【読切短編】処刑前夜、地下牢に現れた王女は言った。「お前でなければ駄目なんだ」滅びの未来を覆す、騎士との契約

Lihito

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第1話:処刑前夜の取引

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 地下牢の冷たい石床に、俺は転がっていた。

 ヴェルド。王国騎士団の元副長。それが三日前までの俺だ。今は違う。王女暗殺未遂の大罪人。明朝には首が落ちる。

 笑えてくる。

 俺がやったわけではない。だが、それを訴えたところで何になる。この国の上層部は腐りきっている。真実など、誰も求めていない。


 ◇◇◇


 三日前のことを思い出す。

 俺は騎士団の詰め所にいた。いつもと同じ朝だった。部下たちと訓練の予定を確認し、巡回の報告を受け、書類に目を通す。

 そこに、宰相の使者が来た。

「ヴェルド副長。宰相閣下がお呼びです」

 嫌な予感はあった。宰相グレイヴスは、この国の実質的な支配者だ。王女イゾルデは正当な血筋だが、実権はない。宰相とその取り巻きが、全てを動かしている。

 俺は騎士団の副長として、何度かその腐敗を目にしてきた。横流しされる軍資金。握り潰される告発。出世のために上に媚びる騎士たち。

 だが、俺には何もできなかった。声を上げれば潰される。黙って従うしかない。それがこの国の現実だった。

 宰相の執務室に入ると、グレイヴスは書類から顔も上げずに言った。

「王女暗殺未遂の件、犯人はお前だ」

 意味が分からなかった。

「……は?」

「昨夜、王女の寝所に侵入者があった。護衛が取り押さえたが、逃げられた。その侵入者が、お前だ」

「俺は昨夜、宿舎にいました。部下が証言できます」

「その部下は、今朝から行方不明だ」

 グレイヴスが、ようやく顔を上げた。

 笑っていた。薄く、冷たく。

「察しのいいお前なら分かるだろう。これ以上、何か言うか?」

 分かった。全部、仕組まれている。

 俺を消したい誰かがいる。そして、宰相はそれに乗った。いや、宰相自身が仕組んだのかもしれない。

 証人は消された。俺が何を言っても、握り潰される。

 抵抗すれば、どうなる。騎士団の部下たちに累が及ぶ。家族がいる者もいる。俺一人の意地のために、彼らを巻き込むわけにはいかない。

「……分かりました」

 俺は抵抗しなかった。

 連行される時、すれ違った騎士たちは目を逸らした。昨日まで一緒に訓練していた部下たちが、俺を見なかったふりをした。

 団長のベルクは、俺が連行される姿を窓から眺めていた。何もしなかった。当然だ。この男は保身しか考えていない。俺が消えれば、副長の椅子が空く。それだけのことだ。

 この国は、腐っている。

 上から下まで、骨の髄まで。


 ◇◇◇


 拷問は三日続いた。

 自白しろ、と。黒幕の名を吐け、と。

 黒幕などいない。俺は何もやっていないからだ。だが、拷問官にそれは関係ない。彼らはただ、命令に従っているだけだ。

 爪を剥がされ、指を折られ、背中を焼かれた。

 それでも俺は何も言わなかった。言うことがないからだ。

 三日目の夜、拷問官は来なくなった。明日処刑する人間に、これ以上手間をかける必要はない。合理的な判断だ。

 俺は牢の隅で、天井を見上げていた。

 死ぬのか。明日。

 不思議と、恐怖はなかった。ただ、虚しさがあった。

 何のために騎士になった。何のために剣を振るってきた。国を守るためだと思っていた。民を守るためだと思っていた。

 だが、この国に守る価値などあったのか。

 上は腐り、下は怯え、誰も声を上げない。

 こんな国のために、俺は——


 ◇◇◇


 深夜。

 足音が聞こえた。

 看守ではない。もっと軽く、静かで、それでいて迷いがない足音。

 松明の光が格子の向こうに揺れる。

 現れたのは、フードを被った細身の人影だった。護衛はいない。従者もいない。たった一人で、この地下牢まで降りてきている。

 フードを下ろした瞬間、俺は息を呑んだ。

 ——イゾルデ王女。

 この国の正当な血筋にして、名ばかりの統治者。実権を宰相に奪われ、傀儡同然の存在。

 そして、俺が「暗殺しようとした」ことになっている相手。

「……殿下」

 声が掠れた。三日間、ろくに水も与えられていない。

「静かに」

 王女は短く言った。

 その顔を見て、俺は少し驚いた。

 若い。二十歳そこそこ。噂では「諦めた王女」と聞いていた。宰相の言いなりで、何も決められず、ただ王宮の奥で息を潜めているだけの存在だと。

 だが、今この瞬間、俺の前に立っている女の目は——生きていた。

 何かを決意した目。覚悟を決めた目。

 諦めた人間の目では、ない。

「お前がやったのではないことは知っている」

 前置きなしに、王女は言った。

「……それは、どうも」

「皮肉か?」

「いいえ。ただ、知っていても意味がないでしょう。俺は明日、処刑される」

「そうだな。このままなら」

 王女は格子の前にしゃがみ込んだ。目線が、俺と同じ高さになる。

