追放鑑定士はダンジョン市場で偽物グルメを暴く ――屋台ひとつで成り上がり、王都の“味”を取り戻す――

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始まりの火と、疑惑の黄金

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 迷宮市場の片隅、廃棄された木箱や壊れた魔導具が山積みになった吹き溜まりに、一台のボロ屋台が放置されていた。

 かつては何かのスープ屋だったのだろうか。屋根の布は破れ、調理台は油と煤で真っ黒に汚れ、車輪も片方が外れかけている。

 誰もが見向きもしない、ただの粗大ゴミ。

 だが、レイン・オルコットの眼には、それがダイヤの原石のように映っていた。



「……骨組みは『鉄樫』か。頑丈だな。磨けば光る」



 レインは市場の管理組合――と言っても、強面の男が一人で仕切っているだけの簡易な詰所だが――にわずかな路銀を支払い、この廃屋台の権利を買い取った。

 男は「あんなゴミに金を払うのか」と呆れていたが、レインは気にしなかった。

 重要なのは、この場所がダンジョンの入り口に近く、それでいて市場のメインストリートから一本外れていることだ。ここなら、本当に美味いものを求める客だけが辿り着ける。



 レインは上着を脱ぎ捨て、腕まくりをした。

 まずは掃除だ。

 こびりついた油汚れをヘラで削ぎ落とし、竈の中に詰まった灰を掻き出す。錆びついた鉄板は、サンドペーパー代わりの『研磨石』でひたすらに磨き上げた。



『いいか、レイン。道具は料理人の鏡だ。曇った包丁じゃ、食材の心までは切れないぞ』



 亡き師匠、バルトの言葉が脳裏に蘇る。

 頑固で、口が悪くて、けれど誰よりも料理を愛していた老人。

 王宮を追われ、味覚を失いながらも、最後までフライパンを握り続けた師の教えが、今のレインを支える唯一の道標だった。



 数時間の格闘の末、屋台は見違えるようになった。

 黒光りする鉄板、補修された屋根、そして磨き上げられた真鍮の看板。

 そこにレインは、チョークで店名を書き記した。



 ――『真実の匙』。



「さて、と。舞台は整った。あとは役者だな」



 レインは市場へと繰り出した。

 食材の仕入れだ。

 相変わらず市場には、偽物のブランド肉や薬漬けの野菜が溢れている。だが、レインの『異端の鑑定眼』は、その中から砂金を探すように「本物」を見つけ出す。



 目をつけたのは、人気のない精肉店の隅に転がっていた肉塊だった。

 『岩蜥蜴の尻尾』。

 硬くて臭みが強いとされ、冒険者たちからは見向きもされない三流食材だ。

 だが、レインの眼には見えていた。そのゴツゴツした皮の下に、美しいサシの入ったピンク色の筋肉が眠っていることが。そして何より、保存料の「靄」がかかっていない、獲れたての新鮮な個体だ。



「親父さん、これ全部くれ。あと、そこの『月桂樹の古葉』と『鬼胡椒』、それから……あの樽に入ってる『白妖精の椰子乳』もな」

「あん? そんなクズ肉と香辛料で何を作る気だ? 奇抜な料理は流行らんぞ」

「いや、人間が一番元気になるやつを作るんだよ」



 レインは買い込んだ食材を抱えて屋台へ戻ると、深底の鍋を火にかけた。

 今日の一品は、塩焼きではない。この湿った地下市場の空気を吹き飛ばすような、極上の煮込み料理だ。



 まずは『岩蜥蜴』の尻尾肉をぶつ切りにし、表面を焼き固める。

 次に、石臼ですり潰した『鬼胡椒』や『黄金根』、そして数種類のスパイスを油で炒める。

 じゅわっという音と共に、鮮烈な香りが立ち上った。鼻孔を突き抜けるようなスパイシーな刺激と、奥深い甘い香り。

 そこに『白妖精の椰子乳』を惜しげもなく注ぎ込む。白濁した液体がスパイスの赤黄色と混ざり合い、夕焼けのような美しい橙色へと変化していく。



 レインは鍋を静かにかき混ぜながら、呟いた。



「スパイスは誤魔化しじゃない。食材の魂を叩き起こすための鍵だ」



 甘み、酸味、辛味。そしてココナッツの濃厚なコク。

 全てが渾然一体となったスープの中に、焼き色をつけた肉と、皮を剥いた『大地の林檎』、最後に砕いた『火の実』を放り込む。



 グツグツと鍋が歌う。

 とろみが出始めた黄金色のスープの中で、硬い蜥蜴肉が繊維の一本一本まで解れ、柔らかく煮込まれていく。

 それは師匠から教わった『マッサマン・カレー』。

 師匠が最も美味いと言った煮込み料理の、レイン流アレンジだ。



 しかし、予想通りというべきか、客足は鈍かった。

 周囲の屋台は「秘伝のタレ」だの「魔法のスパイス」だのと派手な看板を掲げている。地味な屋台に目を向ける者は少ない。



「くんくん……む?」



 開店から一時間。

 ようやく、その芳醇な魔性の香りに釣られた最初の一匹が網にかかった。



 人混みからひょっこりと顔を出したのは、小柄な少女だった。

 年齢は16、7歳といったところか。大きな猫耳がピコピコと動いていることから、獣人族だとわかる。

 身軽そうな革鎧に、腰には短剣。迷宮探索を生業とするスカウト職だろう。

 日に焼けた健康的な肌と、大きな琥珀色の瞳。笑うと八重歯が覗きそうな、愛嬌のある顔立ちをしている。職場にいれば間違いなくマスコット的な人気を博すであろう、元気印の美少女だ。



