楽将伝

九情承太郎

文字の大きさ
118 / 145
第二章 君を守るために僕は夢を見る

五十一話 終熄への日々(4)

しおりを挟む
 サボり魔で名高い男が「先鋒を務めます」と言って煽る程に期が熟したので、信長は即断する。
 天正てんしょう十年(1582年)二月三日。
 織田信長は、武田討伐の命令を発する。
 朝廷に根回しして「武田を成敗せよ」との勅命をもらい、徳川家康とも連携しての出陣である。
 ここ数年で調略も進み、武田領内の道案内には事欠かない。
 楽勝になると予想された。
 
 甲州征伐(武田征伐)第一陣の大将は、信長から織田の家督を譲られて、後は実績を積みたい嫡男・信忠のぶただ
 滝川一益と河尻秀隆が面倒を見るので、安心して手柄を立てられるポジションである。
 この信忠軍が、まずは木曽から武田領に攻め進む。
 同時に飛騨から金森長近ながちかの軍勢が、南側からは徳川家康の軍勢が、ついでに北条家も(織田からは何も言っていないのに)侵攻する。
 四方向からの同時侵攻である。
 この四軍に攻めさせて、信長は光秀や丹羽長秀等の軍勢六万を率いて、フィニッシュを決める気でいた。
 今回の戦は、はっきり言って「信忠に戦果を上げさせる」事が目的なので、信長は珍しく急かさない。
「長期戦になるから、兵の数は絞って、兵糧を欠かさないように」
「武田の待ち構える地に踏み入るのだ。慎重に進め、慎重に」
「信長が到着するまで、ゆっくり慎重に戦いなさい」
 と、わざわざ注意を促す。
 徳川家康は意を汲んで、信忠軍を追い抜かないように、緩々と進軍する。
 北条は甲斐まで攻め上る気は全くなく、旧・今川領内の武田勢を駆逐する方針を取り、織田の戦果を喰わないようにしている。
 で、金森長近ながちかはというと…
 
「はい、皆さん、お久しぶり。あなた方に刀槍で追い出された木曽氏傘下の牛丸又右衛門(牛丸親綱ちかつな)です。
 織田への投降は、飛騨攻めの大将・金森様が受け付けております。
 窓口係は、皆さんの顔と氏名と現住所を知っている、この牛丸が承りました。
 怪しい動きをしたら、ぶっ殺すぞ、ごら」
 投降は受け入れる事に専念し、抵抗する城には適当に対処した。
 無理は、一切しない。
 本命は木曽から攻め入る信忠軍なので、金森長近ながちかは「投降の受け入れ業務」だけに専念している。
 初めて長近ながちかと一緒に戦をする牛丸は、この不殺ぶりに面食らう。
 だが、この新しい主人のやり方は、上手くいっている。
 既に配下の忍者によって、金盛長近ながちかのやり方は、飛騨の人々の耳に入っている。
 呆れる程に易々と、投降しに来る。
 牛丸又右衛門(牛丸親綱ちかつな)にとっては腹の立つ事だが、彼の所属していた派閥を駆逐した連中は、こぞって織田軍に降って領土を保証されている。
 こうなると牛丸も、金森長近ながちかの下で働いて稼ごうという知恵も湧く。
「飛騨を牛耳る姉小路あねこうじも上手い事やりやがるけど、殿もかなりのやり手のようですな」
「高評価、ありがとう」
 長近ながちかも古参の家臣団も、この新参者の使い馴れぬ追従には苦笑した。
「けど、姉小路殿には、及ばぬよ」
 長近ながちかの方は、別の意味で牛丸よりも遥かに姉小路頼綱あねこうじ・よりつなを知っている。

 姉小路頼綱あねこうじ・よりつな
 飛騨国の国司。
 織田と同じく、家老の家柄から主家の姉小路を吸収して成り上がった武家の主。
 上杉と武田と織田に挟まれた地で、絶妙なバランス感覚で独立を維持している。
 斎藤道三の娘を正妻にもらっているので、信長とは相婿(同じ舅を持つ親戚)の関係になる。
 この縁を最大限に活かし、信長の上洛にも同行。
 朝廷とのパイプを太くし、公家としての階位もあげている。
 上杉家が傾くと、すかさず佐々成政に合力するなど、機敏な動きで得点を稼いでいる。
 今回も、金森軍に後方支援部隊を寄越すなど、抜け目ない。
 形勢が少しでも変われば速攻で敵対行動に出るので、味方にしていても油断は一切出来ない人物である。

