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第20話 村を包む霧の正体
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夜が明ける前、ルーデン村は白い霧に包まれた。
冷えた空気が肌を刺すように冷たく、視界は十歩先も曖昧になる。
朝から井戸の水を汲みに出たミーナは、異様な気配に足を止めた。
湿った草の匂いの中に、鉄と煙の臭いが混じっていた。
「……おかしい。」
息を潜めて畑を抜ける。霧の向こう、地面が微かに光っている。
うす暗い灰色の中に、赤く燐光を放つ紋章が浮かび上がっていた。
「結界……?」
何者かが魔法を仕込んだ跡だ。王都からの術師でもない限り、こんな高度な展開はできない。
ミーナが手を伸ばそうとしたとき、突然強い腕が彼女を後ろへ引き寄せた。
「触れてはいけません。」
低く穏やかな声。アレンだった。
ミーナは驚いて振り向く。
「アレンさん……いつの間に……」
「この霧が発生してから、ずっと気配を追っていました。」
アレンは結界の縁を見下ろす。紋が動く。まるで生きているかのように、触れる空気の振動を感知して変化した。
「……王都の封印術とは違う。もっと粗削りだが……力が強すぎる。」
アレンの眉がわずかにひそまる。
その時、霧の向こうから鈍い足音が響いた。
人影が三つ、四つ。
村人たちが、無表情のまま歩いてくる。どこか夢遊病者のようだった。
瞳が濁った灰色に染まり、視線がどこにも定まっていない。
「……操られている。」
「まさか、こんな……」
ミーナが息を呑む。アレンは一歩前に出た。
「彼らに危害は加えません。戻します。」
両手を合わせ、掌の間に光を集める。
声がなくとも、村全体が反応したように風が止まる。
指先から金色の筋が伸び、霧の中を走った。
次の瞬間、村人たちの顔が苦痛に歪み、倒れ込む。
アレンは急ぎ彼らに膝をつき、魔力の流れを探る。
頭の中で形を成している術式をなぞるように手を動かした。
「なるほど……“眠りの霧”ですか。」
彼の言葉にミーナが首をかしげる。
「眠りの……?」
「人の意識を別空間に閉じ込め、その殻だけを動かす呪式。しかも範囲指定が広い……最低でも百人規模。」
アレンは霧を少し吸い込み、その微粒子を分析した。
舌先に残る冷たい金属の感覚。
「……やはり。」
「何かわかったんですか?」
「この霧に混じる魔素は、人工的に生成されています。つまり――王都ではなく、別の勢力。」
「別の、って……まさか魔族じゃ……」
「違います。魔族ならもっと波が荒い。これは“再構築石”を応用した術だ。」
その名を聞いたミーナの血が一瞬で冷えた。
「それって……以前アレンさんが話してた、神の力を模倣する……」
「そう。正確には、それを盗んだ者の仕業でしょう。」
◇
広場へ戻ると、村長とリィナが待っていた。
広場中央に倒れている十人ほどの村人の身体を、リィナが癒しの光で包んでいる。
「意識は不安定です。夢の中に何か……“囁き”があるみたい。」
「囁き?」
「目を閉じると聞こえるんです。こっちへおいで、って……。」
その言葉にアレンは顔色を変えた。
両手を井戸の方角に向け、地面を叩く。
空気が波打ち、土が淡く青白く光る。
「方角は……やはり南。昨日王都の封印刻印があった方角ですね。」
アレンはすぐに立ち上がり、外套を翻した。
「リィナ、ここを任せます。僕は行ってきます。」
「私も行きます!」
リィナの声に一瞬躊躇が走る。
だが、アレンはすぐに頷いた。
「……いいでしょう。あなたの中の光も、今回は必要かもしれません。」
◇
二人は南の森へ入った。
深く進むたび、霧は濃くなる。足元の土がぬかるみ、空気が重くのしかかってくる。
やがて視界の奥に、不自然な光が生まれる。
青ではない。紫がかった光。
その中心に、黒い石柱が立っていた。
リィナが息を呑む。
「これ……まさか、神核の欠片?」
「正確には、“模造品”です。」
アレンは無造作に膝をつき、石の表面に手をかざす。
異様に冷たい。
だが、その冷たさは自然のものではなかった。
炎のように、刻まれた魔法陣が弱く燃えている。
「この紋章……ハイゼル。あなたか。」
「ハイゼルって、あの人が!?」
リィナの声が震える。
「ええ。“再構築石”を実験的に起動させたのは彼です。それをここで試すとは。」
アレンは拳を握りしめた。
その瞬間、横に立つリィナが何かに気づいたように顔を上げる。
「アレンさん、霧が――」
遅かった。
石柱が微かに鳴き、周囲の霧が旋回を始める。
まるで意思を持つ生き物のように、白煙が形を得ていく。
