追放鑑定士はダンジョン市場で偽物グルメを暴く ――屋台ひとつで成り上がり、王都の“味”を取り戻す――

ken

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腐った蜜と、路地裏の王

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 豪奢な執務室には、甘ったるい香りが漂っていた。

 それは花畑の香りではない。熟れすぎた果実が腐り落ちる寸前の、あるいは厚化粧で体臭をごまかした貴婦人のような、鼻の奥に粘りつく不快な甘さだった。



「――というわけでだ、レイン・オルコット。君には本日付けでギルドを去ってもらう」



 重厚なマホガニーの机越しに、男が告げた。

 鑑定ギルド、王都支部を取り仕切るギルド長、ガランド。脂肪に埋もれた細い目を三日月のように歪め、さも残念そうに溜息をついてみせる。その演技が酷く安っぽいものであることは、鑑定眼を持つまでもなく明らかだった。



「……理由を、伺っても?」



 俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷めていた。

 怒りがないわけではない。だが、それ以上にこの茶番劇に対する辟易とした感情が勝っていた。



「君も分かっているだろう? 先日の『火竜の鱗』の鑑定ミスだ。あれは酷かった。顧客である貴族院の方々に対し、あんな模造品を『一級品』として納品しようとするとは。我がギルドの信用に関わる重大な過失だよ」



 ガランドが太い指で机を叩く。

 嘘だ。

 あの日、俺が鑑定したのは間違いなく本物の『火竜の鱗』だった。だが、納品直前にすり替えられたのだ。俺が選別した極上の素材は裏ルートで高値で売りさばかれ、代わりに劣化したクズ素材が顧客へ渡った。

 その絵図を描いたのが、目の前にいる豚のような男であることも、俺は知っている。



「……僕の眼は、節穴ではありませんよ。ギルド長」

「ほう? まだ言い訳をするのかね。三等鑑定士風情が」



 ガランドが不愉快そうに鼻を鳴らし、手元のグラスに手を伸ばした。

 そこには、黄金色に輝く粘度の高い液体が波打っている。

 最高級の嗜好品とされる『幻蜂の霊蜜』――ということになっている代物だ。



 その瞬間、俺の右目が熱を持った。

 意識せずとも発動する、俺の呪いじみた才能。



 ――『異端の鑑定眼』。



 世界が色を変える。

 豪奢な家具も、ガランドの脂ぎった顔も背景へと退き、視界の中心にある「霊蜜」だけが情報をさらけ出す。

 だが、俺の目に映ったのは、黄金の輝きではなかった。



(……汚ねえ色だ)



 グラスの底から、ドス黒いヘドロのような靄が立ち上っている。

 それは『悪意』と『虚偽』の視覚化。

 俺の眼は、その成分構造すらも瞬時に分解し、脳内へ叩き込んでくる。



 ――主成分:オークの尿を煮詰めた糖液。

 ――添加物:痺れ薬草の抽出液、着色料、そして……遅効性の神経毒。



 俺は思わず口元を手で覆いそうになった。

 霊蜜特有の「舌が痺れるほどの甘美さ」を再現するために、麻薬に近い薬草を混ぜている。それだけなら悪質な偽造品で済むが、保存料として使われている薬品との食い合わせが悪すぎる。飲み続ければ、半年で味覚を失い、一年で内臓が腐り落ちるだろう。



「どうした? 名残惜しいのかね」



 ガランドは俺の視線に気づき、下卑た笑みを浮かべながらグラスを煽った。

 喉を鳴らして毒を飲む男。

 その滑稽な姿に、俺の中で何かがプツリと切れた。



(ああ、もういい)



 こいつの不正を暴く証拠はない。俺には後ろ盾もない。

 ここで「それは毒だ」と叫んだところで、負け犬の遠吠えと笑われるだけだ。

 何より――偽物を本物だと信じ込み、あさましく貪るその姿が、あまりにも哀れで、救いようがなく見えた。



 俺はゆっくりと首にかかったギルド証を外し、机の上に置いた。

 カチャリ、と乾いた音が響く。



「……いいえ。ただ、あなたの舌がお気の毒だと思っただけです」

「あぁん? なんだと?」

「世話になりました。その蜂蜜、あんたの腐った性根にはお似合いの味ですよ」



 ガランドが顔を真っ赤にして何か怒鳴り散らすのを背中で聞きながら、俺は執務室を後にした。

 扉を閉めた瞬間、鼻をつく甘い悪臭が消え、代わりに廊下の冷たい空気が肺を満たした。



 これで、終わりだ。

 そして、始まりでもある。



 ギルドを出ると、王都は灰色の雨に沈んでいた。

 俺の名と同じ、冷たい雨。

 行く当てなどなかった。寮も追い出され、手元にあるのはわずかな路銀と、亡き師匠から譲り受けた調理道具一式が入った鞄だけ。



 王都の大通りには、着飾った貴族や裕福な商人が行き交い、軒を連ねる高級レストランからは芳醇な香りが漂ってくる。だが、今の俺にはその匂いすらも鼻についた。

 あの店で使われているソースには、鮮度の落ちた肉をごまかすための香辛料が大量に使われている。あそこのパンは、膨らし粉の量を間違えている。

 俺の眼には、この美しい王都が、厚化粧をした老婆のように見えて仕方がない。



(本物が食いてぇな……)



