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第41話 風を聴く者たち
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翌朝の風は、海の香りを帯びていた。
夜の祝祭を終えたデールの街は、まだ淡い眠りの中にある。
子どもたちが抱えた灯籠の火はひと晩中燃え続け、いまは灰となって辺りに漂っていた。
その灰を、リィナは両手ですくって空へ放った。
「あなたが言った通りですね。消えるものなんて、何もない。」
灰は太陽の光を反射して、白く輝きながら風に溶けた。
丘の下、アレンはその光景を見上げながら、小さく頷いた。
あれから一夜。デールの人々は眠りも忘れて歌い、翌朝には誰もが“再び動く世界”の夢を語り合っていた。
森の祈りも、風の記録も、そして人の声も――ひとつに混ざって響く。
人の時代が確かにやってきたのだと、誰もが信じた。
アレンはリィナの隣で腰を下ろす。昨夜の余韻を残したままの街を見下ろすその目に、やさしい光があった。
「世界の音が聞こえるようになりましたね。」
「ええ。」リィナが頷く。「風が街中を廻って、また森へ帰る。その音がまるで呼吸みたいなんです。」
「かつては、神殿の鐘しか鳴らなかった世界ですよ。」
「人の声が、鐘に勝つなんて思いませんでした。」
リィナは笑い、手のひらで風を掬う。
「でも、あなたのおかげです。アレンさんが“理”を繋いだから。」
「僕じゃない。」アレンは静かに首を振る。「世界が、人の手で直りたいと願っただけです。僕たちは、それを助けただけ。」
「あなたは謙虚すぎます。」
「君は昔から褒め上手だ。」
二人は笑い合い、顔を見合わせた。
そのとき、丘の下から軽やかな足音が響いた。
草をかき分けて駆け上がってきたのは、一人の少年だった。
茶色の髪を後ろで結び、背中には布で巻かれた風見――風の向きを読む簡易器具を背負っている。
「先生っ!あなたがアレンさんですよね!再構築をして世界を直した人!」
勢いのまま挨拶をした少年に、アレンは目を瞬かせた。
「いや、そんな立派なものでは……。」
「本当にいたんだ……!ぼく、ずっと会いたかったんです!」
リィナがくすりと笑い、アレンの肩を軽く叩いた。
「人気者ですね。」
少年は大きく息を吸い、胸元の袋から紙片を取り出した。
「これっ、王都の記録院から預かりました!アレン・クロード宛!」
差し出された封書には、確かに見覚えのある印章――リリアのものが押されていた。
アレンは慎重に封を切る。
中には長い書簡と、小さな透明石が一つ。
リィナが覗き込む。
「それは……再構築石?」
アレンは頷いた。
「記録媒質ですね。声を残すための。」
手紙を開くと、風に乗ったような優しい筆跡が現れた。
――アレンへ。
――この一年で、世界中から“風の声”が届いています。
――新しい物語、新しい祈り、新しい道。
――人々は恐れではなく、記すために物語を語ります。
――あなたの語った“理は人のためにある”という言葉が、再び伝説になりました。
――だからこそ、あなたに頼みたい。もう一度“理の記録”を始めてほしい。
――次は、あなたの書を残して。世界の始まりを知る人が、この時代に必要なのです。
手紙の最後には、短い追伸があった。
――追伸:リィナさんにもよろしく。彼女の書も、すでに伝承のひとつとして刻まれつつあります。
アレンは笑って首を振る。
「まったく、抜け目のない人だ。」
リィナも肩をすくめた。
「“もう一度書け”ってことですか?」
「ええ。世界の理の証明を、また文字に起こせと。」
「あなたが書くなら、きっと物語になります。」
「……物語、か。」
◇
アレンは丘を降り、町外れの古い倉を訪れた。
そこには旅の途中で見つけた様々な記録が収められている。
風車の図、森の年輪、歌詞、子どもが書いた手紙。
彼はそれらの中に、新しい“記録の形”を探していた。
窓にそっと触れると、風が書類の間をすり抜けた。
紙が揺れ、音を立てる。それはまるで、誰かがここにも“語り”を残したかのようだった。
「……言葉は風に宿る。理は語られるためにある。」
彼は自分の声で呟き、筆を取った。
最初の一行。
――『再構築年代記 第一節:風と理と、歩く者たち』
