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第四章 蛟竜雲雨
九
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港に停泊している舟は、どれも信長が清洲の船大工につくらせた軍船よりもはるかに大きかった。それも一つじゃない。軒を連ねて信長たちの眼前を塞ぎ、広く南蛮にまで通じているはずの広大な海をすっかり覆い隠している。一体、これほど巨大な舟が軍用でないことがあるだろうか、と一行の誰もが舌を巻いた。
一方で町に目を転じてみれば、活気のあることは、まず、庶民の顔つきが違っている。清洲を歩けば忽ちに道を譲られる信長一行だが、当然ながら、ここでは誰も特別視してくれない。後ろから走ってきた男が不意に恒興に肩をどんとぶつける。「てめえ」と反射的に振り返り睨みつける恒興だが、男の姿はもうそこにはない。再び向き直ると「堪忍、堪忍」などと声を上げながら、もう十間先ほどは離れていただろうか、呆然とする視界のなかにやがて姿も見えなくなった。
「これが堺か――。信じられませんな。まるで乱世ではないかのような」
可成は驚きのあまり苦笑せざるを得なかった。誰も彼もが賑やかに笑い合っている。可成は、昨日も、今日も、槍の鍛錬を欠かさなったが、そんな武士の矜持そのものがここでは嘲笑されているかのようにすら思われた。それほどまでに血の匂いが遠い。
「どうですかな。何も血が流れるばかりが戦ではありますまい」
鼻が利くのは一益だった。彼の目配せした先には大柄な南蛮の南蛮人の宣教師が居た。何やら白く長い髭を蓄えた品のある商人と鋭い視線を交わらせ、もうずっと長いこと商談に没頭している風である。
「金だ。ここでは、金こそが最も強力な法だと知っているのだ。彼奴らに言わせれば『殺し合いなどしている場合ではない』というところだろうな。だが、あまり田舎者扱いされるのも癪じゃないか」
信長は予め用意しておいた深紅の直垂に着替え、金銀飾りの太刀を差した。信長だけではない。供廻の者たちも皆、目を刺すような色彩に早着替えした。どこかの旅芸人の一座の風采で、それだけでも耳目を集めたが、これが嘲笑の対象とならないのだから、またまた不思議の町だった。
信長の趣味嗜好は幼い頃とそれほど変わっていない。もしも、清洲で同じ格好をしたなら、『また、うつけの殿さまが何かやっているな』と揶揄かいを受けたことだろうが、しかし、都会というものは、意外にこういった田舎者の頑張りを笑わない。誰も彼もが一期一会の競争に走り回っている世界だから、はみ出し者などはもう見飽きている。それが、いかなる動機、いかなる品性から出でたものであっても、とりあえず、抜きん出る者には一目を置くというような大らかさがあった。
信長はそんな堺の心性が気に入ったのだろうか、鉄砲を五〇〇丁注文した。すると、今度はそれが人伝てに話題を呼んんでくる。「「織田信長とかいう奇天烈な侍がいるらしい」などと、尾張の大うつけは堺の町に滞在したわずか数日の間に小さな人気を博すに至る。
「それにしても、五〇〇丁とは恐れ入った。尾張の織田上総介信長ね。覚えておこう、などと上から目線で言いたいところやが、あない勝手されたら、まず以てこっちが忘れられんわ」
約十年の後に、信長は日ノ本一の軍事都市であるこの堺を手中に収めることになるが、一体、著名な商人たちの内の幾名がそれを予期できたことだろう。
「殿。あまり遊ぶと京で足りなくなりませんか。大丈夫ですか」
「アハハ。金は使いたいときに使うのが一番だ。明日死ぬかも知れんのだからね」
――
「織田信長の命も、ここまでよ」
近江・守山を抜けてさらに東、対岸に比叡山を望む琵琶湖の渡しに、三十名ほどの団体の船客がある。年端のいかぬ童などまで身を繕って羽振りは良いように見えるのだが、どうも、行楽と呼ぶには極めて口数の少ない一行だった。
それもそのはず、彼らこそが、美濃のから信長暗殺の命を背負って京を目指す刺客の一団だった。頭目は六人の名のある侍らしいが、かかる大事にあまり緊張を募らせているためか、ほかの客が同船しているというのにも関わらず、度々「織田信長はもう京に入っただろうか――」などとカタギらしからぬ話をしている。
