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第35話 詩を紡ぐ風の街
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アレンが谷を抜け南部の平原へ出たのは、旅を再開してから十日後のことだった。
王都から遠く離れたこの地は、再構築によって開いた地脈の余波で空が常に揺らぎ、陽光が柔らかく漂っている。
丘を抜け、荒野の一本道を行くうちに、やがて緑の吹きだまりが現れる。
小さな街。風車が丘の上にいくつも並び、家々の屋根には風よけの膜が張られている。
「……風の街、デール。」
アレンは懐かしげに呟いた。
かつてここは、風帆を操る行商たちの拠点だった。数多の交易が交差する要地だったが、封印戦争後に一度廃墟となり、いまや再生の真っ最中だ。
街の入口で、少年が手を振っていた。
「旅人さん! 北から来たの?」
「ええ。」アレンは歩み寄る。「ここの代表者と話がしたい。王都の再建支援で来たんです。」
少年は眼を輝かせてうなずいた。
「なら長に言ってくる! 風車の丘の家だよ!」
馬車一台通れないような坂道を上る。てっぺんには古い鐘塔があり、鉄でできた風鈴が絶え間なく鳴っていた。
鐘塔の下、仮設の執務所の前に、見覚えのある背中があった。
薄緑の衣をまとい、風を抱くように腕を広げて立つ女性――リィナ。
「……来てしまいましたね。」
彼女は振り返らずに言った。
「王都が落ち着いたと思ったら、また南の現場ですか。働きすぎですよ、アレンさん。」
アレンは苦笑して肩をすくめた。
「君こそ、こんな風の街で何をしてるんですか。」
「共生の庭の拡張ですよ。森を広げすぎると乾いた地域が焦げます。風と森を混ぜる、それが今の課題です。」
彼女の声には確かな力があった。王都の少女ではない、ひとつの理を担う“導き手”の声。
「王都から一報だけ届きました。あなたの“再構築”の記録が正式に記録院に登録されたそうです。教科書に載るらしいですよ。」
アレンは目を細めて笑う。
「僕の名前なんぞ残しても、誰かが真似をするだけじゃないか。」
「いいえ。理を知っても、あなたのように使える者は少ない。残るのは技術じゃなくて、“使う勇気”ですよ。」
風鈴が鳴り、ふたりの間に柔らかい陽射しが差し込む。
「ところで。」リィナが視線を上げた。
「ここ数日、変な風を感じませんか?」
アレンは頷いた。「ええ。道中ずっと感じてました。地脈の線が風に乗って広がるような、回転を伴う干渉です。自然発生しているものではありません。」
「誰かが、また“大地”に手を加えている?」
「多分。悪意じゃなく、試作でしょう。封印の時代の遺産が、まだどこかで生きている。」
ふと、街の中央に立つ時間塔の上で、白い鳩が飛び立った。
それを見て、リィナが目を細める。
「……伝書ですね。」
風に乗って届いた鳩が、彼女の腕へ降りてくる。
足に巻かれた筒をほどくと、中には薄い羊皮紙。
リィナが目を通した瞬間、表情が固まった。
「……またです。“西端地帯、リリウムからの報告――石化病、再発。”」
石化病。それは竜の理を模した“仮構の生命石”が崩壊を始める際に起こる現象だった。かつて再構築の実験で犠牲となった病、その名が再び現れた。
「誰かが……理を掘り返したんですね。」アレンの声が低くなる。
リィナも立ち上がり、風を受けて長い髪を押さえた。
「行きますか?」
「行きましょう。迷う理由はありません。」
◇
二人は翌朝、風帆馬車に乗り込み、リリウム地方へと向かった。
そこは風の終着点と呼ばれる町だった。地の魔力が弱く、昔から“理の流れ”に敏感な土地。
走る馬車の窓から見える草原には、ところどころ灰色に枯れた帯が走っている。
アレンはその一つを見て、確信する。
「……病、ですね。理の劣化による腐食です。広がりが早すぎる。」
「石になった生き物を、また見なきゃいけないなんて。」リィナの声にかすかな震えが滲む。
「今回は止めます。」
「止められますか。」
「止めなければ、今までの理も意味がなくなる。」
リリウムの町に着いた時、その広場の中央に、見覚えのある紋章が刻まれていた。
「……これは。」
リィナがしゃがみこむ。地面に浮かぶのは、アレンがかつて封印の実験で使った術式――再構築制御陣。
その線の中央に、ひとりの影が立っていた。
背は高く、淡い青の外套をまとい、長い灰色の髪を後ろで束ねている。
顔を見る前に、アレンは確信した。
懐かしい、失われたはずの魔力の波。
「……ハイゼル?」
その名を呼ぶと、影がゆっくりと振り返る。
「久しいな、アレン。」
穏やかな声。だが確かに、師のそれ。
「あなたは……消えたはずじゃ。」
