織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第四章 蛟竜雲雨

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 永禄元年(一五五八年)の秋のこと、病床に伏して快復の見込みがない重篤な容態だと噂される信長から、一益は突如として呼び出された。
「どうも近頃は、武衛さまの動きが怪しい。キサマ、何か知らないか」
「サア。拙者のような新参は武衛さまのお姿を見ることも叶いませんので。それにしても、驚きましたな。ずいぶんと顔色がよろしいではないですか。病は狂言でしたか、――」
 信長はまったくいつもの半袴である。
「美濃の斎藤高政は仮病を使って弟を殺したと聞いたから、真似をしてみたのさ。一見して芸のない手に見えるが、実際にやってみると、ここぞとばかりに裏切り者が蠢く様が手にとるように分かるから、おもしろい。マア、外に出られないというのが堪えるが」
「敵を騙すにはまず味方から、という奴でしたか。標的は末森の弟君でしょうな。いやはや、御見それいたしました」
 一益は言葉を尽くして平伏するが、
「アア、マア、もそうだが、ほかにもね。オイ」
 信長が合図するや、突如、居室の三方より、利家、長秀、それから、政綱の三人が現れて一益をぐるりと囲んでしまった。
 利家などはすでに刀の柄に手をかけている。それが自分に向けられているのだとを感じながらも一益は身じろぎ一つしない。ただ、両の黒目だけをギョロリと動かして周囲を見回した。
「これほど大掛かりなウソをついたんで、たかだか弟一人を騙し切るために使うだけでは、どうも、もったいなくてね。この機に乗じて妙な動きをする奴が他に居ないか、こいつらに見張らせていたわけだ」
「それは大変よろしい。ですが、物騒ですな。それが拙者だと申されるのですか」
 政綱が一歩進み出る。懐から一束の書状取り出し読み上げる。
「『殿が言われる通り、我々は、今川殿に誼を通じようと機を伺っております。しかしながら、近頃は大きな戦もない所為か、信長は清洲に常在しており、城を抜け出ることはままなりません。貴殿とこのやり取りをすることが精一杯のところですから、今しばらくは猶予をいただきたい』。これは滝川殿、アナタの居室より見つけられたものです」
 一筋の汗が一益の額から顎に伝って落ちる。
「確かにこれは武衛さまの手によって書かれたものに相違ありません。それは、信長さまもお分かりでしょう」
 今や義銀が尾張守護として国内に発給する文書のすべては、必ず、信長の目を通し添状を付して出されることになっている。もはや信長なしでは進められる政などない。義銀の配下として側に仕えた政綱はおろか、信長自身も、義銀の筆跡は見慣れたもので、今更間違うはずもなかった。
「服部とは、荷之上の服部友貞のことに相違ありません。この頃、武衛さまは私を遠ざけられ、吉良さまとお会いするようになりました。信長さまに後ろめたい謀議に参じているということは容易に想像でき、やがて、荷之上の服部党との繋がりも見えてきました。ただ一つ、わからなかったのは、荷之上との連絡が一体どの人間を介して行われているのかということてます。私の配下を武衛さまを洗わせても一向にハッキリしない。どうやら、武衛さま自身も、取巻きに任せるばかりで、果たしてどのようにして荷之上へ連絡されているか知らないご様子でした。私には思い至らなかったのですよ。信長さまの肝入りで仕官した何処の馬の骨とも知れないが、元より服部友貞の配下として織田に潜り込んだ密偵だとはね。滝川殿、あなたは伊勢のご出身と伺いましたが、元より、服部党なのではありませんか。我々の感知し得ない荷之上への連絡路をあなたは知っておられるのではないですか」
――やや派手に動きすぎたか。博徒の性が裏目に出たな。拙者はここで、斬られるか?――
 理路整然と言葉を紡ぐ政綱を睨みつけながら一益は自らの最期を想った。好きに生きたといえば、好きに生きた人生だったと言えないこともない。武家に生まれ、その家にすら縛られることなく諸国を放浪しては、博打と鉄砲に時間を費やした。この場であっけなく殺されるというのも仕方がないような気が、どこか自分でもするが、一益は寸前のところでその潔さを手放した。博打は負けが込んでからが本番だという本文に立ち返り、足掻く覚悟を決めた。
