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第2話:影の仕事
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目覚めたのは、腐臭の中だった。
城外の死体捨て場。俺の「死体」は、他の罪人たちと一緒に、ここに放り出されていた。
体を起こす。節々が痛むが、動ける。仮死毒は、王女の言った通りに効いた。
空を見上げる。まだ夜明け前だ。急がなければ。
俺は罪人の服を脱ぎ捨て、指示された廃墟の礼拝堂へ向かった。
◇◇◇
礼拝堂の床下には、王女の言った通り、装備が隠されていた。
黒い外套。フード。短剣が二本。そして、一通の封書。
封を切ると、簡潔な指示が書かれていた。
『三日後の深夜、王宮の東塔へ。窓から入れ。詳細はその時に伝える』
三日。それまでは、身を隠して待て、ということか。
俺は廃墟の隅に腰を下ろし、目を閉じた。
騎士ヴェルドは、死んだ。
今の俺は——何だ?
名前もない。身分もない。誰からも認識されない存在。
影、と王女は言った。
影か。悪くない。
俺は三日間、廃墟で過ごした。
◇◇◇
三日後の深夜。
俺は王宮の東塔を見上げていた。
警備の配置は頭に入っている。騎士団の副長だった頃、何度も見回りをした場所だ。死角も、巡回のタイミングも、全部分かっている。
月が雲に隠れた瞬間、俺は動いた。
壁を登り、窓枠に手をかける。三階の窓は、予想通り開いていた。
中に滑り込む。
小さな部屋だった。書斎のようだが、埃が積もっている。長らく使われていない部屋。王宮の中にも、こういう場所がある。
奥の扉が開き、イゾルデ王女が入ってきた。
今夜は質素な服装だった。侍女のような格好。目立たないように、ここまで来たのだろう。
「来たか」
「お呼びとあらば」
「……皮肉か」
「いいえ。感謝しています。生き延びられたのは、殿下のおかげだ」
王女は少し戸惑ったような顔をした。素直に感謝されることに慣れていないらしい。
「座れ。話がある」
俺は部屋の隅にあった椅子に腰を下ろした。王女は向かいの椅子に座り、テーブルの上に地図を広げた。
王都の地図だった。いくつかの場所に、印がつけられている。
「最初の標的について説明する」
王女の指が、地図上の一点を示した。
「ヴォルス子爵。この屋敷に住んでいる」
「ヴォルス……聞いたことがあります。宮廷では穏健派で通っている」
「表向きはな。だが、裏では宰相と繋がっている。資金の流れを洗浄する役割を担っている」
「資金の洗浄?」
「宰相が動かす裏金だ。横領した軍資金、隣国からの賄賂、そういったものを、子爵が『正当な商取引』に見せかけて処理している」
俺は眉をひそめた。
「それは、どうやって調べたのですか」
王女の動きが、一瞬止まった。
「……調べた」
「殿下。失礼ですが、あなたは宮廷で孤立していると聞いています。諜報網があるとは思えない」
「……」
王女は答えなかった。
この反応。一話の時と同じだ。俺の過去を知っていた時も、こうだった。
どこから情報を得ているのか、言えない。あるいは、言いたくない。
だが、今は追及しないことにした。信じろ、と王女は言った。ならば、信じよう。少なくとも、今は。
「……続けてください」
王女はほっとしたように息を吐いた。
「子爵の屋敷には、裏帳簿がある。宰相との取引を全て記録したものだ。それを手に入れろ」
「手に入れて、どうするのですか」
「子爵を自首させる」
「自首?」
「証拠を突きつけ、選択肢を与える。王家に全てを告白して司法取引に応じるか、それとも反逆罪で処刑されるか」
俺は少し驚いた。
「殺すのではなく?」
「殺しても意味がない。子爵は末端だ。宰相の財布の一つに過ぎない。だが、自首させれば、宰相との繋がりを証言させられる。そうすれば、次の標的への足がかりになる」
理にかなっている。
一人殺して終わりではない。そこから情報を引き出し、次に繋げる。長期的な視点で物事を考えている。
「警備は?」
「屋敷には私兵が二十人ほど。だが、夜間は半数が休んでいる。実質十人程度」
「十人か……」
俺は考え込んだ。
正面から行けば、不可能ではない。だが、リスクが高い。騒ぎになれば、増援を呼ばれる可能性もある。
——いや。
なぜか、別の考えが浮かんだ。
「殿下。一つ、提案があります」
「何だ」
「俺が正面から乗り込みます。警備を引きつけている間に、裏から侵入する別働隊を——」
言いながら、俺は自分でも不思議に思っていた。
なぜ、こんな提案をしている?
