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第3話 神竜アルディネアとの契約
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朝の光が森を照らす。
霧がゆっくりと晴れていく中、俺は焚き火の残り火を足で崩しながら、淡い陽光を眺めていた。
鳥の鳴き声、葉の揺れる音、湿った土の匂い。
――どれも王都では失われたものだ。
静かで、うつくしい。
ここが“死の森”と呼ばれているなんて、にわかには信じられない。
「さて、昨日の泉……確認に行くか。」
夜のうちに数度目を覚ましたが、あの神竜アルディネアが見張っていたおかげで、魔獣の影すら寄ってこなかった。
もし契約の力が本物なら、この森ごと生まれ変わらせることだって夢じゃない。
肩に荷を背負い、木漏れ日の中を歩く。
足元には見慣れぬ植物が咲き、薄い水色の花弁が光っていた。
じっと見ると、花が小さく震えるように動いた――いや、生きているのか?
思わず身を引くと、樹上からアルディネアの声が降ってきた。
『その花、“睡竜草”と言う。魔力を吸って咲くゆえ、長く見つめると心を奪われるぞ。』
「なるほど、森の花にしては妙に艶があると思ったよ。」
『人はすぐに美しいものへ手を伸ばす。それが滅びの始まりでもあるのだがな。』
まったくその通りだった。
俺は軽く息を吐き、進行方向を森の奥へと戻した。
やがて木々の間が開け、昨日遠くに見た光の湖――いや、泉が姿を現した。
それは、ただの水ではなかった。
水面が青白く輝き、そこから霧が立ち上り、天に向かって薄い光の柱を描いている。
揺らめく光は、まるで空気そのものが呼吸しているようだ。
見惚れていた俺の背後から、再び地を響かせる低音が迫る。
『近づくとは思っていた。だが、やはり好奇心には勝てぬか。』
振り向けば、巨大な竜――アルディネアが翼を畳み、静かに佇んでいた。
近くで見ると、鱗は黒に金の縁取りがあり、朝日を浴びて微かに金属光を放っている。
威圧感よりも荘厳さを感じる存在だった。
「未知を見るのは、誰だって好きだろう。俺だって例外じゃない。」
『ふむ、人の子よ。昨日の契約の熱を感じるか?』
「感じる。心の奥で燃えてる。……だが、それはお前の力の一部だろう?」
『半ばはそうだ。だが本質は汝自身の内にある。竜は器を貸したにすぎん。』
俺は湖のほとりに立ち、手を水へと伸ばした。
指先に触れた瞬間、ぴりっとした感覚が走る。
冷たさではない。電流のような、濃密な魔力の流れだ。
「すげぇ。……これが“神々の血”ってやつか。」
『そう呼ぶのは人間のみだがな。むかし、この大地の核に神が降りたと伝わる。
その血が地を潤し、命が芽吹いた。その残滓がこの泉だ。』
「じゃあ、ここから森が生きてるんだな。」
アルディネアが頷いたように瞼を閉じた。
その瞬間、足元の水が微かに動き、俺の影が水面に揺れた。
そして、影の中に金の紋が浮かび上がる。
俺とアルディネアの契約を示す印。
紋は心臓の鼓動に合わせるように光を強め、泉全体が応えるように波打った。
『この地で生きようとするならば、まず森におまえを認めさせねばならぬ。』
「森に?」
『人の開拓は森を傷つける。だが、森は賢く、己を害さぬ存在とは共に歩む。
我が庇護を受けしとはいえ、風と土の精霊に許されねば、この森はおまえを拒むだろう。』
「つまり、最初の試練ってわけか。」
『察しがいい。』
アルディネアの翼がわずかに動いた瞬間、泉の中央に光が集まった。
次々と水泡が浮かび上がり、それが人の形に変わる。
青く透き通った衣のような膜をまとい、瞳は湖のように深い。
それは、美しい女の姿だった。
『……我は、水の精霊ニネ。』
声は透明で、胸の奥に直接響いてくる感覚だった。
竜すらその出現には一歩下がる。
どうやら、本当にこの森の主格存在らしい。
「俺はアレン・リーデン。辺境に追放された人間だ。」
『知っている。汝の契約の光は森全体に届いているから。
神竜の力を得ながら、破壊ではなく暮らしを求める――珍しい人よ。』
「俺は争いよりも再生が得意なんだ。壊すのは疲れる。」
