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第一章
怒り《ルーシー side》
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「悪く思うなよ、聖女サン」
そう言うが早いか、男性は勢いよく手を振り下ろした。
すると、パチンッと乾いた音が鳴り響く。
手加減したつもりなのか、殴打ではなく平手打ちだったので思ったよりダメージはなかった────が、痛いものは痛い。
親にすら打たれたことのない私にとっては、充分辛かった。
暴力を振るわれたショックと恐怖で、自然と涙が溢れるくらいには。
もう嫌だ……何でこんな目に遭うの。
ヒロインの器じゃないくせに、調子に乗ったから……?
モブはモブらしく、大人しくしておけば良かったの……?
乙女ゲームのヒロインみたいに愛されたいって、願っちゃダメだった……?
分不相応だった……?
ねぇ、誰が教えてよ……!
この理不尽な現実をなかなか受け入れられず、私は半ば自暴自棄になる。
『抵抗する』なんて選択肢……端から頭になくて、ひたすら暴力に耐えるしかなかった。
往復ビンタのせいで腫れ上がっているであろう頬と涙に濡れた瞳を想像しながら、私は少し咳き込む。
口の中に広がる鉄の味に、少しビックリしてしまったから。
『ついに血まで出ちゃったのか』とぼんやり考える中、ネクタイに手を掛けられる。
恐らく、襲われているように見せかけるための措置だろう。
本気で蛮行に及ぶ気はない筈だ。
そう、分かっているのに────手が震える。
嗚呼、もう消えちゃいたい……。
惨めで情けない気持ちが込み上げてきて、私はこの世界から逃げ出したくなった。
その瞬間────真後ろに四角い壁のようなものが現れる。
白く光るソレを前に呆然としていると、リディア、ニクス、リエート、レーヴェンの四人が飛び出してきた。
『な、なにこれ……?』と困惑する私は、不安や恐怖も忘れて硬直。
すると、不意にリディアと目が合った。
刹那────この場の空気が重くなる。
いや、それだけじゃない。肌に刺さるようなピリピリとした感覚が、全身を襲った。
えっ?何?どうなっているの?
ギュッと胸元を握り締めながら、私は思わず身を竦める。
先程とはまた違う、本能的な恐怖が体に走った。
ここから一歩でも動いたら、殺されてしまうような……そんな錯覚を覚える。
と同時に、気づく────リディアの顔から、笑顔が消えていることに。
いや、この状況で笑っている方がおかしいのだが、そういう事じゃなくて……。
至って真剣だけど、困惑の滲んだ表情……でも、時々抑え切れない激情が見え隠れする。
どことなく危うさを孕んだタンザナイトの瞳に、私はひたすら戸惑う。
リディアと付き合いの長いニクス達も、こういう彼女を見るのは初めてなのか固まっていた。
目を白黒させながら息を呑む私達の前で、リディアは不意に目を細める。
「あぁ、そうか。私────今、凄く怒っているんだわ」
独り言のようにそう呟いた瞬間、リディアはスッと無表情になる。
氷のような……冷たい雰囲気を漂わせて。
ビッ……クリした。一瞬────本物のリディアに戻ったのかと思った。
だって、そう勘違いするくらい似ていたから。
ゲームに出てきたリディアの立ち絵を思い出し、私はキュッと唇を引き結んだ。
────と、ここでリディアが襲ってきた男性へ目を向ける。
その瞬間、私は思い出したかのように息を吸い込んだ。
ヤバい……動揺し過ぎて、呼吸を忘れていた。
『ぜぇ……はぁ……』と全力疾走した後のように短い呼吸を繰り返し、私はそろそろと視線を上げる。
すると、強ばった表情のニクス達が目に入った。
「おい、あれ……止めた方がいいんじゃねぇーか?」
「いや、ダメだ」
「なんでだい?早く落ち着かせないと、魔力暴走を引き起こすかもしれないよ?」
ストップを掛けるニクスに、レーヴェンは『危険だ』と警告する。
今まで喜怒哀楽の怒だけ抜け落ちているんじゃないかと思うほど、怒ってこなかったリディアが初めて怒りを見せたため、危機感を抱いているのだろう。
『あの手のタイプは一度キレると、歯止めが効かない』と。
「だからこそ、ですよ」
「……それは一体、どういう意味だい?」
「リディアは今、ギリギリのところで平静を保っています。そこに我々が介入すれば、精神の均衡を崩しかねない……」
怪訝そうに眉を顰めるレーヴェンに、ニクスは自分なりの見解を述べた。
改めて接触不可を主張する彼の前で、リエートが頭を搔く。