正面から乗り込めば、十人相手でも厳しい。いや、厳しいどころではない。死ぬ確率の方が高い。
なのに、口が勝手に動いていた。この方法が正しいと、体が言っている。
「——別働隊がいれば、確実に帳簿を」
「駄目」
王女の声が、遮った。
「駄目よ、そんなの」
声が裏返っていた。
「それじゃあなたが死ぬじゃない。十人相手に一人で正面から? 馬鹿なの?」
俺は目を瞬いた。
今、この人は——「馬鹿なの」と言ったか?
宮廷で孤立し、実権を奪われ、それでも王女として振る舞ってきた人が?
「だ、大体、別働隊って誰よ。私にそんな手駒はいないわ。あなた一人しかいないの。その一人を使い捨てにしてどうするのよ」
王女は早口でまくし立てていた。
顔が赤い。焦っている。明らかに、素が出ている。
「いい? あなたは私の——」
そこで、王女は言葉を切った。
何かを言いかけて、飲み込んだ。
深呼吸を一つ。表情を取り繕う。
「……いい。私に考えがある」
声のトーンが、元に戻った。だが、さっきの動揺は隠せていない。
「子爵には弱みがある。三年前、税の横領で告発されかけたことがある。その時は宰相の力で揉み消したが、記録は残っている」
「記録?」
「告発状の写しだ。当時の担当官が、密かに保管していた。その担当官は今、隠居して王都の外れに住んでいる」
「……それを手に入れて、子爵を脅せと?」
「そうだ。横領の証拠と、裏帳簿の存在。両方を突きつければ、子爵は折れる。屋敷に乗り込む必要はない」
俺は感心していた。
この方法なら、戦闘のリスクはほぼゼロだ。時間はかかるが、確実に子爵を追い詰められる。
だが、それ以上に——
さっきの王女の反応が、頭から離れなかった。
「馬鹿なの」。「使い捨てにしてどうするのよ」。
騎士団にいた頃、上からそんな言葉をかけられたことは一度もなかった。
部下が危険な任務で死んでも、「仕方ない」の一言で片付けられた。代わりはいくらでもいる。それが、あの組織の論理だった。
だが、この人は違う。
俺が死ぬことを、本気で嫌がった。
……こんな上は、初めてだ。
「担当官の名前と住所は、この紙に書いてある。まずは接触して、告発状の写しを手に入れろ。その後、子爵との交渉に入る。詳しい手順は、その場で判断しろ」
「了解しました」
「……一つ、言っておく」
王女が、俺の目を見た。
「無茶はするな。お前は、私にとって——」
また、言葉が途切れた。
「……大事な駒だ。簡単に死なれては困る」
駒、か。
だが、その言い方は——駒を惜しむ言い方ではなかった。
人を、惜しむ言い方だった。
「肝に銘じます」
俺は立ち上がり、窓に向かった。
「では、行ってきます」
「ああ。——気をつけて」
最後の言葉は、小さかった。
俺は窓から外に出た。
◇◇◇
担当官への接触は、思ったより簡単だった。
老人は、もう隠居して十年になるという。世の中のことには関わりたくない、と最初は拒否された。
だが、俺が「子爵を告発する」と言うと、態度が変わった。
「……ようやくか」
老人は、長い溜息をついた。
「三年間、待っていた。誰かがあの男を裁く日を。だが、誰も動かなかった。握り潰されると分かっていたからだ」
「今度は違います」
「本当か。本当に、あの男を裁けるのか」
「裁きます。必ず」
老人は、しばらく俺を見つめていた。
そして、奥の部屋から、古い書類を持ってきた。
「持っていけ。私にはもう、使い道がない」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。あの男が裁かれるなら、それで十分だ」
告発状の写しを受け取り、俺は老人の家を出た。
◇◇◇
ヴォルス子爵との「交渉」は、深夜に行った。
屋敷に侵入し、寝室で子爵を起こす。