「簗田殿のお話は大変に筋が通っております。通っておりますが、しかし、それは事実ではない」
「ここまで証拠があがり、まだ、言い逃れができるとお思いですか」
「既にこの部屋の三方はお三方によって塞がれておりますから、拙者はもう逃げられはしません。どうです、最期の言葉だと思って、拙者の口から真実を語らせていただけませんか」
 ゆらりと、薄ら笑いを浮かべ信長を仰ぎ見た。その目には、諦観と、希望とが、入り混じっている。信長はそこに大軍に挑む寡兵の覚悟を読み取る。もはや眼前の男の罪の有無は問題ではなくなった。『絶体絶命のこの状況下、一益が何を話そうというのか』、それだけが信長の関心事だった。
「ありがとうござる」
 信長からの返答はなかったが、沈黙を承諾と解して一益は礼を述べた。そして、ゆっくりと語り始める。
「まず、簗田殿が読み上げられた書状について、これは、武衛さまの手によって書かれ、そうして、荷之上に届けるために幾人もの手を経て拙者にもたらされたものに相違ありません。また、人を遣い、陰ながら、武衛さまに、そして、吉良さまに決起を唆したのも間違いなく拙者でござる。これも認めましょう。しかしながら、これらは決して、殿への不忠によって行われたる所業ではありません」
「戯言をッ――」
 声を荒げる政綱を、信長は手だけで制した。一益に続けるよう促す。
「ハテ、忠義とは何か」
「質の悪い禅問答に活路を見出そうとでもいうなら、やめておけ」
「ワハハ。ご安心なされませ。簡単な話しか拙者は持ち合わせておりませぬ。忠義者と聞いて、なるほど、簗田殿のような清廉潔白の士を思い浮かべるのはわかりやすいものです。けれども、忠義の形はそれ一つと決まっているわけではござらぬ。むしろ、そのような忠義は、時として主君の躍進を妨げるということもありやしないか、と」
「何が言いたい」
「武衛さまへ殿への裏切りを嗾けるは不忠に非ず。お三方はともかく、殿が気付いていないはずはないのです。サテ、はっきり申し上げますが、清洲城に意義は、もう、何処にも無いではないですか」
 その場の誰もが唾を呑んだ。命を半ば捨てているからこそできる放埓な物言いと見ることもできたかもしれない。
「清洲衆が滅び、そうして、岩倉衆もまた滅びようとしている。反逆を企てた弟君の命数も、すでに尽きたと見える。尾張国における織田信長の敵対者はいよいよ綺麗さっぱりと消え去るのです。不穏分子を一掃し、これより先は国外の猛者と斬り結ぶばかりの大戦に身を投じるほかない。際して、たかだか、で怯んでくれる敵などは何処にも居なくなりましょうや。それどころか、実態を失った旧来の権威は殿を束縛するでしょう。策士が策に足をすくわれるように、権威を使う者は権威に足をすくわれます。武衛さまを奉戴する戦争を続けるうちに、殿の躍進はその範疇に留まってしまう。武衛さまの意に反する動きは何一つできなくなってしまう。
 そうなってからでは、遅いのですッ。殿に敵対する者たちは、今まさに、斯波という古ぼけた家名を旗印として殿に襲いかからんとしている。そうです、かつて吉良義昭を嗾け、今川を相手取った騒乱を企図したアナタさまに、一体それが分からぬはずはない。分からぬはずないではないですかッ」
 政綱は口を挟めない。罪人を弾劾し処罰する用意しかしていないところに、いつの間にか話の次元が一つも、二つも、上がってしまっている。これが、一益の口先による詐術なのか、そうでないのかすら、今は覚束ない。
「斯波義銀、吉良義昭の裏切りが明瞭となった暁には、拙者、すべてを殿に打ち明けるつもりでございました。斯波などという有名無実の権威は、今、この時に、骨抜きにしてしまうほかない。
 そう考えていた折ですよ、清洲の町に服部党が潜り込んだという話を耳にしたのは。その一群を捕まえて吐かせてみたなら、どうやら、武衛さまと殿の離間を謀るために遣わされた密偵だと分かりました」