「理は滅びない。私は神門と共に、夢の層へ沈んでいただけだ。」
リィナが身構える。「何をしようとしてるんですか。」
「恐れるな。これは再構築の最終段階――“赦し”だ。」
彼の足下で、灰に眠る人々の身体が石から肉へと戻っていく。
「……病が収まってる。」リィナが呟く。
「理の欠片が反応している。」アレンの心臓が高鳴る。
ハイゼルは静かに手を上げた。
「アレン。君が築いた理は、まだ完成していない。人を繋ぐ道のりは、今も途中だ。それを補うのが、この“赦し”だ。」
「赦し?」
「人が間違え、壊したものを、抱きしめること。罰や裁きではなく、理解として受け取る行為。私はその術式を作りあげた。」
リィナが言葉を失う。アレンはほんの一瞬だけ目を閉じた。
「師匠……。」
ハイゼルはゆっくり歩み寄り、アレンの肩に手を置く。
「君ならわかる。再構築も赦しも、同じ理の流れにある。」
アレンは視線を落とし、そして穏やかに頷いた。
「ええ。壊すのも、直すのも、許すのも、人が選ぶ行為です。あなたが戻ってきたなら、この世界はようやく“答え”を見つけられる。」
ハイゼルの顔に薄い笑みが浮かぶ。
「では――共に歩こう。神も竜もいない今、人の理を、人の手で築く。」
「そのために南へ?」
「そうだ。風が歌う場所で、世界の“記録”を始める。」
リィナがふと問う。
「石化した人たちは、本当に助かるんですか?」
「助かるさ。」アレンが答える。「なぜなら、僕たちは“繋ぐ者たち”だから。」
◇
夕暮れ、三人は町の外れに立っていた。
沈みかけた太陽が、灰の大地に朱色の筋を描いている。
風が吹き、どこからともなく子どもの笑い声が聞こえた。
石の街に、再び命の音が戻りはじめている。
リィナは空に手を伸ばし、柔らかく微笑んだ。
「アレンさん。ねぇ、これってもう、物語の終わりですよね?」
アレンは首を振った。
「違いますよ。世界が動いている限り、物語は終わらない。」
「じゃあ、これは?」
「たぶん、“次の章の序文”みたいなものです。」
ハイゼルが軽く肩を叩く。
「その通りだ。人は想いを受け渡し、物語を積み重ねる。神の書ではなく、人自身が書き手となる。」
三人の影が風に揺れる。
遠くの丘には風車が回り続け、空には透明な光が走る。
森の声、海の息、竜の鼓動。すべてがひとつに溶け合い、この世界の内側で鼓動していた。
アレンは杖を抱きしめ、目を閉じた。
確かに聞こえる。
――風が言葉を運んでいる。
“再び、歩め。”
そう、世界はいまも続いている。
風の詩が、新しい未来を描きながら。
王都から遠く離れたこの地は、再構築によって開いた地脈の余波で空が常に揺らぎ、陽光が柔らかく漂っている。
丘を抜け、荒野の一本道を行くうちに、やがて緑の吹きだまりが現れる。
小さな街。風車が丘の上にいくつも並び、家々の屋根には風よけの膜が張られている。
「……風の街、デール。」
アレンは懐かしげに呟いた。
かつてここは、風帆を操る行商たちの拠点だった。数多の交易が交差する要地だったが、封印戦争後に一度廃墟となり、いまや再生の真っ最中だ。
街の入口で、少年が手を振っていた。
「旅人さん! 北から来たの?」
「ええ。」アレンは歩み寄る。「ここの代表者と話がしたい。王都の再建支援で来たんです。」
少年は眼を輝かせてうなずいた。
「なら長に言ってくる! 風車の丘の家だよ!」
馬車一台通れないような坂道を上る。てっぺんには古い鐘塔があり、鉄でできた風鈴が絶え間なく鳴っていた。
鐘塔の下、仮設の執務所の前に、見覚えのある背中があった。
薄緑の衣をまとい、風を抱くように腕を広げて立つ女性――リィナ。
「……来てしまいましたね。」
彼女は振り返らずに言った。
「王都が落ち着いたと思ったら、また南の現場ですか。働きすぎですよ、アレンさん。」
アレンは苦笑して肩をすくめた。
「君こそ、こんな風の街で何をしてるんですか。」
「共生の庭の拡張ですよ。森を広げすぎると乾いた地域が焦げます。風と森を混ぜる、それが今の課題です。」
彼女の声には確かな力があった。王都の少女ではない、ひとつの理を担う“導き手”の声。
「王都から一報だけ届きました。あなたの“再構築”の記録が正式に記録院に登録されたそうです。教科書に載るらしいですよ。」
アレンは目を細めて笑う。
「僕の名前なんぞ残しても、誰かが真似をするだけじゃないか。」
「いいえ。理を知っても、あなたのように使える者は少ない。残るのは技術じゃなくて、“使う勇気”ですよ。」
風鈴が鳴り、ふたりの間に柔らかい陽射しが差し込む。
「ところで。」リィナが視線を上げた。
「ここ数日、変な風を感じませんか?」
アレンは頷いた。「ええ。道中ずっと感じてました。地脈の線が風に乗って広がるような、回転を伴う干渉です。自然発生しているものではありません。」
