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第30話 再び歩む者たち
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夜明け前。ルーデン村を包む霧が薄れ、東の空が白む。
アレンは荷をまとめ、村の通りを静かに歩いていた。
村人たちはまだ眠っている。しかし、出発のことは皆知っているのだろう。
見送る言葉も、止める声もなく、ただ風と朝露の音だけが耳に届いていた。
「村を頼みました。」
アレンは村長の家の前で小さく呟いた。
窓越しに灯がともる。老人の気配がし、奥からかすかに笑うような声がした。
「そんなこと言わんでも、もうみんな動いておる。あの平和、お前さんが教えたんじゃ。」
短い言葉にアレンは微笑み、ひとつ頷くと背を向けた。
道の先では、リィナが待っていた。
背中に小さな旅の荷を背負い、手には光を宿した杖。
その姿はすでに“村の少女”ではなく、どこか誇り高い巫女のように見えた。
「準備は?」
「できてます。森も、見送ってくれました。」
リィナが微笑むと、背後の森で風が鳴った。枝葉の揺れる音はまるで言葉のようで、「行け」と囁いているようだった。
アレンは杖の石を指でなぞりながら言った。
「王都の神門が再び動いた……。それを止めるには、僕の過去と正面から向き合うしかない。」
「怖くないんですか?」
「怖いですよ。十年前に置き去りにしたままの罪が、今も僕を呼んでいる。」
「なら、二人で行きましょう。」
「ありがとう。」
二人が村を出る時、東の空で朝日が昇った。
光が差し、霧の中に虹が現れる。
それはまるで新しい旅路の橋のようだった。
◇
村を離れて半日。
辺境の山道を抜ける途中、リィナが立ち止まった。
「アレンさん、この道、本当に王都に通じているんですか?」
「ええ。十年前、僕がこの道を通って逃げたんです。」
「じゃあ、今度は逆に帰るんですね。」
「そうなりますね。」
アレンの声は静かだった。
風が山の頂を越え、遠く積雲の中で稲光が走る。王都のある東方の空。そこに今、異常な魔力の波が重なっていた。
リィナは腕を組み、小さく唇を噛んだ。
「また“神門”が開いたら、どうなるんでしょう。」
「世界が書き直されます。」
「書き直す?」
「世界を形作っている理は、神々の“約束”によって保たれています。それを無理に解き放つと、境界が崩れ、命の輪そのものが乱れてしまう。」
「じゃあ、どうしてハイゼルは……そんなことを?」
「彼の信仰は正義でも狂気でもありません。多分、“赦し”を求めたんです。」
「赦し……?」
「神も人も、自分の犯した罪を“許された”と信じたい。その確証を手にするために、彼は理そのものを握ろうとしている。」
リィナは俯いた。
「……寂しい人ですね。」
「そうですね。けれど、僕だって似たようなものでした。」
深い森を抜けると、広い渓谷が現れる。
その中央に、古びた石の橋が架かっていた。
「ここから先が、王都領です。」
アレンは足を止めた。
橋の向こう、街道の先には霧がかかり、その中に黒い影が並んでいる。
鎧を纏った兵の列。
リィナが息を呑む。
「……迎えですか?」
「ええ。こちらが行く前に見つけられましたね。」
アレンがゆっくりと橋に足を踏み出すと、向こうの兵たちが道を開いた。
そして列の中央から、一人の人物が前へ進み出る。
黒衣に金線の刺繍。
「……聖殿院長代理、リリア=シェード。」
かつての仲間。十年前、アレンとともに神核研究を率い、後に彼を追放する側に回った女。
彼女の瞳は懐かしくも、どこか深い後悔を湛えている。
「久しぶりね、アレン。」
微笑の裏に混ざる緊張が、風よりも冷たい。
アレンは頷き、静かに言葉を返した。
「ハイゼルは?」
「行方不明。でもあの人、どこかで“理”を使っている。神門がまた動いたのもその証拠よ。」
「あなたがそれを止めたい理由は?」
「私にも、守りたかったものがあるの。」
リリアの声がわずかに震えた。
「……あの時、あなたを裏切ったのは命令だった。でも、あれからずっと罪悪感を抱えていた。だからこれだけは譲れない。」
「私を殺してでも、理を守りたいと?」
リリアは首を振った。
「あなたとは、今度こそ敵にはなりたくない。だから――」