ニネはゆるく微笑んだ。
彼女が指を鳴らすと、泉の縁から水草が伸び、俺の足元に花を咲かせた。
淡い青色のそれは、冷たいのに温かい光を持っている。
『ならば、森と共に歩む許しを与えよう。ただし、忘れるな。
森の命を奪うたび、おまえの命も縮む。』
「肝に銘じておく。」
『いい答えだ。人よ、我らに必要とされたとき、この水に手をかざせ。
森の声が、おまえを導くだろう。』
光の身体が霧に溶けるように消えると、再び泉は静けさを取り戻した。
アルディネアが一歩近づき、深い声で言った。
『……森の承認を得たな。これでようやく、この地は汝の領土だ。』
「領土……いや、拠点、かな。住む場所を整えて、畑を作りたい。
人を呼べるようになれば、それでいい。」
『妙な貴族だ。力を得た者が富でも支配でもなく土を耕すと申すか。』
「その方が楽しいんだ。誰も命令してこないしな。」
アルディネアの巨大な頭が少し傾いた。
それから、低く笑うような息を吐いた。
『やれやれ、本当に“退屈しない”人間だ。よかろう。
土竜の群れをこの周辺に呼び戻してやろう。耕すには力が要る。』
「助かる。ついでに、日差しが入るように枝を少し……」
『貴様、我を庭師とでも思っているのではないだろうな。』
笑って誤魔化した。
竜がやや呆れ顔になるのが面白く、思わず声が漏れる。
「でも協力してくれるんだろ?」
『……まったく、人間とは図々しい。だが、それが生を広げる所以かもしれぬ。』
それから数時間、俺と神竜は協力して森の一角を整えた。
彼の吐く息だけで巨大な樹木数本が音を立てて倒れ、俺は魔力を込めて土を均す。
やがて陽の光が差し込む小さな空間ができた。
泉の水を引く小川も造り、暖かい空気がゆるやかに流れる。
――これが、俺の新しい領地の中心になるだろう。
木陰の下に腰を下ろすと、アルディネアが静かに言った。
『人の子よ、この地に名をつけよ。』
「名か……そうだな。」
少し考えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「“アルディナ領”でどうだ? お前の名前を少し借りて。」
『……ふむ、悪くない。ならば我も応えよう。この森に流れる生命の脈を、汝の意思に合わせてやる。』
竜の瞳が光った瞬間、地面の下から暖かい気配が広がった。
土が柔らかくなり、空気が澄んでいく。
森全体が一つの鼓動を打つような感覚。
生まれる前の世界に戻ったような、柔らかな明るさだった。
「……ありがとう、アルディネア。」
『礼は要らぬ。約定の証として、森の鳥たちが歌を贈る。耳を澄ませよ。』
風が吹き抜ける。木々の間に何羽もの鳥が現れ、一斉に鳴き交わした。
澄み渡る音が空を包み込み、足元の草が微かに揺れた。
美しかった。王都でも聴いたことのない、命そのものの音色。
――追放されたからこそ、ここに辿り着けた。
力や名誉ではなく、ただ生きるための場所。
そして、それを見守る存在がいる。
手を土に突き刺すと、温かさがじんわりと広がった。
「いい土地になりそうだ。」
『ふふ、まだ始まりにすぎんぞ。人の子。ここからおまえ次第だ。』
俺は頷いた。
陽光が斜めから差し込み、泉の光と交差する。
その瞬間、確かに思った。
――これが俺の居場所だ、と。
こうして、追放された公爵令息アレンは、辺境の地に初の“領地”を築いた。
神竜と精霊に見守られながら、彼のスローライフは静かに幕を開けたのだった。
霧がゆっくりと晴れていく中、俺は焚き火の残り火を足で崩しながら、淡い陽光を眺めていた。
鳥の鳴き声、葉の揺れる音、湿った土の匂い。
――どれも王都では失われたものだ。
静かで、うつくしい。
ここが“死の森”と呼ばれているなんて、にわかには信じられない。
「さて、昨日の泉……確認に行くか。」
夜のうちに数度目を覚ましたが、あの神竜アルディネアが見張っていたおかげで、魔獣の影すら寄ってこなかった。
もし契約の力が本物なら、この森ごと生まれ変わらせることだって夢じゃない。
肩に荷を背負い、木漏れ日の中を歩く。
足元には見慣れぬ植物が咲き、薄い水色の花弁が光っていた。
じっと見ると、花が小さく震えるように動いた――いや、生きているのか?