霧が集まり、ひとつの姿になる。
それは、鎧に包まれた何者か――否、鎧そのものが生きているようだった。
空洞の兜がアレンたちを見下ろし、どこか恋しげな声を放つ。
『アレン=クロード。貴様ヲ裁ク。』
「……模造因子の暴走体ですか。まだ完成していなかったようですね。」
『神を模ス者ニ、赦シナシ。』
言葉と同時に、霧の手が槍の形をとり突き出す。
リィナが光の壁を張り、アレンが杖をかざす。
雷鳴が落ちるような音を立てて衝撃が走る。
二人の足元が崩れ、地面に亀裂が走る。
「やはり……これが“神核の模造”の限界。」
アレンの目が穏やかに光を帯びる。
リィナが叫ぶ。
「倒せるんですか!?」
「倒す必要はありません。――還すだけです。」
アレンの声が風の中で低く響いた。
杖の先に展開された円環がゆっくりと回転を始める。
それは、まるで時の歯車が動き出すかのような光景だった。
「“閉環式再生法”。」
呟きとともに光輪が広がり、霧の怪物を包む。
暴れる影が叫びを上げる。
その声は苦しみと祝福が入り混じったような悲鳴。
「もう眠りなさい。お前は生まれるべきではなかった。」
杖を軽く振る。
霧が解ける。光が爆ぜ、静寂が訪れる。
辺りにただ湿った空気だけが残り、石柱は灰のように崩れて消えた。
◇
その帰り道。
霧が薄れ、空に初めて月が顔を出した。
リィナは肩で息をしながら、それでもアレンを心配そうに見上げた。
「アレンさん、手が……」
彼の左手からは血が滲んでいた。
「代償です。模造核との干渉は同質の波を生む。気にしないでください。」
「気にします!」
珍しく、リィナが声を荒らげた。
「あなた、いつも自分のことばっかり後回しにして……。誰かを助けるたびに、傷ついてるじゃないですか。」
アレンは黙っていたが、やがて柔らかく笑った。
「それでも、誰かの命が続くなら、それでいい。」
リィナは何か言いかけたが、それ以上は言葉にならなかった。
二人が村へ戻る頃、霧は完全に晴れていた。
村人たちの意識も戻り、子供たちの笑い声が夜風に混じる。
アレンはその光景を見つめ、小さく息を吐いた。
「終わりましたね。」
「終わった……のかな。」
リィナのつぶやきに、彼は答えない。
なぜなら遠くの空、王都の方角にまた新しい光が灯っていたからだ。
それはまるで、次の嵐を告げる狼煙のようだった。
「……まだ続く、か。」
アレンはそっと杖を握りしめ、青い夜空を見上げた。
その顔には疲労と、わずかな決意の色が浮かんでいた。
冷えた空気が肌を刺すように冷たく、視界は十歩先も曖昧になる。
朝から井戸の水を汲みに出たミーナは、異様な気配に足を止めた。
湿った草の匂いの中に、鉄と煙の臭いが混じっていた。
「……おかしい。」
息を潜めて畑を抜ける。霧の向こう、地面が微かに光っている。
うす暗い灰色の中に、赤く燐光を放つ紋章が浮かび上がっていた。
「結界……?」
何者かが魔法を仕込んだ跡だ。王都からの術師でもない限り、こんな高度な展開はできない。
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「触れてはいけません。」
低く穏やかな声。アレンだった。
ミーナは驚いて振り向く。
「アレンさん……いつの間に……」
「この霧が発生してから、ずっと気配を追っていました。」
アレンは結界の縁を見下ろす。紋が動く。まるで生きているかのように、触れる空気の振動を感知して変化した。
「……王都の封印術とは違う。もっと粗削りだが……力が強すぎる。」
アレンの眉がわずかにひそまる。
その時、霧の向こうから鈍い足音が響いた。
人影が三つ、四つ。
村人たちが、無表情のまま歩いてくる。どこか夢遊病者のようだった。
瞳が濁った灰色に染まり、視線がどこにも定まっていない。
「……操られている。」
「まさか、こんな……」
ミーナが息を呑む。アレンは一歩前に出た。
「彼らに危害は加えません。戻します。」
両手を合わせ、掌の間に光を集める。
声がなくとも、村全体が反応したように風が止まる。
指先から金色の筋が伸び、霧の中を走った。
次の瞬間、村人たちの顔が苦痛に歪み、倒れ込む。
アレンは急ぎ彼らに膝をつき、魔力の流れを探る。
頭の中で形を成している術式をなぞるように手を動かした。
「なるほど……“眠りの霧”ですか。」
彼の言葉にミーナが首をかしげる。
「眠りの……?」
「人の意識を別空間に閉じ込め、その殻だけを動かす呪式。しかも範囲指定が広い……最低でも百人規模。」
アレンは霧を少し吸い込み、その微粒子を分析した。
舌先に残る冷たい金属の感覚。
「……やはり。」
「何かわかったんですか?」
