楽将伝

九情承太郎

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第二章 君を守るために僕は夢を見る

四十話 金森長近という人(3)

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 天正てんしょう五年(1577年)九月二十三日。
 柴田勝家が率いる織田軍四万が、手取川を渡りきる。
 その段階で、救出すべき七尾城の陥落と、上杉謙信の参陣を『知らされた』
 金森長近ながちかから。
「退き戦の用意は、整えてある。後は柴田殿が、号令を下すだけだ」
 柴田勝家は、織田軍全域に狼狽と呻き声が満ちるのを、苦々しく聞かされる。
 歴戦の指揮官なので、既に兵たちが戦意を失っているのを把握する。
 こうなった軍勢の逃げ足の速さは、骨身に染みている。
 流石の脳筋猛将も、撤退を決意する。
五郎八ごろはち(金森長近の通称)、この機を狙って、全軍に吹き込んだな?」
「ん? そうか? 噂は風より早いからな、無理もない」
「…秀吉が逃げたのに、お主が逃げていない時点で、怪しむべきだった。お主の掌の上だとな」
権六ごんろく。一番賢い意見を何度も却下した指揮官でも、自分は見捨てない。後は任せろ」
「殿軍も、貴様がやるのか?」
「手取川の向こう岸で、既に用意を整えている。川を渡れば、後は普通に歩いて帰れ」
 何度も殿軍を成功させた金森長近ながちかの太鼓判なので、柴田勝家は号令を下す。
「全軍、撤退!」
 いま渡ったばかりの手取川を、織田軍は大喜びで引き返していく。
 半分が渡り終えて日が暮れたタイミングで、上杉軍が織田軍の背後から攻撃を仕掛けてくる。
 夜になってから、上杉謙信に背後から攻撃されたのである。
 上杉軍は二万の軍勢の内、八千を追撃に送ったのだが、渡河中を背後から襲われた方には、そこまでわからないし慰めにもならない。
 渡河中の兵たちはパニックを起こし、溺死者が多数出る。
 討ち取られた兵は千名を越え、溺死者も多数だが、上杉軍はそれ以上の深追いをしない。
 向こう岸で迎撃態勢を整えている織田側の殿軍を警戒し、上杉謙信と本隊を待つ。
 その隙に、織田軍は一切振り返らずに、自領の越前まで歩き通す。
北ノ庄きたのしょう城だけを目指して歩け。途中の砦や城には、寄るな。落とされるだけだ、放置しろ」
 金森長近ながちかの方針に、全員が従う。
 上杉軍の方は、急がずに織田軍が放棄した砦や城を拾っていく。
 一旦立ち止まって、籠城する兵がいないかを確かめながらなので、自然と織田軍と上杉軍の距離は開いていく。
 圧倒的不利で始まった撤退戦なのに、被害が出たのは渡河地点周辺だけ。
 柴田勝家が居城の北ノ庄きたのしょう城(現・福井市)まで帰って確認すると、死傷者は全体の一割未満だった(とはいえ数千人だが)。
 上杉謙信にフルボッコにされたにしては、極めて軽く済んでいた(注意・比較の問題です)
 敗戦の悔しさを押し退けるかのような安堵感に浸りながら、柴田勝家が事後の備えをしていると、一日遅れで殿軍をしていた部隊が追い付く。
 こちらも上杉軍に追い付かれないように立ち回る事には成功したが、一日余計に睡眠不足で歩き通しだったので、ボロボロ度が違う。
 殿軍を務めてくれた羽柴隊に対し、柴田勝家は潔く頭を垂れる。
かたじけい。柴田が無事に帰り仰たのは、羽柴隊の働きのお陰だ」
 無断欠勤して引き篭もった秀吉の代わりに、部隊を引き返させて殿軍を務めた羽柴秀長ひでながは、この機会に念押しをする。
「兄・秀吉が起こした不埒の一件、どうか水に流してください。お頼み申します」
 この絵図面を描いたのは誰か知れているので、勝家は逆らわずに応じる。
「殿から怒られるだけで、充分に懲りるであろうよ。殿に一筆書くから、心配するな。」
「ありがとうござ…」
 柴田勝家の笑顔に安堵して、羽柴秀長ひでながが寝落ちする。
 蜂須賀小六が抱き抱えて仮眠室に運ぶ前に、勝家が問い質す。
「蜂須賀。謙信は、あと何日で、ここまで来る?」
 蜂須賀小六は、ものすごく複雑な顔で、嫌な情報を伝える。
「最短で、一日。最長で、一ヶ月、かな?」
「なんじゃい、その幅の広さは?」
「あの神将様は、落とした地域の観光を楽しみながら、家来に街道沿いの砦や城を取らせている。上杉軍は明日にでもこの城を囲むかもしれぬが、謙信は来るのを後回しにするだろうよ」
 柴田勝家の思考が、ショートしかける。
「…随分と、余裕だな」
「ああ、余裕だよ。殿軍の最中も、何度か馬に乗って前線の見物に来やがった。酒を飲みながら」
 そこまでの余裕を知らされて、柴田勝家も戦意が萎える。
「戦の最中に、酒盛りか。流石としか言えぬ」
「違う違う違う、あれは違う」
 蜂須賀小六が、大急ぎで訂正する。
「戦の最中に飲んでいるのではない。酒盛りのついでに、戦をしている。酒の肴だよ、戦が」
 疲れた柴田勝家の脳筋に、蜂須賀小六の言いたい事が、染み透る。
 上杉謙信は、織田家の領地そのものを、信長の首を取るまでに通過する観光地にしか思っていない。
 勝負が、成立していない。
「…逃げて正解だった」
 数ヶ月遅れで、柴田勝家は秀吉や長近ながちかの理解に追い付く。