思わず身を引くと、樹上からアルディネアの声が降ってきた。
『その花、“睡竜草”と言う。魔力を吸って咲くゆえ、長く見つめると心を奪われるぞ。』
「なるほど、森の花にしては妙に艶があると思ったよ。」
『人はすぐに美しいものへ手を伸ばす。それが滅びの始まりでもあるのだがな。』
まったくその通りだった。
俺は軽く息を吐き、進行方向を森の奥へと戻した。
やがて木々の間が開け、昨日遠くに見た光の湖――いや、泉が姿を現した。
それは、ただの水ではなかった。
水面が青白く輝き、そこから霧が立ち上り、天に向かって薄い光の柱を描いている。
揺らめく光は、まるで空気そのものが呼吸しているようだ。
見惚れていた俺の背後から、再び地を響かせる低音が迫る。
『近づくとは思っていた。だが、やはり好奇心には勝てぬか。』
振り向けば、巨大な竜――アルディネアが翼を畳み、静かに佇んでいた。
近くで見ると、鱗は黒に金の縁取りがあり、朝日を浴びて微かに金属光を放っている。
威圧感よりも荘厳さを感じる存在だった。
「未知を見るのは、誰だって好きだろう。俺だって例外じゃない。」
『ふむ、人の子よ。昨日の契約の熱を感じるか?』
「感じる。心の奥で燃えてる。……だが、それはお前の力の一部だろう?」
『半ばはそうだ。だが本質は汝自身の内にある。竜は器を貸したにすぎん。』
俺は湖のほとりに立ち、手を水へと伸ばした。
指先に触れた瞬間、ぴりっとした感覚が走る。
冷たさではない。電流のような、濃密な魔力の流れだ。
「すげぇ。……これが“神々の血”ってやつか。」
『そう呼ぶのは人間のみだがな。むかし、この大地の核に神が降りたと伝わる。
その血が地を潤し、命が芽吹いた。その残滓がこの泉だ。』
「じゃあ、ここから森が生きてるんだな。」
アルディネアが頷いたように瞼を閉じた。
その瞬間、足元の水が微かに動き、俺の影が水面に揺れた。
そして、影の中に金の紋が浮かび上がる。
俺とアルディネアの契約を示す印。
紋は心臓の鼓動に合わせるように光を強め、泉全体が応えるように波打った。
『この地で生きようとするならば、まず森におまえを認めさせねばならぬ。』
「森に?」
『人の開拓は森を傷つける。だが、森は賢く、己を害さぬ存在とは共に歩む。
我が庇護を受けしとはいえ、風と土の精霊に許されねば、この森はおまえを拒むだろう。』
「つまり、最初の試練ってわけか。」
『察しがいい。』
アルディネアの翼がわずかに動いた瞬間、泉の中央に光が集まった。
次々と水泡が浮かび上がり、それが人の形に変わる。
青く透き通った衣のような膜をまとい、瞳は湖のように深い。
それは、美しい女の姿だった。
『……我は、水の精霊ニネ。』
声は透明で、胸の奥に直接響いてくる感覚だった。
竜すらその出現には一歩下がる。
どうやら、本当にこの森の主格存在らしい。
「俺はアレン・リーデン。辺境に追放された人間だ。」
『知っている。汝の契約の光は森全体に届いているから。
神竜の力を得ながら、破壊ではなく暮らしを求める――珍しい人よ。』
「俺は争いよりも再生が得意なんだ。壊すのは疲れる。」
ニネはゆるく微笑んだ。
彼女が指を鳴らすと、泉の縁から水草が伸び、俺の足元に花を咲かせた。
淡い青色のそれは、冷たいのに温かい光を持っている。
『ならば、森と共に歩む許しを与えよう。ただし、忘れるな。
