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ローナ 13歳編
母の功績
しおりを挟む自室の扉が勢いよく開け放たれるその少し前から、やけに騒がしい足音が廊下から聞こえるとは思っていたが、まさかそれが母のものだとは予想だにしなかった。
仮にも一国の姫だったのだ、淑やかさは基本中の基本であり呼吸をするよりも簡単だと言わんばかりの母はどこへ行ったのか。定期的に家出してる気がする。
「お待ちください、姫さま!ローナお嬢様のお部屋にはお客様が……!」
遠くの方から母付きの侍女長の嘆く声がする。けれど母はそれを聞こえないフリでもしているのか、私に向かって「ほら、これをご覧なさい!」と、意気揚々と紙が捲れるような音を鳴らして何かを掲げた。
「お母様、見えません」
「あら、そうだったわ……ああ、やっぱり、お客様ってセシルくんのことだったのね。もう、オードリーったら。セシルくんはもう我が家の一員も同然なのだから、"客人"だなんて無粋な表現をしなくたっていいのに。ねえ?」
「恐縮です」
うふふと笑う、やけに陽気な母に嫌な予感がする。こういう時のお母様は、ひたすらに厄介な相手である可能性が高い。
だから早くなあなあに対応して、お引き取り願いたいのだけれど……。
しかし、先程母から出た「朗報」の言葉が気になっている。掲げられた何かの正体も判明しないままだ。
「お母様。それで、朗報とは一体どのような……」
「そうよ、そうでした!ほらセシルくん、ご覧なさい。ローナに読んであげてちょうだい」
「はい」
異常とも言える母の高揚感と、どこまでも冷静なセシルとの対比が面白い……と声色から温度差の激しそうな二人の様子を想像して楽しんでいると、隣から控えめにドレスの裾が引っ張られる。
「あの人……ローナのお母さん?」
なんとなく自己紹介のしづらい雰囲気のせいか、ギーゼラが内緒話をするような小声で私の耳に囁いた。
そういえばギーゼラは、お母様に会うのは初めてだった。
ええ、そうよ。ごめんなさい、今日は急な来訪者が多くてーーそう言葉を発するよりも先に、珍しいことにセシルが私の名前を強く呼んだ。
セシルの大声に何事かと弾かれるように振り向くと、私の勢いにも勝る速さでセシルの腕が背中に回り、肩が軋む音を立てるほどに強く抱きしめられる。
「ローナ、ローナ!俺は、俺たちは、認められたんだ!」
「認められた?」
「そうなのよ!うふふ!貴方たちのお母様はやり遂げたのです!」
喜びに溢れるセシルの声と、同じくらいのテンションで高らかに言い放つお母様に、状況を飲み込めない私は首を傾げる。
認められるという事でセシルが喜ぶことといえば軍絡みか、セシルの父親絡み、もしくは……。
「"認められた"……?」
セシルはそれを、私を含めて言い直していなかった?
私たちのことで認められて嬉しいものなんて、そんなの。
「ねえセシル……私たちは、何を、認められたの……?」
目の奥からじわりと熱が込み上げて、瞳に涙の膜を張る。
"もしかして"が頭を占める中で、理性が別の可能性を提示して事態の収拾を図ろうとしているのだけれど、それさえも押しのけてしまう程に期待が膨らんでしまって。
「ローナ……ローナ、クリスティーン様は、この世で君の次に素晴らしいものを与えてくださった。この素晴らしいものにはこう書かれている……『フント侯爵家嫡男であるセシル・フントとリーヴェ侯爵家嫡女であるローナ・リーヴェの婚約を認め、これをクロイツ王国として正式に受理することへ大いに賛同の意を表明する。第18代クロイツ王国王妃、エリーザベト・メクレンブルガー』」
ーー母が私の代わりに『ブラウエ・ブルーメの会』に参加するようになってから、王妃殿下と友人として仲を築き始めたと聞いた時、たとえ王太子殿下の企みに乗る事になったとしても、自分で行かなかったことに後悔した。
王妃殿下からの信頼を得ることで、リーヴェ家との繋がりをより深めるべく、両家の嫡子間に結ばれていた婚約の破棄は間違いであったと言われるのが怖かったからだ。
けれどそんな私に、母はこう言った。
『王太子といえど、国王夫妻には敵わないのよ』と。
国王陛下は王妃殿下にベタ惚れである。
クロイツ王国の社交界の華と謳われたかつての王妃殿下は引く手数多で、他国からの申し入れもあったとか。
