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第一章 義士
小原田騒動(1)
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安達太良からの下ろし風に雪が交じる頃になると、二本松城下は年末の慌ただしさで活気づく。領内各地から年貢が収められる時期でもあり、二之町にある土蔵には領内各地からの米俵が積み上げられていた。藩士にとってもまとめて扶持米が支給される時期であり、どことなく心が浮き立つ。
組の者らと交わらねばと思いつつ、普段は皆それぞれに役割がある。養泉の葬儀には組の者らも参列していたが、他の者たちは多忙の時期に差し掛かっており、まだ鳴海自身が彼らと交わりを持つ機会は未だ作れないでいた。
そのような折、御広間から落ノ間にいる鳴海を呼びに来たのは、笠間市之進である。五番組の一員で、年は鳴海より六歳年長、現在は糠沢組の代官を務めている。普段は本宮の北町にある代官所に詰めているはずだが、糠沢組分の年貢の運搬と報告を兼ねて、この日は二本松に戻ってきているらしかった。
「鳴海殿。少しご相談が」
「私に?」
鳴海は戸惑った。武官である鳴海が行政に携わる場面は、殆どないからである。しばし逡巡した後、なぜか番頭の間ではなく落ノ間に居座っていた与兵衛の顔に視線を投げかけた。与兵衛が肯いてみせる。向後の事を考えて、組下の者と交わっておけということだろう。
「遠慮なく申せ」
鳴海の返答に、市之進はほっとした様子で膝を近づけてきた。同じ代官として郡山組の代官である錦見丈左衛門と、大槻組代官である戸城伝左衛門から相談を持ちかけられたというのである。
彼らによると、郡山でも年貢の納入が行われたが、その際に、名主らから助郷減免の申出が行われた。十月に仙台侯の奥方の下向があったばかりだが、奥州街道を通るのは何も仙台藩ばかりではない。秋田の佐竹藩や盛岡南部藩、庄内藩などの大藩も本宮や郡山、そして二本松の宿場を利用しながら国元へ帰る。各宿駅では、旅行者が楽に移動できるように、次の宿駅までの荷物運搬のための人馬を用意するように定められていた。その際、宿駅の街の人員だけでは到底人手が足りず、近隣の農村へ助っ人を頼むよう定められている。いわゆる助郷や寄人馬については、十月の御前会議でも取り上げられていたと、今更ながら鳴海は思い出した。
あの時問題になったのは本宮宿だが、郡山宿もまた、殷賑の宿場町である。そちらへも郡山組の領内の村々に対して助郷の負担が課せられているのだが、近年は参勤交代だけでなく、幕府の要請に従って江戸近郊や蝦夷地の海防のための人員を出す藩も多い。そのための行列の往来があり、街道筋から離れた村々の助郷の負担も、ますます重くなっているのだった。
「――で、農民らは年貢を収めにきたついでに、その不満を弾けさせたわけか」
鳴海の言葉に、市之進が肯いた。
「何でも郡山や大槻の名主らは、代官を素通りして幕府の道中奉行に対し、連名で助郷の減免を越訴したそうです」
それは、穏やかでない。行政に詳しくない鳴海にも、わかった。宿場町の管理を行っているのは二本松藩の人間だが、道中奉行は幕府の人間である。万が一寄人馬に不備があれば、二本松藩が幕府から叱責を受けるのだった。さらに大槻組の村々には、鱗藩である白河藩領である須賀川や小田川宿への助郷である、大助郷の要請が来ているとのことだった。大槻から須賀川宿までは三里半、白河の入り口である小田川宿までは八里近くもある。それらの遠方の地への助郷となれば、払暁の荷継である未明詰や前夜に集合して荷継をする夕詰のために、留守をしなければならないのだった。ただでさえ農繁期の忙しい時期に助郷要請があったのでは、農民たちから不満が出るのも無理はなかった。
「錦見や戸城はどうすると?」
「もう一度、名主らを説得すると申されております。ただ、郡山組と大槻組の名主らを合わせると、結構な人数になりましょう。そのため、できればこちらでも腕の立つ者共を揃えて話し合いを行いたいのというのが、錦見殿らの御意見です」
