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第608話 最後の責務
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謁見の間から少し突き出たバルコニー。
先程まで戦場だったとは思えないほどの静けさは、世界から切り離された父親と息子、2人だけの特別な空間のようにも感じられる。
そこは、かつてアルバートが幼き頃、アドウェールと共に遊び、また王国の未来について語り合った場所でもあった。
僅かに聞こえる小鳥たちの囀りと穏やかに吹き抜ける風が、アドウェールの死装束を靡かせる。
眼下には夕日に照らされ輝く王都。それは生前とは違った景色。
街自体に大きな損害は見当たらないが、城壁を隔てた外側は酷い有様だった。
一面に広がっていた緑の草原は惨たらしく踏み荒らされ、主を失った武具や軍旗が所狭しと散乱している。
にもかかわらず、犠牲になった者達の遺体が見当たらないのは、恐らく九条の所為だろうということは、アドウェールも気付いていた。
「随分と手ひどくやられたようだな……」
「も、申し訳ございません。我が軍が不甲斐ないばかりに……」
「リリーを相手にした感想はどうだ? 今回の争いで、何かを得られたか?」
「……卑怯でも、勝利すればそれが正義なのだと……」
それは、アドウェールの求めていた答えではなく、穏やかだった表情は一変。憐れむような視線をアルバートへ向ける。
「卑怯とは?」
「九条です! 禁呪はどう考えてもズルイでしょう!? それに、ニールセンにレイヴンまでもが僕を裏切ったんですよ!?」
「話にならんな。九条が脅威だとわかっていて、何故争う選択をしたのだ……。言っただろう? リリーのカリスマ性には天賦の才があると……。本来であれば、それはお前が持つべきものだった……。それを、蔑ろにしてきたのは誰だ? 積まねばならぬ経験を積んでこなかったのは、他人の所為にはできまい。やりたくない公務は全て他人任せで、他人に厳しく自分に甘い。そんな者について来る者がいるとでも思っているのか?」
その声には、過去の愛情と期待がにじみ出ていた。だが、アルバートはただ冷ややかにその言葉を聞き流し、何も答えなかった。
「そういえば、ここでお前に一度だけ愚痴を溢した事があったな……」
「はい。お父様らしからぬ言動でしたので、覚えています」
「ならば、言いたいこともわかるだろう?」
それはアドウェールの統治において、唯一の汚点とも言うべき采配だった。
当時、国内情勢は今ほど安定しておらず、アドウェールは難しい2択を迫られていた。
レイヴン公の領地に魔物の軍勢が押し寄せ窮地に陥っていたが、王都の軍の殆どがシュトルムクラータへと出払っていたのだ。
シルトフリューゲル帝国による抵抗が激しく、ニールセン公から援軍の要請があった為である。
アドウェールは酷く悩んだ。レイヴン公を助ける為、軍を呼び戻すべきか……。そのままシュトルムクラータに軍を駐留させておくべきか……。
他の貴族の意見なども聞きつつ慎重に協議、判断した結果、軍を戻しレイヴン公の救援へと向かわせたのだが、その判断は遅かった。
援軍のなくなったニールセンは苦戦を強いられたものの、なんとかフェルス砦を死守。
しかし、その代償に嫡男であるバリットを亡くし、援軍の到着が遅れてしまった所為でレイヴンは妻であるミランダを亡くした。
「もっと早く判断していればと、悔やんだことは多々あれど、私はあの時の選択を間違っていたとは思っていない」
確かに判断は遅かったが、あの時反対派の貴族を黙殺し、軍を呼び戻していなければ、レイヴンもこの世を去っていたのだ。
それからだ。レイヴンはアドウェールに絶対の忠誠を誓い、王派閥での力を強め、腹心とまで呼ばれるようになった。
「絶対に裏切らないと確信できる側近が、お前にいるのか? リリーと逆の立場だったらどうだ? 国を追われ反旗を翻そうと決意した時、共に戦おうと名乗りを上げてくれる者がいるのか?」
アドウェールは言っていた。身分にとらわれず、手を差し伸べてくれるような良き理解者を作っておけと。
いざ窮地に立たされた時、自分を助けてくれる者がいるとわかっていれば、迷わず進むことが出来るのだと……。
だが、アルバートにその真意は伝わらなかった。
自分には王族の血が流れている。誰もが自分に従うのだから、そんな必要はないだろうと、幼いながらに深くは考えていなかったのだ。