 金森長近ながちかは、弟子で副将の長屋喜藏きぞうと共に、北ノ庄きたのしょう城郊外の酒屋を貸し切り、即席の茶室を作っておく。
「師匠。ここだと、上杉軍が接近して来ると、真っ先に焼き払われる場所ですが?」
「焼かないだろう。上杉家の重要人物をもてなす為の、茶室だ。しかも謙信は酒好きだし」
「酒を、盾にしているのですね」
「いや、ゴキブリホイホイに近い」
 表を見張っていた家来が、客の来訪を告げる。
「喜藏だけ残す。それ以外は、距離を取れ。そして呼ばれない限り、邪魔するな」
 家来は反論しかけるが、大人しく命に従う。
 家来(忍者)たちが退くのと入れ替えに、静かに駆ける馬が、酒屋の前で歩みを止める。
 僧形の頭巾を被った武人は、家来(謙信専用忍者・軒猿のきざる)たちが周囲を固めてから、馬を降りる。
 左足を少し引き摺りながら酒屋に入り、僧形の頭巾を外して、髷を結わない射干玉ぬばたま(夜のような黒色)の長髪を晒す。
 年齢不詳・性別不明の美貌を持つ貴人を見て、長屋喜藏きぞうは動きが止まる。
 其の高名は知っていても、此の素顔を見ると、何かを奪われてしまう。
 貴人が先に名乗る。
不識庵ふしきあん謙信」
(上杉謙信はコロコロと名前を替えているが、付き合っていられないので、以降は上杉謙信で統一する)
「金森長近ながちかです」
 師匠がお辞儀をしたので、我を失いかけた喜藏も倣う。
「長屋喜藏きぞうです」
 謙信は二人を視界に収めつつも、長近ながちかが整えた席には座らずに、語りかける。
「貴殿が、信長すら盾にする事で有名な、金森長近ながちかか」
「左様にございます」
 友好的に話してくれているなと、喜藏は勘違いする。
「下戸の信長が、毎年旨い酒を送って寄越す故、誰が選んでいるのかと知りたくなった。調べて出たのは、貴殿の名だ」
「選んだ酒は、どの位の割合で、お気に召しました?」
 金森長近ながちかの方は、全く緊張感を解いていない。
 茶道具の用意はしても、湯すら沸かしていない。
「毎年毎回、外れた事が、ない。最初は喜んで飲んでおったが、三年経つと、怖くなった。此奴は、会いもしない相手の酒の好みを、どうやって知ったのかと」
 上杉謙信が、愛刀ナンバー2『姫鶴一文字』を抜いて、長屋喜藏きぞうに向ける。
 華やかな刃を喉元に向けられ、喜藏は思わず『師匠に向けてくださいよ』と言いかける。
「誰を内通者にした? 言わぬと、ご子息を斬る」
「弟子です」
「……?」
「息子ではなく、弟子」
「…なるほど。人質に取られたくないので、長屋家に育てさせ、弟子として引き取るか。戦国の知恵だな」
「何で皆、そういう誤解をするのかなあ」
 元凶は死んだ奥さんの悪ふざけなので、嘆くしかない。
 ガクブルしそうになりながら、喜藏も反論する。
「僕は、弟子です。師匠とは、血縁関係が、ありません」
 微妙な空気が、酒屋の中の即席茶室に流れる。
 上杉謙信が、刀を納める。
「すまぬ。手段を変える」
 謙信は家来に、酒盃を三つ運ばせる。
「三人で酒を飲み干し続け、勝ち残った者が、他の二人に一つだけ命令出来る。この勝負、受けるか?」
 満面の笑みだ。
 呼気には、少なからぬ酒の匂いがしている。
 ここに来るまでにも、既に飲んでいるのだろう。
 なのに、酒に囲まれた環境に負けて、酒飲み勝負を挑みたがっている。
「喜藏にも機会を与えて、構わないのですか?」
「恥をかかせた詫びだ。金森師弟と、是非とも酒で戦いたい」
 喜藏は、思った。
 この最強キャラ、実は、酒癖で物凄く損をしているのではないかと。


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