告発状の写しを見せ、裏帳簿の存在を指摘する。
そして、選択肢を与える。
「自首するか、破滅するか。選べ」
子爵は、震えていた。
「お、お前は何者だ」
「それは関係ない。お前の答えだけが重要だ」
「こ、こんなことをして、ただで済むと思っているのか。宰相閣下が——」
「宰相は助けてくれない。お前は切り捨てられる。知っているだろう、あの男のやり方は」
子爵の顔から、血の気が引いた。
知っているのだ。自分が「使い捨ての駒」であることを。
「三日以内に決めろ。それを過ぎたら、この証拠を王女陛下に提出する。お前だけではない。家族も、一族も、全て終わりだ」
子爵は、何も言えなかった。
俺は窓から消えた。
◇◇◇
二日後。
ヴォルス子爵は、王女に自首した。
宰相との繋がり。資金洗浄の手口。関わった他の貴族の名前。全てを告白した。
宰相グレイヴスは、当然否定した。子爵の「妄言」だと。だが、証拠がある。告発状の写しと、子爵の証言。二つが揃えば、完全に否定することは難しい。
宰相を直接追い詰めることはできない。まだ力が足りない。
だが、これで一歩進んだ。宰相の「財布」が一つ、消えた。
俺は王宮の東塔へ向かった。報告のためだ。
◇◇◇
窓の外で、足を止めた。
中から、声が聞こえた。
王女の声だ。
「……ようやく、見つけた」
何を?
一瞬、気になった。だが、そこまで深くは考えなかった。独り言だろう。
窓を開け、中に入る。
「報告に参りました」
王女は執務机の前にいた。
びくっ、と肩が跳ねた。
「……っ!」
一拍遅れて、こちらを振り返る。
「来る時はノックしろ! 心臓が止まるかと思った」
「窓にノックしろと?」
「……うるさい」
王女は咳払いをして、表情を整えた。だが、耳が少し赤い。
「聞いている。子爵は全てを吐いた」
「はい。宰相との繋がりも、証言として記録されました」
「よくやった」
王女は立ち上がり、窓際に歩み寄った。
夜の王都を見下ろしている。
「これで、一人目だ」
「はい」
「まだ、何人もいる」
「存じています」
王女は振り返らなかった。
その背中を見ながら、俺は思っていた。
この人は、何を見ているのだろう。
「ようやく見つけた」。さっきの言葉が、頭に残っている。
何を見つけたのか。誰を、見つけたのか。
分からない。だが——
この人についていきたい。
ふと、そう思った。
理由は分からない。ただ、そう感じた。
「……三日後に、次の指示を出す。それまで待機しろ」
「了解しました」
俺は窓に手をかけた。
「では——」
「待て」
振り返る。
王女が、何か言いかけている。だが、言葉が出てこないようだった。
「……いや、何でもない。行け」
「はい」
俺は窓から飛び出した。
夜風が頬を撫でる。
さっきの王女の顔が、頭に残っていた。
何かを言いたかった。だが、言えなかった。
この人は——何を抱えているのだろう。
俺には、まだ分からない。
だが、いつか分かる日が来るのかもしれない。
そう思いながら、俺は夜の王都を駆けた。
城外の死体捨て場。俺の「死体」は、他の罪人たちと一緒に、ここに放り出されていた。
体を起こす。節々が痛むが、動ける。仮死毒は、王女の言った通りに効いた。
空を見上げる。まだ夜明け前だ。急がなければ。
俺は罪人の服を脱ぎ捨て、指示された廃墟の礼拝堂へ向かった。
◇◇◇
礼拝堂の床下には、王女の言った通り、装備が隠されていた。
黒い外套。フード。短剣が二本。そして、一通の封書。
封を切ると、簡潔な指示が書かれていた。
『三日後の深夜、王宮の東塔へ。窓から入れ。詳細はその時に伝える』
三日。それまでは、身を隠して待て、ということか。
俺は廃墟の隅に腰を下ろし、目を閉じた。
騎士ヴェルドは、死んだ。
今の俺は——何だ?
