織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第二章 台風の目

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 赤塚の戦いは、すぐに弾正忠家中に知れ渡るところとなった。
 出陣は、信長自身が直接率いる七〇〇の兵たちにしか知らされていなかったため、織田信勝、信光らの一族衆をはじめ、林秀貞、平手政秀、柴田勝家に代表される重臣らに至るまで根耳に水の話で、制止する暇もなかった。
 そして、この一件で、最も立場を悪くしたのが平手だった。
「兄上は弾正忠家を滅ぼすおつもりだろうか。父上がようやく実現させた今川との和睦をこちらから反故にし、再び両家を大乱の中へと誘おうとしている」
 信勝は勝家と共に、林秀貞・平手政秀の二人の家老を末森城に呼び出し、信長への対応を協議する評定の場を設けた。もちろん、これは信長自身には秘匿されたものである。
「信長さまの傅役を務めた身として、面目次第もございません。これより、殿に談判し事の次第を……」
「もう兄上も家督を継いだ。いまさら傅役がどうのこうのとあなたの責任を問う気はないが、「事の差配にあたっては林・平手の両名の指示を仰げ」というのが父の遺言の一つだったので、こうして話を聞く場を設けたのだ」
 平手は一筋の汗を流した。信勝がこれから何を言わんとしているか、既に気がついている。
 信勝はフと短い息をついた。それから口を開こうとしたが、言い淀み、結局は何も言わず、傍らの勝家に目配せした。勝家はそれを推し量り、
「拙者から申し上げる。林殿、平手殿、単刀直入に言って、弾正忠家の家督は、信長さまから信勝さまへ譲られてはいかがでしょう」
 低い声で言った。
 政秀は、信勝から「信長に伝えず登城するように」との命が下ったときより、ある種の覚悟を決めていた。その中でも、最も危惧していた題目がこれだったが、それ故にいろいろと思案を重ねてきたものだから、反駁もいくらかは用意していた。
「待たれよ、ア、いや、お待ちください。殿の家督は、亡き信秀さまの遺言によりしかと譲り受けたものにござる。これを蔑ろにしては神罰が下りましょう。殿の軽挙については、僭越ながら私めもよくよく知るところでありますが、事此度の戦についてのみに言えば、そもそもが、謀反を起こした山口一族の討伐に本義があります。今川家との決定的な亀裂を生んだと考えるのは、早計ではないでしょうか。差し支えなければ、私が駿府へ赴き義元公にその旨を釈明して……」
「アア、もうよい、もうよい。秀貞はどう思うか」
 信勝は早々に平手の言を遮り、秀貞に意見を求めた。
「平手殿の仰ることには一定の理がありましょう。確かに山口一族の謀反は許されざる行い。だがしかし、此度はすでに笠寺砦まで岡部元信率いる今川勢が押し寄せてきたと聞いております。この今川の動き自体は由々しきことなれど、義元の重臣が直々に出てきている以上、赤塚にて巻き起こった合戦が、たかだか織田・山口の小競り合いに過ぎないというのは詭弁です。無理がありましょう」
「ならば、笠寺に入り込んだ今川勢こそ重大な停戦約定破りではありませんか。その迎撃すら我らには許されぬと林殿は申されますか」
 堪らず口を挟む平手だが、秀貞は少しも焦る風がない。
「異なことを申されますな。先ほどの平手殿の言うことには、『今川と我らとの間に戦は起こっていない。だから、問題はない』という趣旨だったはず。それに、私は見過ごせとは申してはおりません。笠寺を筆頭に、停戦以後も我らと今川とでは領地の線引が曖昧です。赤塚へ兵を進めるより前に、今川との協議の場を模索すべきだったと言っているのです。結果的に、信長さまは自ら停戦約定を破り、今川義元に尾張侵攻の名分を改めて与えてしまったのでないですか」
「ウン。では秀貞、とくに家督の儀についてはどう思うか」
「家督には筋目というものがありますから、これを無下にはできますまい。ただし、その正しいはずの筋目が道を誤ったとき、それを諫めて差し上げるのが我ら家臣の務めにござる」
「何か考えがあるのだな?」
 この時、平手はようやく秀貞と信勝の間に予め打ち合わせされた内意があることに気がついた。
「例えば、こういうのはいかがでしょうか。先代の法要のなかで、信長さまの振舞いの是非を問うのです。我らの諫言に対し、信長さまがいかがなさるのか。悔い改めていただけるのか、はたまたそうではないのか、浄土の信秀さまにしかとご覧いただく」
「待ちなさい。まさかそのような手順で、先代の遺言を反故にされるおつもりではあるまいな」
「「反故」とはまたもや早合点だ、平手殿。あなたらしくもないことです。私は信長さまがご改心なされることを信じているからこそ、この儀を執り行おうと言うのですよ。それとも平手殿は、信長さまが、臣の意見に耳もかさず暴君の如くに振舞われると、そう、お考えなのですかな」
 二人の官僚の弁舌は永遠にでも行えるような構えだったが、しかし、信勝によって強引に裁定が下された。はじめから平手政秀一人を打ちのめすための談合なのである。
「よくわかった。私は秀貞の言うことに理があると考えるが、どうか」
 誰も異存はあるはずがなかった。平手はすべてを察し、押し黙った。信長を排除せんとする者たちの目論見がここまで進行していることを、平手は遅まきながらしかと思い知った。
「だが、政秀、あなたにも立場というものがあるだろう。兄上に提案せよ。今後、独断による軍事行動は控え、出陣の際は合議制の評定を敷くように、と。やり方は任せる。ただし、兄上がそれに従っていただけぬのなら、その時はあなたにも腹を括っていただきたいものだな。断っておくが我らは兄上の私兵ではない。織田弾正忠家のために力を尽くす者だ。そこを、間違えるなよ」
「皆さまのご意向、しかと承知いたしました。殿へお伝えいたします」
 そうして平手は末森城を後にした。
 自分が城を去った今、再び三名でのが開かれていることだろう。初夏のジメジメとした空気が、さながら毒のように、平手の胃の底にたまってずきずきと痛みをもたらした。
 帰途のなか、馬上で考える。
『改めて冷静に思い返せば、秀貞の語ったことはあながち間違いではないのかもしれない。傅役として成長を見続けてきた自分が、他の誰よりも織田信長という人物を心得ていると考えていた。勘気はあるが心根は雄大で、間違ったことが許せない、融通の効かない大きな子ども。少しばかり他人を思う心が足りないばかりに、誤解と蔑みの礫を一身に受けている。しかし、実は、違うのか? 自分が思うこのような織田信長などは、どこにも、居ないのか? 自分が、自分だけがただ一人、願望に囚われた思い込みのなかで、他の誰よりも織田信長という人物を贔屓にしていたというだけなのではないか?』
 次第に、そんな思いが平手のなかに醸成されていった。
「信長さまも、きらわれたものだ」

 そして、悪い事実というのは折り重なって訪れる。
 平手が城へ帰ってみたとき、さらなる一つの小さな事件が彼を襲った。
 平手の目に飛び込んできたのは、厩のそばの壁にもたれ、打ちひしがれている様子の自らの息子・平手長政ながまさだった。尋常ではなく狼狽している息子に「何があった」と尋ねると、長政は青ざめたまま、声を震わせ、少しずつ事の顛末を語り始めた。
 
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