追放された万能聖魔導師、辺境で無自覚に神を超える ~俺を無能と言った奴ら、まだ息してる?~

たまごころ

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第23話 森が囁く「選ばれし者」

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 その夜、ルーデン村の空には淡く赤い月が浮かんでいた。  
 風を切るような音が遠くから響き、眠りについた家々の灯火をかき消していく。  
 アレンは自宅の裏で、地面に広げた魔法陣の修復を行っていた。  
 そこには地脈を安定させるための術式が刻まれているが、数日前の一連の騒動でわずかな歪みが生じていた。  

「……圧が強い。王都の干渉波が、すでに届いていますね。」  
 静かに呟き、地を撫でる。指先に微かな熱。遠くの空間で神殿魔術師たちが同位式を展開している証だ。  
 人間の手で神の領域を測ろうとする行為。その滑稽さを理解している彼らは、それでも止まらない。  

「アレンさん、まだ起きてたんですか?」  
 振り向くと、ランプを持ったミーナが立っていた。  
 寝巻のままのその姿が、闇の中でもほのかに温かい。  
「こんな時間にどうしたんです?」  
「なんか、村の外がざわついてたんです。それで……もしかしてアレンさんまた危ないことしてるんじゃないかって。」  
「危ないこと、ですか。ふふ、失礼な。」  
「冗談です。でもほんと、寝てくださいよ。疲れてるのに。」  

 アレンは微笑み、地に座り込んだ。  
「光が強くなりすぎると、夜が恋しくなるんです。」  
「それ、詩みたいに言ってますけど結構怖いですよ。」  
 二人の間に小さな笑いが生まれる。  
 だが、次の瞬間、森の方から不気味なざわめきが聞こえた。  

 風ではない。木々が息を合わせるように音を立て、まるで言葉のように囁いている。  
 ミーナがぎょっとしてアレンの腕にしがみつく。  
「……ね、ねえ、今の聞きました?」  
「ああ。森が話しています。」  
「話すって、どういう――」  
「“選ばれし者”を探しているようですね。」  

 アレンは立ち上がり、森の方角に目をやった。  
 闇の向こうで、木の影がうねるように動いている。  
 ルーデンの森は、古くから神核の力で生態を保ってきた守りの森だ。だがその森が、人の言葉を発することなど一度もなかった。  

「アレンさん、危ないですよ!まさか行くつもりですか!?」  
「選ばれる前に、話してみましょう。」  

 ミーナの制止を振り切り、アレンは足を踏み入れた。  
 草木がざわめくたびに風が逆巻き、枝が二人の間を遮断する。  
 ミーナは追いかけようとして転びそうになりながらも声を張り上げた。  
「アレンさん!戻ってきて!」  

         ◇  

 森の奥は別世界だった。  
 木々が絡まり合い、地面を照らす月光は届かない。  
 それでもアレンの足取りは迷いがなかった。  
 心の奥底に、どこか懐かしい響きが届いていた。  

(……アレン。)  

 声。  
 それは風でも鳥でもない。  
 肩越しに、誰かがそっと名前を呼ぶ気配がした。  
 振り返っても、誰もいない。  
 だが、地の底から同じ声が重なる。  

(あなたはまだ、何かを迷っている。)  

「迷ってなどいません。」  
 思わず返してしまう。  

(嘘。あなたはずっと、自分を許せずにいる。)  

 声音がどこか優しい。  
 昔聞いた“誰か”に似ている。  
 アレンは手を胸にあて、深く息を吐いた。  
「……あなたは誰です?」  

 木々の間を光が走った。  
 次の瞬間、目の前の空間が揺らぐ。  
 そこに、ひとりの少女が立っていた。  

 金色の髪、緑の瞳。リィナ。  
 ――のように見えて、違った。  
 瞳の奥にあるものがまるで異なる。  
 まるで、大地そのものが形を取った存在のようだった。  

『わたしは“森”です。あなたが呼んだのです、アレン=クロード。』  
 声が重なり合う。まるで数百の声が同時に語っているようだった。  

「森……あなたが選ぼうとしている“者”とは?」  
『試練の継承者。神核の力を継ぎ、人としてこの地を繋ぐ者。』  
「なるほど、僕をですか?」  
『あなたではありません。』  
 即答。アレンの表情が変わる。  