名前もない。身分もない。誰からも認識されない存在。
影、と王女は言った。
影か。悪くない。
俺は三日間、廃墟で過ごした。
◇◇◇
三日後の深夜。
俺は王宮の東塔を見上げていた。
警備の配置は頭に入っている。騎士団の副長だった頃、何度も見回りをした場所だ。死角も、巡回のタイミングも、全部分かっている。
月が雲に隠れた瞬間、俺は動いた。
壁を登り、窓枠に手をかける。三階の窓は、予想通り開いていた。
中に滑り込む。
小さな部屋だった。書斎のようだが、埃が積もっている。長らく使われていない部屋。王宮の中にも、こういう場所がある。
奥の扉が開き、イゾルデ王女が入ってきた。
今夜は質素な服装だった。侍女のような格好。目立たないように、ここまで来たのだろう。
「来たか」
「お呼びとあらば」
「……皮肉か」
「いいえ。感謝しています。生き延びられたのは、殿下のおかげだ」
王女は少し戸惑ったような顔をした。素直に感謝されることに慣れていないらしい。
「座れ。話がある」
俺は部屋の隅にあった椅子に腰を下ろした。王女は向かいの椅子に座り、テーブルの上に地図を広げた。
王都の地図だった。いくつかの場所に、印がつけられている。
「最初の標的について説明する」
王女の指が、地図上の一点を示した。
「ヴォルス子爵。この屋敷に住んでいる」
「ヴォルス……聞いたことがあります。宮廷では穏健派で通っている」
「表向きはな。だが、裏では宰相と繋がっている。資金の流れを洗浄する役割を担っている」
「資金の洗浄?」
「宰相が動かす裏金だ。横領した軍資金、隣国からの賄賂、そういったものを、子爵が『正当な商取引』に見せかけて処理している」
俺は眉をひそめた。
「それは、どうやって調べたのですか」
王女の動きが、一瞬止まった。
「……調べた」
「殿下。失礼ですが、あなたは宮廷で孤立していると聞いています。諜報網があるとは思えない」
「……」
王女は答えなかった。
この反応。一話の時と同じだ。俺の過去を知っていた時も、こうだった。
どこから情報を得ているのか、言えない。あるいは、言いたくない。
だが、今は追及しないことにした。信じろ、と王女は言った。ならば、信じよう。少なくとも、今は。
「……続けてください」
王女はほっとしたように息を吐いた。
「子爵の屋敷には、裏帳簿がある。宰相との取引を全て記録したものだ。それを手に入れろ」
「手に入れて、どうするのですか」
「子爵を自首させる」
「自首?」
「証拠を突きつけ、選択肢を与える。王家に全てを告白して司法取引に応じるか、それとも反逆罪で処刑されるか」
俺は少し驚いた。
「殺すのではなく?」
「殺しても意味がない。子爵は末端だ。宰相の財布の一つに過ぎない。だが、自首させれば、宰相との繋がりを証言させられる。そうすれば、次の標的への足がかりになる」
理にかなっている。
一人殺して終わりではない。そこから情報を引き出し、次に繋げる。長期的な視点で物事を考えている。
「警備は?」
「屋敷には私兵が二十人ほど。だが、夜間は半数が休んでいる。実質十人程度」
「十人か……」
俺は考え込んだ。
正面から行けば、不可能ではない。だが、リスクが高い。騒ぎになれば、増援を呼ばれる可能性もある。
——いや。
なぜか、別の考えが浮かんだ。
「殿下。一つ、提案があります」
「何だ」
「俺が正面から乗り込みます。警備を引きつけている間に、裏から侵入する別働隊を——」
言いながら、俺は自分でも不思議に思っていた。
なぜ、こんな提案をしている?