 腹の底から湧き上がる渇望。

 それは空腹ではなく、もっと根源的な欲求だった。

 嘘のない、命の味がするものが食べたい。



 足は自然と、王都の最下層へと向かっていた。

 貴族街から遠く離れ、スラムと隣接する巨大な地下空洞。

 王都の地下に広がる古代迷宮への入り口があり、そこから持ち帰られた未鑑定の素材や、正規のルートに乗せられない訳あり品が集まる場所。



 通称――『迷宮市場』。



 湿った石階段を降りていくにつれ、空気の密度が変わる。

 スパイスの刺激臭、獣の体臭、鉄錆の匂い、そして熱気。

 王都の洗練された空気とは違う、生々しい「生」の匂いがそこにはあった。



「へいらっしゃい! 採れたてのバジリスクの卵だよ! 滋養強壮に効くぜ!」

「こっちのポーションは傷が一瞬で塞がる特級品だ! 今なら金貨一枚!」

「オークのバラ肉、焼き立てだ! 食ってけ食ってけ!」



 視界が開けると同時に、極彩色の喧騒が俺を包み込んだ。

 迷宮から溢れ出した魔力を動力源とした魔導ランプが、無数の屋台を怪しく照らし出している。

 叫ぶような売り文句、肉が焼ける音、酔っ払いの怒号。

 ここは王都の胃袋であり、掃き溜めだ。



 俺はフードを目深に被り直し、人波を縫って歩き出した。

 だが、すぐに眉をひそめることになる。



(……ひでぇもんだ)