「この霧に混じる魔素は、人工的に生成されています。つまり――王都ではなく、別の勢力。」
「別の、って……まさか魔族じゃ……」
「違います。魔族ならもっと波が荒い。これは“再構築石”を応用した術だ。」
その名を聞いたミーナの血が一瞬で冷えた。
「それって……以前アレンさんが話してた、神の力を模倣する……」
「そう。正確には、それを盗んだ者の仕業でしょう。」
◇
広場へ戻ると、村長とリィナが待っていた。
広場中央に倒れている十人ほどの村人の身体を、リィナが癒しの光で包んでいる。
「意識は不安定です。夢の中に何か……“囁き”があるみたい。」
「囁き?」
「目を閉じると聞こえるんです。こっちへおいで、って……。」
その言葉にアレンは顔色を変えた。
両手を井戸の方角に向け、地面を叩く。
空気が波打ち、土が淡く青白く光る。
「方角は……やはり南。昨日王都の封印刻印があった方角ですね。」
アレンはすぐに立ち上がり、外套を翻した。
「リィナ、ここを任せます。僕は行ってきます。」
「私も行きます!」
リィナの声に一瞬躊躇が走る。
だが、アレンはすぐに頷いた。
「……いいでしょう。あなたの中の光も、今回は必要かもしれません。」
◇
二人は南の森へ入った。
深く進むたび、霧は濃くなる。足元の土がぬかるみ、空気が重くのしかかってくる。
やがて視界の奥に、不自然な光が生まれる。
青ではない。紫がかった光。
その中心に、黒い石柱が立っていた。
リィナが息を呑む。
「これ……まさか、神核の欠片?」
「正確には、“模造品”です。」
アレンは無造作に膝をつき、石の表面に手をかざす。
異様に冷たい。
だが、その冷たさは自然のものではなかった。
炎のように、刻まれた魔法陣が弱く燃えている。
「この紋章……ハイゼル。あなたか。」
「ハイゼルって、あの人が!?」
リィナの声が震える。
「ええ。“再構築石”を実験的に起動させたのは彼です。それをここで試すとは。」
アレンは拳を握りしめた。
その瞬間、横に立つリィナが何かに気づいたように顔を上げる。
「アレンさん、霧が――」
遅かった。
石柱が微かに鳴き、周囲の霧が旋回を始める。
まるで意思を持つ生き物のように、白煙が形を得ていく。
霧が集まり、ひとつの姿になる。
それは、鎧に包まれた何者か――否、鎧そのものが生きているようだった。
空洞の兜がアレンたちを見下ろし、どこか恋しげな声を放つ。
『アレン=クロード。貴様ヲ裁ク。』
「……模造因子の暴走体ですか。まだ完成していなかったようですね。」
『神を模ス者ニ、赦シナシ。』
言葉と同時に、霧の手が槍の形をとり突き出す。
リィナが光の壁を張り、アレンが杖をかざす。
雷鳴が落ちるような音を立てて衝撃が走る。
二人の足元が崩れ、地面に亀裂が走る。
「やはり……これが“神核の模造”の限界。」
アレンの目が穏やかに光を帯びる。
リィナが叫ぶ。
「倒せるんですか!?」
「倒す必要はありません。――還すだけです。」
アレンの声が風の中で低く響いた。
杖の先に展開された円環がゆっくりと回転を始める。
それは、まるで時の歯車が動き出すかのような光景だった。
「“閉環式再生法”。」
呟きとともに光輪が広がり、霧の怪物を包む。
暴れる影が叫びを上げる。
その声は苦しみと祝福が入り混じったような悲鳴。
「もう眠りなさい。お前は生まれるべきではなかった。」
杖を軽く振る。
霧が解ける。光が爆ぜ、静寂が訪れる。
辺りにただ湿った空気だけが残り、石柱は灰のように崩れて消えた。
◇
その帰り道。
霧が薄れ、空に初めて月が顔を出した。
リィナは肩で息をしながら、それでもアレンを心配そうに見上げた。
「アレンさん、手が……」
彼の左手からは血が滲んでいた。
「代償です。模造核との干渉は同質の波を生む。気にしないでください。」
「気にします!」
珍しく、リィナが声を荒らげた。
「あなた、いつも自分のことばっかり後回しにして……。誰かを助けるたびに、傷ついてるじゃないですか。」
アレンは黙っていたが、やがて柔らかく笑った。
「それでも、誰かの命が続くなら、それでいい。」
リィナは何か言いかけたが、それ以上は言葉にならなかった。
二人が村へ戻る頃、霧は完全に晴れていた。
村人たちの意識も戻り、子供たちの笑い声が夜風に混じる。
アレンはその光景を見つめ、小さく息を吐いた。
「終わりましたね。」
「終わった……のかな。」
リィナのつぶやきに、彼は答えない。
なぜなら遠くの空、王都の方角にまた新しい光が灯っていたからだ。
それはまるで、次の嵐を告げる狼煙のようだった。
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