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本編
18.スケッチブック
しおりを挟むその日の放課後、ブリュンヒルデを見かけたのは、本当に偶然だった。
俺は週に一度の王都守備隊にお邪魔して鍛錬する予定日だった。ブリュンヒルデはスケッチブックを片手にどこかへ向かうところ、ばったり鉢合わせした、といった感じだった。
こんな偶然、またとない!
示し合わせた訳でもなく、会えるなんて神様のお導きに他ならない!
「やあ! 偶然だね。どこへ行くの?」
俺が明るく声をかけたら、ブリュンヒルデは目に見えて狼狽えた。
ばっちり表情を落とした“鉄仮面の黒姫”に戻っていた。
どうしたんだ? 何があった? まさか、俺が声をかけたせい? 俺のせい?
嫌な想像に内心焦りまくる。君のストレスの元は、俺か? 俺なのか?
だが、何度か瞬きをした次の瞬間、ブリュンヒルデは持ち直した。にっこりと笑顔を浮かべた。あの“淑女の笑み”だ。
「初等部棟へ。今からアーデルハイド王女殿下の元へ向かいます」
「アーデルハイド殿下のところ?」
「はい。初等部学生会の会長を、今、なさっていらっしゃいますから」
そう。現在、初等部三年のアーデルハイド王女殿下が、初等部学生会の会長だ。多分、ジークが卒業したら王女殿下が高等部の会長になるんだろうなぁ。王族って大変だよな。常にトップでいなきゃいけないんだから。
そう言えば、彼女と和解したとイザベラが言っていた。そんなに仲良くなったの? わざわざ放課後、初等部棟へ行くほど?
「スケッチブック持って?」
俺は何気なく聞いたんだ。ブリュンヒルデがその手に持っていたスケッチブック。最近はどんな絵を描いているんだろう。……あれ? もしかして、王女殿下にブリュンヒルデの描いた絵を見せに行くところ、なのか?
「え。いや、これは……」
なぜかブリュンヒルデは、両手でスケッチブックを抱えた。しっかりとその胸に。まるで俺から守るみたいに。そして顔が強張っている。
「王女殿下に、ブリュンヒルデの絵を、見せに、行くの?」
壁に手をついて、ブリュンヒルデの進路を塞いだ。慌てたように俺を見上げるブリュンヒルデ。彼女の顔の両側に手をついて囲い込んだ。
「俺は君の絵、最近見ていない」
ズルくないか?
ずっと。ずっと言い続けていた。君の絵が好きだと。ファンなんだと。譲ってくれと。売ってくれと。
でもそれは叶わなくて。
ブリュンヒルデ。俺との付き合いの方が、殿下より長いよね? 俺の方が、君の絵の良さ、知っているんだよ? ずっと、ずっと前から俺が!
なのに、つい最近知り合った王女殿下には、君、自ら赴いて絵を見せに行くの? 俺には見せてくれないのに?
それに。
コンプレックスだって言ってたのに、いつの間にかそんなに綺麗に笑うようになって。
俺のいない所で。
俺の知らないうちに。
なんで? ねぇ、なんでなの?
胸の内が、どす黒く濁った感情に押し潰されそうで苦しい。
「あのっ……ごめんなさいっ!!」
ブリュンヒルデは叫ぶように言った。そして俺の腕の包囲から逃れ走り去ろうとした。
「待って!」
引き留めようと、慌てて彼女の腕を掴んで。
その余りの細さ、柔らかさに驚いた。やばい、俺が力込めたら彼女が怪我をしてしまう! 掴んだ手から力が抜けた。その隙に、ブリュンヒルデは俺から逃げようとして、抱えていたスケッチブックを落とした。
「あっ!」
ばさりと音を立てて地面に落ちたスケッチブックは、とあるページを開いていた。
「……ん?」
「ああああああぁぁぁぁぁ、見てはダメですっ!!」
慌ててスケッチブックを拾おうとするブリュンヒルデを片手で制し、俺は見開かれたそれを凝視した。
……なんだ? この絵。
「あぁぁぁぁぁぁぁ、申し訳ありません、申し訳ありません、本当に、申し訳ありません……」
ブリュンヒルデは俺に拘束されたまま、両手で顔を覆ってぶつぶつと謝罪の言葉を呟き続けた。
地面に落ちたスケッチブック。
見開かれたページには。
俺が、いた。
正しくは、俺とシェーンコップ先輩が、いた。
目を瞑った俺がシェーンコップ先輩にお姫様抱っこされている図、だった。
ブリュンヒルデの描いたものだと証明できる、緻密で写実的で、実に克明に描かれたそれは、実物をそのまま絵として写したようなそれで。色は無かったけど。黒い線のみの絵だったけど。
これはあれだね! 去年の剣術試合のときの一幕だね! 俺がブラックアウトして、それをシェーンコップ先輩が保健室へ運んでくれた、の図だね!