鳴海は腕を組み、市之進の言葉について考え込んだ。鳴海の記憶違いでなければ、郡山と大槻の名主の人数を合わせれば、その数は〆て二十八人。たとえ農民の代表であっても、相手は皆苗字帯刀御免の者らであり、中には腕に覚えがある者もいるかもしれない。これだけの人数が集うとなると、確かに厄介である。錦見らは万が一事が刃傷沙汰に及ぶのを恐れて、腕が立つ者らに控えていてほしいに違いなかった。
「糠沢組の年貢関連の仕事は、もう全て終わったのか?」
「はい。うちの組の分は恙無く済みました」
市之進が澄ました顔で答えた。
「それならば、お主が郡山に行っても問題ないな」
鳴海の言葉に、市之進が微かに笑った。
「久々に、剣の腕を振るえるかもしれませんな」
その言葉に、鳴海も笑い返す。今でこそ代官を務めているが、この男は、わざわざ米沢藩に招かれて剣術指南をしてきた経歴の持ち主でもあった。何でも聞くところによると、よほど米沢藩に感心されたものか、上杉鷹山が所有していた大小を白鞘に納めて贈られたという話である。
「お主は、詰番になっても性分は変わらぬと見えるな」
耳を側立てていた与兵衛が、じろりと鳴海を睨みつけた。
「少しは己の立場を考えよ」
その言葉に、鳴海は頭を下げた。与兵衛の言わんとするところも、わからなくはない。だが鳴海自身も、このところ鬱屈が溜まっているのは、確かだった。彦十郎家の嫡跡継ぎとして周囲から認められるようになってからというものの、気の進まない僉議にも出席し、学ぶことも多い。だが、本来の番頭の職務である武官としての仕事は、一向に巡ってこないのである。
二本松藩は総じて尚武の気風が強いが、五番組も例外ではなかった。脳裏に、腕に覚えのある五番組の面々を思い浮かべる。同行させるとすれば、やはり剣術の得意な大島成渡や、居合師範の免状を持つ遊佐孫九郎辺りが、郡山に連れて行くには適任か。
「市之進。錦見や戸城に承知したと伝えよ。それから、成渡や孫九郎もこちらへ参るように伝えてほしい」
「承知」
組の頭らしく振る舞えただろうかと内心訝しみながら、鳴海は命令を下した。どうやら市之進は、さほど鳴海を嫌がっていないようである。人に頼られるというのは、決して悪い気はしない。
やれやれと、側で与兵衛が首を振っているのが視界に入った。
「まあ、確かに代官の仕事を見てくるのも悪くはないだろう。だが、郡山とはな」
その言葉には、何か含むものが感じられた。
「与兵衛様、郡山に何か問題でも?」
鳴海の言葉に、与兵衛は苦笑してみせただけだった。
組の者らと交わらねばと思いつつ、普段は皆それぞれに役割がある。養泉の葬儀には組の者らも参列していたが、他の者たちは多忙の時期に差し掛かっており、まだ鳴海自身が彼らと交わりを持つ機会は未だ作れないでいた。
そのような折、御広間から落ノ間にいる鳴海を呼びに来たのは、笠間市之進である。五番組の一員で、年は鳴海より六歳年長、現在は糠沢組の代官を務めている。普段は本宮の北町にある代官所に詰めているはずだが、糠沢組分の年貢の運搬と報告を兼ねて、この日は二本松に戻ってきているらしかった。
「鳴海殿。少しご相談が」
「私に?」
鳴海は戸惑った。武官である鳴海が行政に携わる場面は、殆どないからである。しばし逡巡した後、なぜか番頭の間ではなく落ノ間に居座っていた与兵衛の顔に視線を投げかけた。与兵衛が肯いてみせる。向後の事を考えて、組下の者と交わっておけということだろう。
「遠慮なく申せ」
鳴海の返答に、市之進はほっとした様子で膝を近づけてきた。同じ代官として郡山組の代官である錦見丈左衛門と、大槻組代官である戸城伝左衛門から相談を持ちかけられたというのである。
彼らによると、郡山でも年貢の納入が行われたが、その際に、名主らから助郷減免の申出が行われた。十月に仙台侯の奥方の下向があったばかりだが、奥州街道を通るのは何も仙台藩ばかりではない。秋田の佐竹藩や盛岡南部藩、庄内藩などの大藩も本宮や郡山、そして二本松の宿場を利用しながら国元へ帰る。各宿駅では、旅行者が楽に移動できるように、次の宿駅までの荷物運搬のための人馬を用意するように定められていた。その際、宿駅の街の人員だけでは到底人手が足りず、近隣の農村へ助っ人を頼むよう定められている。いわゆる助郷や寄人馬については、十月の御前会議でも取り上げられていたと、今更ながら鳴海は思い出した。
