お人好しの悪役令嬢は悪役になりきれない

あーもんど

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第三章

取り引き《リディア side》

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◇◆◇◆

 ────約十年前……まだ私が生きていた頃、漆黒を身に纏うあの人が急に現れた。
それも、寝る直前に。

「初めまして、リディア・ルース・グレンジャーだね?突然だけど、僕と────取り引きしないかい?」

 カラスのような仮面を被り、ベッドの端に腰掛ける彼は明らかに異様な雰囲気を放っている。

 この人、普通じゃない……!

 瞬時にそう判断した私は、侍女を呼ぶためのベルへ手を伸ばした。
が、瞬きの間に男性がそちらへ先回りしてしまい……ベルを取り上げる。
これでは、助けを呼べない。

 逃げる……?でも、あんなに俊敏に動ける人を撒くことなんて出来るのかしら?

 『こうなったら、大声を出すしか……』と思案する中、彼はベッドの脇にある椅子へ腰を下ろした。

「まあまあ、そんなに警戒しないでおくれ。僕は君に危害を加えるつもりなんて、ないよ?」

「……不法侵入者の言葉なんて、信じられませんわ」

「そう?なら、別にそれでもいいけど」

 『しっかりしたお嬢さんだな~』と呟きながら、男性は背もたれに身を預ける。
と同時に、両手を組んだ。

「まあ、それはそれとして……この取り引きはきっと君にとっても、有意義なものになると思うんだ。だから、まずは話だけでも聞いてほしい」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹にどことなく圧力を掛けてくる彼に、私は表情を強ばらせる。
じわりと手に滲む汗を一瞥し、唇に力を入れた。

 相手をあまり刺激しない方が、いいかもしれない……。
本気で怒らせたら、子供の私なんて一溜りもないだろうし……。

 などと考えながら、私は一つ息を吐く。

「……分かりました。でも、聞くだけですよ?」

「ああ、もちろん」

 『話の分かるお嬢さんで助かるよ』と言い、男性は足を組んだ。

「単刀直入に言うね。君の願いを何でも一つ叶える代わりに────ギフトを一つ分けてほしい」

「はい……?」

 あまりにも突拍子もない話に困惑してしまい、私は右へ左へ視線をさまよわせる。
『何を言っているの?この人は……』と戸惑っていると、彼はゆるりと口角を上げた。

「実はここ数日、君の様子を監視していたんだけど────君、周りに腫れ物扱いされているだろう?」

「……」

 嘘でも『そうじゃない』とは言えず……つい口を噤んでしまう。
『こんなの相手の思う壷でしょう……』と落胆する中、男性はトントンと指先で膝を叩いた。

「僕の言う“願い”には、復讐も含まれる。だから、この家を没落させることだって……」

「結構です。私は別に家族を苦しめたい訳じゃないので」

 聞くに絶えない提案を遮りキッパリ断ると、男性は驚いたように目を剥いた。

「家族のこと、恨んでないのかい?」

 『普通、こんな扱い納得いかないと思うけど』と不思議がる彼に、私は曖昧な笑みを浮かべる。

「訳も分からず冷遇されるのは、まあ……確かに不満ですけど、恨んではいません。私の場合、どちらかと言うと────愛されたい思いの方が強いですから」

 そっと胸元に手を添え、私はスッと目を細めた。
すると、男性は難しそうな顔つきでこちらを見つめる。

「ふむ……となると、精神感応系の魔法で家族を洗脳するしか……」

「いえ、そういうのも結構です。心から愛してくれないと、意味ないですし……虚しいだけです」

 『偽りの愛なんて要らない』とバッサリ切り捨てる私に、男性は一つ息を吐く。

「純粋な子供は無欲でやりづらいな」

 独り言のようにそう呟き、男性はやれやれとかぶりを振った。
かと思えば、少しばかり身を乗り出す。

「じゃあ、他に願いはないのかい?何でもいいから、言ってごらん」

 『ここには君と僕しか居ないしさ』と述べ、本心をさらけ出すよう促してきた。
が、これと言って願いはなく……私は首を横に振る。

「ありません」

「本当に?」

「はい」

「いやいや、これだけ辛い環境に置かれているんだから、一つくらいあるだろう」

 『君は現状に満足しているのか』と問い、男性は前のめりになった。
何がなんでも取り引きを進めたい様子の彼に、私は内心溜め息を零す。
『さっさと諦めればいいのに』と思いつつ、顎に手を当てて考え込んだ。

「そうですね……強いて言うなら────」

 そこで一度言葉を切ると、私は自身の手元に視線を落とす。

「────ここから、消えたい」

 自分でも驚くほど胸にストンと落ちる本心願いに、目を見開いた。

 ああ、そっか……私はずっと前から────消えたくて、しょうがなかったんだ。

 息をするのも億劫で仕方ないこの日常に、私は限界が来ていたことを悟る。
家族への愛情だけじゃ成り立たくなってきた生活を考え、半ば放心した。
泣きたいような……喚きたいような衝動に駆られる中、男性は居住まいを正す。

「それは死にたいってこと?」

「いいえ、違います」

 死んだら必ずその原因を調べることになるし、その結果自殺だと判明すれば家族は責任を感じるかもしれない。
少なくとも、お母様はショックを受ける筈……。
事故死も同様よ。『自分達がもっと気に掛けていたら』と思うだろうから。