彼女は服の内から小さな封書を取り出した。
「王都中枢区より正式な撤退命令が出たわ。ルーデン封印計画は完全に停止。あなたが行った“逆構築”の影響が、神殿システム全てに上書きされたの。」
「……つまり?」
「“あなたが書き換えた夢”が、まだ続いてる。世界は再構築され続けているの。だからハイゼルは焦ってる。」
アレンは手紙を受け取り、封を切ることなく見つめた。
「僕が作った夢が、まだ……。」
風が吹き抜け、彼の髪を揺らす。
その横で、リィナが不安げに彼を見上げた。
「アレンさん。それって、もう世界が……あなたの思い通りになってるってこと?」
「違います。僕の夢は、人が生きて“自分の意思で選ぶ場所”を作ることでした。でも、これは――」
「ハイゼルの夢になってる?」
「そうだ。」
リリアが肩を落とす。
「彼が自分の理で世界を形作れば、“選ばれし者”も、“森の契約”も上書きされて消える。あなたが守ったものが、ただの幻になるのよ。」
アレンの唇が固く結ばれる。
「だから今度は、夢そのものに入り込んで止めるしかない。」
◇
その夜。
王都へ向かう街道を前に、アレンは火を焚いていた。
焚き火の赤がリィナの横顔を照らし、木々のざわめきが心地よい。
「アレンさん。」
「ん?」
「もし、ハイゼルを倒しても、“夢”そのものがなくなるとしたら、あなたはどうしますか?」
アレンは少し考え、灰になりかけた木の枝を指で転がした。
「夢がなくなることはないと思います。形が変わるだけです。」
「形が、変わる?」
「僕が諦めても、誰かがまた“作り直す”。そうやって世界は続いていくんです。君の祈りや森の声がそうだったようにね。」
リィナの唇に小さな笑みが浮かぶ。
「……なら、私はその夢を見届けます。」
「いい夢になるといいですね。」
二人は空を見上げた。
星々の中に、一つだけ強く光る星がある。
それは竜の印と同じ、青白い輝き。
アレンは静かに呟いた。
「“再構築の理”を賭けた真の戦いは、ここからです。」
焚き火がひときわ高く燃え上がる。
その炎の中に、かつての約束がよぎった。
神ではなく人として、何を守るのか――。
朝になる前に決着をつけると、アレンは心の中で誓った。
そして夜明け。
風が再び新しい方向へ吹き、王都の尖塔が遠くにかすかに見えた。
運命の第二幕が、静かに幕を上げようとしていた。
アレンは荷をまとめ、村の通りを静かに歩いていた。
村人たちはまだ眠っている。しかし、出発のことは皆知っているのだろう。
見送る言葉も、止める声もなく、ただ風と朝露の音だけが耳に届いていた。
「村を頼みました。」
アレンは村長の家の前で小さく呟いた。
窓越しに灯がともる。老人の気配がし、奥からかすかに笑うような声がした。
「そんなこと言わんでも、もうみんな動いておる。あの平和、お前さんが教えたんじゃ。」
短い言葉にアレンは微笑み、ひとつ頷くと背を向けた。
道の先では、リィナが待っていた。
背中に小さな旅の荷を背負い、手には光を宿した杖。
その姿はすでに“村の少女”ではなく、どこか誇り高い巫女のように見えた。
「準備は?」
「できてます。森も、見送ってくれました。」
リィナが微笑むと、背後の森で風が鳴った。枝葉の揺れる音はまるで言葉のようで、「行け」と囁いているようだった。
アレンは杖の石を指でなぞりながら言った。
「王都の神門が再び動いた……。それを止めるには、僕の過去と正面から向き合うしかない。」
「怖くないんですか?」
「怖いですよ。十年前に置き去りにしたままの罪が、今も僕を呼んでいる。」
「なら、二人で行きましょう。」
「ありがとう。」
二人が村を出る時、東の空で朝日が昇った。
光が差し、霧の中に虹が現れる。
それはまるで新しい旅路の橋のようだった。
◇
村を離れて半日。
辺境の山道を抜ける途中、リィナが立ち止まった。
「アレンさん、この道、本当に王都に通じているんですか?」
「ええ。十年前、僕がこの道を通って逃げたんです。」
「じゃあ、今度は逆に帰るんですね。」
「そうなりますね。」
アレンの声は静かだった。
風が山の頂を越え、遠く積雲の中で稲光が走る。王都のある東方の空。そこに今、異常な魔力の波が重なっていた。
リィナは腕を組み、小さく唇を噛んだ。
「また“神門”が開いたら、どうなるんでしょう。」
「世界が書き直されます。」