……若干、俺が女性っぽくない? 線が、細すぎない? シェン先輩が逞し過ぎない? 男らし過ぎない?
次のページをめくると、そこにいたのはシェーンコップ先輩と俺とジークフリート、三人の絵だった。
次も。そのまた次のページも。俺とジークだけの絵もあった。
うん。なぜ、こんな絵が、あるのかな?
「ブリュンヒルデ。これ。なに?」
「……人物絵、です」
「うん。そうだね。いつから人物を描くようになったの? 君は風景とか静物専門だと思っていたけど」
「最近……その、心境の変化というか……いえ、新境地開拓、と申しましょうか……人物も、少々、描いてみようかなぁ、なんて」
「俺が新境地?」
「はい!」
「ジークやシェーンコップ先輩も?」
「……は、い」
「こんなに、ジークと肩寄せ合ったことはなかったと思うけどなぁ」
俺が見開いたページには、なんというか、睫毛が長く、麗しさを倍増させたような絵の俺とジーク。肩どころか頬寄せ合っている。なんだ? これ。
うん。もう一度確認したい。
なんだ? これ。
「え、あ、これは、その……依頼が、ありまして……」
「へぇ? 依頼? 誰の?」
笑顔のままブリュンヒルデを見詰めること、数分。視線を逸らせたブリュンヒルデが、小さな声で呟いた。
「……エルフリーデさま、です…」
うん。
大まかな状況は理解した。
さて、どうしてくれよう。
「こっちのショーンコップ先輩との絵は? こっちも依頼?」
「そ、れは……あの、その……」
さっきから挙動不審ぎみのブリュンヒルデ。俺に動きを拘束されて、半分抱き締められているような体勢なんだけど、判ってる? いつもの無表情が嘘のようだ。頬を真っ赤に染めて、ちょっと涙目になって。俺が顔を覗き込めば、視線を避ける様に顔を背けるくせに、俺がスケッチブックを捲れば、慌てて俺の顔色を窺う。
可愛いなぁ。
うん、すっごく可愛い。
君がこうして俺の腕の中に居てくれるのなら、心が軽い。もうなんだっていいや。
幸せ。君が傍にいるから、ものすごく、幸せだ。
「オリヴァー、さま……」
ブリュンヒルデのオニキスの瞳が俺を見上げる。あぁ、なにも言わないけど、判るよ。
今、俺の瞳、きっと紫色になっているんだ。ブリュンヒルデがこんなにうっとりとした顔で俺を見つめるとき、それは俺の瞳の色が変わっているとき。
可愛いなぁ。
頬を染めて、俺の瞳の変化を余さず見定めようとして。
うん、いいよ。もっと俺を見て。
君の確かな目で、俺を見続けて。
「見惚れちゃうほど、良い男?」
そう囁くと、ブリュンヒルデは夢から覚めたような顔をして、俺の腕の中から飛び退いた。彼女の体温が離れた途端、腕が彼女を求めて寂しがる。あぁ、抱き締めたいなぁ。
いやいや。仕事しろ理性。落ち着きたまえ本能。
それは今は置いて、やるべきことがあるからね。
「じゃ、殿下の処へ行こうか。俺も一緒に」
俺がそう提案したら、ブリュンヒルデが“淑女の笑み”のまま、凍り付いた。
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