『あなたは観測する者。記す者。だが、この世界を次に導くのは“血の子”です。』  
「血の子?」  
『この村の中に眠る、古の血を継ぐ魂。あなたの光が呼び覚ましてしまった。』  
 アレンの脳裏に、昨日見た夢の光景が蘇る。  
 リュシア、竜、神の心臓。  
 そしてリィナ――  

「まさか、リィナを?」  
『そうです。彼女の中には二つの光がある。森の祝福と、神核の欠片。そして、あなたの術の波長。』  
「彼女を“選ぶ”つもりですか。」  
『彼女しかいません。彼女はわたしたちの声を聞ける。わたしたちの“終わり”を祈ることができる。』  

 森の影がうねり、幾本もの蔓が揺れた。  
 彼女(それ)はアレンに顔を近づける。  
『あなたは彼女を守るでしょう。ならば、それでいい。わたしたちはもう眠りたいのです。』  
「眠りたい……?」  
『永い時間です。神に仕え、人に食い尽くされ、残るのは静かな願いだけ。あなたたちが未来を造るなら、わたしたちは“消えて”もいい。』  
 その声は穏やかだったが、何よりも悲しかった。  

「もし彼女が拒むなら?」  
『拒まないでしょう。彼女はもう気づいているはず。あなたと同じ、救いと贖いを求めて。』  

 沈黙が流れた。  
 森を渡る風が鳴り、木々の枝先が星の光を反射する。  
 アレンは杖を強く握り、息を整えた。  
「彼女に選ばせてやってください。森の命が彼女を望むなら、僕はそれを否定しません。」  
『……わかりました。』  

 言葉と共に、森の姿がゆっくり光となって消えていく。  
 最後に残った声が、まるで祈りを告げるように囁いた。  
『“選ばれし子”に、風の導きを。』  

         ◇  

 アレンが森を出たとき、空はすでに白み始めていた。  
 村の入口では、心配そうに待つミーナとリィナの姿があった。  
「アレンさん!」  
「ごめんなさい、心配をかけました。」  
「森に入ったって聞いて……!」  

 ミーナが怒ったように叫ぶ横で、リィナがじっとアレンを見つめていた。  
「……何があったんですか。」  
「森が、君を呼んでいました。」  
「わたしを?」  
「“選ばれし者”として。」  

 リィナは一瞬だけ目を見開く。  
 だが驚きよりも、どこか納得の表情があった。  
「……やっぱり。」  
「気づいていたんですね。」  
「うっすら。でも、怖くなかった。森が私に“お願い”をしている気がして。」  
「お願い?」  
「“終わらせて”って。」  

 アレンは黙って空を見た。  
 赤い月は消え、代わりに淡い青の光が差し込んでいた。  
 新しい日の光。それはどこか緊張を含む夜明けだった。  

 リィナは静かに言った。  
「アレンさん……もし本当に、私が“選ばれる”のだとしても、私はあなたと一緒にいたいです。」  
 その言葉にアレンは苦笑を浮かべる。  
「僕の隣は、危ないですよ。」  
「知ってます。でも、もう怖くありません。」  

 その笑顔は、リュシアの面影と重なって見えた。  
 アレンは短く息を吐き、ゆっくりと頷いた。  

「わかりました。それなら――共に進みましょう。森が託した“選び”の先へ。」  

 風がふいに吹き抜け、森の方から木の葉がひとひら飛んできた。  
 アレンはそれを掴み、空に放った。  
 葉が光の粒となって消える。  

 その瞬間、遠い王都の天文塔の観測士が叫び声を上げた。  
「北方より神性反応!強度レベル七十五!“選定の波”が発生しています!」  
 塔の最上階、窓辺に立つハイゼルがゆっくりと口元を歪める。  
「選ばれし者……か。まさかこの時代に、再びその言葉を聞くとは。」  

 風が吹き抜ける。  
 ルーデン村では、朝日が大地を照らし出していた。  
 すべてが新たな運命の幕開けを告げるように、光と風がひとつに溶け合っていった。
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