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第一章
第35話『弟』
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それから、ヘクターの手当てを終えたアンドレアは夕飯の買い出しがあるからと家を留守にしていた。つまり····この場には俺とウリエル、それからさっき知り合ったばかりのヘクターしか居ない訳だ。活発で明るいアンドレアはフレンドリーで根暗陰キャの俺でも接しやすかったが、弟のヘクターは·····。何も言わずに椅子の上で左足をプラプラさせるヘクターは何を考えているのか分からない。不思議なオーラを持つ彼は掴みどころがなくて····話し掛けるのを躊躇ってしまう。
何だろうな、この感じ····。別にヘクターは嫌な顔なんてしてないのに、何故か話し掛けづらい···。ただ単に俺が人見知りなだけかもしれないが、彼には人を寄せつけない独特なオーラがあった。
家の住人であるヘクターに挨拶をしなければと頭では分かっていても、なかなか行動に移すことが出来ない···。ヘタレか、俺は····。
『音羽がヘタレなのは元からですよ』
うるせぇ!!否定はしないが、そこは突っ込まないお約束だろうが!!
ご尤もな指摘だが、そこは指摘せずにスルーして欲しかった。ビアンカって、空気読めないよな···。もう少し場の空気を読めよ、デーモンエンジェル!
ブーブー文句を垂れる俺に、横に座るウリエルが腕をつんつんしてきた。
ん?なんだ····?
「オトハ、水飲み終わった」
「ん?あ、あぁ···そうか」
先程アンドレアに手渡された水を飲み切ったと律儀に報告してきたウリエルは空になったコップを俺に差し出してくる。それを受け取りながら、チラリと椅子に座るヘクターを盗み見た。色白の少年はこちらに興味が無いのか、窓から見える景色をぼんやり眺めている。
随分とマイペースな子だな。客人が側に居ても全く気にしていない。
とりあえず、コップをどこに持って行けばいいのか聞いてみるか。さすがに家主でもない俺には使い終わったコップの置き場所なんて分からないし。
「なあ、ヘクター。コップはどこに置けばいい?」
「····あれ?お兄さん、僕の名前知ってたんだ?」
「ああ。アンドレアが教えてくれた。そういえばヘクターにはまだちゃんと自己紹介してなかったな。俺は音羽。こっちはウリエル。今夜はお世話になる」
「僕はヘクター····って、もう知ってるんだっけ?あぁ、あとコップはそのままテーブルに置いておいて良いよ。後で兄さんがまとめて片付けてくれると思うから」
「そうか。分かった、ありがとう」
「どういたしまして」
意外と話しやすい子だな、ヘクターって。最初は話し掛けづらいと思っていたが、一度会話を交わしてしまえばそうでもない。兄のアンドレアと同じく、ヘクターも人見知りしないタイプの人間のようで会話が詰まることもなかったし。ただ俺達に興味が無いのか、会話は直ぐに終わってしまった。
念の為言っておくが、俺に『話を広げる』という会話術はない。何か用件がないと話かけられないし、話せたとしても相手のペースに合わせることしか出来ないので俺はよく『若林くんと話してもつまんない』と言われていた。相槌を打つのも下手くそで、聞き上手にもなれない俺はクラスメイトから嫌われてたなぁ···。
俺はお喋り大好きの女子生徒を脳裏に思い浮かべながら、コトンとテーブルの上にコップを置く。俺の分の水も飲み始めたウリエルを一瞥し、密かに深い溜め息をついた。
はぁ····コミュ力高い奴が心底羨ましいぜ。根暗陰キャの俺に初対面の子供を楽しませるような会話は出来ない。明るいムードメーカーであるアンドレアが居ないこの空間は酷く静かで····居心地が悪かった。まあ、他人の家だから居心地が悪いのは当たり前だが···。アンドレア、早く帰って来ないかなぁ···。それでこの何とも言えない空気を変えて欲しい。
そう切に願う俺の耳に抑揚のない声が響く。
「───────ねぇ、音羽お兄さん。暇なら、僕の昔話を聞いてよ」
昔話····?ヘクターの···?
