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第72話【評判と信用】
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幸と洋子が化粧室から出て匠たちのもとへ戻ろうとしたら、フロアはどこか騒然とした空気に包まれていた。
ただならぬ雰囲気を感じ取り、幸と洋子は、人だかりができている方向へと視線を向ける。
何事かと近づいてみると、輪の中心には圭吾と由紀の姿があった。
二人とも顔を真っ赤にし、すでに激しい口論の真っ最中だった。
「もう、婚約破棄よ!」
由紀がヒールを踏み鳴らす勢いで怒鳴る。
「婚約破棄? 上等じゃないか」
圭吾も一歩も引かず、挑発的に言い返した。
「婚約者がいながら愛人を囲おうとするなんて……あなた、本当に最低よ。このクズ男!」
「は? なに言ってるんだ。俺がそんなことした証拠は? 証拠を出してみろよ!」
売り言葉に買い言葉が飛び交い、きらびやかなパーティー会場の中央で、二人の争いだけが異様な熱を放っていた。
周囲の招待客たちは、気まずそうに視線を交わしている。
そこへ、黒田会長夫妻を玄関先まで見送り、戻ってきた圭吾の両親と由紀の両親が、この異様な空気に気づいて近づいてきた。
言い争う二人の姿を目の当たりにし、両家の親たちは顔色を変えた。
「なにをやっているんだ、お前たちは!」
慌てて間に割って入り、争いを止めに入る。
「圭吾、何をしているんだ!」
父の明が、圭吾を怒鳴りつけた。
その傍らで、
「由紀、何を騒いでいるんだ!」
由紀の父・高瀬社長も、娘を厳しい声で叱責する。
父親に怒鳴られた由紀は、悔しさをこらえきれず、目に涙を浮かべながら訴えた。
「圭吾さんとは、結婚したくありません! 私を馬鹿にしているんです!」
一方、圭吾も声を荒げる。
「突然ビンタするような女と、誰が結婚するか!」
吐き捨てるように言い放った。
実際、圭吾の頬には、くっきりと指の跡が残っている。
修羅場と化したその光景に、幸と洋子は思わず顔を見合わせ、一歩後ずさった。
すると――
二人の背中に、ふっと熱を感じた。
振り返ると、匠と信が背後に立っていた。
「巻き込まれる前に、帰ろう」
匠がそう言って幸の手を取り、歩き出す。
洋子と信も、その後に続いた。
背後では、なおも怒声が飛び交っていたが――
今日の目的は、すでにすべて果たしている。
四人は振り返ることもなく、揃って、その場をあとにした。
*****
帰りの車の中。
幸は、化粧室で起きた出来事を、匠にすべて話した。
「それで、あの修羅場に……」
「まさか、あれほど人目のある場所で、ビンタまでするとは思わなくて……」
幸にとっても、あまりにも衝撃的な行動だった。
今日のパーティーは、日本屈指の大企業・黒田ホールディングスが主催する、格式あるパーティーだ。
各界の著名人や、一流企業の社長・役員クラスが一堂に会する場でもある。
そんな場所で、社長令嬢という立場の人間が、あれほどの修羅場を引き起こすなど、普通なら考えられない。
だからこそ、幸には由紀の行動が理解できなかった。
けれど――
「……彼女なら、やりかねないな」
匠は、感情を交えない、どこか達観した口調でそう呟いた。
お嬢様育ちで、プライドだけは高く、周囲に甘やかされて生きてきたのだろう。
自分の振る舞いが、どれほど周囲に影響を及ぼすのか――
そんな想像すら、彼女にはできない。
仕事をした経験もない人間に、会社にとって“いちばん大切なもの”が何かなど、
理解できるはずがないのだ。
会社を成功させるには、確かに資本も必要だ。
だが、それ以上に重要なのは――
顧客からの信頼、取引先からの信頼、社員からの信頼、そして社会からの信頼。
評判と信用は、長い時間をかけて積み上げるものだ。
だが、それを失うのは一瞬だ。
不祥事や傲慢な振る舞いによって、一夜にして転落していく企業を、匠はこれまで何度も目にしてきた。
それは彼だけではない。
同じ立場にいる経営者たちもまた、同様の現実を幾度となく見てきている。
――由紀は、その現実を理解していない。
だからこそ、何の迷いもなく、考えなしにSNSに配信することができるのだ。
そして――
由紀だけではない。
圭吾もまた、同類だ。
匠は、そう結論づけていた。
「でも、彼女のお陰で、黒田圭吾から権力を奪うのが、早くなりそうだな」
匠は、そう言って口角を上げる。
――確かに、そうだ。
あの修羅場は、圭吾の人となりを、多くの人間の前で白日の下にさらした。
それと同時に、ライバル的な立場にある匠という男の品格を、周囲に強く印象づける結果ともなった。
同じ条件を提示する二人の社長がいたとして――
どちらと取引をするか。
誰を支持するか。
答えは、もはや明白だった。
――あと、もう少し。
圭吾から権力を奪う。
その道筋は、すでにできあがっている。
あとは、とどめの一撃を与えるだけだ。
幸の望みは、確実に――
手の届くところまで来ていた。
ただならぬ雰囲気を感じ取り、幸と洋子は、人だかりができている方向へと視線を向ける。
何事かと近づいてみると、輪の中心には圭吾と由紀の姿があった。
二人とも顔を真っ赤にし、すでに激しい口論の真っ最中だった。
「もう、婚約破棄よ!」
由紀がヒールを踏み鳴らす勢いで怒鳴る。
「婚約破棄? 上等じゃないか」
圭吾も一歩も引かず、挑発的に言い返した。
「婚約者がいながら愛人を囲おうとするなんて……あなた、本当に最低よ。このクズ男!」
「は? なに言ってるんだ。俺がそんなことした証拠は? 証拠を出してみろよ!」
売り言葉に買い言葉が飛び交い、きらびやかなパーティー会場の中央で、二人の争いだけが異様な熱を放っていた。
周囲の招待客たちは、気まずそうに視線を交わしている。
そこへ、黒田会長夫妻を玄関先まで見送り、戻ってきた圭吾の両親と由紀の両親が、この異様な空気に気づいて近づいてきた。
言い争う二人の姿を目の当たりにし、両家の親たちは顔色を変えた。
「なにをやっているんだ、お前たちは!」
慌てて間に割って入り、争いを止めに入る。
「圭吾、何をしているんだ!」
父の明が、圭吾を怒鳴りつけた。
その傍らで、
「由紀、何を騒いでいるんだ!」
由紀の父・高瀬社長も、娘を厳しい声で叱責する。
父親に怒鳴られた由紀は、悔しさをこらえきれず、目に涙を浮かべながら訴えた。
「圭吾さんとは、結婚したくありません! 私を馬鹿にしているんです!」
一方、圭吾も声を荒げる。
「突然ビンタするような女と、誰が結婚するか!」
吐き捨てるように言い放った。
実際、圭吾の頬には、くっきりと指の跡が残っている。
修羅場と化したその光景に、幸と洋子は思わず顔を見合わせ、一歩後ずさった。
すると――
二人の背中に、ふっと熱を感じた。
振り返ると、匠と信が背後に立っていた。
「巻き込まれる前に、帰ろう」
匠がそう言って幸の手を取り、歩き出す。
洋子と信も、その後に続いた。
背後では、なおも怒声が飛び交っていたが――
今日の目的は、すでにすべて果たしている。
四人は振り返ることもなく、揃って、その場をあとにした。
*****
帰りの車の中。
幸は、化粧室で起きた出来事を、匠にすべて話した。
「それで、あの修羅場に……」
「まさか、あれほど人目のある場所で、ビンタまでするとは思わなくて……」
幸にとっても、あまりにも衝撃的な行動だった。
今日のパーティーは、日本屈指の大企業・黒田ホールディングスが主催する、格式あるパーティーだ。
各界の著名人や、一流企業の社長・役員クラスが一堂に会する場でもある。
そんな場所で、社長令嬢という立場の人間が、あれほどの修羅場を引き起こすなど、普通なら考えられない。
だからこそ、幸には由紀の行動が理解できなかった。
けれど――
「……彼女なら、やりかねないな」
匠は、感情を交えない、どこか達観した口調でそう呟いた。
お嬢様育ちで、プライドだけは高く、周囲に甘やかされて生きてきたのだろう。
自分の振る舞いが、どれほど周囲に影響を及ぼすのか――
そんな想像すら、彼女にはできない。
仕事をした経験もない人間に、会社にとって“いちばん大切なもの”が何かなど、
理解できるはずがないのだ。
会社を成功させるには、確かに資本も必要だ。
だが、それ以上に重要なのは――
顧客からの信頼、取引先からの信頼、社員からの信頼、そして社会からの信頼。
評判と信用は、長い時間をかけて積み上げるものだ。
だが、それを失うのは一瞬だ。
不祥事や傲慢な振る舞いによって、一夜にして転落していく企業を、匠はこれまで何度も目にしてきた。
それは彼だけではない。
同じ立場にいる経営者たちもまた、同様の現実を幾度となく見てきている。
――由紀は、その現実を理解していない。
だからこそ、何の迷いもなく、考えなしにSNSに配信することができるのだ。
そして――
由紀だけではない。
圭吾もまた、同類だ。
匠は、そう結論づけていた。
「でも、彼女のお陰で、黒田圭吾から権力を奪うのが、早くなりそうだな」
匠は、そう言って口角を上げる。
――確かに、そうだ。
あの修羅場は、圭吾の人となりを、多くの人間の前で白日の下にさらした。
それと同時に、ライバル的な立場にある匠という男の品格を、周囲に強く印象づける結果ともなった。
同じ条件を提示する二人の社長がいたとして――
どちらと取引をするか。
誰を支持するか。
答えは、もはや明白だった。
――あと、もう少し。
圭吾から権力を奪う。
その道筋は、すでにできあがっている。
あとは、とどめの一撃を与えるだけだ。
幸の望みは、確実に――
手の届くところまで来ていた。
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