「取引をしないか」

「……取引?」

「お前を助ける代わりに、私のために働け」

 意味が分からなかった。

「殿下。失礼ですが、あなたに俺を助ける力があるとは思えません」

「正面からは無理だ。だが、裏からならできる」

 王女が懐から小瓶を取り出した。透明な液体が入っている。

「仮死毒だ。飲めば心臓が止まり、呼吸も消える。だが、六時間後に目覚める」

「……仮死、ですか」

「明日の処刑は、予定通り行われる。お前の『死体』は、罪人として城外に捨てられる。そこで目覚めろ」

 俺は王女の顔を見つめた。

 この女は、本気で言っている。

「目覚めた後は、どうなります」

「私の影になれ」

 王女の声は、わずかに震えていた。強がっている。必死に、平静を装おうとしている。だが、隠しきれていない。

「名を捨て、顔を捨て、騎士だった過去を全て捨てろ。表の世界では、お前はもう死んでいる。裏でのみ生きる存在になれ」

「汚れ仕事をやれ、ということですか」

「……そうだ」

 一瞬、王女の目が揺れた。

 この女は、こういう命令を出すことに慣れていない。それが分かった。

「私には敵が多い。宰相グレイヴス。その取り巻きの貴族たち。さらにその背後には、隣国の影もある。私一人では、どうにもならない」

「……それで、俺を」

「お前のことは調べた」

 王女が、俺の目を見た。

「三年前、東部の村が山賊に襲われた時。騎士団は動かなかった。上からの命令がなかったからだ。だが、お前だけは独断で部下を率いて出撃した」

 覚えている。あの時、俺は処分を受けた。命令違反だと。

「二年前、宮廷の汚職を告発しようとした騎士がいた。その騎士は『事故』で死んだことになっている。だが、実際には暗殺だった。お前はそれを知っていて、その騎士の家族を密かに逃がした」

 なぜ、それを知っている。俺は誰にも言っていない。

「お前は、腐った騎士団の中で、それでも正しくあろうとした数少ない人間だ。そして、正しくあろうとしたがゆえに、消されようとしている」

 王女は小瓶を格子の隙間から差し入れた。

「私のために働け。そうすれば、お前は生き延びられる。そして——」

 言葉が途切れた。

「そして?」

「……この国を、変えられるかもしれない」

 その声は、小さかった。

 自信がないのだ。本当に変えられるのか、自分でも分かっていない。それでも、やろうとしている。

 俺は小瓶を見つめた。

 三日前まで、俺はこの国に絶望していた。腐った上層部。保身しか考えない上司。見て見ぬふりをする同僚たち。

 何のために生きているのか、分からなくなっていた。

 だが——

 今、目の前にいるこの女は、違う。

 たった一人で、地下牢まで降りてきた。護衛も連れずに。

 実権もなく、力もなく、傀儡同然の立場で。それでも、何かを変えようとしている。

 怖いはずだ。震えているのが分かる。それでも、ここにいる。

 なぜだろう。

 この女を見ていると——まだ生きていたいと思える。

 理由は分からない。だが、そう感じた。

「……一つ、訊いてもいいですか」

「何だ」

「なぜ、俺の過去をそこまで知っているのですか」

 王女の表情が、一瞬だけ固まった。

「……調べたと言っただろう」

「三年前の東部の件は、記録に残っています。だが、二年前の件は——俺以外、誰も知らないはずだ」

 沈黙が落ちた。

 王女は俺から目を逸らした。

「それは……」

 言葉を探している。嘘をつこうとしている。だが、うまい嘘が見つからない。

「……今は答えられない」

 結局、王女はそう言った。

「いつか話す。だが、今は——信じてくれとしか言えない」

 不思議な言い方だった。

 だが、俺はそれ以上追及しなかった。

「分かりました」

「……受けるのか?」

「ええ」

 俺は小瓶を手に取った。

「どうせ明日死ぬ身です。賭けてみる価値はある」

「……そうか」

 王女が立ち上がった。その顔に、わずかに安堵の色が浮かんでいた。

 本当に、俺が受けるかどうか不安だったのだ。

「目覚めたら、廃墟の礼拝堂に向かえ。床下に装備を隠してある。その後の指示は、追って伝える」

「了解しました」

 王女は踵を返した。松明の光が遠ざかっていく。

 その背中を見ながら、俺は声をかけた。

「殿下」

 足が止まる。振り返らない。

「……なぜ、俺なのですか。他にも使える人間はいるでしょう」

 長い沈黙があった。

 そして、王女はこう答えた。

「お前でなければ、駄目なんだ」

 意味が分からなかった。

 だが、それ以上は訊けなかった。王女は足早に去っていく。

 階段を上がる足音が遠ざかり——

 消える直前、かすかな声が聞こえた。

「お願い……この人で、合っていて……」

 何の話だ。

 俺は首を傾げた。だが、考えている余裕はない。

 小瓶の蓋を開ける。透明な液体が、松明の光を反射していた。

 騎士ヴェルドは、明日死ぬ。

 だが、その先に——何かがある。

 俺は小瓶を口に運び、一息に飲み干した。
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