美濃は、道三が長良川に死んでから、その娘婿である尾張の織田信長と戦争続きだ。未だ決着がつく気配は見えない。織田は三河・今川と、斎藤は北近江・浅井とそれぞれ戦いながら、尾濃国境では片手間の小競り合いに終始するばかりだったから、それも仕方がないことだった。
しかし、
『その仇敵との戦争にも今に決着が付けられることだろう。そして、それは俺たちの手によって成されるのだ』
三十人ほどいる一団の誰も彼もが鼻息荒く思っていたことだろう。もし、信長の暗殺が成功したのなら主からの手柄は並ではない。そう考えれば考えるほど、高揚も、不安も、並ではあり得なかった。
ところが、そんな刺客らの考えなどまったく及ばぬところ、尾張国から一足遅れて信長たちの待つ京へと赴く一人の男が、数奇なことに、この同じ舟に乗り合わせていた。名を丹羽兵蔵という。かつて清洲城攻略の謀略を信長と共に企んだあの那古野弥五郎の配下の若侍なのだが、彼は、尾張国に大事がないか信長への定時連絡の任務を負って、今まさに一路・京都を目指しているところであった。信長率いる五〇〇の軍勢が美濃を通過することは無理だけれども、兵蔵ただ一人なら身分を隠してここまで何の苦労もなかったのである。
兵蔵は、一団のただならぬ雰囲気を早くから感じ取ってなるべく目立たないように口を噤んでいたのだが、連中の方は、自分たちの沈黙があまりにピリピリひた空気を醸し出していたのでそれが自分でイヤになったのだろう、何と、たまたま側に座っていた兵蔵に軽薄な口ぶりで声をかけてきた。
「オイ。アンタは何処の国の人だい」
兵蔵は視線を覆うように深く被っていた笠を少しだけ上げ、
「ヘエ。三河の者です」
と嘯いた。
「三河かい。そうかい。それはいい。尾張を通ってきただろう」
「ヘエ。通ってきやしたが、それが何か」
話しかけられてしまったら仕方がない。怪しまれぬよう、兵蔵はなるべく尾張や信長に関する事柄に深入りせず適当にあしらうより他はないと考えを固めていたが、
「清洲の町を通っただろう。どんな風だったか。何か、いつもと違うようなことはなかったか」
向こうの方から聞いてきた。こうなってしまうと変に避けようとする方が不自然だ。次第に、兵蔵の方も一団の素性が気になってきたものだから、少しばかり勇気を出してカマをかけてみた。
「ヘエ。清洲は、そうですな、お変わりないように思いましたが。知っていますか、あそこは織田信長という、大層気性が荒いと三河でも噂の殿さまが治める町で、今日び美濃とも戦争続きと聞いておりましたものですから、イヤ、ここまで来るにはずいぶん肝を潰しましたがね――」
何を言わせようという計算もないが、ただ信長の名を出してみて反応を待った。すると、兵蔵の口ぶりがあまりに剽軽だったからだろうか、はたまた、自らの拵えた深刻な空気が途端に打ち破られたからかもしれない、一団は思い出したかのように破顔して、口が緩むこと。甚だしかった
「ハハ。心配するようなことはあるまい。信長なぞには、別段、大した取締もできないだろうから、堂々と通り抜けてくれば良いのですよ。それに、美濃との戦というのも、もしかすると、アナタの帰る頃には終わっているかもしれんよ」
舟を降りてからも互いに京へ向かう道のりは同じだから随分話したが、兵蔵はいよいよ彼らを不審に思った。本来なら、一刻も早く主君の元へ駆けて行くのが普通だが、兵蔵は、どうにも目の前の一団が気になって仕方がなかった。道草は弥五郎に叱られるかもしれないなどと考えつつも、一団の後をつけ、彼らの宿泊所のすぐ近くに自らも宿を取ってこれを見張った。ところへ、兵蔵は、昼間の船上ですこし遊んでやった小利口そうな童が居たことを思い起こし、夜な夜な、これにひっそりと話しかけ、まるで何も知らぬ振りしてちょっと訊ねてみる。
「君たちの一行はいったいこれから湯治にでも行かれるのだろうか。ここからなら、有馬の辺りか、どうだろう」
すると、兵蔵のことをすっかり三河者だと信じ込んでいる童は、快調に、まるで自慢するかのようにはっきりと答えた。