「書き直す?」
「世界を形作っている理は、神々の“約束”によって保たれています。それを無理に解き放つと、境界が崩れ、命の輪そのものが乱れてしまう。」
「じゃあ、どうしてハイゼルは……そんなことを?」
「彼の信仰は正義でも狂気でもありません。多分、“赦し”を求めたんです。」
「赦し……?」
「神も人も、自分の犯した罪を“許された”と信じたい。その確証を手にするために、彼は理そのものを握ろうとしている。」
リィナは俯いた。
「……寂しい人ですね。」
「そうですね。けれど、僕だって似たようなものでした。」
深い森を抜けると、広い渓谷が現れる。
その中央に、古びた石の橋が架かっていた。
「ここから先が、王都領です。」
アレンは足を止めた。
橋の向こう、街道の先には霧がかかり、その中に黒い影が並んでいる。
鎧を纏った兵の列。
リィナが息を呑む。
「……迎えですか?」
「ええ。こちらが行く前に見つけられましたね。」
アレンがゆっくりと橋に足を踏み出すと、向こうの兵たちが道を開いた。
そして列の中央から、一人の人物が前へ進み出る。
黒衣に金線の刺繍。
「……聖殿院長代理、リリア=シェード。」
かつての仲間。十年前、アレンとともに神核研究を率い、後に彼を追放する側に回った女。
彼女の瞳は懐かしくも、どこか深い後悔を湛えている。
「久しぶりね、アレン。」
微笑の裏に混ざる緊張が、風よりも冷たい。
アレンは頷き、静かに言葉を返した。
「ハイゼルは?」
「行方不明。でもあの人、どこかで“理”を使っている。神門がまた動いたのもその証拠よ。」
「あなたがそれを止めたい理由は?」
「私にも、守りたかったものがあるの。」
リリアの声がわずかに震えた。
「……あの時、あなたを裏切ったのは命令だった。でも、あれからずっと罪悪感を抱えていた。だからこれだけは譲れない。」
「私を殺してでも、理を守りたいと?」
リリアは首を振った。
「あなたとは、今度こそ敵にはなりたくない。だから――」
彼女は服の内から小さな封書を取り出した。
「王都中枢区より正式な撤退命令が出たわ。ルーデン封印計画は完全に停止。あなたが行った“逆構築”の影響が、神殿システム全てに上書きされたの。」
「……つまり?」
「“あなたが書き換えた夢”が、まだ続いてる。世界は再構築され続けているの。だからハイゼルは焦ってる。」
アレンは手紙を受け取り、封を切ることなく見つめた。
「僕が作った夢が、まだ……。」
風が吹き抜け、彼の髪を揺らす。
その横で、リィナが不安げに彼を見上げた。
「アレンさん。それって、もう世界が……あなたの思い通りになってるってこと?」
「違います。僕の夢は、人が生きて“自分の意思で選ぶ場所”を作ることでした。でも、これは――」
「ハイゼルの夢になってる?」
「そうだ。」
リリアが肩を落とす。
「彼が自分の理で世界を形作れば、“選ばれし者”も、“森の契約”も上書きされて消える。あなたが守ったものが、ただの幻になるのよ。」
アレンの唇が固く結ばれる。
「だから今度は、夢そのものに入り込んで止めるしかない。」
◇
その夜。
王都へ向かう街道を前に、アレンは火を焚いていた。
焚き火の赤がリィナの横顔を照らし、木々のざわめきが心地よい。
「アレンさん。」
「ん?」
「もし、ハイゼルを倒しても、“夢”そのものがなくなるとしたら、あなたはどうしますか?」
アレンは少し考え、灰になりかけた木の枝を指で転がした。
「夢がなくなることはないと思います。形が変わるだけです。」
「形が、変わる?」
「僕が諦めても、誰かがまた“作り直す”。そうやって世界は続いていくんです。君の祈りや森の声がそうだったようにね。」
リィナの唇に小さな笑みが浮かぶ。
「……なら、私はその夢を見届けます。」
「いい夢になるといいですね。」
二人は空を見上げた。
星々の中に、一つだけ強く光る星がある。
それは竜の印と同じ、青白い輝き。
アレンは静かに呟いた。
「“再構築の理”を賭けた真の戦いは、ここからです。」
焚き火がひときわ高く燃え上がる。
その炎の中に、かつての約束がよぎった。
神ではなく人として、何を守るのか――。
朝になる前に決着をつけると、アレンは心の中で誓った。
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