 彼女は鼻をヒクヒクさせながら、ふらふらと屋台に近づいてきた。



「お兄さん、なんかすごーくいい匂いがする! これ、何?」

「『岩蜥蜴と椰子乳の煮込み』だ。カレーとも言う」

「ええー? トカゲェ? あんなの硬くてゴムみたいじゃん。それにカレーって何? 辛いの?」



 少女は警戒心と好奇心が入り混じった顔をする。

 だが、鍋から漂うココナッツとスパイスの甘く濃厚な香りが、彼女の胃袋を鷲掴みにしていた。



「辛くない。甘くて、深くて、飛ぶぞ」

「と、飛ぶぅ? ……うう、でも匂いはすっごく美味しそう……」

「食ってみればわかる。不味かったら代金はいらない」

「ほんと!? じゃあ食べる! 一杯ちょうだい!」



 少女はカウンターに銅貨を置くと、身を乗り出した。

 レインは木製の器にたっぷりとカレーをよそい、スプーンを添えて差し出した。

 湯気と共に、黄金色の海からゴロリとした肉塊とジャガイモが顔を覗かせる。



 少女は、器を受け取ると、まずは恐る恐るスープを一口啜った。



「ん……!」



 瞬間、少女の瞳が見開かれ、猫耳がピンと直立した。



「――っ!?」



 言葉にならない悲鳴を上げ、彼女は猛烈な勢いでスプーンを動かし始める。

 濃厚なココナッツミルクの甘みが舌を包み込んだかと思うと、直後にスパイスの複雑な香りが鼻腔へ抜ける。そして何より、煮込まれた岩蜥蜴の肉だ。スプーンで触れただけで崩れるほど柔らかく、噛めば肉汁とカレーの旨味が口いっぱいに爆発する。



「はふっ、んん~っ! なにこれぇぇ!? めっちゃくちゃ美味しい! 甘いのにピリッとして、お肉がトロトロ! これ本当にトカゲ!?」

「時間をかけて煮込めば、トカゲもドラゴンに化けるのさ」

「信じらんない! あたし、こんな美味しいもの初めて食べたかも……!」



 少女は夢中でスプーンを運び、あっという間に器を空にした。「おかわり!」と叫ぶ声が弾む。

 二杯目をよそいながら、レインはガラスのコップに注いだ水を差し出した。



「ほら、水だ。地下湧水をろ過しただけの冷水だが、口の中がさっぱりするぞ」

「ありがとー! んぐ、んぐ……ぷはぁっ!」



 少女は水を一気に飲み干した。

 何の変哲もないただの水だが、濃厚なカレーの後には、その冷たさと純粋さが何よりの贅沢だ。



「いい食いっぷりだ。作った甲斐がある」

「だって美味しいんだもん! ……はぁ、生き返るぅ。最近、ロクなもの食べてなかったからさぁ」



 二杯目を食べ終え、ようやく人心地ついたのか、少女は満足そうに腹をさすった。



「ロクなものって? 市場には色んな店があるだろう」

「うーん、種類はいっぱいあるんだけどねぇ。なんか最近、どこの店も味が変っていうか……食べるとお腹重くなるし。それにさ」



 少女は声を潜め、周囲を窺うようにしてレインに顔を寄せた。



「あたしのパーティのリーダー、今寝込んでるんだよね。市場で買った『特製霊蜜』ってやつを飲んでから、急に血を吐いて倒れちゃって」

「……霊蜜?」



 レインの目が鋭く細められた。

 あのギルド長の部屋にあった毒入りの蜂蜜。その名前がここで出てくるとは。



「うん。なんか『ヴォルク商会』っていう新しい商会が売り出してるやつでさ、滋養強壮にいいって評判だったんだけど……リーダーだけじゃなくて、他のパーティでも似たような症状の人が出てるみたいなんだ。変だよねぇ」



 ヴォルク商会。

 聞いたことのない名だ。だが、ここ最近で急に台頭してきた新興勢力らしい。

 レインの中で、点と点が繋がり始めた。

 ギルドが横流しした不正な素材や、あるいは毒入りの食品を、その商会がこの市場で売りさばいているとしたら?