書き進めるうちに、彼の筆跡が少しずつ変わっていく。
神の理を記す硬質な字ではなく、どこか柔らかく、人の呼吸を映すような文字。
そこには彼の旅路と出会いが詰まっていた。
窓の外では子どもたちの歌が風に乗る。
言葉はリズムに変わり、リズムはまた音に変わって空へ昇る。
その音を聴きながら、アレンは筆を止めて微笑んだ。
「風を聴く者――か。」
この言葉が、彼の次の章の題名になることは、そのとき彼自身も知らなかった。
◇
日が暮れるころ、リィナが倉を訪れた。
「また書いてるんですか?」
「リリアの指示には逆らえませんからね。」
「でも、あなたが書くなら誰もが読むと思います。」
「いや、読む必要はないですよ。これは祈りのようなものですから。」
アレンはリィナに手渡した。
それはまだ未完成の一冊。
風の記録を象った柔らかな紙の装丁に、金の糸で“暦”が縫い付けられていた。
「名前をつけてください。」
リィナは少し考え、答える。
「“風の証書”なんてどうです?」
アレンは目を細めて笑った。
「悪くない。」
二人は丘の上へ戻り、立ち並ぶ風車の中からゆっくりと回る一基を見上げた。
その羽根は新しい風の流れに乗り、金色の夕暮れを切り裂くように光る。
「ほら。」リィナが言った。
「風は、また新しい形を選んだようです。」
アレンは頷く。
「では、僕たちもまた新しい言葉を探しに行かないと。」
「どこへ?」
「風の行くところへ。」
風が頬を掠めた。
二人は目を細め、遠くに広がる海を望む。
その水平線の先では、まだ誰かが物語を書いている。
再構築の時代が終わり、人の時代が始まり、そして――語る時代が続く。
リィナは目を閉じ、そっと風に祈った。
“この世界が、誰かの声を忘れませんように。”
アレンはゆっくり歩き出す。
手にはリリアの手紙、もう片方にはリィナの“風の証書”。
どちらも、次の時代へと託す灯。
黄昏の風の中で、彼は小さく呟いた。
「――風は聴く者を選ばない。語る者がいる限り、物語は続く。」
その声に呼応するように、風車が一斉に回り出した。
空の彼方で、また新しい風が生まれていく。
それは理の外にある、人と世界が共に奏でる調べ。
終わりなき歌として、風に乗り、夜の空へと駆けていった。
夜の祝祭を終えたデールの街は、まだ淡い眠りの中にある。
子どもたちが抱えた灯籠の火はひと晩中燃え続け、いまは灰となって辺りに漂っていた。
その灰を、リィナは両手ですくって空へ放った。
「あなたが言った通りですね。消えるものなんて、何もない。」
灰は太陽の光を反射して、白く輝きながら風に溶けた。
丘の下、アレンはその光景を見上げながら、小さく頷いた。
あれから一夜。デールの人々は眠りも忘れて歌い、翌朝には誰もが“再び動く世界”の夢を語り合っていた。
森の祈りも、風の記録も、そして人の声も――ひとつに混ざって響く。
人の時代が確かにやってきたのだと、誰もが信じた。
アレンはリィナの隣で腰を下ろす。昨夜の余韻を残したままの街を見下ろすその目に、やさしい光があった。
「世界の音が聞こえるようになりましたね。」
「ええ。」リィナが頷く。「風が街中を廻って、また森へ帰る。その音がまるで呼吸みたいなんです。」
「かつては、神殿の鐘しか鳴らなかった世界ですよ。」
「人の声が、鐘に勝つなんて思いませんでした。」
リィナは笑い、手のひらで風を掬う。
「でも、あなたのおかげです。アレンさんが“理”を繋いだから。」
「僕じゃない。」アレンは静かに首を振る。「世界が、人の手で直りたいと願っただけです。僕たちは、それを助けただけ。」
「あなたは謙虚すぎます。」
「君は昔から褒め上手だ。」
二人は笑い合い、顔を見合わせた。
そのとき、丘の下から軽やかな足音が響いた。
草をかき分けて駆け上がってきたのは、一人の少年だった。
茶色の髪を後ろで結び、背中には布で巻かれた風見――風の向きを読む簡易器具を背負っている。
「先生っ!あなたがアレンさんですよね!再構築をして世界を直した人!」
勢いのまま挨拶をした少年に、アレンは目を瞬かせた。
「いや、そんな立派なものでは……。」
「本当にいたんだ……!ぼく、ずっと会いたかったんです!」
リィナがくすりと笑い、アレンの肩を軽く叩いた。
「人気者ですね。」
少年は大きく息を吸い、胸元の袋から紙片を取り出した。