「なぜ、すぐに知らせなかった」
「無論、はじめはそう考えました。が、それは止しました。簗田殿のような御仁が、必ずや、殿と武衛さまの間を取り持つべく奔走するに違いないと思ったからです。それでは、拙者の考えるところの忠義を貫徹できない。
 拙者は彼奴等から吐かせた情報を用いて、密かに服部友貞から遣わされた使者に成り代わり、そうして、武衛さまを嗾けました。某の正体が分からぬようにね。いかに張りぼての権威とはいえども、何の咎もないままに処罰するわけには行きますまい。ならば、罪はこちらで拵えてやれば良い。『荷之上だけでなく長島一帯が殿に敵対した』と、そう虚報を流したのも拙者でござる。すべては、武衛さまに殿をためです。
 天命だと思いました。これは拙者にしか成せぬ仕事だと。斯波という羊頭狗肉の権威を尾張国から追放しなければ、織田信長という男が真に一国を支配したとは言えませぬ」
 一益はふうと息をついて、居ずまいを正した。
 信長は神妙な面持ちでそれを聞いていた。名指しで批判された手前、何か言わなければならないかのように錯覚したのは政綱である。
「ずいぶんと舌の回ることです。そのような話を、――」
「この書状ですが、――」
 ところが、それまで沈黙を守っていた長秀が政綱を遮るように口を開いた。
「『大きな戦もない』とあることから、この書状が書かれたのは、我らが岩倉衆と浮野で一戦を交えるよりも前と考えられます。もし、滝川殿が服部友貞の忠実な間者だったとすれば、その時分に書かれた文書が、未だに滝川殿の手元にあるというのは、妙です。荷之上に届けられていなければ、これは、密書としての体を成さない」
 件の書状を読み返しながら、まるで一益の主張を裏付けるかのような補足を行った。
「しかし、それだけで、この男の話をすべて信じろなどと、――」
 共に一益を弾劾する味方だと思い込んでいたのか、長秀の指摘に政綱はいよいよ言葉に詰まった。こういう怯みを博徒という人種は常に見逃さないものだ。
「ホンモノの服部党はとあるところへ捕らえて生かしてあります。お命じくだされば、いつでもお目にかけましょう。それに、簗田殿、拙者は『信じろ』などと乱暴な言い方はいたしません。ただ、拙者の心の内を素直に話したのみ。信じるか、信じぬかは、一重に殿のご裁断一つ。この場で一刀のうちに斬り捨てるも、マア、悪くはないでしょう。疑わしきは罰する。それは、でしょう。もし、そのような顛末を迎えたなら、拙者が仕えた主君は、拙者の見込みとは違っていたというだけのこと。また、そうして、見込みの違った主君に軽々に仕えたは、拙者が賭けに負けただけのことでござる。武士の賭けです。負けの代償に命を取られるも、やぶさかではない。だが、しかしながら、方々、これだけは覚えておくとよろしい。いま、拙者を処し、お飾りとなり果てた斯波義銀をおざなりに清洲城に安置し続けたその先の未来に、一体、弾正忠家の、織田信長のいかなる躍進がおありと考えられますかな」
 一益はすべてを言い尽くした。これなら首を落とされても悔いは残らないというほどに、微笑を湛えている。
 政綱はこれ以上一益を追求する言葉は持ち合わせなかった。長秀は一益の処置に関する判断材料を粛々と信長に献じ、自らの責務を全うしたという自負に満ちていた。利家は目の前の男の胆力に肝を抜かれ、ただ、固唾を飲むことしかできないでいる。誰もが、各々の心持ちで信長の判決を待つばかりだった。
「一益」
「ハ」
「キサマの手で、斯波義銀、吉良義昭を尾張国より追放せよ。仔細は任せる」
 死の覚悟が、誠の生を呼び込むもの。一益はそれを肌感覚で知っていたのかもしれない。
 船頭に扮して舟に乗り込む一益は高揚していた。殺されるかもしれない、という緊張も勿論あった。しかし、それ以上に、『織田信長という男の元でなら、いつか命を賭した大博打を楽しむことができるに違いない』という、確信が得られたからだった。義銀たちを乗せて荷之上城へと進む冬の海は闇に覆われていたが、一益は一向に恐れるところがなかった。
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