 『殺人の場合はもっと厄介になるし……』と考えていると、男性が少しばかり頭を捻る。

「それじゃあ、家出?」

「そちらも不正解です」

 家出なんてすれば、間違いなく大騒動になるし……これまた、家族が責任を感じる筈。
何より、色んな人に迷惑を掛けてしまうわ。

 『かなり大規模な捜索になるだろうから』と思案しつつ、私はゆっくりとベッドを降りる。
そして、椅子に座る男性の前まで足を運んだ。

「私は周りに迷惑を掛けずに消えたいのです。可能でしょうか?」

 いつの間にか取り引きへ応じる姿勢を見せてしまった私に、男性はゆるりと口角を上げる。

「手段を選ばなければ、可能だよ」

「その手段というのは……?」

「それは取り引きの返事を聞いてから────と言いたいところだけど、さすがに可哀想か」

 『何も知らずに判断させるのは酷』と主張し、男性は小さく肩を竦めた。
かと思えば、私の額をツンッと人差し指で軽く押す。

「簡単に言うと、君の体に別の誰かを憑依させるんだよ」

「えっ……?」

「これなら、誰にも迷惑を掛けずに消えることが出来る。まあ、その代わり君は死んじゃうけど」

「それは大した問題じゃありません……!重要なのは私の体に憑依した方のことで……!」

 『その方に迷惑なんじゃないか』と心配する私に、男性はクスリと笑みを漏らした。

「憑依出来るのは死んだ者だけだから、問題ないよ。迷惑に思うことは有り得ないだろう。むしろ、君に感謝するんじゃないかな?意図せず、第二の人生……それも、公爵令嬢としての生活を手に入れる訳だから」

 『喜びこそすれ、憂うなんて……』と零し、男性はこちらの不安を取り除いた。
『それは……確かに』と納得する私の前で、彼は肘掛けに体重を載せる。

「それで────取り引きに応じてくれる気になったかい?」

「……対価は私のギフト、ですよね」

 決して安くない代償にたじろいでいると、男性は笑みを深めた。

「そうだよ。君からはとても強い神気を感じるから、多分ギフトを複数持っていると思う。それもかなり強力で優秀なものを、ね」

 じっとこちらを見つめ、男性は自身の顎にそっと触れた。

「出来れば、しっかり内容を確認して選びたいけど、まだ洗礼式を受けていないもんね。残念」

 ランダムになることを示唆しながら、男性はチラリとこちらの顔色を窺う。
と同時に、嘆息した。
どうやら、腹を決め兼ねている私に気づいたらしい。

「分かった。じゃあ、こうしようか。君からギフトを一つ貰う代わりに、僕は憑依に関する知識を与える。憑依方法も含めて、知っていること全部教えよう」

「!!」

 ハッとして顔を上げる私は、強く胸元を握り締める。

 それなら使うかどうか悩む時間が出来るし、たとえ使わずに終わったとしてもこちらに損害はない。
彼の言う通り、ギフト複数持ちなら一つ奪われても問題ないだろうから。
少なくとも、洗礼式で『ギフトを持っていない!もしや、悪魔か!?』と騒がれる心配はない筈。

 ゴクリと喉を鳴らし、私は表情を引き締めた。

「念のため、確認ですが……憑依は私単体でも出来るんですよね?」

 『貴方が居ないと使えないみたいな制約はないか』と尋ねると、男性はクスリと笑みを漏らす。

「抜かりないね、君は」

 半ば感心したようにそう呟き、彼はおもむろに席を立った。

「安心しなよ、ちゃんも君でも出来るから」

 『保証する』と言ってのける彼に、迷いはなく……ようやく、こちらも警戒心を緩める。

 正直、悪くない取り引きだと思う。
もちろん、その分リスクも大きいけど……でも、ずっとここで悶々とした暮らしを送るよりマシだわ。

 気づいてしまった自分の本音を……『消えたい』という願いを今更無視することは出来ず、覚悟を固めた。

「分かりました。そういうことでしたら、取り引きに応じます」

 ────と、宣言した二ヶ月後。
私は男性に教えてもらった方法で憑依と分離を果たし、天に昇った。
が、特殊な方法で死んだからか……それとも、一応肉体は生きているからか、何もない白い空間で待機する羽目に。
『さすがにちょっと退屈だわ』と思いつつ、私はひたすら地上を……自分の体に憑依した者の様子を眺めることしか、出来なかった。

 全く……何でよりにもよって、あんなポケ~ッとしている子が私の体に……。

 感受性豊かでよく笑う少女を見やり、私は一つ息を吐く。
でも、不思議と不満はなかった。
私のために泣いてくれたあの子が、とても眩しく見えたから。
ただ、心配なだけ。
『普通はあんな扱いを受けたら、ショックの筈』と思案する中、あの子は……アカリはどんどん周りを変えていった。
私には成し得なかった偉業をやり遂げだのだ、当たり前のように。

 何で……私の掴めなかった幸せを掴んでいるの?私だって、関係を改善しようとたくさん努力したのに……どうして?
あの子ばかり、ずるいわ。

 ────と、アカリを羨んで……妬んでいたのは最初だけで、直ぐに周囲の人々を羨むようになった。
だって、大好きな・・・・アカリと話して触れて関わっているから。
天へ昇ってしまった私では、絶対に出来ないことなのでとても羨ましく感じた。 
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