名もなき民の戦国時代

のらしろ

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第七章 公家の政

第二百三十五話 誰もいない御所

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 そんな思惑を持つ近衛にまた例の寺繋がりの連絡網で、主上が既に御所を出たことが伝えられた。

「なに、主上は既にお出かけか。
 して、どちらに向かわれた。
 大原の寺か。
 牛車は中将あたりが手配でもしたのか」

「はい、近衛中将殿が手配された牛車にて、中将殿のお屋敷に入るところまでは確認しております」

「え、奴の屋敷にか。
 主上は中将の屋敷に避暑に出られたというのか。
 それでは行幸では無いだろう」

「いえ、中将殿のお屋敷からお召の船で伏見に向かわれたものかと」

「伏見にか。
 それはおかしくはないか。
 そこからだと、吉野まではまだ距離があるし、お召の船ならより吉野に近い宇治まで行けるはずだしな」

 近衛関白は情報を携えて来た僧と話していた。
 彼はまだ、主上が吉野へ動座するのではないかと疑っている。
 相当ひどい有様の御所をよく知る関白は、自身でもあそこには住みたくないとすら思っているのだ。

 それよりもはるかに状態が良いと言われている南朝方の使っていた仮御所に向かわれているのだと考えていた。
 あそこは今では金輪王寺として、立派に寺として機能している。
 何も収入の無い御所と比べるべくもなく、金輪王寺の僧によって常に修繕されているだろうから、京のどの屋敷よりも居心地は良いだろうと今の京をよく知る公家の誰もが考えている。

 何せ御所はここ数年、いや数十年修繕がされた形跡はない。
 それだけに、今回の話が聞こえて来た時には関白は焦りを感じていた。
 修繕に十分な金銭の上納があったのにもかかわらず、全てを横領したためだ。
 自分の仕出かしたことが原因で遷都騒ぎを起こしてしまうと。

 それだけに、自身が京を離れることの不利益を考えても、無理して吉野へ政治工作のために自らが出張った矢先の事件であった。

「麻呂の知らないところで、とっくに謀略は練られていたのだな」

 近衛関白は周りに聞こえるように独り言をつぶやいた。
 その頃の中将こと空は、無事に主上を船に乗せたことで安堵している。
 お召の船には空の部下である忍者たちも載せてあるので、とりあえず安全面では問題ないだろう。
 また、政治面でも義父である太閤殿下と義理の娘でもある空の奥方の結も乗船している。

 結は太閤殿下の娘となってはいるが、太閤殿下の養女で、実父は下級貴族だ。
 殿上人には届かない役職の階級だが、大学寮の明経博士という役職は伊達ではない。

 大学寮そのものはとっくに機能を失ってはいるが、その名に恥じることのない見識を持っている。
 そのため、下級とはいえ、彼女の実父である五宮は公家界隈では一二を争う位の知識人だ。
 その実父からの薫陶でもあったのか、結は小さなころからしっかりと教育され、彼女自身が持つ地頭の良さもあってか、空の補佐として実によく働いている。

 京において、結は政治的にミスなど絶対に侵すことはないと空や他の仲間たちから信頼されているのだ。
 これに山科卿も一緒なら万全とすら思えるのだが、その山科卿は別行動をとっている。

 彼は先行して伏見の屋敷に入って、主上の到着を待つことになっているので、とにかく主上を船にさえ乗せてしまえばとりあえず空達がたくらんでいる計略はほぼ成功だと考えられていた。
 ただ、まだ完全には安心しきれるわけではない。

 最悪のケースとしては、俺たちの船列に気が付いた関白が無理を通してそのうち一艘の船を止め、自身が乗り込んでこないかということだけだが、今のところ報告では関白たち一行は、まだ下京の東寺に入ったまま動く様子もないそうだ。
 急ぎ京まで戻ってきたことは正直すごいとすら思うが、さすがに旅慣れていない公家たちが一緒にいる以上、一旦休めば、そう簡単に動けるものではないらしい。

 とにかく若いころからあっちこっちと動き回っていたおかしな経歴を持つ近衛関白が、独り身ならば今回の計画はここまでうまくいかなかったかもしれない。
 彼一人なら、主上が出発前に御所まで戻ってこれたかもしれないし、そうなると関白と天皇を切り離すという計略が根本から崩れてしまっただろう。

 だが、今回の計略が自身の横領から発したことだと理解している関白は、一人で動くわけにはいかない。
 主上のための献金を横領した事実を隠さないといけないためだ。
 そのためには朝廷内で、相応の理由付けがないと不味く、政治工作は必須になって来る。

 そういう事情があるので、吉野で万全の政治工作をするために自身の派閥を率いて動く必要があったのだ。
 そう考えればこそ、関白たち一派は危険を承知しているのにもかかわらず、夏始まる前から動き始めていたのだ。