「僕には、バイアスがいたので……」
それに何かを言いかけたアドウェールは、思い立ったかのように開けた口を静かに噤む。
「いや、よそう……。私はお前を叱責する為にここへ呼んだわけではない」
今更説得したところで無駄なのはわかってる。それでも諦めきれなかったのは王としての責務か、父親としての愛情か……。
「では、なぜ……。もしや、九条に内緒で僕を逃がす為に!?」
だが、その親心が報われることはなかった。利己的なアルバートの態度にアドウェールは沈黙し、よみがえってから何度目かの溜息をつく。
「親の気も知らず、呑気なものだ……」
「お父様? よく聞こえなかったのですが、何か……」
「いいや、なんでもない。気にするな」
すると、アドウェールは両手を広げ、アルバートを力いっぱい抱擁した。
「お父様?」
「最後に息子の温もりを感じておこうと思ってな……」
「ならば、僕の縄を解いていただけませんか? お父様を抱きしめるくらいなら、九条も許してくれるかと」
アドウェールはそれに反応しなかった。ただただ無言を貫き目を閉じる。
「……アルバートよ。まだ、国王としての自覚はあるか?」
「も、勿論です!」
「ならば、お前にしか出来ぬ事がある。私の最後の願いだ。それを聞き届けてくれるのなら、お前をこの悪夢から救ってやろう」
「本当ですか!? この状況を打破できるなら、なんでもします!」
時間にして30秒ほど。最後の別れにしては少々短いとも思える時間が経った頃、アドウェールは目を見開いた。
アルバートを抱きしめたまま、強制的にバルコニーの端へと寄せたアドウェール。
「お父様!? おと、ちょ……お待ちください! 嘘ですよね!?」
「国王として国の為に死ぬこと。それが、今のお前にできる唯一の役目だ」
次の瞬間、アドウェールはアルバートを道連れに、その身を外へ投げ出したのだ。
「お父様! お父様ぁぁぁぁ……」
「――ッ!?」
声は聞こえずとも、窓からその様子を窺っていた者達は、慌ててバルコニーへと飛び出した。
その勢いで手すりから身を乗り出し、下を覗き込む。
「陛下ッ!」
レイヴンが声を上げるも、恐らくそれは届かない。高さにして、およそ50メートルほどだ。
不幸にも落ちた場所は石畳。2つの身体は、身を寄せ合うようにして倒れていた。
当然それは動かない。静寂が辺りを包み、紙にインクが滲むように広がる鮮血。
急ぎ謁見の間を飛び出していく者達を横目に、九条は一人落ち着いていた。
公開処刑となる息子を憐れんだのか、ただ親としての最後のケジメであったのか……。理由はどうあれ、アドウェールが責任を取ると言ったのだ。
そういうことなのだろうと解釈し、九条は天に昇る2つの魂を見送りながらも、申し訳程度に合掌。成仏を願った。
先程まで戦場だったとは思えないほどの静けさは、世界から切り離された父親と息子、2人だけの特別な空間のようにも感じられる。
そこは、かつてアルバートが幼き頃、アドウェールと共に遊び、また王国の未来について語り合った場所でもあった。
僅かに聞こえる小鳥たちの囀りと穏やかに吹き抜ける風が、アドウェールの死装束を靡かせる。
眼下には夕日に照らされ輝く王都。それは生前とは違った景色。
街自体に大きな損害は見当たらないが、城壁を隔てた外側は酷い有様だった。
一面に広がっていた緑の草原は惨たらしく踏み荒らされ、主を失った武具や軍旗が所狭しと散乱している。
にもかかわらず、犠牲になった者達の遺体が見当たらないのは、恐らく九条の所為だろうということは、アドウェールも気付いていた。
「随分と手ひどくやられたようだな……」
「も、申し訳ございません。我が軍が不甲斐ないばかりに……」
「リリーを相手にした感想はどうだ? 今回の争いで、何かを得られたか?」
「……卑怯でも、勝利すればそれが正義なのだと……」
それは、アドウェールの求めていた答えではなく、穏やかだった表情は一変。憐れむような視線をアルバートへ向ける。
「卑怯とは?」
「九条です! 禁呪はどう考えてもズルイでしょう!? それに、ニールセンにレイヴンまでもが僕を裏切ったんですよ!?」
「話にならんな。九条が脅威だとわかっていて、何故争う選択をしたのだ……。言っただろう? リリーのカリスマ性には天賦の才があると……。本来であれば、それはお前が持つべきものだった……。それを、蔑ろにしてきたのは誰だ? 積まねばならぬ経験を積んでこなかったのは、他人の所為にはできまい。やりたくない公務は全て他人任せで、他人に厳しく自分に甘い。そんな者について来る者がいるとでも思っているのか?」