「あー……確かに怒りを我慢している時に『大丈夫?』とか、『落ち着け』とか言われるとめっちゃムカつくもんなぁ。分かっているから黙っとけ、って感じ」
『今、何かすんのは逆効果かも』と零しながら、リエートは上着を脱いだ。
かと思えば、私の肩にそっと掛ける。
反射的に礼を言うと、彼は『頑張ったな』と言って頭を撫でてくれた。
それが堪らなく嬉しくて……安心する。
嗚呼、自分はもう大丈夫なのだと思って。
「ルーシー、今回の誘拐について分かっていることはあるか?とりあえず、俺のフリした人間がお前を攫ったことまでは判明しているんだが……」
私の隣に座り込み、リエートは優しく問い掛ける。
申し訳なさそうに眉尻を下げながら。
「肉体的にも精神的にも辛いところ、本当に悪い。でも、犯人を……黒幕を突き止めるためにも、知っていることがあれば話してほしい」
目の前に居る男性はただの実行犯で、主犯格じゃないと分かっているのか、リエートは情報提供を求めた。
『些細なことでも構わないから』と述べる彼の前で、私は一瞬言葉に詰まる。
恐怖のあまり、何も話せそうになかったから。
でも、ここで依頼者の男性を取り逃がせば神殿や学園はもちろん……私も困る。
またいつ襲われるかも分からない状況に陥るのだから。
私の予想通り、貴族が相手なら証拠隠滅する時間を与えてはいけない。
スピード解決が望ましい。
そのためには────今、勇気を振り絞らないと。
『後々困るのは自分なんだから』と言い聞かせ、震える唇を何とか動かす。
「これ、自作自演で……私と結婚するために仕組んだって……私を傷物にして、自分は英雄に……っ!」
とにかく情報を伝えようと必死になっていると、この場の空気が更に重くなった。
ビックリして顔を上げれば、実行犯の男性に近づいていくリディアが目に入る。
どことなく険しい顔つきで前を見据え、強く手を握り締めた。
「傷物……」
「いや、それはあくまでフリ……うぉ!?」
さすがに身の危険を感じた男性は、弁解するものの……いきなり飛んできた拳にギョッとする。
幸い、何とか避け切れたが……リディアの方はまだ余力がありそうだ。
つまり、さっきの一撃は全力じゃない。
えっ?リディアって、武闘派だったっけ?
どちらかと言うと、魔法で相手を一網打尽にするタイプじゃなかった?
などと考えている間にも、リディアは蹴りと拳を繰り出していく。
どんどん上がっていくスピードと威力に目を剥いていると、ついに男性の鳩尾に膝が食い込む。
いよいよ、リディアの攻撃を捌き切れなくなったようだ。
「まずは一発」
リディアは譫言のようにそう呟き、連続で拳を叩き込む。
おかげで、男性はKO寸前。
腹を抱え込んで蹲る彼を前に、リディアは見事な踵落としをお見舞いした。
そう言うが早いか、男性は勢いよく手を振り下ろした。
すると、パチンッと乾いた音が鳴り響く。
手加減したつもりなのか、殴打ではなく平手打ちだったので思ったよりダメージはなかった────が、痛いものは痛い。
親にすら打たれたことのない私にとっては、充分辛かった。
暴力を振るわれたショックと恐怖で、自然と涙が溢れるくらいには。
もう嫌だ……何でこんな目に遭うの。
ヒロインの器じゃないくせに、調子に乗ったから……?
モブはモブらしく、大人しくしておけば良かったの……?
乙女ゲームのヒロインみたいに愛されたいって、願っちゃダメだった……?
分不相応だった……?
ねぇ、誰が教えてよ……!
この理不尽な現実をなかなか受け入れられず、私は半ば自暴自棄になる。
『抵抗する』なんて選択肢……端から頭になくて、ひたすら暴力に耐えるしかなかった。
往復ビンタのせいで腫れ上がっているであろう頬と涙に濡れた瞳を想像しながら、私は少し咳き込む。
口の中に広がる鉄の味に、少しビックリしてしまったから。
『ついに血まで出ちゃったのか』とぼんやり考える中、ネクタイに手を掛けられる。
恐らく、襲われているように見せかけるための措置だろう。
本気で蛮行に及ぶ気はない筈だ。
そう、分かっているのに────手が震える。
嗚呼、もう消えちゃいたい……。
惨めで情けない気持ちが込み上げてきて、私はこの世界から逃げ出したくなった。
その瞬間────真後ろに四角い壁のようなものが現れる。
白く光るソレを前に呆然としていると、リディア、ニクス、リエート、レーヴェンの四人が飛び出してきた。
『な、なにこれ……?』と困惑する私は、不安や恐怖も忘れて硬直。
すると、不意にリディアと目が合った。
刹那────この場の空気が重くなる。
いや、それだけじゃない。肌に刺さるようなピリピリとした感覚が、全身を襲った。
えっ?何?どうなっているの?