あの時問題になったのは本宮宿だが、郡山宿もまた、殷賑の宿場町である。そちらへも郡山組の領内の村々に対して助郷の負担が課せられているのだが、近年は参勤交代だけでなく、幕府の要請に従って江戸近郊や蝦夷地の海防のための人員を出す藩も多い。そのための行列の往来があり、街道筋から離れた村々の助郷の負担も、ますます重くなっているのだった。
「――で、農民らは年貢を収めにきたついでに、その不満を弾けさせたわけか」
鳴海の言葉に、市之進が肯いた。
「何でも郡山や大槻の名主らは、代官を素通りして幕府の道中奉行に対し、連名で助郷の減免を越訴したそうです」
それは、穏やかでない。行政に詳しくない鳴海にも、わかった。宿場町の管理を行っているのは二本松藩の人間だが、道中奉行は幕府の人間である。万が一寄人馬に不備があれば、二本松藩が幕府から叱責を受けるのだった。さらに大槻組の村々には、鱗藩である白河藩領である須賀川や小田川宿への助郷である、大助郷の要請が来ているとのことだった。大槻から須賀川宿までは三里半、白河の入り口である小田川宿までは八里近くもある。それらの遠方の地への助郷となれば、払暁の荷継である未明詰や前夜に集合して荷継をする夕詰のために、留守をしなければならないのだった。ただでさえ農繁期の忙しい時期に助郷要請があったのでは、農民たちから不満が出るのも無理はなかった。
「錦見や戸城はどうすると?」
「もう一度、名主らを説得すると申されております。ただ、郡山組と大槻組の名主らを合わせると、結構な人数になりましょう。そのため、できればこちらでも腕の立つ者共を揃えて話し合いを行いたいのというのが、錦見殿らの御意見です」
鳴海は腕を組み、市之進の言葉について考え込んだ。鳴海の記憶違いでなければ、郡山と大槻の名主の人数を合わせれば、その数は〆て二十八人。たとえ農民の代表であっても、相手は皆苗字帯刀御免の者らであり、中には腕に覚えがある者もいるかもしれない。これだけの人数が集うとなると、確かに厄介である。錦見らは万が一事が刃傷沙汰に及ぶのを恐れて、腕が立つ者らに控えていてほしいに違いなかった。
「糠沢組の年貢関連の仕事は、もう全て終わったのか?」
「はい。うちの組の分は恙無く済みました」
市之進が澄ました顔で答えた。
「それならば、お主が郡山に行っても問題ないな」
鳴海の言葉に、市之進が微かに笑った。
「久々に、剣の腕を振るえるかもしれませんな」
その言葉に、鳴海も笑い返す。今でこそ代官を務めているが、この男は、わざわざ米沢藩に招かれて剣術指南をしてきた経歴の持ち主でもあった。何でも聞くところによると、よほど米沢藩に感心されたものか、上杉鷹山が所有していた大小を白鞘に納めて贈られたという話である。
「お主は、詰番になっても性分は変わらぬと見えるな」
耳を側立てていた与兵衛が、じろりと鳴海を睨みつけた。
「少しは己の立場を考えよ」
その言葉に、鳴海は頭を下げた。与兵衛の言わんとするところも、わからなくはない。だが鳴海自身も、このところ鬱屈が溜まっているのは、確かだった。彦十郎家の嫡跡継ぎとして周囲から認められるようになってからというものの、気の進まない僉議にも出席し、学ぶことも多い。だが、本来の番頭の職務である武官としての仕事は、一向に巡ってこないのである。
二本松藩は総じて尚武の気風が強いが、五番組も例外ではなかった。脳裏に、腕に覚えのある五番組の面々を思い浮かべる。同行させるとすれば、やはり剣術の得意な大島成渡や、居合師範の免状を持つ遊佐孫九郎辺りが、郡山に連れて行くには適任か。
「市之進。錦見や戸城に承知したと伝えよ。それから、成渡や孫九郎もこちらへ参るように伝えてほしい」
「承知」
組の頭らしく振る舞えただろうかと内心訝しみながら、鳴海は命令を下した。どうやら市之進は、さほど鳴海を嫌がっていないようである。人に頼られるというのは、決して悪い気はしない。
やれやれと、側で与兵衛が首を振っているのが視界に入った。
「まあ、確かに代官の仕事を見てくるのも悪くはないだろう。だが、郡山とはな」
その言葉には、何か含むものが感じられた。
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