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それから
しおりを挟むハンナが回復するまでの一ヶ月、マティアスは顔を見せなかった。エリシアはハンナに付きっきりで看病した。喉を切られていたから、中々声を出せなかったが、少しずつ喋れるようになっていった。かすれ声だったが、十分だった。最近はベットから降りて、エリシアと一緒に本を読むのが日課となっていた。
そんな二人の元にマティアスが突然訪れた。長椅子に、エリシアの隣で座っていたハンナは立ち上がった。それをマティアスが制する。
「座れ」
「そういうわけには」
「何度も言わせるな」
ハンナはためらった。本来なら使用人が同じ目線で座ることは許されない。しかし屋敷の主直々の命令であれば従わざるを得ない。結局ゆっくり、居心地悪そうに座った。マティアスは大して気にした風でもなく対面の椅子に座った。
「この前の襲撃者の件だ。ただの盗賊かと思ったが、にしては装備が良すぎた。雇われた盗賊と考えるのが妥当だろう」
「雇われた…?」
「初めから二人を殺すために、待ち伏せしていた」
マティアスはハンナを見た。鋭い眼差しにハンナは圧倒された。
「ツングに行くと話した者の名を言え」
「酒場のマスター…」
「他には」
「いえ…」
マティアスは足を組んで考える素振りをした。エリシアは口を開いた。
「マスターはそんな人じゃありません」
「オットー・バラハムの素性は知っている。あの男は雇い主ではない。そもそも何故ツングに逃げようとした。あそこはまだ治安が悪い」
エリシアとハンナは顔を見合わせた。口を開こうとしたハンナが上手く喋れず咳き込む。エリシアが背中を擦って代わりに答えた。
「地図と手形を買ったそうです。そこは敗戦国ですから、手形の買収がしやすいと、教えてもらったそうです」
「売った輩は何者だ?」
「ツングの商人だとか…詳しくはハンナも知らないみたいです」
「酒場に出入りしていたなら、そこから探せるだろう。後はこちらで調べておく。失礼した。引き続き静養するように」
「ま、待って…!」
サッと部屋を出ていこうとするマティアスを呼び止める。エリシアは前に回り込むと、頭を下げた。
「助けていただいて感謝しております」
「…必要ない。上手く事を運べなかったこちらの落ち度だ」
「どうして…あんな回りくどいことをなさったのですか…?変装までなさって…あんな高価な贈り物まで…」
「ソルから聞いているだろう」
「逃亡資金だとか…でも、それなら、どうして…け、結婚して欲しいだなんて…」
「毛嫌いしている奴から求婚されたら逃げたくなるだろ」
マティアスは腕を組んだ。
「私は伯爵だ。表立って逃げてくれとは言えなかった。だからそう仕向けた。本当は東方のブランチェスカに行って欲しかった。あそこなら同じ職業の者で溢れている。あれだけ踊れるなら十分生きていけると思った。貴女が街を離れたら、ロマ族がそちらに手引きする手筈になっていた。まさか馬に乗って街を出るとは思わず、彼らは間に合わなかった」
「そう、だったんですか…」
「何にしてもハンナの傷を治さない事には、ここを離れられない。不便があればソルに言いなさい。必ず国外に脱出させる。しばらく待ってくれ」
マティアスは今度こそ部屋を出ていった。
エリシアはハンナの隣に座った。読みかけの本に目を通して、呟いた。
「ねぇ…どう思う?」
「マティアス様のことですか?」
「アンナのこと」
ハンナの顔が曇った。実の双子の妹が裏切っていたなど考えたくないのだろう。
「今思えばですが…食事や薪の受け取りはアンナが率先して行ってました。私が受け取りに行くと普通に貰えるのに、アンナが取りに行くと貰えなかったと言うのは何度もありました」
「お父さまは、本当に私に死んでほしかったのね」
「…お嬢さま」
「ハンナ…ソルはね、とても優しいの。何も言ってないのに、私が好きな食べ物や服を用意してくれるの。青い花やこの本もそう。他の使用人達もそう。こんなに良くしてくれたの、初めて」
「マティアス様のご配慮でしょう」
「本来なら妻の仕事よ」
「でも…エリシア様は…」
「分かってる。そう言うんじゃないの。あの人には肉親がいないから全て一人でするしかない。政務でお忙しいだろうに私にまで気にかけて…申し訳ないわ」
妻だと言い張るつもりなど毛頭ない。仮初めの妻だとしてもせめて邪魔にならないようにしなければ。
「怒濤の一年だったわね」
「ええ…もう一年になりますか」
「もう冬になる。ここの冬は厳しいから、国境を超えられない。ここを出るにしても春…半年は先になる。それまでは、助けてもらうのだから少しでも恩返ししたいわ」
「ソルさんに聞いてみましょうか。お断りになるかもしれませんが」
「お願い」
ソルに提案すると、意外にも快諾してくれた。
「旦那さまには私からお伝えしておきます。女主人であるエリシア様には、屋敷の設えの差配をお願いしたく存じます」
「設え?そんな大層なものは…」
「豪華な物は売ってしまわれたので、戦争も終わりましたし、良い機会かと。旦那様は無頓着な方ですので、余りにも質素ですと、客人に失礼にあたりますから」
それと、と一冊の分厚い冊子を見せた。
「この屋敷の帳簿です。計算はお得意ですか?」
「酒場のアルヴァで、何度かお手伝いしたことはあります。その程度なら」
「十分でございます。奥様には毎日目を通していただいて、何か不審な点がないか、最終確認をお願いします」
「は、はい」
不安そうなエリシアにソルは笑いかける。
「マティアス様もご覧になりますから安心なさってください」
「あの、でも私…妻でも無いのに…」
「みだりに口にしてはなりません」
ソルがピシャリと言い放つ。エリシアは口を押さえた。この最大の秘密は、たとえ私室であろうと喋ってはならない。何て軽率に口に出してしまったのか。エリシアは反省から俯いた。
「…私が申し上げるのもおこがましいですが、伯爵夫人であれば当然の仕事です。ひいては、マティアス様の助けにもなります」
「はい…ごめんなさい。私が言い出したのに…そのお仕事、やってみます」
「帳簿の説明を始めてもよろしいでしょうか?」
エリシアは真剣に頷いた。
報告を受け取ったマティアスは苦い顔をした。ソルはもう決まったとばかりにどんどん話を進めて勝手に終わってしまった。
「早速本日から帳簿をお願いしております。奥様の確認が取れ次第、旦那様にお渡しします」
「余計なことを」
「旦那様も少しはお楽になさってください。屋敷の管理まで手が回らないでしょうに」
「今は戦争してない」
「だから、お楽にと言っております。…ふふ」
マティアスは怪訝そうに見返した。
「エリシア様…可愛らしいお方です。初々しく、一生懸命で、応援したくなります」
「…俺が期待してるのは別の報告だ」
ソルは、ほほ、と口元を隠しながら笑った。
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