「誰かが、また“大地”に手を加えている?」
「多分。悪意じゃなく、試作でしょう。封印の時代の遺産が、まだどこかで生きている。」
ふと、街の中央に立つ時間塔の上で、白い鳩が飛び立った。
それを見て、リィナが目を細める。
「……伝書ですね。」
風に乗って届いた鳩が、彼女の腕へ降りてくる。
足に巻かれた筒をほどくと、中には薄い羊皮紙。
リィナが目を通した瞬間、表情が固まった。
「……またです。“西端地帯、リリウムからの報告――石化病、再発。”」
石化病。それは竜の理を模した“仮構の生命石”が崩壊を始める際に起こる現象だった。かつて再構築の実験で犠牲となった病、その名が再び現れた。
「誰かが……理を掘り返したんですね。」アレンの声が低くなる。
リィナも立ち上がり、風を受けて長い髪を押さえた。
「行きますか?」
「行きましょう。迷う理由はありません。」
◇
二人は翌朝、風帆馬車に乗り込み、リリウム地方へと向かった。
そこは風の終着点と呼ばれる町だった。地の魔力が弱く、昔から“理の流れ”に敏感な土地。
走る馬車の窓から見える草原には、ところどころ灰色に枯れた帯が走っている。
アレンはその一つを見て、確信する。
「……病、ですね。理の劣化による腐食です。広がりが早すぎる。」
「石になった生き物を、また見なきゃいけないなんて。」リィナの声にかすかな震えが滲む。
「今回は止めます。」
「止められますか。」
「止めなければ、今までの理も意味がなくなる。」
リリウムの町に着いた時、その広場の中央に、見覚えのある紋章が刻まれていた。
「……これは。」
リィナがしゃがみこむ。地面に浮かぶのは、アレンがかつて封印の実験で使った術式――再構築制御陣。
その線の中央に、ひとりの影が立っていた。
背は高く、淡い青の外套をまとい、長い灰色の髪を後ろで束ねている。
顔を見る前に、アレンは確信した。
懐かしい、失われたはずの魔力の波。
「……ハイゼル?」
その名を呼ぶと、影がゆっくりと振り返る。
「久しいな、アレン。」
穏やかな声。だが確かに、師のそれ。
「あなたは……消えたはずじゃ。」
「理は滅びない。私は神門と共に、夢の層へ沈んでいただけだ。」
リィナが身構える。「何をしようとしてるんですか。」
「恐れるな。これは再構築の最終段階――“赦し”だ。」
彼の足下で、灰に眠る人々の身体が石から肉へと戻っていく。
「……病が収まってる。」リィナが呟く。
「理の欠片が反応している。」アレンの心臓が高鳴る。
ハイゼルは静かに手を上げた。
「アレン。君が築いた理は、まだ完成していない。人を繋ぐ道のりは、今も途中だ。それを補うのが、この“赦し”だ。」
「赦し?」
「人が間違え、壊したものを、抱きしめること。罰や裁きではなく、理解として受け取る行為。私はその術式を作りあげた。」
リィナが言葉を失う。アレンはほんの一瞬だけ目を閉じた。
「師匠……。」
ハイゼルはゆっくり歩み寄り、アレンの肩に手を置く。
「君ならわかる。再構築も赦しも、同じ理の流れにある。」
アレンは視線を落とし、そして穏やかに頷いた。
「ええ。壊すのも、直すのも、許すのも、人が選ぶ行為です。あなたが戻ってきたなら、この世界はようやく“答え”を見つけられる。」
ハイゼルの顔に薄い笑みが浮かぶ。
「では――共に歩こう。神も竜もいない今、人の理を、人の手で築く。」
「そのために南へ?」
「そうだ。風が歌う場所で、世界の“記録”を始める。」
リィナがふと問う。
「石化した人たちは、本当に助かるんですか?」
「助かるさ。」アレンが答える。「なぜなら、僕たちは“繋ぐ者たち”だから。」
◇
夕暮れ、三人は町の外れに立っていた。
沈みかけた太陽が、灰の大地に朱色の筋を描いている。
風が吹き、どこからともなく子どもの笑い声が聞こえた。
石の街に、再び命の音が戻りはじめている。
リィナは空に手を伸ばし、柔らかく微笑んだ。
「アレンさん。ねぇ、これってもう、物語の終わりですよね?」
アレンは首を振った。
「違いますよ。世界が動いている限り、物語は終わらない。」
「じゃあ、これは?」
「たぶん、“次の章の序文”みたいなものです。」
ハイゼルが軽く肩を叩く。
「その通りだ。人は想いを受け渡し、物語を積み重ねる。神の書ではなく、人自身が書き手となる。」
三人の影が風に揺れる。
遠くの丘には風車が回り続け、空には透明な光が走る。
森の声、海の息、竜の鼓動。すべてがひとつに溶け合い、この世界の内側で鼓動していた。
アレンは杖を抱きしめ、目を閉じた。
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