 俺の眼が捉える市場の光景は、地獄絵図に近かった。

 「バジリスクの卵」と謳っているそれは、ただの巨大なトカゲの卵だ。しかも殻に微細なひび割れがあり、中身が腐りかけているのが黒い靄となって見えている。

 「特級ポーション」の中身は、ただの色付き水に微量の回復草を混ぜただけの代物。

 そして「オークのバラ肉」。あれに至っては、病死したゴブリンの肉を香辛料で誤魔化しているだけだ。



 偽物。偽物。偽物。

 視界の端から端まで、嘘で塗り固められている。

 買う客たちもまた、それが偽物であることに気づかず、あるいは安さにつられて、毒とも薬ともつかぬものを口に運んでいる。



「美味い、美味い!」



 痩せこけた男が、ゴブリン肉の串焼きを貪り食っていた。

 その顔色は土気色で、目には生気がない。

 それは食事ではない。緩やかな自殺だ。

 師匠が生きていれば、この光景を見て卒倒していただろう。「料理人への冒涜だ」と激昂し、フライパンで屋台ごと叩き潰していたかもしれない。



 吐き気を堪えながら歩いていると、不意に人だかりの中に一際鮮烈な色彩を見つけた。



 ――銀だ。



 市場の煤けた空気の中で、そこだけが月光を浴びたように輝いている。



 人混みを割って現れたのは、一人の少女だった。

 年齢は10代後半ほどだろうか。

 背中まで流れる銀髪は、一本一本が絹糸のように艶やかで、薄暗い市場の中で自ら発光しているかのような錯覚を覚える。

 身に纏っているのは、白銀の軽鎧と、真紅のマント。その仕立ての良さは、彼女が只者でないことを物語っていた。



 だが、何よりも目を奪われるのは、その美貌だ。

 陶磁器のように白く滑らかな肌。スッと通った鼻筋に、薔薇の蕾のように色づいた唇。

 そして、長い睫毛に縁取られた瞳は、最高級のサファイアよりも深く、澄んだ蒼色を湛えていた。

 男なら誰もが振り返り、その高潔な美しさに息を呑むだろう。泥沼に咲いた一輪の白百合。あるいは、戦場に舞い降りた戦乙女。

 本来なら、こんな薄汚れた市場にいるはずのない存在だ。



 しかし、その「戦乙女」は今、屋台の店主と対峙していた。

 いや、対峙というよりは、獲物を前にした猫のように目を輝かせていた。



「店主、これは……『深淵牛』の串焼きというのは本当か?」



 鈴を転がすような、凛とした声。

 だが、その声には隠しきれない食欲と期待が滲んでいる。



「へへッ、お目が高い! 姉ちゃん、いい体してるねぇ。騎士サマかい? こいつはダンジョンの深層でしか獲れない貴重な肉だ。食えば魔力が漲るぜ!」



 店主の男は、揉み手をしながら串焼きを差し出した。

 滴る脂、焦げたタレの香り。

 少女の喉が、ゴクリと鳴るのが見えた。



「……実は、遠征の帰りで空腹が限界なのだ。王都の食事は上品すぎて物足りなくてな。こういう野趣あふれるものを求めていた」

「そいつは丁度いい! 一本銀貨5枚だ。高いが、味は保証するぜ!」

「うむ、安いものだ。もらおう」



 少女が懐から銀貨を取り出そうとする。

 その顔は、極上の獲物を前にした興奮で微かに紅潮し、高潔な雰囲気が崩れて年相応の可愛らしさを覗かせていた。



 だが。

 俺の眼には見えていた。

 その串焼きから立ち上る、禍々しいほどのドス黒い靄が。



 あれは深淵牛ではない。

 もっと質の悪い、廃棄処分されるべき『腐肉漁り』の肉だ。しかも、防腐剤として有毒な錬金薬液に漬け込まれている。

 深層の魔物特有の臭みを消すために、致死量ギリギリの香草も塗されているようだ。

 あんなものを食えば、いくら屈強な騎士でも一発で腹を壊す。最悪、高熱を出して数日は寝込むことになるだろう。



(……やめとけ)



 俺は心の中で呟いた。

 関わるな。ここはそういう場所だ。騙される方が悪い。無知は罪だ。

 ギルドでの一件で、俺は学んだはずだ。余計な正義感は身を滅ぼすだけだと。



 少女が串焼きを受け取り、その美しい唇を近づける。

 熱々の肉にかぶりつこうと、彼女が大きく口を開けた瞬間。



「あぐっ……!?」



 俺の身体は、思考よりも先に動いていた。

 人混みをかき分け、少女の手首を掴むと、強引にその動きを止める。

 串の先端が、彼女の唇の数センチ手前で静止した。



「な、なんだ貴様は!?」



 少女が驚いて振り返る。

 至近距離で見る蒼い瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいた。微かに香る、柑橘系のような爽やかな体臭。

 俺は彼女の腕を掴んだまま、冷ややかな視線を屋台の店主に向けた。



「おい、親父。随分といい度胸だな」

「あ? なんだテメェは。商売の邪魔すんじゃねぇよ!」

「商売? これがか?」



 俺は少女の手から串焼きを奪い取ると、それを店主の鼻先に突きつけた。



「深淵牛の脂は、熱を通すと黄金色になる。だがこいつの脂は白濁してやがる。それに、この独特のツンとくる匂い……『腐肉漁り』の肉を『痺れ草』で誤魔化したな?」

「っ……!?」



 店主の顔が引きつった。図星をつかれた反応だ。



「な、何を適当なことを……! 因縁つける気か!?」

「因縁かどうか、あんたが食ってみればいい。自分の売ってるもんが本物なら、その場で一本食えるはずだろ?」

「ぐ……」



 店主が言葉に詰まり、脂汗を流し始める。

 周囲の客たちがざわつき始め、疑いの目を店主に向け始めた。

 俺は手の中の串焼きを、足元のゴミ箱へと放り投げた。



「ゴミを食いたきゃ好きにしろ。だが、客に毒を盛るのは料理人じゃねぇ。ただの詐欺師だ」



 そう吐き捨てると、俺は呆然としている少女の手を離した。

 彼女は事態が飲み込めていないのか、目を白黒させている。



「……え、あの……では、これは偽物だったのか?」

「命拾いしたな。あんなもん食ったら、今頃トイレとお友達だ」



 俺はそれだけ言い残し、背を向けた。

 これ以上関わるつもりはない。ただの気まぐれだ。あの綺麗な顔が、苦痛で歪むのを見たくなかっただけかもしれない。



 背後で、少女が何か叫んでいた気がしたが、俺は雑踏の中に姿を消した。

 だが、俺の胸の中には、先ほどまでの冷たい諦念とは違う、熱い何かが燻り始めていた。



 腹が立つ。

 どいつもこいつも、食を、命を舐めている。

 俺の舌が、俺の眼が、この惨状を許さないと叫んでいる。



 俺は懐に入れていた、師匠の形見である岩塩の皮袋を強く握りしめた。



「……上等だ。嘘だらけの市場なら、俺が本当の味を教えてやる」



 追放された鑑定士、レイン・オルコット。

 この日、王都の最底辺である迷宮市場に、一つの屋台が産声を上げようとしていた。

 まだ誰も知らない。

 この小さな屋台がやがて、王都の食文化を根底から覆す伝説の始まりとなることを。
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