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第9話【圭吾の本音】
しおりを挟む遠ざかっていく足音が完全に消えると、静寂だけが残った。
廊下には、もう誰の姿もない。
冷たい空気が肌にまとわりつき、胸の奥がじんと痛む。
――自業自得。
圭吾の言葉が、頭の中で何度も反響した。
足の痛みよりも、その言葉のほうが深く胸に突き刺さり、心が痛い。
「違うのに……」
唇から漏れた声は、震えてかすれていた。
項垂れた幸の脳裏に、由紀の言葉がよぎる。
『この会社に、あなたは不要なの。圭吾さんが言ってたわ。“あまりにも見た目が酷くて、
秘書として連れて歩けない”って』
――この話は、本当なのだろうか。
――圭吾は、本当にそんなことを由紀さんに言ったのだろうか。
幸の外見は、圭吾の指示だった。
なのに、そんなことを口にするなんて――幸には到底、信じられなかった。
けれど、あの冷ややかな圭吾の瞳を思い出すと、その言葉も全くの作り話とは思えない。
何がどう間違ったのか。
どうして、こんなことになってしまったのか。
そう思いながら、幸はゆっくりと立ち上がろうとした。
「……痛っ」
足首に鋭い痛みが走る。
それでも、壁に手をついてなんとか立ち上がった。
視界が涙で滲む。
――泣いてはいけない。
そう思うのに、頬を伝う涙は止められない。
幸は痛みに耐えながら歩き出す。
――仕事だけは、ちゃんとしなきゃ。
心の中でそう自分に言い聞かせる。
その思いだけを支えに、幸は痛む足を引きずりながら、静かに歩みを進めていった。
*****
圭吾と由紀、そして片桐秘書の三人が、本社ビルの正面玄関に姿を現すと、
黒塗りのレクサスが静かに待機していた。
由紀の姿を見た運転手は、白い手袋をはめたまま、丁寧にドアを開ける。
由紀はわずかに顎を上げ、ヒールの音を響かせながら車内へと乗り込んだ。
「由紀さん、また後で」
圭吾が声をかけると、由紀は柔らかな笑みを浮かべ、小さく手を振る。
その仕草を確認した運転手が静かにドアを閉め、運転席へと戻っていった。
車が静かに走り出す。
圭吾はその後ろ姿を、しばらく無言で見つめていた。
そんな圭吾に、片桐秘書がためらいがちに声をかける。
「社長……西村さんのこと、このまま放っておいてよろしいんですか? 足首、痛めていたようですが」
片桐は、廊下で倒れたままの幸を思い出し、胸が痛んだ。
しかし、幸の名を出した途端、圭吾の表情が険しくなる。
「放っておいても大丈夫だ。あいつは体だけは丈夫だから」
その声には、情の欠片もなかった。
――幸は、もう女として終わっている。
あそこまで見た目を崩した女を、傍に置くことなどできない。
それに――家柄も無理だ。
俺とは、釣り合わない。
そんな冷たい言葉が、圭吾の脳裏をよぎっていた。
彼の中で、幸に対する愛情は、もうどこにもない。
「ですが、社長……」
なおも片桐が言いかけると、圭吾は苛立ちを隠そうともせず、短く言い放つ。
「片桐、車をまわせ。今から橘社長と会う予定だ」
その命令口調に、片桐はそれ以上何も言えず、言われたとおり駐車場へと向かった。
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