 紅葉狩りをされる前までには、吉野で万全の体制を作り上げるつもりだった。 
 今回の視察で、政敵からの謀略を含む攻撃があることを承知してまで動かざるを得なかった。
 政敵が、自身の留守の間おとなしくしているはずはないことは理解していた。
 しかも、自身の主だった派閥の公家たちを連れての留守だ。

 彼は、普通なら罠を警戒して動けないだろうと計算していたが、政敵の方が一枚も二枚も上手だったと、やられたものはどうしようもない。
 なれば、これ以上状況を悪化させたくないので、近衛関白は必至に次善の策に頭を悩ませている。

 主上が無事に伏見の屋敷に入ると、警護についていた弾上松永久秀は配下の本多正信に仮御所となった伏見の屋敷の警護を任せて、俺自身は、船で京の自分の屋敷までもどった。
 朝廷を二分する計略は、ひとまず太閤殿下と山科卿たちに軍配を上げた。

 この日は、これ以上のことは起こらなかったが、関白たちがこのまま大人しく負けを認める筈もなく、さっそく翌日早朝から事件は起こる。
 早朝、日が昇るとすぐに関白の先触れが屋敷を訪ねてきた。
 『問い合わせたい義があるので、至急会いたい』とこのとだ。
 俺はかねてからの打ち合わせ通り、すぐに参内さんだいする旨を伝えると、先ぶれは急に動作が怪しくなった。

「あ、いや、参内ではなく……」

「お役目でのお話ではないのですか」

「役目ではあるが……」

「すぐに準備し参内しますので、御所にてお待ちくださいと、関白殿下にはお伝え願います」

 俺は有無を言わせず、先触れに御所で待つと言って、まだごちゃごちゃ言ってくる先触れをむりやり帰した。
 関白としても流石に問題多い御所で政敵と相手はしたくはなかっただろう。
 せいぜい下級の役職である俺を自身の屋敷に呼び出して、脅すことくらいは考えていたのだろうが、あいにくこちらは関白たちが俺に文句を言ってくることは想定済だ。

 ならばこちらとしては、その文句を言わせない、もしくはブーメランとしてお持ち帰りをしてもらえるように最適な場所を用意しただけの話だ。
 俺は以前義父である太閤殿下に用意してもらった正装で御所に向かう。
 何しろ、今回の関白殿下との会合は公的なものだ。
 そういう体を取り、関白たちに圧力をかけていく。

 今回は場所は、御所の公卿たちが政治を執り行う溜まり場だ。
 流石に、三蔵の衆の者や、藤林さんなど、今までさんざん助けてもらった人を連れて行く訳にも行かず、だからと言って、タヌキおやじで松永久秀も入れる場所でないので、もう一人の義父でもある五宮を従者として連れて行く。

 御所での仕来りとかに詳しいから、こういう場面では力強い存在だ。
 主上が避暑を兼ねた行幸で御所を出られているので、日ごろから主上のお世話などをしている下男も含めて一緒に伏見に出ている。
 そのため、本来ならば警護や御所の運営のための役人など最低限だ少数が居る筈の御所だが、今は誰も居ない。

 まあ、朝廷がまともに機能しなくなってから数年ではきかない年月が経っている。
 とにかく生活するのに最低限の人しか御所には詰めておらず、公家たちも今ではほとんど出仕していないために、御所の主である主上がいなくなると、御所はもぬけの殻になる。

「人が誰も居なくなると、ここは本当に廃墟だな」

 前に何度か来たことのある御所だが、ここが本当に天皇陛下がお住まいになる御所かと疑うレベルでなく、冗談ですら受け入れられないくらいにうらぶれている。

「本来ならばあってはならないことなのですがね」

 大学寮の役人であった五宮が悔しそうに俺の独り言に答えて来る。
 五宮の職場の大学寮などは、御所がこのありさまだ。
 とっくに、影も形も無くなっている。

 尤も、俺が検非違使を開いた時に、一緒に大学寮も俺の敷地内に事務所を構えて復活させてあるので、本来ならば一番権威のある筈の御所よりも検非違使庁や大学寮の方が今では立派になっている。

 俺が御所を修繕できれば一緒に修繕して、今よりははるかにましな状態にできたのだが、そこは政治的にできない。
 本当に皮肉なものだ。
 まあ、こうなったのも近衛関白やその一派、今の公家たちだけの責任ではないとは思うのだが、御所が廃墟であるままなのは明らかに近衛関白たちの無策が原因だ。

 少なくとも、修繕のための費用は俺が用立てた。
 中抜きされても問題無いように、十分な額を御所修繕のためにと献金したのだ。
 それを全額横領とは、流石に俺もそこまでするかと驚いたほどだったが、それでもあいつらが悪びれもせずに俺に文句を言ってくるから、あるいみ立派だ。

 あいつらは俺に何と言ってくるかが見ものだと、俺は五宮と一緒に御所の中に入っていく。
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