国王陛下がそんな彼女に必死になって縁を繋いでみせたというのは、それなりに知れ渡っている事実で。
そういう経緯があってか、陛下は王妃殿下に言われた事は余程のことでもない限り受け入れる。
だから、王妃殿下の信頼を勝ち取る。
勝ち取って、こちらの味方についてもらう。
そうすれば必然と、国王陛下の同意も得られる。
そしてーー王太子殿下といえど両親の保護下であり、家族であれど生じる身分差があり。
どちらにせよ、アルブレヒト・メクレンブルガー王太子殿下といえど、そうして国王夫妻が決断した事へどんなに不許可を訴えたところで、彼にはどうする事もできない。
母はそこを狙った。
二年近く地道に王妃殿下と仲を深め、私とセシルの事を訴え続けたのだ。
そしてその努力が今日、実を結んだ。
「王妃様はあの日のお茶会の出来事をそれはもう感心なさって、二人の想い合う気持ちが本物で、それを王家の身勝手な都合で引き裂くのはあまりにも哀れだわって、同情してくださったのよ!息子がどうしてここまでローナに拘っているかの理由がわからない上、国益どころか、昨今の世界情勢を顧みる限り不利益を生み出しかねない殿下の発言を早急に撤回させるともおっしゃってくださったの!」
母の弾むような声で告げられた新たな情報に、セシルはさらに私を抱きしめる腕に力を込めた。
既に背中が悲鳴を上げるほど反り返っているが、お構いなしに負けじと私もセシルの背中に回した腕に力を込める。
「ローナ、ローナ……俺の唯一、俺の光、俺の幸福。君さえいればそれでいいと思っていた。だが……公に君との事を認められることへのこの充足感は、生涯忘れないだろう」
「私の愛しい人。これからは何の気兼ねなく、私は貴方のものであり、貴方は私のものであると言えるのね」
少しだけ体を離したセシルが私の米神に一つのキスを落とす。落ちた唇は私の横顔を滑り、そのまま頬にも一つ。
ふわふわと雲の上にいるような柔らかな幸せなのに、心臓だけがまるで別の生き物のように激しく動いている。
盲目になったあの日からずっと、この瞬間をを待ち侘びていた。
これでもう、私はセシルの婚約者だと胸を張って言えるようになるのねーー。
「えっと、あのー……今の話、って……」
幸福感に満たされていた私に、頭から冷水をぶちまけられた様な心地がした。
耳に届いた愛らしい声の主は、母付きの侍女が遠くから知らせていた"お客様"の本当の正体で。
「ローナとフントって……今まで正式な婚約者じゃなかったって、こと?」
困惑に困惑を重ね、信じがたいと言葉の裏に交えてそう呟いたギーゼラの声は、然程大きくなかったというのに部屋中にこだました。
まずい。
非常に、まずい。
何がまずいかというと、お茶会の時に王家の前で思いきりはったりをかましていた事がギーゼラにバレたのがまずい。
あの時の私たちは婚約者という特別な間柄でもないのに密着し、名前で呼び合っていた。
しかも現在進行形で普通にギーゼラの前で密着しまくっているし、そもそも未婚女性の自室に招き入れてしまっている。
いくら淑女教育が十分に備わっていないギーゼラといえど、婚約者の間柄ではない私たちがこうも仲睦まじくしているのは、はしたないどころの騒ぎではないというのは理解できてしまう。
それにーーせっかく友達として良い関係を築き始めていたのに、それが崩れてしまうかもしれない。
「あら、どなた?」なんて問いかけるお母様の声が、緊張の走る部屋で誰にも拾われずに呑気に転がる。
どうしよう、何て答えればーー。
「お互いに想いあっていたが邪魔をされていた。それがようやく無くなりそうだ、という話だ。いいな?」
えっ。
「そうなの?」
「そうだ。俺たちはずっと好きあっていた」
「そっか」
えっ…………と?
今の説明で納得するの?
貴族社会って、想いあってれば何でも大丈夫な世界じゃないのよ?
けれど私の困惑を他所に、ギーゼラは「それなら、今までのも納得かな」等と一人で頷いている。
……カミラに言われた言葉を鵜呑みにしたり、セシルの理屈のない説明に納得してしまったり。
友人関係の危機への不安から一変し、ギーゼラは大丈夫なのかしらと、誰の言葉でも信じてしまう素直さに別の不安を抱えることになってしまった。
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