「これっ、王都の記録院から預かりました!アレン・クロード宛!」
差し出された封書には、確かに見覚えのある印章――リリアのものが押されていた。
アレンは慎重に封を切る。
中には長い書簡と、小さな透明石が一つ。
リィナが覗き込む。
「それは……再構築石?」
アレンは頷いた。
「記録媒質ですね。声を残すための。」
手紙を開くと、風に乗ったような優しい筆跡が現れた。
――アレンへ。
――この一年で、世界中から“風の声”が届いています。
――新しい物語、新しい祈り、新しい道。
――人々は恐れではなく、記すために物語を語ります。
――あなたの語った“理は人のためにある”という言葉が、再び伝説になりました。
――だからこそ、あなたに頼みたい。もう一度“理の記録”を始めてほしい。
――次は、あなたの書を残して。世界の始まりを知る人が、この時代に必要なのです。
手紙の最後には、短い追伸があった。
――追伸:リィナさんにもよろしく。彼女の書も、すでに伝承のひとつとして刻まれつつあります。
アレンは笑って首を振る。
「まったく、抜け目のない人だ。」
リィナも肩をすくめた。
「“もう一度書け”ってことですか?」
「ええ。世界の理の証明を、また文字に起こせと。」
「あなたが書くなら、きっと物語になります。」
「……物語、か。」
◇
アレンは丘を降り、町外れの古い倉を訪れた。
そこには旅の途中で見つけた様々な記録が収められている。
風車の図、森の年輪、歌詞、子どもが書いた手紙。
彼はそれらの中に、新しい“記録の形”を探していた。
窓にそっと触れると、風が書類の間をすり抜けた。
紙が揺れ、音を立てる。それはまるで、誰かがここにも“語り”を残したかのようだった。
「……言葉は風に宿る。理は語られるためにある。」
彼は自分の声で呟き、筆を取った。
最初の一行。
――『再構築年代記 第一節:風と理と、歩く者たち』
書き進めるうちに、彼の筆跡が少しずつ変わっていく。
神の理を記す硬質な字ではなく、どこか柔らかく、人の呼吸を映すような文字。
そこには彼の旅路と出会いが詰まっていた。
窓の外では子どもたちの歌が風に乗る。
言葉はリズムに変わり、リズムはまた音に変わって空へ昇る。
その音を聴きながら、アレンは筆を止めて微笑んだ。
「風を聴く者――か。」
この言葉が、彼の次の章の題名になることは、そのとき彼自身も知らなかった。
◇
日が暮れるころ、リィナが倉を訪れた。
「また書いてるんですか?」
「リリアの指示には逆らえませんからね。」
「でも、あなたが書くなら誰もが読むと思います。」
「いや、読む必要はないですよ。これは祈りのようなものですから。」
アレンはリィナに手渡した。
それはまだ未完成の一冊。
風の記録を象った柔らかな紙の装丁に、金の糸で“暦”が縫い付けられていた。
「名前をつけてください。」
リィナは少し考え、答える。
「“風の証書”なんてどうです?」
アレンは目を細めて笑った。
「悪くない。」
二人は丘の上へ戻り、立ち並ぶ風車の中からゆっくりと回る一基を見上げた。
その羽根は新しい風の流れに乗り、金色の夕暮れを切り裂くように光る。
「ほら。」リィナが言った。
「風は、また新しい形を選んだようです。」
アレンは頷く。
「では、僕たちもまた新しい言葉を探しに行かないと。」
「どこへ?」
「風の行くところへ。」
風が頬を掠めた。
二人は目を細め、遠くに広がる海を望む。
その水平線の先では、まだ誰かが物語を書いている。
再構築の時代が終わり、人の時代が始まり、そして――語る時代が続く。
リィナは目を閉じ、そっと風に祈った。
“この世界が、誰かの声を忘れませんように。”
アレンはゆっくり歩き出す。
手にはリリアの手紙、もう片方にはリィナの“風の証書”。
どちらも、次の時代へと託す灯。
黄昏の風の中で、彼は小さく呟いた。
「――風は聴く者を選ばない。語る者がいる限り、物語は続く。」
その声に呼応するように、風車が一斉に回り出した。
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それは理の外にある、人と世界が共に奏でる調べ。
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