正面から乗り込めば、十人相手でも厳しい。いや、厳しいどころではない。死ぬ確率の方が高い。
なのに、口が勝手に動いていた。この方法が正しいと、体が言っている。
「——別働隊がいれば、確実に帳簿を」
「駄目」
王女の声が、遮った。
「駄目よ、そんなの」
声が裏返っていた。
「それじゃあなたが死ぬじゃない。十人相手に一人で正面から? 馬鹿なの?」
俺は目を瞬いた。
今、この人は——「馬鹿なの」と言ったか?
宮廷で孤立し、実権を奪われ、それでも王女として振る舞ってきた人が?
「だ、大体、別働隊って誰よ。私にそんな手駒はいないわ。あなた一人しかいないの。その一人を使い捨てにしてどうするのよ」
王女は早口でまくし立てていた。
顔が赤い。焦っている。明らかに、素が出ている。
「いい? あなたは私の——」
そこで、王女は言葉を切った。
何かを言いかけて、飲み込んだ。
深呼吸を一つ。表情を取り繕う。
「……いい。私に考えがある」
声のトーンが、元に戻った。だが、さっきの動揺は隠せていない。
「子爵には弱みがある。三年前、税の横領で告発されかけたことがある。その時は宰相の力で揉み消したが、記録は残っている」
「記録?」
「告発状の写しだ。当時の担当官が、密かに保管していた。その担当官は今、隠居して王都の外れに住んでいる」
「……それを手に入れて、子爵を脅せと?」
「そうだ。横領の証拠と、裏帳簿の存在。両方を突きつければ、子爵は折れる。屋敷に乗り込む必要はない」
俺は感心していた。
この方法なら、戦闘のリスクはほぼゼロだ。時間はかかるが、確実に子爵を追い詰められる。
だが、それ以上に——
さっきの王女の反応が、頭から離れなかった。
「馬鹿なの」。「使い捨てにしてどうするのよ」。
騎士団にいた頃、上からそんな言葉をかけられたことは一度もなかった。
部下が危険な任務で死んでも、「仕方ない」の一言で片付けられた。代わりはいくらでもいる。それが、あの組織の論理だった。
だが、この人は違う。
俺が死ぬことを、本気で嫌がった。
……こんな上は、初めてだ。
「担当官の名前と住所は、この紙に書いてある。まずは接触して、告発状の写しを手に入れろ。その後、子爵との交渉に入る。詳しい手順は、その場で判断しろ」
「了解しました」
「……一つ、言っておく」
王女が、俺の目を見た。
「無茶はするな。お前は、私にとって——」
また、言葉が途切れた。
「……大事な駒だ。簡単に死なれては困る」
駒、か。
だが、その言い方は——駒を惜しむ言い方ではなかった。
人を、惜しむ言い方だった。
「肝に銘じます」
俺は立ち上がり、窓に向かった。
「では、行ってきます」
「ああ。——気をつけて」
最後の言葉は、小さかった。
俺は窓から外に出た。
◇◇◇
担当官への接触は、思ったより簡単だった。
老人は、もう隠居して十年になるという。世の中のことには関わりたくない、と最初は拒否された。
だが、俺が「子爵を告発する」と言うと、態度が変わった。
「……ようやくか」
老人は、長い溜息をついた。
「三年間、待っていた。誰かがあの男を裁く日を。だが、誰も動かなかった。握り潰されると分かっていたからだ」
「今度は違います」
「本当か。本当に、あの男を裁けるのか」
「裁きます。必ず」
老人は、しばらく俺を見つめていた。
そして、奥の部屋から、古い書類を持ってきた。
