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第7話【別れの準備】
しおりを挟むドアの前まで行くと、なんとも言えない表情を浮かべた片桐秘書が、
小さな声で問いかけてきた。
「……大丈夫ですか?」
泣き出しそうになるのを必死にこらえる幸は、小さく頷くのが精一杯。
そんな幸の気持ちを察したのか、片桐秘書はそれ以上は何も言わず、静かにドアを開けてくれた。
幸は俯いたまま、社長室から廊下へ。
背後でドアが閉まった。
その瞬間、堪えていた涙があとからあとから溢れ出す。
その涙を拭いながら、幸は第二秘書専用のオフィスへと。
オフィスといっても、給湯室の隣にある小さな部屋だ。
もともとはコピー機を置くためのスペースだった場所に、机と椅子をひとつずつ置いただけの、簡素な空間。
それでも、この会社の中で、幸が唯一落ち着ける場所。
幸だけの部屋。
ここには誰もいない。
――今日は、それが本当にありがたかった。
こんな惨めな姿を誰にも見られずに済むことが、今の幸にとっては何よりの救いだった。
*****
泣くだけ泣いたあとは、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
椅子にもたれたまま、幸はぼんやりと天井を見つめる。
――どうして、こんなことになってしまったんだろう。
さっきの出来事が、頭の中で何度も再生される。
圭吾に怒鳴られた。
それも、由紀の前で。
すぐに返事をしなかった自分が悪いのかもしれない。
けれど――あんなに大きな声で怒鳴る必要があったのだろうか。
冷ややかな目で見られることはあっても、圭吾に怒鳴られたことは、今まで一度もなかった。
それだけに、さっきの出来事は幸にとってあまりにも衝撃的で、思い出すだけでまた目頭が熱くなる。
それに、もうひとつショックだったのは――
年下だと思われる由紀に、“注意”されたことだった。
表面上は穏やかで、あくまで幸を気遣っているような声音。
けれど、その柔らかな微笑みの奥に潜む“冷たい光”を、幸は見逃さなかった。
由紀は、幸を見下している。
――間違いない。
嘲るような視線が、一瞬だけど、確かにその瞳の奥に見えた。
彼女は、見た目ほど“いい人”ではないのかもしれない。
さらに幸を打ちのめしたのは、片桐秘書に“同情”されたことだった。
その優しさが、かえって幸を惨めにさせる。
――可哀想な女だと思われているに違いない。
浮気相手を堂々と紹介されたうえに、怒鳴りつけられるという、なんとも哀れな扱い。
ここまでされても別れられない自分に、片桐秘書は呆れているかもしれない。
それにしても……
今日は、さすがに傷ついた。
いろんなことがあり過ぎて、心が辛い。
怒鳴られ、見下され、同情までされるという。
自尊心に、何本もの矢が突き刺さったみたいだ。
涙が、また頬を伝う。
その涙を拭う手の甲が、かすかに震えていて、自分で自分が可哀想になる。
震える指先で、幸はパソコンのキーを叩いた。
画面には、「退職願」という文字が打ち込まれていく。
もうそこまで、別れが近づいている。
一つひとつ、準備をしておこう。
「退職願」を書き、いつでも提出できるように。
圭吾に対する気持ちは、少しずつではあるけれど、確実に薄れている。
このままいけば――ゼロになる日も、そう遠くない気がした。
そんなことを思いながら、幸は「退職願」と書かれた封筒を、引き出しにしまい込んだ。
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