 配下の忍者には飛騨出身者も混じっているので、姉小路頼綱あねこうじ・よりつなの詳細な情報は得ている。
 越前大野に来た頃から、その動向に気を配り続けている。
 敵よりも、裏切る時は速攻で攻めてくる味方の方が、長近ながちかには怖い。
「飛騨を素通りさせてくれるのだ。牛丸は金森の家臣として、大人しく振る舞ってくれ」
 張っておいた警戒網を新参者に壊されたくないので、釘を刺しておく。
「はい、もちろんです。でも、もしも姉小路が後ろから襲ってきたら、某が真っ先に突っ込みます」
 下心を隠さないので、周囲は失笑するしかない。
 失笑はするが、嘲笑はしない。
 降伏勧告に行った城で、門前払いに怒って相手の首を切り落とし、松明にかざして帰陣してみせた経歴を持つ豪の者だ。
 金森軍にはいなかった猛将タイプなので、長近ながちかは飼う事にした。
 

 牛丸又右衛門の望みは叶わず、武田家は戦局を一切覆せずに、一ヶ月で滅亡する。
 信長の見積もりより、遥かに早い。
 信長の本陣が信忠軍に合流する前に、信忠は甲州征伐の全てを終わらせてしまった。
 三月十一日に武田勝頼が自害し、十四日には首級が信長の元に届けられている。
 あまりの快勝に、功績のある武将への褒美も弾む。
 信忠に巨大な手柄を立てさせてあげた滝川一益には上野一国、河尻秀隆には甲斐一国、徳川家康には駿河一国が任された(ちなみに呼ばれもしないのにハゲタカのように参戦した北条家には、何もやらなかった)
 金森軍は投降を受け入れただけの、地味な戦果で終えた。
 地味でも気前良く、振る舞い酒的に褒美が出た。
 金森長近ながちかに、
正四位しょうしい兵部卿ひょうぶきょう
 の叙任が決まった。

「…これって、どのくらい、偉いのでしょうか?」
 可重ありしげに問われて、長近ながちかも首を捻る。
 本来は公家の称号なので、ピンと来ない。
 そもそもこの称号、時代で用いられ方が変動している。
 この叙任も、勲章扱い同然である。
 本当に何かの官職や権限を得る訳ではない(権限は将軍に集中されている)。
 得られる一歩手前の、勲章に近い。
 この時代での価値を現代風に変換すると…
「役人であれば長官クラス、教職であれば皇太子専属、貴族で言うと男爵クラスの称号授与」
 となるが、この物語の読者には、こう伝える方が分かり易いだろう。
「細川藤孝ふじたかよりも、高い位階の叙任を受けてしまった」

「どうせ追い抜かれるだろうけどね」
 いま茶会で顔を合わせたら、絶対に弄ってくるだろう。
 長近ながちかを上座に置いて弄り倒す藤孝ふじたかを想像すると、背筋が凍る。
 細川藤孝ふじたかはここ最近、切り取りを任された国で大苦戦して膠着状態に陥り、戦果が止まっている。
 戦果が止まると、信長からの扱いも軽くなる。
 今の細川藤孝ふじたかの窮状を察しても寒くなるので、長近ながちかは貰ったものの使い道を考えてみる。
「自分が貰っても、使い道が分からんなあ。無いよりマシなのは確実だとは思うが」
「それ、御守りじゃないですかね」
 新参の牛丸が、口を出す。
 金森家の気風が良いというより、長近ながちかはこの男に対し、特別扱いを許す事にした。
 多少粗忽だが、猪突猛進が通常の武将は、軍団の先駆けに欲しい。
 実際、この男は歴史的な大戦で、一番槍を決めて名を残す事になる。
「御守り?」
「姉小路は公家気取りですから。正四位しょうしい兵部卿ひょうぶきょうに叙任された方には、格上だからと手を出さないでしょう」
 納得してしまう意見だったので、作者も驚いた。
「意外と頭いいな、牛丸」
「もっと見直してくれて、いいですよ」
 金森家での居心地が良かったのか、牛丸又右衛門は終生、長近ながちかの先鋒を務めた。


 金森長近ながちかが、信長から褒美を貰うのは、それが最後になった。




 !注意書き!
 金森長近が牛丸氏を保護し始めたのはこの時期で間違いありませんが、牛丸又右衛門個人の加入は、二年ほど先です。しかし繰り上げて加入させました。
 これは作者の筆が滑ったせいです。
 試験で「牛丸又右衛門が金森長近の家臣になったのは、西暦何年?」という質問が出たら、西暦1584年とお答えください。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

処理中です...