ギュッと胸元を握り締めながら、私は思わず身を竦める。
先程とはまた違う、本能的な恐怖が体に走った。
ここから一歩でも動いたら、殺されてしまうような……そんな錯覚を覚える。
と同時に、気づく────リディアの顔から、笑顔が消えていることに。
いや、この状況で笑っている方がおかしいのだが、そういう事じゃなくて……。
至って真剣だけど、困惑の滲んだ表情……でも、時々抑え切れない激情が見え隠れする。
どことなく危うさを孕んだタンザナイトの瞳に、私はひたすら戸惑う。
リディアと付き合いの長いニクス達も、こういう彼女を見るのは初めてなのか固まっていた。
目を白黒させながら息を呑む私達の前で、リディアは不意に目を細める。
「あぁ、そうか。私────今、凄く怒っているんだわ」
独り言のようにそう呟いた瞬間、リディアはスッと無表情になる。
氷のような……冷たい雰囲気を漂わせて。
ビッ……クリした。一瞬────本物のリディアに戻ったのかと思った。
だって、そう勘違いするくらい似ていたから。
ゲームに出てきたリディアの立ち絵を思い出し、私はキュッと唇を引き結んだ。
────と、ここでリディアが襲ってきた男性へ目を向ける。
その瞬間、私は思い出したかのように息を吸い込んだ。
ヤバい……動揺し過ぎて、呼吸を忘れていた。
『ぜぇ……はぁ……』と全力疾走した後のように短い呼吸を繰り返し、私はそろそろと視線を上げる。
すると、強ばった表情のニクス達が目に入った。
「おい、あれ……止めた方がいいんじゃねぇーか?」
「いや、ダメだ」
「なんでだい?早く落ち着かせないと、魔力暴走を引き起こすかもしれないよ?」
ストップを掛けるニクスに、レーヴェンは『危険だ』と警告する。
今まで喜怒哀楽の怒だけ抜け落ちているんじゃないかと思うほど、怒ってこなかったリディアが初めて怒りを見せたため、危機感を抱いているのだろう。
『あの手のタイプは一度キレると、歯止めが効かない』と。
「だからこそ、ですよ」
「……それは一体、どういう意味だい?」
「リディアは今、ギリギリのところで平静を保っています。そこに我々が介入すれば、精神の均衡を崩しかねない……」
怪訝そうに眉を顰めるレーヴェンに、ニクスは自分なりの見解を述べた。
改めて接触不可を主張する彼の前で、リエートが頭を搔く。
「あー……確かに怒りを我慢している時に『大丈夫?』とか、『落ち着け』とか言われるとめっちゃムカつくもんなぁ。分かっているから黙っとけ、って感じ」
『今、何かすんのは逆効果かも』と零しながら、リエートは上着を脱いだ。
かと思えば、私の肩にそっと掛ける。
反射的に礼を言うと、彼は『頑張ったな』と言って頭を撫でてくれた。
それが堪らなく嬉しくて……安心する。
嗚呼、自分はもう大丈夫なのだと思って。
「ルーシー、今回の誘拐について分かっていることはあるか?とりあえず、俺のフリした人間がお前を攫ったことまでは判明しているんだが……」
私の隣に座り込み、リエートは優しく問い掛ける。
申し訳なさそうに眉尻を下げながら。
「肉体的にも精神的にも辛いところ、本当に悪い。でも、犯人を……黒幕を突き止めるためにも、知っていることがあれば話してほしい」
目の前に居る男性はただの実行犯で、主犯格じゃないと分かっているのか、リエートは情報提供を求めた。
『些細なことでも構わないから』と述べる彼の前で、私は一瞬言葉に詰まる。
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でも、ここで依頼者の男性を取り逃がせば神殿や学園はもちろん……私も困る。
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そのためには────今、勇気を振り絞らないと。
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とにかく情報を伝えようと必死になっていると、この場の空気が更に重くなった。
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「傷物……」
「いや、それはあくまでフリ……うぉ!?」
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幸い、何とか避け切れたが……リディアの方はまだ余力がありそうだ。
つまり、さっきの一撃は全力じゃない。
えっ?リディアって、武闘派だったっけ?
どちらかと言うと、魔法で相手を一網打尽にするタイプじゃなかった?
などと考えている間にも、リディアは蹴りと拳を繰り出していく。
どんどん上がっていくスピードと威力に目を剥いていると、ついに男性の鳩尾に膝が食い込む。
いよいよ、リディアの攻撃を捌き切れなくなったようだ。
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