何の前触れもなく、自ら俺に話しかけて来たヘクターはゆるりと口角を上げ、俺を会話に誘った。何の感情も窺えない海色の瞳は静かで····静寂を誘う夜の海を思わせる。ヘクターが一体どういう気持ちで俺との会話を望んだのかは分からないが····何故だか聞いてやらなきゃいけない気がした。
本当ウリエルと言い、ヘクターと言い····こっちの世界の子供は不思議な奴が多いな。まあ、嫌いじゃないが。
「····暇潰しには丁度良いかもな。聞かせてくれ」
「ははっ!そう来なくっちゃね!」
窓から差し込む陽の光をバックにヘクターは愉快げに笑みを浮かべる。白い煙みたいにふわふわとしている少年は宝石のように美しい海色の瞳を僅かに細めた。
「むかーしむかし、あるところに仲のいい兄弟が居ました。兄の職業は鍛冶師、弟の職業は“剣士”のどこにでも居る普通の兄弟です。職業が剣士の弟は『将来騎士になりたい』と語り、鍛冶師の兄は『じゃあ、俺がお前の剣を作ってやる』と得意げに宣言しました。鍛冶師の兄と剣士の弟は互いの職業に誇りを持ち、互いに必ず夢を叶えようと約束します。ですが、ある日───────弟の夢は骨折という形で潰えることになりました」
ヘクターはそこで言葉を切ると、笑みを一層深めた。その笑み自体は子供らしい無邪気な笑みなのに···何故だか無理して笑っているようにしか見えない。見えない涙がヘクターの頬を濡らしているように感じた。
なんて表情するんだよ、こいつ···。
「骨折の原因は木登りでした。木登りが得意な兄に促されるまま弟は木を登り····手を滑らせ、落下。その結果骨折してしまったのです。そのせいで普段の生活もろくにこなせなくなった弟は当然騎士の夢を諦めるしかありませんでした。夢を奪われた悲しみと二度と動かない右足を憎み、弟は───────その悲しみと憎しみを全て兄にぶつけました。『お前が木に登れって言ってきたのが悪い』『お前のせいで夢を奪われた』と喚き散らし、弟は兄に辛く当たります。元々弟の怪我に責任を感じていた兄は弟の言葉に深く傷つき、責任を感じるようになりました。そして、兄は『俺はどうすればいい?』『どうやって罪を償えばいい?』と弟に問います。悲しみと憎しみでいっぱいだった弟はちょっと腹いせ····いや、ちょっとした意地悪のつもりで────────『じゃあ、僕の代わりに僕の夢を叶えて』と鍛冶師の兄に強請りました。それから兄は日々訓練に励み、弟の夢を叶えるために今日もまた剣を振るっています。おしまい」
そっと目を伏せたヘクターは悲しそうに笑みを零す。悲しみの海に溺れた青眼は深い青を宿しており、迷子のように視線をさ迷わさていた。
鍛冶師のアンドレアが剣を振るう理由は弟の夢を代わりに叶えるため····。責任感が人一倍強いアンドレアなら、有り得なくもない話だ。本来の夢である鍛冶師を放っぽり出してまで弟の夢を代わりに叶えようとする姿勢は立派だ。だけど、そんな悲しい自己犠牲で救われる奴なんて誰も居ないっ····!!あいつは無駄に頑固で頭が硬そうだから誰かが諭し、導かないと一生あのままだ。
眉間に皺を寄せる俺にヘクターはクスリと笑みを漏らした。無理して笑う煙みたいな少年に俺は奥歯を噛み締める。
アンドレアもかなりの馬鹿だが、弟のヘクターも大概だ···!!さすがは兄弟と言うべきか、こいつらは兄弟揃って馬鹿すぎる。
──────────ヘクターが何故俺にその事を話したのか。何故、ずっと笑っているのか。
その答えは·····。
「ヘクター、言っておくが俺はお前を──────責めないぞ」
「っ····!?」
ハッと息を呑んで固める色白の少年に、俺は『はぁ···』と深い溜め息を零した。
やっぱり、こいつもアンドレアと同じで馬鹿だな。んで、不器用すぎる。何をどうしたら、そうなるんだよ····色々拗らせ過ぎだ。
何だろうな、この感じ····。別にヘクターは嫌な顔なんてしてないのに、何故か話し掛けづらい···。ただ単に俺が人見知りなだけかもしれないが、彼には人を寄せつけない独特なオーラがあった。
家の住人であるヘクターに挨拶をしなければと頭では分かっていても、なかなか行動に移すことが出来ない···。ヘタレか、俺は····。
『音羽がヘタレなのは元からですよ』
うるせぇ!!否定はしないが、そこは突っ込まないお約束だろうが!!
