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しおりを挟む夜中、脱出を決行する。木登りは今でもするから二階の高さから降りるくらいわけなかった。難なく降りたルイーズは庭へ向かう。郊外へ出る抜け道があるのを知っていた。本当は馬でも拝借したい所だが、世話できずに売って、そこから足がつくのは避けたかったし、何よりルイーズの矜持が許さなかった。部屋にある宝石にも手を付けなかった。
月の無い夜で抜け道を探すのに苦労したが、何とか外に出る。敷地の外に出て、まずは一安心。これから街に降りて、住むところと仕事、両方を探さなければ。ルイーズは夜道をひたすら歩いた。
侯爵であるから、もちろん領地がある。ルイーズも普段は領地で生活しているが、今は婚約者選びの為に王都にある屋敷に滞在していた。屋敷は郊外にあり、街にたどり着いた頃には、昼に近い時間帯になっていた。半日近く歩いたことになる。
普通の貴族の娘であったなら、まず半日も歩けず挫折しただろう。だが普段から馬に乗り、猟銃で狩りをしてきたルイーズには、へっちゃらだった。領地の森に入り浸って、何日も帰らず父にこってり絞られたこともザラにあった。
街には、ルイーズは余り馴染みが無かった。ならず者がいるからと、行かせてもくれなかった。
かといって全く無知でもない。普段から雑誌を読んで、大体の街並みは把握していた。
例えば、今ルイーズがいるのはトゥールーズ通り。街の中心にあるコーリーン広場からいくつか放射線状に伸びた道の一つで、その通りを突き進むと最終的に王宮に行き当たる。王宮へ上がる時は、いつもこの道を馬車で通った。
貴族もよく通る道ではあるから、本来ならばルイーズはここへは来るべきではない。
危険を犯して寄ったのは、ある目的のため。
看板を頼りに通りを歩く。見つけて、中に入る。狭い店内の中に所狭しと置かれているのは、すべてかつらだ。金銀黒のさまざまな色のかつらは、全て一級品だ。雑誌でも何度かこの店が取り上げられていたし、王宮でも密かに評判を耳にしていた。
店員は一人だった。細身の妙齢の女性で、値踏みするようにルイーズを上から下まできっちり観察していた。
「お嬢様、帽子屋は隣ですよ」
間違えて入ってきたと思われたらしい。ルイーズは首を横に振った。
「いいえ。こちらに用があって来ました」
「ご用件は」
「髪を売りに来ました」
女性は少し戸惑うように目を泳がせる。
「髪を…?間違いないですか?」
「ええもちろん」
「本当によろしいので?」
何故こうも確かめるのだろう。ルイーズは頷いてから、もしかしてと聞いてみる。
「もしかして、売り物になりませんか?」
「まさか。とても見事な黒髪です」
「ではなぜそんなに驚いてるんですか?お金に困れば誰だって売りますでしょ?」
「髪を売りに来るのは平民です。お嬢様のような貴族のなされることではありませんよ」
ルイーズは面くらった。自分ではどう見ても平民の格好をしているつもりだったのだが、こうも早く見破られるとは思っても見なかった。
「髪を切って後で問題にされても困りますし…他を当たってください」
「ま、待ってください!私、貴族の娘に見えますか?こんな服を着てるのに?」
「皺がついていますけど、新品の服ですよね。肩と袖の長さで、貴女用に誂えた物だと分かりますし、その花柄のパンプス、黒の地味なものを選んだかもしれませんがオーギュストブランドの物です。そんなもの平民は履きませんよ」
丁寧な指摘に、ルイーズはまたしても衝撃を受ける。平民は身の丈に合わせて服を作るものだと思っていたし、どこにでもある靴が高級なものだとも知らなかった。己の無知を恥じる。
それに、と女性はまだ続ける。
「一番はやはり佇まいでしょうか」
「た…たずまい…?」
「気品がおありです。もしかして貴女は…王族の方だったりして」
向こうは冗談のつもりで言ったのかもしれないが、指摘の鋭さにルイーズは内心震えた。婚約者にもなっていないのだから、王族ではないのだが。
しかし初めに入ったのがこのお店で良かった。これで新たな対策を練られる。
ルイーズは声を潜めて言う。
「実は、貴族なのです」
告白に女性はそうだろうと頷く。
「止むに止まれぬ事情があり、髪を売りたいのです。決してそちらにご迷惑はかけませんから、お願いします」
女性は困ったように首を傾けたが、最後にはこちらへ、と店の奥へ案内してくれた。
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