織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第一章 うつろの気

十六

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「藤島城の丹羽氏秀は父からの援軍を得られなかった。それは敵の氏識にも伝わっているに違いない。だからこそ、勝てる。いまさら織田の軍勢が出てくるなどとは、氏識は夢にも思うまい。藤島城で氏秀と合流するのは二の次だ。まずは風よりも迅く敵の岩崎城へ迫り、これを焼いて裸城にしてやろう」
 主君に応えて信長軍が鬨の声を上げる。士気はすこぶる高い。元よりあえて信長について行こうなどという連中だから、こういった危険な戦にも腹が据わっている。
「見ていろ、平手。織田信長の戦争を見せてやるぞ」
 信長には自信があった。むしろ、信長は、歳月をかけてこの軍勢にしか自信など持っていなかった。弓組はすくない。が、正面から敵とぶつかれば信長直伝の三間半の長槍組が飛び出して行き、一人あたり二人の敵兵を打ち破ることだってそう難しくないと見立てていた。
 しかし、自信というのはしばしば目を曇らせる。
 横山よこやまという丘陵の麓へ差し掛かったとき、突如、どこからか「撃て」と叫ぶ声がした。驚いた味方が声のした山上を見るのと同時に、そこから轟音が迸り、銃弾の雨が降り注いだ。信長のすぐ前を駆けていた騎馬武者たちが落馬して転がる。
「敵だ。当たれ。鉄砲がかなりいるぞ。近づいて討ち果たせ」
 狼狽える暇もない。即断即決で応戦し散々に切り結ぶが、信長の頭の中では疑問が巡って止まなかった。
『これはこの敵は、本当に丹羽氏識の兵なのだろうか? 味方は五百ほどだが、敵方はそれと同等か、イヤ、まだ全容が見えないことを思うともっと多そうだ。それだけでも妙だが、もっとおかしいのは鉄砲の多さだ。これまで弾正忠家に追従してきただけの丹羽の土豪風情が、これだけの鉄砲を、鍛えられた鉄砲隊を集められるものだろうか。もし、そんなことができたなら、今頃、奴らは家中でもっと名を上げていたに違いない。そのうえ、こちらの進軍路を読み切って山上から一斉に撃ち降ろすという手際の良さときている。これがすべて偶然か?』
 奇襲の当てが外れ、反対に不意を突かれてしまったものの、信長軍は怯まなかった。突破を図るために、特に勇猛な者たちが威勢よく敵勢へ突っ込んでいく。飛び交う銃弾の雨を掻い潜り散々に暴れまわると、その浮世離れした動き方に敵もいくらか唾を飲んだが、所詮は多勢に無勢、その彼らも間もなく銃弾に倒れる。
 彼らの信長への忠誠は堅い。誰も彼もが信長のために次々と突撃し、結果として夥しい骸をその場に築いていった。
 敵は減る気配もなければ、大将の氏秀がどこにいるのかすら知れない。
「オノレ……、」
 敵の不意を突くという目論見あっての作戦だったため、既に前提が崩壊してしまっていたが、信長としてはここでおいそれと退くわけにはいかない。禁を破って兵を挙げたうえに敗戦を遂げたとあっては、まるで評判通りの大うつけそのもの。例え、死ぬことになろうとも、おめおめと負け戻るわけにはいかないのだ。
「進め、進め、進め」
 信長は下馬し、自ら槍を振り回す。
『かくなる上は、この劣勢を挽回するには、この身を晒し兵たちを鼓舞するほかない』
 悲痛な覚悟を決めたそのとき、
「退いた、退いた。皆、家へ帰る時間だぜ」
 恒興の号令で彼の率いていた長槍組が信長に断りなく勝手に退却を始めた。
 驚いた信長は退却してくる恒興をとっ捕まえると、間髪を入れずに殴りつけた。
「誰が退けといった」
 恒興は槍を取り落としてゴロゴロと転がる。起き上がった恒興に、信長は抜いた脇差の切っ先を向けた。
「ひたすらに進むのだ! 帰る場所など、もう無い。敵が多いと言いたいのだろう。そうだ。氏識はおそらく岩崎城から全軍を率いて出てきている。だが、それは、裏を返せば城の守備が手薄ということではないか。ここを勝って抜けさえすれば、城を落とすことなどわけはない」
「いくら腹拵えしても、どうも、いつの間にかまた腹が減っているというときがありますね。何をやっても駄目という日がありますよ。そいつが今日ですな」
 鉄拳が堪えた様子もなく、恒興は腹の辺りをさすりながら返答した。
「寝ぼけているならもう一発見舞ってやる。腹の足しにはならんだろうがな」
「よしてくださいや。兵というのは殴っても言うことを聞きやしませんよ。むしろ、家来のほしがる褒美をよこしてやるのが、大将の器量ではないですかね。」
「褒美? 何を言っている」
「そうさなア、いまの時期は柿が旬で、……」
 いつも通りのお道化た恒興の態度。それを叱りつける信長もいつも通り。傍からはそう見えなくもない一幕だが、その実、信長はまったく取り乱していた。父親に、弾正忠家に逆らって行った乾坤一擲の大博打。それがいとも容易く打ち破られた屈辱、恥辱がまとわりついて冷静さをまったく失っていた。取り乱した頭が、それでも事態を打開しようと回り続けるとき、それは、最も的外れな形で現れることがある。
「褒美とは何だ、誰から何を受け取った。こちらの動きが敵に知れた理由をキサマは知っているのではないか。恒興、キサマはオレを、」
 信長が恒興の胸倉を掴んでそう言いかけたそのとき、
 ぱしん。
 周囲を埋め尽くす銃声に比せば、その音はこの二人にしか聞こえない枝木を折るほどの小さな音。
「退け、退け! 信長さまの下知だ。今からは死んだ奴の方が不忠だということを忘れるな」
 頬を腫らし、呆気にとられている信長を他所に、誰も聞いたことがないような恒興の凛とした大音声が戦場に響き渡る。
「寝ぼけているのはどっちです。あなたは今、私のおかげで、私という類まれな家来を失わずに済んでいるのだから、こんなに可笑しいことはないですよ」
 そう言って恒興は信長を馬にひょいと乗せると、その馬の尻を蹴りつけた。馬は勢いよく嘶いて那古屋の方角を目掛けて一散に駆けだした。
「ほんとうに手も足もかかるお人だよ。これで馬鹿な疑いが張れるといいが」
 離れていく信長が何やら叫んでる。だが、恒興はもう振り返ることがない。彼の目の前には信長を追わんと押し寄せる敵勢が迫っていたからである。
「しかし、私のような普段チャランポランな奴が「主君のために死んだ」と噂になっても、信じちゃくれねえんだろうな、誰も」
 恒興は切れた口内の血をぺっと吐き出し、三間半の長槍を構えた。
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