「持っていけ。私にはもう、使い道がない」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。あの男が裁かれるなら、それで十分だ」
告発状の写しを受け取り、俺は老人の家を出た。
◇◇◇
ヴォルス子爵との「交渉」は、深夜に行った。
屋敷に侵入し、寝室で子爵を起こす。
告発状の写しを見せ、裏帳簿の存在を指摘する。
そして、選択肢を与える。
「自首するか、破滅するか。選べ」
子爵は、震えていた。
「お、お前は何者だ」
「それは関係ない。お前の答えだけが重要だ」
「こ、こんなことをして、ただで済むと思っているのか。宰相閣下が——」
「宰相は助けてくれない。お前は切り捨てられる。知っているだろう、あの男のやり方は」
子爵の顔から、血の気が引いた。
知っているのだ。自分が「使い捨ての駒」であることを。
「三日以内に決めろ。それを過ぎたら、この証拠を王女陛下に提出する。お前だけではない。家族も、一族も、全て終わりだ」
子爵は、何も言えなかった。
俺は窓から消えた。
◇◇◇
二日後。
ヴォルス子爵は、王女に自首した。
宰相との繋がり。資金洗浄の手口。関わった他の貴族の名前。全てを告白した。
宰相グレイヴスは、当然否定した。子爵の「妄言」だと。だが、証拠がある。告発状の写しと、子爵の証言。二つが揃えば、完全に否定することは難しい。
宰相を直接追い詰めることはできない。まだ力が足りない。
だが、これで一歩進んだ。宰相の「財布」が一つ、消えた。
俺は王宮の東塔へ向かった。報告のためだ。
◇◇◇
窓の外で、足を止めた。
中から、声が聞こえた。
王女の声だ。
「……ようやく、見つけた」
何を?
一瞬、気になった。だが、そこまで深くは考えなかった。独り言だろう。
窓を開け、中に入る。
「報告に参りました」
王女は執務机の前にいた。
びくっ、と肩が跳ねた。
「……っ!」
一拍遅れて、こちらを振り返る。
「来る時はノックしろ! 心臓が止まるかと思った」
「窓にノックしろと?」
「……うるさい」
王女は咳払いをして、表情を整えた。だが、耳が少し赤い。
「聞いている。子爵は全てを吐いた」
「はい。宰相との繋がりも、証言として記録されました」
「よくやった」
王女は立ち上がり、窓際に歩み寄った。
夜の王都を見下ろしている。
「これで、一人目だ」
「はい」
「まだ、何人もいる」
「存じています」
王女は振り返らなかった。
その背中を見ながら、俺は思っていた。
この人は、何を見ているのだろう。
「ようやく見つけた」。さっきの言葉が、頭に残っている。
何を見つけたのか。誰を、見つけたのか。
分からない。だが——
この人についていきたい。
ふと、そう思った。
理由は分からない。ただ、そう感じた。
「……三日後に、次の指示を出す。それまで待機しろ」
「了解しました」
俺は窓に手をかけた。
「では——」
「待て」
振り返る。
王女が、何か言いかけている。だが、言葉が出てこないようだった。
「……いや、何でもない。行け」
「はい」
俺は窓から飛び出した。
夜風が頬を撫でる。
さっきの王女の顔が、頭に残っていた。
何かを言いたかった。だが、言えなかった。
この人は——何を抱えているのだろう。
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そう思いながら、俺は夜の王都を駆けた。
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