森の命を奪うたび、おまえの命も縮む。』
「肝に銘じておく。」
『いい答えだ。人よ、我らに必要とされたとき、この水に手をかざせ。
森の声が、おまえを導くだろう。』
光の身体が霧に溶けるように消えると、再び泉は静けさを取り戻した。
アルディネアが一歩近づき、深い声で言った。
『……森の承認を得たな。これでようやく、この地は汝の領土だ。』
「領土……いや、拠点、かな。住む場所を整えて、畑を作りたい。
人を呼べるようになれば、それでいい。」
『妙な貴族だ。力を得た者が富でも支配でもなく土を耕すと申すか。』
「その方が楽しいんだ。誰も命令してこないしな。」
アルディネアの巨大な頭が少し傾いた。
それから、低く笑うような息を吐いた。
『やれやれ、本当に“退屈しない”人間だ。よかろう。
土竜の群れをこの周辺に呼び戻してやろう。耕すには力が要る。』
「助かる。ついでに、日差しが入るように枝を少し……」
『貴様、我を庭師とでも思っているのではないだろうな。』
笑って誤魔化した。
竜がやや呆れ顔になるのが面白く、思わず声が漏れる。
「でも協力してくれるんだろ?」
『……まったく、人間とは図々しい。だが、それが生を広げる所以かもしれぬ。』
それから数時間、俺と神竜は協力して森の一角を整えた。
彼の吐く息だけで巨大な樹木数本が音を立てて倒れ、俺は魔力を込めて土を均す。
やがて陽の光が差し込む小さな空間ができた。
泉の水を引く小川も造り、暖かい空気がゆるやかに流れる。
――これが、俺の新しい領地の中心になるだろう。
木陰の下に腰を下ろすと、アルディネアが静かに言った。
『人の子よ、この地に名をつけよ。』
「名か……そうだな。」
少し考えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「“アルディナ領”でどうだ? お前の名前を少し借りて。」
『……ふむ、悪くない。ならば我も応えよう。この森に流れる生命の脈を、汝の意思に合わせてやる。』
竜の瞳が光った瞬間、地面の下から暖かい気配が広がった。
土が柔らかくなり、空気が澄んでいく。
森全体が一つの鼓動を打つような感覚。
生まれる前の世界に戻ったような、柔らかな明るさだった。
「……ありがとう、アルディネア。」
『礼は要らぬ。約定の証として、森の鳥たちが歌を贈る。耳を澄ませよ。』
風が吹き抜ける。木々の間に何羽もの鳥が現れ、一斉に鳴き交わした。
澄み渡る音が空を包み込み、足元の草が微かに揺れた。
美しかった。王都でも聴いたことのない、命そのものの音色。
――追放されたからこそ、ここに辿り着けた。
力や名誉ではなく、ただ生きるための場所。
そして、それを見守る存在がいる。
手を土に突き刺すと、温かさがじんわりと広がった。
「いい土地になりそうだ。」
『ふふ、まだ始まりにすぎんぞ。人の子。ここからおまえ次第だ。』
俺は頷いた。
陽光が斜めから差し込み、泉の光と交差する。
その瞬間、確かに思った。
――これが俺の居場所だ、と。
こうして、追放された公爵令息アレンは、辺境の地に初の“領地”を築いた。
神竜と精霊に見守られながら、彼のスローライフは静かに幕を開けたのだった。
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