 その時だった。



「おいおい、兄ちゃん。随分と景気が良さそうじゃねぇか」



 ドスの利いた声が割り込んできた。

 振り返ると、柄の悪そうな男たちが三人、屋台を取り囲んでいた。

 揃いの革ジャンパーを着込み、腕には狼の紋章が入った腕章をつけている。

 『ヴォルク商会』の私兵だろう。



「ここは俺たちのシマだ。勝手に店を開いてもらっちゃ困るなぁ」

「場所代は組合に払ったはずだが?」

「組合? ケッ、あんな爺さんの許可なんか知るかよ。この市場のルールは俺たちが決めるんだ。商売したけりゃ、売上の五割をよこしな」



 リーダー格の男が、ダンッとカウンターを蹴り上げた。

 少女が「ひっ」と短く悲鳴を上げ、レインの背後に隠れる。

 レインは静かにため息をついた。

 せっかくの料理の余韻が台無しだ。



「……五割か。随分と高くつくな。それだけの価値がある警護でもしてくれるのか?」

「あぁん? 減らず口を叩くなよ。痛い目見たくなかったら――」



 男がレインの胸倉を掴もうと手を伸ばした瞬間。

 レインはその手首を掴むこともなく、ただ冷徹な眼差しで男を見据えた。



 『鑑定眼』発動。



「……あんた、肝臓がボロボロだな」



 唐突な言葉に、男の手が止まる。



「は、はぁ?」

「顔色が土色だ。それに独特の甘い体臭……安物の酒と、混ぜ物の多い精力剤の飲み過ぎだ。腰のポーチに入ってる赤い瓶、それ『赤マムシの抽出液』だろ? 成分の半分はただの興奮剤だ。そんなもん飲み続けてると、来年には死ぬぞ」



 レインの視線は、男の身体の中身まで見透かすように冷ややかだった。

 男は気圧され、ジリジリと後ずさる。



「な、なんだテメェ……気味わりぃな……!」

「客じゃないなら帰ってくれ。俺の店は、料理を食いたい奴のための場所だ。毒を食らって死に急ぐ奴の相手をしてる暇はない」



 レインが鍋をかき混ぜるために手にしたお玉が、魔力ランプの光を反射してギラリと光った。

 それはただの調理器具だが、男たちには鋭利な武器に見えたのかもしれない。

 あるいは、レインの背後に立ち込める「本物」の気迫に恐れをなしたか。



「ち、ちくしょう! 覚えてやがれ! ヴォルク商会に逆らってタダで済むと思うなよ!」



 捨て台詞を残し、男たちは逃げるように去っていった。

 少女が、目をキラキラさせてレインを見上げる。



「すごーい! お兄さん、ただの料理人じゃないでしょ!? 今の、鑑定スキル? あいつらの顔色だけで病気を見抜いちゃうなんて!」

「……似たようなもんだ。職業病だよ」



 レインは肩をすくめたが、その内心は穏やかではなかった。

 ヴォルク商会。やはり、この市場を牛耳っているのは奴らか。

 そして、その背後には間違いなく、あの腐ったギルドの影がある。



(面倒なことになったな……)



 そう思いながら鍋を片付けていると、不意に、背筋に冷たいものが走った。

 殺気ではない。もっと異質な、粘りつくような視線。



 レインは顔を上げた。

 男たちが去っていった方向とは逆、路地の暗がりに、人影があった。

 全身を黒いローブで覆った人物。顔は見えないが、その佇まいは明らかに市場の住人たちとは異質だった。



 その人物は、レインと目が合うと、ふっと音もなく踵を返した。

 だが、その一瞬。

 ローブの隙間から覗いた白い手が、何かを握りしめているのをレインは見逃さなかった。



 金色の、小瓶。

 中には、黄金色の液体が揺らめいている。



「――ッ!」



 レインの右目が勝手に反応した。

 距離があってもわかる。

 あの小瓶から立ち上る、ドス黒い靄。

 ギルド長の部屋で見たものと、全く同じ「色」だ。



(間違いない……あれは『毒入りの霊蜜』だ)



 黒いローブの人物は、闇に溶けるように消え失せた。

 レインは拳を握りしめる。

 ただの追放劇では終わらない。

 自分が足を踏み入れたこの市場は、王都の闇そのものだ。

 そしてその闇は、無数の人々の口へと流れ込み、静かに命を蝕んでいる。



「お兄さん? どうしたの、怖い顔して」



 少女が心配そうに覗き込んでくる。

 レインは深呼吸をして、いつもの少し皮肉めいた笑みを浮かべた。



「いや、なんでもない。……ただ、これからは忙しくなりそうだと思ってな」



 逃げる場所はもうない。

 ここが俺の戦場だ。

 フライパンとナイフ、そしてこの眼で、腐りきった嘘を暴き、本当に美味いものを届ける。

 それが、追放された鑑定士の、ささやかな意地であり復讐だ。



「また来な、お嬢ちゃん。次はもっと美味いもんを食わせてやる」

「うん! 絶対来る! あたし、リズベットっていうんだ。リズでいいよ! お兄さんの名前は?」

「レインだ」

「レインのお兄さんね! 覚えた!」



 少女――リズは、手を振って駆け出していった。その背中を見送りながら、レインは夜空を見上げた。

 分厚い雲の隙間から、一筋の月明かりが差し込んでいる。



「……さて、仕込みの続きといくか」



 屋台『真実の匙』の灯火は、まだ小さい。

 だがその火は、確実に闇を照らし始めていた。

 追放は終わりではない。

 ここからが、レイン・オルコットの本当の物語の始まりなのだ。
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