ご尤もな指摘だが、そこは指摘せずにスルーして欲しかった。ビアンカって、空気読めないよな···。もう少し場の空気を読めよ、デーモンエンジェル!
ブーブー文句を垂れる俺に、横に座るウリエルが腕をつんつんしてきた。
ん?なんだ····?
「オトハ、水飲み終わった」
「ん?あ、あぁ···そうか」
先程アンドレアに手渡された水を飲み切ったと律儀に報告してきたウリエルは空になったコップを俺に差し出してくる。それを受け取りながら、チラリと椅子に座るヘクターを盗み見た。色白の少年はこちらに興味が無いのか、窓から見える景色をぼんやり眺めている。
随分とマイペースな子だな。客人が側に居ても全く気にしていない。
とりあえず、コップをどこに持って行けばいいのか聞いてみるか。さすがに家主でもない俺には使い終わったコップの置き場所なんて分からないし。
「なあ、ヘクター。コップはどこに置けばいい?」
「····あれ?お兄さん、僕の名前知ってたんだ?」
「ああ。アンドレアが教えてくれた。そういえばヘクターにはまだちゃんと自己紹介してなかったな。俺は音羽。こっちはウリエル。今夜はお世話になる」
「僕はヘクター····って、もう知ってるんだっけ?あぁ、あとコップはそのままテーブルに置いておいて良いよ。後で兄さんがまとめて片付けてくれると思うから」
「そうか。分かった、ありがとう」
「どういたしまして」
意外と話しやすい子だな、ヘクターって。最初は話し掛けづらいと思っていたが、一度会話を交わしてしまえばそうでもない。兄のアンドレアと同じく、ヘクターも人見知りしないタイプの人間のようで会話が詰まることもなかったし。ただ俺達に興味が無いのか、会話は直ぐに終わってしまった。
念の為言っておくが、俺に『話を広げる』という会話術はない。何か用件がないと話かけられないし、話せたとしても相手のペースに合わせることしか出来ないので俺はよく『若林くんと話してもつまんない』と言われていた。相槌を打つのも下手くそで、聞き上手にもなれない俺はクラスメイトから嫌われてたなぁ···。
俺はお喋り大好きの女子生徒を脳裏に思い浮かべながら、コトンとテーブルの上にコップを置く。俺の分の水も飲み始めたウリエルを一瞥し、密かに深い溜め息をついた。
はぁ····コミュ力高い奴が心底羨ましいぜ。根暗陰キャの俺に初対面の子供を楽しませるような会話は出来ない。明るいムードメーカーであるアンドレアが居ないこの空間は酷く静かで····居心地が悪かった。まあ、他人の家だから居心地が悪いのは当たり前だが···。アンドレア、早く帰って来ないかなぁ···。それでこの何とも言えない空気を変えて欲しい。
そう切に願う俺の耳に抑揚のない声が響く。
「───────ねぇ、音羽お兄さん。暇なら、僕の昔話を聞いてよ」
昔話····?ヘクターの···?
