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第8話【自業自得】
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気持ちが落ち着いたところで、幸は再び仕事に取りかかった。
土曜日に、大事なパーティーがあると圭吾が言っていた。
その日のためにオーダーしていたスーツが、今日仕上がる。
それを店まで受け取りに行かなければならない。
約束の時間は三時。
そろそろ出かけなければいけない頃だった。
そう思いながら部屋を出て廊下を歩いていると、化粧室から由紀が出てきた。
見た瞬間、――まだ居たんだ、と思うのと同時に、会いたくなかった、と思ってしまった。
その思いが表情に出てしまったのかもしれない。
由紀の方も、幸に会いたくなかったのだろう。
冷ややかな視線を向けてくる。
社長室で会ったときとは、まるで雰囲気が違っていた。
「……失礼します」
小さく声をかけ、幸は由紀の横を通り過ぎようとした。
その瞬間、「ちょっと待って、西村さん」
由紀の声が背後から響き、幸は思わず足を止める。
ゆっくりと振り返ると、由紀は蔑むような視線を向けていた。
「西村さん、そろそろご自分の立場を理解した方がいいんじゃない?」
冷ややかな声でそう言い放つ。
「立場って……どういう意味ですか?」
意味がわからず、幸は問い返した。
「意味がわからないの?信じられないわ。第二秘書に降格された時点で、普通は気づくでしょ?」
――それって。
幸の心臓が、激しく脈を打ち始める。
由紀はさらに、唇の端を歪めて言った。
「この会社に、あなたは不要なの。圭吾さんが言ってたわ。『あまりにも見た目が酷くて、
秘書として連れて歩けない』って」
「そんな……圭吾が、そんなことを……」
かすれた声で、幸はつぶやく。
「ちょっと、なに? “圭吾”って。過去に少し付き合ってもらったからって、
社長を呼び捨てにするなんて――社員として失格ね」
“少し付き合ってもらった”――その言葉の意味がわからなかった。
今も自分は、彼の“彼女”のはずではないのか。
混乱する幸を見下ろしながら、由紀は冷たく言い放つ。
「会社は、そう簡単に従業員を解雇できないの。それに、圭吾さんは優しいから、
直接は言えないみたい。だから、私からお願いするわ――早くこの会社から出て行って」
鼓動が耳の奥で鳴り響く。
体の芯が冷たくなっていくのがわかった。
――圭吾。
――そうなの?
幸は、圭吾がそう思っていないと信じたかった。
でも、今の圭吾は、幸と距離をおいている。
信じたい気持ちと、否定できない現実がせめぎ合って、胸の奥が痛くて痛くて苦しい。
涙が出そうになったが、必死に堪えた。
ここで泣くわけにはいかない。
幸は、何も言わずにその場を立ち去ろうとした。
その瞬間、由紀が幸の手首を掴んだ。
冷たく細い指が、強く絡みつく。
「離してください……」
振りほどこうと腕を振った、その拍子に――
由紀が「キャッ」という悲鳴を上げ、廊下に倒れ込んだ。
「あっ……」
幸は息を呑み、慌てて由紀に駆け寄ろうとした。
そのとき、背後から怒声が響く。
「西村! なにをしているんだ!」
振り返る間もなく、圭吾が駆け寄ってきた。
その勢いのまま、幸の肩を強く突き飛ばす。
「……違うんです、私は――」
言いかけた言葉は、衝撃で途切れた。
足元がもつれ、幸は廊下に倒れ込み、足首をひねった。
あまりの痛みに顔を歪める。
そんな幸の耳に、圭吾の低くも優しい声が届いた。
「大丈夫か? どこか痛くない?」
それは、由紀に向けられた言葉だった。
「大丈夫。ありがとう、圭吾さん」
由紀は柔らかく微笑みながら、彼の胸にすがりつく。
先ほどの冷たい表情が嘘のように、弱々しい女の顔をしていた。
圭吾の眉がわずかに歪む。
怒りと焦りと、守らなければという衝動が入り混じっている。
彼の視線が、床に倒れた幸に向いたが、そこに優しさはなかった。
片桐秘書が慌てて駆け寄り、幸を支えようとする。
「西村さん、足首……大丈夫ですか?」
幸は何も言えなかった。
声を出そうとしても、喉が詰まって声がでない。
そのとき、圭吾の冷たい声が響く。
「片桐、放っておけ。自業自得だ」
片桐秘書は一瞬、言葉を失った。
助けを求めるように圭吾を見たが、社長の目は氷のように冷たかった。
社長命令には逆らえない。
手を握りしめながら、申し訳なさそうな視線を幸に向ける。
幸は、「大丈夫だから」という意味を込めて、片桐秘書に対して小さく頷いた。
「由紀さん、行こう。片桐も、行くぞ」
そう言い残し、圭吾は由紀を抱きかかえるようにして歩き出す。
