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第41話【幸】
しおりを挟む「そろそろ終わろうか」
背後から落ち着いた低い声が聞こえ、幸の集中はふっと途切れた。
パソコンから顔を上げて入り口に視線を向けると、そこには匠が立っていて、
幸を見つめている。
目が合った瞬間、匠の目が細まり、
「明日から働いてもらうつもりだったけど、もう、仕事を始めたんだな」
柔らかな口調で、言葉をかけた。
匠の言葉に、幸は軽く背筋を伸ばす。
「すみません。少しでも早く情報を集めたくて」
「謝る必要はないよ。やる気のある社員は歓迎してる」
その一言に、幸の胸の奥が温かくなる。
それと同時に、モチベーションが自然と上がり、
「私を雇って良かった、そう思ってもらえるように頑張ります」
幸の決意が、再度、匠に伝えられる。
生き生きとした表情の幸。
その彼女を見て、匠の目元が自然と緩む。
これまで自分に近づいてきた女性たちとは、やはり根本から違う。
そう、匠は感じていた。
男に依存するのではなく、自分の足で立っている。
幸のように芯の強い女性は、嫌いではない。
むしろ、好ましい。
仕事に対しても、ひたむきでまっすぐだ。
女性と一緒にいて、不快な気持ちにならない。
そんな経験は、匠にとって初めてだった。
――これからの日々が、楽しくなりそうだ。
匠は、幸を見ながらそう思った。
*****
今は、帰りの車の中。
匠と幸は、後部座席に並んで座っていた。
オフィス街の夜景を背景に、車は滑るように走っていく。
しばらくして、匠が口を開いた。
「今度の土曜日、設立記念パーティーを開催するけど、その時は俺のサポートをよろしく頼むよ」
業界関係者が一堂に会するパーティーこそ、幸の本領が発揮できる場だ。
「わかりました。全力でサポートさせていただきます」
迷うことなく、幸は答えた。
「そうそう。――“幸さん”のことを、仕事の時は“西村”と呼んでもいいかな?」
匠が柔らかな声で尋ねた。
恋人であるとはいえ、私生活と仕事はきちんと区別しておきたい。
「もちろんです。私も、匠さんのことは“社長”と呼ばせていただきます」
幸は、当然のことのようにためらいもなくそう返した。
その答えに、匠は少し口元を緩める。
「でも、二人きりの時は“幸”と名前で呼ばせてもらうけど、それでいいかな?――“幸”」
「えっ……あっ……」
名前を呼ばれた瞬間、幸の言葉が喉の奥で止まった。
「幸と俺は、恋人同士なのだから、構わないよね?」
柔らかな眼差しが、彼女をまっすぐに見つめる。
まだ、付き合っているという実感はあまりない。
だからこそ、こんなふうに不意に恋人であることを意識させられると、どうしても戸惑ってしまう。
それと同時に――匠という存在を、ひとりの“男”として強く意識させられてしまう。
「はい……問題はないです。あのっ……私は、“匠さん”のままでいいですか?」
圭吾と付き合っていた頃は、年齢が同じということもあり、“圭吾”と呼び捨てにしていた。
けれど、匠には“さん”をつけて呼ぶ方が、幸の中ではしっくりくる。
圭吾とは違い、匠にはどこか自然と敬意を払いたい――そんな気持ちがあった。
「幸の好きなように呼んでいいよ」
匠は柔らかな口調で、そう答えた。
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