒猫を産んだせいで両親が亡くなったのだと村の獣人に言われて絶望したノエルは、呼び寄せられた魔女によって力を封印され、本物の黒猫の姿にされてしまった。
けれど魔女とはぐれた先で出会ったのは、なんとこの国の頂点である竜王その人で─────……
「やっと、やっと、見つけた────……俺の、……番……ッ!!」
えっ、今、ただの黒猫の姿ですよ!?というか、私不吉で危ないらしいからそんなに近寄らないでー!!
「……ノエルは、俺が竜だから、嫌なのかな。猫には恐ろしく感じるのかも。ノエルが望むなら、体中の鱗を剥いでもいいのに。それで一生人の姿でいたら、ノエルは俺にも自分から近付いてくれるかな。懐いて、あの可愛い声でご飯をねだってくれる?」
「……この周辺に、動物一匹でも、近づけるな。特に、絶対に、雄猫は駄目だ。もしもノエルが……番として他の雄を求めるようなことがあれば、俺は……俺は、今度こそ……ッ」
王様の傍に厄災を運ぶ不吉な黒猫がいたせいで、万が一にも何かあってはいけない!となんとか離れようとするヒロインと、そんなヒロインを死ぬほど探していた、何があっても逃さない金髪碧眼ヤンデレ竜王の、実は持っていた不思議な能力に気がついちゃったりするテンプレ恋愛ものです。世界観はゆるふわのガバガバでつっこみどころいっぱいなので何も考えずに読んでください。
※ヒロインは大半は黒猫の姿で、その正体を知らないままヒーローはガチ恋しています(別に猫だから好きというわけではありません)。ヒーローは金髪碧眼で、竜人ですが本編のほとんどでは人の姿を取っています。ご注意ください。
【番外編】小さな姫さまは護衛騎士に恋してる
絹乃
恋愛
主従でありながら結婚式を挙げた護衛騎士のアレクと王女マルティナ。戸惑い照れつつも新婚2人のいちゃいちゃ、ラブラブの日々。また彼らの周囲の人々の日常を穏やかに優しく綴ります。※不定期更新です。一応Rをつけておきます。
二度目の初恋は、穏やかな伯爵と
柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。
冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる