楽将伝

九情承太郎

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第二章 君を守るために僕は夢を見る

四十一話 金森長近という人(4)

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 それでも長近ながちかは、慎重に条件を整える。
「命令できる事の上限を、決めておきたいですな」
「生死や出処進退、其方に迷惑が及ぶ事は控えよう」
 謙信の方も、譲渡する。
「その条件付けですと、内通者を知っても処罰できなくなりますが、よろしいので?」
「知りたいだけだ。謝れば、処罰はせぬ」
 この最強無双キャラ。
 戦国時代では珍しい事に、裏切り者でも謝罪して再臣従さえ誓えば、殺さずに用いている。
「自分からの要求は、名器や宝刀、書物に絵画に関して」
「…一品だけなら」
 上杉謙信は、金森長近ながちかの条件を、飲む。
 長屋喜藏きぞうは、師匠の文言の曖昧な部分が気になったが、己の希望を述べる。
「僕が勝ったら、千宗易ブランドの茶道具セットをください」
「随分と謙虚だな。我々が挑むのは、伝説級の蟒蛇うわばみだぞ」
「で、この蟒蛇うわばみからは、何を得るつもりだね、長屋喜藏」
 長屋喜藏は、上杉謙信の顔を、真っ向から見返して宣言する。
「僕に、今使っている甲冑を、ください」
 上杉謙信は快諾しそうになり、すぐに項垂れ、先に酒杯に口を付けてから断る。
「君がその甲冑を身に付けて上杉軍と戦う場合、相当な混乱を巻き起こすので、却下」
 上杉謙信は出陣の際、必ず甲冑姿を将兵に晒して念入りに出陣の儀式「武禘式ぶていしき」を行っているので、認知度が高過ぎる。
 長屋喜藏きぞうがその甲冑を装備して上杉軍の前に姿を見せたら、確実に大混乱が起きる。
「残念です」
「その気で、あったか」
「勝ち目が薄いので、試してみたかったです」
「他の何かにしなさい」
 上杉謙信は、喜藏の第二案を待ちながら、既に一杯目を飲み干してしまう。
「これは個人的なフライングなので、勝負の内には入れなくいい」
 これでアル中ではないというから、上杉謙信は肝臓もどうかしている。
「決めました」
 長屋喜藏きぞうが、第二案を定めて、酒杯を飲み始める。
「武田信玄に斬り付けた時の刀を…」
「却下。塩一年分を献上するから、それで満足しなさい」
 キリがないので、謙信は、そう言い渡す。
「妥当です」
 長近ながちかも同意し、一杯目の酒杯を空かす。
 飲んでから、辛うじて気付く。
「喜藏が不識庵ふしきあん様(謙信)に何を差し出すのかは、決めておりませんでしたな」
「ふむ」
 上杉謙信は、二杯目の芳香を嗅ぎながら、酔いに任せて思案する。
「長屋喜藏きぞう。負けたら金森長近ながちかの養子になれ」
 勘違いさせられた方からの、意趣返しだった。
「…不識庵ふしきあん様(謙信)、それは師匠が迷惑を被ります」
「…喜藏。長則ながのりの弟という扱いにするから、問題はない」
 ものすごく安上がりにペナルティを払えるので、長近ながちかは、その条件を呑む。
 ただ同然である。
「僕の方が、八歳年上ですよ?」
「やかましい、もう勝負は始まっている。飲め」
 上杉謙信の飲むペースに合わせるので、もう余裕はない。
 長屋喜藏きぞうは、負けた方が得なのだろうかと不埒な事を考えながら、通常の三倍のペースで酒杯を空にする。

 最初に、長屋喜藏きぞうが酔い潰れた。
 『養子入り』の雑念を吹き込まれ、動揺しながらのハイペース飲酒で、限界が来た。
 酒屋の表に走り出ると、道の端に激しく嘔吐して、座り込む。
「若い者に容赦がないですな」
「容赦がないのも、功徳のうちだ」
 いちいち酒杯の芳香を味わいながらも、上杉謙信は鯨飲のペースを落とさない。
 酔いが回って顔に薄紅色の酒化粧が浮き出ても、勝負の手を緩めない。
 長近ながちかは、二十杯目から酒杯の数を数えなくなった。
 これは、上杉謙信のペースに合わせて何時まで飲めるかのゲームになっている。
 まだ落ちない内に、長近ながちかは紙に内通者の名前を書いて、伏せておく。
「自分が酔い潰れたら、一読して捨ててください」
「用意がいいし、潔いな。嘘を吐き通す道もあったであろうに」
「嘘だと見破れない嘘を吐くのが得意ですし、嘘を吐かなくても人を惑わす手段には、事欠いておりませぬ故。信じなくて構いませぬよ」
 ここで、金森長近ながちかが嘘を吐く可能性を敢えて示し、この報酬の持つ価値を台無しにしてみせる。
 上杉謙信は、酒杯と刀の何方かを振おうかと迷いながら、酒杯を選ぶ。
「これほど憎たらしい奴を斬らずに済ませるとは、信長の忍耐力は想定より上か?」
「自分を生かしておいた方が、得だからでしょう」
 得であれば、松永弾正でも生かしておく男である。
「戦場で再会する時は、本陣の後ろでよかったな?」
 上杉謙信から、戦場での遭遇の仕方に言及されたのに、金森長近ながちかは涼しく返す。

「もしくは、殿軍です」

 酒杯を動かす手が、止まる。
 上杉謙信は、鋭利な形相で家来(謙信専用忍者・軒猿のきざる)の方に指示を送る。
北ノ庄きたのしょう城の残存戦力を、探れ」
 無茶な命令だが、軒猿のきざるは四半刻(約三十分)で情報を整えて報告する。
北ノ庄きたのしょう城からは、柴田勝家の兵は動いておりませぬ」
「ですが、他の主だった武将は、帰還を始めております」
「丹羽長秀、滝川一益、佐々成政の軍勢は、既に姿を消しております」
 これで北ノ庄きたのしょう城は、上杉謙信にとって、
『織田軍のトップクラスの武将が半分以上集結した、最高級の獲物が詰まった城』
 から
『野生の柴田勝家しかいないような、そそられない城』
 に格下げになった。


 上杉謙信が酒杯を卓上に置いて、勝負を投げる。
「酔いが醒めた。金森、お前の勝ちだ」
 どういう勝負基準だよとツッコミを入れずに、長近ながちかは謙遜する。
「自分が勝ったのではありません。織田軍には何時でも勝てるからと、到着を遅らせた不識庵ふしきあん様(謙信)の怠慢です」
「怠慢と言われるのは、生まれて初めてだ」
 怖くて誰も言わなかったのだろうとは、長近ながちかは言わずに済ませる。
「勝った訳ではありませぬ故、何も貰いませぬ」
「…で? お前たちはまたしても、『上杉謙信とは戦わない』戦略に戻る訳か?」
 とてつもなく残念そうに、上杉謙信は長近ながちかのやり口を厭う。
「はい、勝てませんから、戦いません。我々が滅びた後は、他の方が、立ち上がるでしょう。石山本願寺とかが」
「意地の悪い曲者め」
 戦争ジャンキーの上杉謙信が、順調に織田軍を蹴散らして、信長の首を斬ってポイ捨てしたとする。
 その途端、一時休戦していた石山本願寺が再び一向一揆を頻発させて、上杉謙信が活動し辛い環境に追いやる。
 織田の領地を吸収合併する手間暇など、与えられないだろう。
 関東地方で北条家と戦いたい上杉謙信の基本方針は、またしても膠着する。
 先を見通すと、上杉謙信でも選択肢が狭まる。
「…当方は、関東での戦に専念する。織田が上杉に刃を向けない限りは、構う事はなかろう」
かたじけのうございます」
 頭を下げると、長近ながちかは伏せていた紙を差し出す。
「お帰りの際の、土産として」
「受け取っては、おく」
 上杉謙信は一瞥すると、酔い潰れている長屋喜藏きぞうの顔に、紙を貼り付けて去った。
 長屋喜藏きぞうは、紙に書かれた文字を読む。
「…愛?」
 何の隠語かと怪しんでいると、長近ながちかが取り上げて握り潰す。
 謙信が残した酒杯に紙片を浸すと、火を点けて燃やす。
「…愛人が内通者?」
「忘れろ。大事な事だ。忘れろ」


 こうして上杉謙信は、織田軍にとどめを刺さずに、領地に引き返した。
 外野から見ると、
「え? そのまま行けば、数日で信長を倒せるのに?」
 と不思議がられたが、上杉家家中は、
「あらー、相手が弱過ぎて、やる気無くしたかー」
 と、不思議に思わなかった。
 柴田勝家は分を守り、上杉謙信と事を構えないように、一向一揆とだけ戦って過ごす。
 信長すらも、再び上杉謙信と戦えとは命じなかった。




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