廊下には、遠ざかる三人の足音が響く。
その音を聞く幸の頬を、一筋の涙が伝い流れ落ちた。
土曜日に、大事なパーティーがあると圭吾が言っていた。
その日のためにオーダーしていたスーツが、今日仕上がる。
それを店まで受け取りに行かなければならない。
約束の時間は三時。
そろそろ出かけなければいけない頃だった。
そう思いながら部屋を出て廊下を歩いていると、化粧室から由紀が出てきた。
見た瞬間、――まだ居たんだ、と思うのと同時に、会いたくなかった、と思ってしまった。
その思いが表情に出てしまったのかもしれない。
由紀の方も、幸に会いたくなかったのだろう。
冷ややかな視線を向けてくる。
社長室で会ったときとは、まるで雰囲気が違っていた。
「……失礼します」
小さく声をかけ、幸は由紀の横を通り過ぎようとした。
その瞬間、「ちょっと待って、西村さん」
由紀の声が背後から響き、幸は思わず足を止める。
ゆっくりと振り返ると、由紀は蔑むような視線を向けていた。
「西村さん、そろそろご自分の立場を理解した方がいいんじゃない?」
冷ややかな声でそう言い放つ。
「立場って……どういう意味ですか?」
意味がわからず、幸は問い返した。
「意味がわからないの?信じられないわ。第二秘書に降格された時点で、普通は気づくでしょ?」
――それって。
幸の心臓が、激しく脈を打ち始める。
由紀はさらに、唇の端を歪めて言った。
「この会社に、あなたは不要なの。圭吾さんが言ってたわ。『あまりにも見た目が酷くて、
秘書として連れて歩けない』って」
「そんな……圭吾が、そんなことを……」
かすれた声で、幸はつぶやく。
「ちょっと、なに? “圭吾”って。過去に少し付き合ってもらったからって、
社長を呼び捨てにするなんて――社員として失格ね」
“少し付き合ってもらった”――その言葉の意味がわからなかった。
今も自分は、彼の“彼女”のはずではないのか。
混乱する幸を見下ろしながら、由紀は冷たく言い放つ。
「会社は、そう簡単に従業員を解雇できないの。それに、圭吾さんは優しいから、
直接は言えないみたい。だから、私からお願いするわ――早くこの会社から出て行って」
鼓動が耳の奥で鳴り響く。
体の芯が冷たくなっていくのがわかった。
――圭吾。
――そうなの?
幸は、圭吾がそう思っていないと信じたかった。
でも、今の圭吾は、幸と距離をおいている。
信じたい気持ちと、否定できない現実がせめぎ合って、胸の奥が痛くて痛くて苦しい。
涙が出そうになったが、必死に堪えた。
ここで泣くわけにはいかない。
幸は、何も言わずにその場を立ち去ろうとした。
その瞬間、由紀が幸の手首を掴んだ。
冷たく細い指が、強く絡みつく。
「離してください……」
振りほどこうと腕を振った、その拍子に――
由紀が「キャッ」という悲鳴を上げ、廊下に倒れ込んだ。
「あっ……」
幸は息を呑み、慌てて由紀に駆け寄ろうとした。
そのとき、背後から怒声が響く。
「西村! なにをしているんだ!」
振り返る間もなく、圭吾が駆け寄ってきた。
その勢いのまま、幸の肩を強く突き飛ばす。
「……違うんです、私は――」
言いかけた言葉は、衝撃で途切れた。
足元がもつれ、幸は廊下に倒れ込み、足首をひねった。
あまりの痛みに顔を歪める。
そんな幸の耳に、圭吾の低くも優しい声が届いた。
「大丈夫か? どこか痛くない?」
それは、由紀に向けられた言葉だった。
「大丈夫。ありがとう、圭吾さん」
由紀は柔らかく微笑みながら、彼の胸にすがりつく。
先ほどの冷たい表情が嘘のように、弱々しい女の顔をしていた。
圭吾の眉がわずかに歪む。
怒りと焦りと、守らなければという衝動が入り混じっている。
彼の視線が、床に倒れた幸に向いたが、そこに優しさはなかった。
片桐秘書が慌てて駆け寄り、幸を支えようとする。
「西村さん、足首……大丈夫ですか?」
幸は何も言えなかった。
声を出そうとしても、喉が詰まって声がでない。
そのとき、圭吾の冷たい声が響く。
「片桐、放っておけ。自業自得だ」
片桐秘書は一瞬、言葉を失った。
助けを求めるように圭吾を見たが、社長の目は氷のように冷たかった。
社長命令には逆らえない。
手を握りしめながら、申し訳なさそうな視線を幸に向ける。
幸は、「大丈夫だから」という意味を込めて、片桐秘書に対して小さく頷いた。
「由紀さん、行こう。片桐も、行くぞ」
そう言い残し、圭吾は由紀を抱きかかえるようにして歩き出す。
廊下には、遠ざかる三人の足音が響く。
その音を聞く幸の頬を、一筋の涙が伝い流れ落ちた。
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