「湯治だなんて、違いますよ。彼らは、上洛した織田信長を成敗するという大事を果たさんとする美濃の勇士であります。事が成ったなら、尾張との戦も終わるかもしれません。あなたの帰り道が楽になるというのは、そういう訳なのです」
いよいよ大事も大事で、兵蔵はその一団から目を離す訳にはいかなくなった。
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信長の趣味嗜好は幼い頃とそれほど変わっていない。もしも、清洲で同じ格好をしたなら、『また、うつけの殿さまが何かやっているな』と揶揄かいを受けたことだろうが、しかし、都会というものは、意外にこういった田舎者の頑張りを笑わない。誰も彼もが一期一会の競争に走り回っている世界だから、はみ出し者などはもう見飽きている。それが、いかなる動機、いかなる品性から出でたものであっても、とりあえず、抜きん出る者には一目を置くというような大らかさがあった。
信長はそんな堺の心性が気に入ったのだろうか、鉄砲を五〇〇丁注文した。すると、今度はそれが人伝てに話題を呼んんでくる。「「織田信長とかいう奇天烈な侍がいるらしい」などと、尾張の大うつけは堺の町に滞在したわずか数日の間に小さな人気を博すに至る。
「それにしても、五〇〇丁とは恐れ入った。尾張の織田上総介信長ね。覚えておこう、などと上から目線で言いたいところやが、あない勝手されたら、まず以てこっちが忘れられんわ」
約十年の後に、信長は日ノ本一の軍事都市であるこの堺を手中に収めることになるが、一体、著名な商人たちの内の幾名がそれを予期できたことだろう。
「殿。あまり遊ぶと京で足りなくなりませんか。大丈夫ですか」
「アハハ。金は使いたいときに使うのが一番だ。明日死ぬかも知れんのだからね」
――
「織田信長の命も、ここまでよ」
近江・守山を抜けてさらに東、対岸に比叡山を望む琵琶湖の渡しに、三十名ほどの団体の船客がある。年端のいかぬ童などまで身を繕って羽振りは良いように見えるのだが、どうも、行楽と呼ぶには極めて口数の少ない一行だった。
それもそのはず、彼らこそが、美濃のから信長暗殺の命を背負って京を目指す刺客の一団だった。頭目は六人の名のある侍らしいが、かかる大事にあまり緊張を募らせているためか、ほかの客が同船しているというのにも関わらず、度々「織田信長はもう京に入っただろうか――」などとカタギらしからぬ話をしている。
美濃は、道三が長良川に死んでから、その娘婿である尾張の織田信長と戦争続きだ。未だ決着がつく気配は見えない。織田は三河・今川と、斎藤は北近江・浅井とそれぞれ戦いながら、尾濃国境では片手間の小競り合いに終始するばかりだったから、それも仕方がないことだった。
しかし、
『その仇敵との戦争にも今に決着が付けられることだろう。そして、それは俺たちの手によって成されるのだ』
三十人ほどいる一団の誰も彼もが鼻息荒く思っていたことだろう。もし、信長の暗殺が成功したのなら主からの手柄は並ではない。そう考えれば考えるほど、高揚も、不安も、並ではあり得なかった。
ところが、そんな刺客らの考えなどまったく及ばぬところ、尾張国から一足遅れて信長たちの待つ京へと赴く一人の男が、数奇なことに、この同じ舟に乗り合わせていた。名を丹羽兵蔵という。かつて清洲城攻略の謀略を信長と共に企んだあの那古野弥五郎の配下の若侍なのだが、彼は、尾張国に大事がないか信長への定時連絡の任務を負って、今まさに一路・京都を目指しているところであった。信長率いる五〇〇の軍勢が美濃を通過することは無理だけれども、兵蔵ただ一人なら身分を隠してここまで何の苦労もなかったのである。
兵蔵は、一団のただならぬ雰囲気を早くから感じ取ってなるべく目立たないように口を噤んでいたのだが、連中の方は、自分たちの沈黙があまりにピリピリひた空気を醸し出していたのでそれが自分でイヤになったのだろう、何と、たまたま側に座っていた兵蔵に軽薄な口ぶりで声をかけてきた。
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兵蔵は視線を覆うように深く被っていた笠を少しだけ上げ、
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