何の前触れもなく、自ら俺に話しかけて来たヘクターはゆるりと口角を上げ、俺を会話に誘った。何の感情も窺えない海色の瞳は静かで····静寂を誘う夜の海を思わせる。ヘクターが一体どういう気持ちで俺との会話を望んだのかは分からないが····何故だか聞いてやらなきゃいけない気がした。
本当ウリエルと言い、ヘクターと言い····こっちの世界の子供は不思議な奴が多いな。まあ、嫌いじゃないが。
「····暇潰しには丁度良いかもな。聞かせてくれ」
「ははっ!そう来なくっちゃね!」
窓から差し込む陽の光をバックにヘクターは愉快げに笑みを浮かべる。白い煙みたいにふわふわとしている少年は宝石のように美しい海色の瞳を僅かに細めた。
「むかーしむかし、あるところに仲のいい兄弟が居ました。兄の職業は鍛冶師、弟の職業は“剣士”のどこにでも居る普通の兄弟です。職業が剣士の弟は『将来騎士になりたい』と語り、鍛冶師の兄は『じゃあ、俺がお前の剣を作ってやる』と得意げに宣言しました。鍛冶師の兄と剣士の弟は互いの職業に誇りを持ち、互いに必ず夢を叶えようと約束します。ですが、ある日───────弟の夢は骨折という形で潰えることになりました」
ヘクターはそこで言葉を切ると、笑みを一層深めた。その笑み自体は子供らしい無邪気な笑みなのに···何故だか無理して笑っているようにしか見えない。見えない涙がヘクターの頬を濡らしているように感じた。
なんて表情するんだよ、こいつ···。
「骨折の原因は木登りでした。木登りが得意な兄に促されるまま弟は木を登り····手を滑らせ、落下。その結果骨折してしまったのです。そのせいで普段の生活もろくにこなせなくなった弟は当然騎士の夢を諦めるしかありませんでした。夢を奪われた悲しみと二度と動かない右足を憎み、弟は───────その悲しみと憎しみを全て兄にぶつけました。『お前が木に登れって言ってきたのが悪い』『お前のせいで夢を奪われた』と喚き散らし、弟は兄に辛く当たります。元々弟の怪我に責任を感じていた兄は弟の言葉に深く傷つき、責任を感じるようになりました。そして、兄は『俺はどうすればいい?』『どうやって罪を償えばいい?』と弟に問います。悲しみと憎しみでいっぱいだった弟はちょっと腹いせ····いや、ちょっとした意地悪のつもりで────────『じゃあ、僕の代わりに僕の夢を叶えて』と鍛冶師の兄に強請りました。それから兄は日々訓練に励み、弟の夢を叶えるために今日もまた剣を振るっています。おしまい」
そっと目を伏せたヘクターは悲しそうに笑みを零す。悲しみの海に溺れた青眼は深い青を宿しており、迷子のように視線をさ迷わさていた。
鍛冶師のアンドレアが剣を振るう理由は弟の夢を代わりに叶えるため····。責任感が人一倍強いアンドレアなら、有り得なくもない話だ。本来の夢である鍛冶師を放っぽり出してまで弟の夢を代わりに叶えようとする姿勢は立派だ。だけど、そんな悲しい自己犠牲で救われる奴なんて誰も居ないっ····!!あいつは無駄に頑固で頭が硬そうだから誰かが諭し、導かないと一生あのままだ。
眉間に皺を寄せる俺にヘクターはクスリと笑みを漏らした。無理して笑う煙みたいな少年に俺は奥歯を噛み締める。
アンドレアもかなりの馬鹿だが、弟のヘクターも大概だ···!!さすがは兄弟と言うべきか、こいつらは兄弟揃って馬鹿すぎる。
──────────ヘクターが何故俺にその事を話したのか。何故、ずっと笑っているのか。
その答えは·····。
「ヘクター、言っておくが俺はお前を──────責めないぞ」
「っ····!?」
ハッと息を呑んで固める色白の少年に、俺は『はぁ···』と深い溜め息を零した。
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