その声には、過去の愛情と期待がにじみ出ていた。だが、アルバートはただ冷ややかにその言葉を聞き流し、何も答えなかった。
「そういえば、ここでお前に一度だけ愚痴を溢した事があったな……」
「はい。お父様らしからぬ言動でしたので、覚えています」
「ならば、言いたいこともわかるだろう?」
それはアドウェールの統治において、唯一の汚点とも言うべき采配だった。
当時、国内情勢は今ほど安定しておらず、アドウェールは難しい2択を迫られていた。
レイヴン公の領地に魔物の軍勢が押し寄せ窮地に陥っていたが、王都の軍の殆どがシュトルムクラータへと出払っていたのだ。
シルトフリューゲル帝国による抵抗が激しく、ニールセン公から援軍の要請があった為である。
アドウェールは酷く悩んだ。レイヴン公を助ける為、軍を呼び戻すべきか……。そのままシュトルムクラータに軍を駐留させておくべきか……。
他の貴族の意見なども聞きつつ慎重に協議、判断した結果、軍を戻しレイヴン公の救援へと向かわせたのだが、その判断は遅かった。
援軍のなくなったニールセンは苦戦を強いられたものの、なんとかフェルス砦を死守。
しかし、その代償に嫡男であるバリットを亡くし、援軍の到着が遅れてしまった所為でレイヴンは妻であるミランダを亡くした。
「もっと早く判断していればと、悔やんだことは多々あれど、私はあの時の選択を間違っていたとは思っていない」
確かに判断は遅かったが、あの時反対派の貴族を黙殺し、軍を呼び戻していなければ、レイヴンもこの世を去っていたのだ。
それからだ。レイヴンはアドウェールに絶対の忠誠を誓い、王派閥での力を強め、腹心とまで呼ばれるようになった。
「絶対に裏切らないと確信できる側近が、お前にいるのか? リリーと逆の立場だったらどうだ? 国を追われ反旗を翻そうと決意した時、共に戦おうと名乗りを上げてくれる者がいるのか?」
アドウェールは言っていた。身分にとらわれず、手を差し伸べてくれるような良き理解者を作っておけと。
いざ窮地に立たされた時、自分を助けてくれる者がいるとわかっていれば、迷わず進むことが出来るのだと……。
だが、アルバートにその真意は伝わらなかった。
自分には王族の血が流れている。誰もが自分に従うのだから、そんな必要はないだろうと、幼いながらに深くは考えていなかったのだ。
「僕には、バイアスがいたので……」
それに何かを言いかけたアドウェールは、思い立ったかのように開けた口を静かに噤む。
「いや、よそう……。私はお前を叱責する為にここへ呼んだわけではない」
今更説得したところで無駄なのはわかってる。それでも諦めきれなかったのは王としての責務か、父親としての愛情か……。
「では、なぜ……。もしや、九条に内緒で僕を逃がす為に!?」
だが、その親心が報われることはなかった。利己的なアルバートの態度にアドウェールは沈黙し、よみがえってから何度目かの溜息をつく。
「親の気も知らず、呑気なものだ……」
「お父様? よく聞こえなかったのですが、何か……」
「いいや、なんでもない。気にするな」
すると、アドウェールは両手を広げ、アルバートを力いっぱい抱擁した。
「お父様?」
「最後に息子の温もりを感じておこうと思ってな……」
「ならば、僕の縄を解いていただけませんか? お父様を抱きしめるくらいなら、九条も許してくれるかと」
アドウェールはそれに反応しなかった。ただただ無言を貫き目を閉じる。
「……アルバートよ。まだ、国王としての自覚はあるか?」
「も、勿論です!」
「ならば、お前にしか出来ぬ事がある。私の最後の願いだ。それを聞き届けてくれるのなら、お前をこの悪夢から救ってやろう」
「本当ですか!? この状況を打破できるなら、なんでもします!」
時間にして30秒ほど。最後の別れにしては少々短いとも思える時間が経った頃、アドウェールは目を見開いた。
アルバートを抱きしめたまま、強制的にバルコニーの端へと寄せたアドウェール。
「お父様!? おと、ちょ……お待ちください! 嘘ですよね!?」
「国王として国の為に死ぬこと。それが、今のお前にできる唯一の役目だ」
次の瞬間、アドウェールはアルバートを道連れに、その身を外へ投げ出したのだ。
「お父様! お父様ぁぁぁぁ……」
「――ッ!?」
声は聞こえずとも、窓からその様子を窺っていた者達は、慌ててバルコニーへと飛び出した。
その勢いで手すりから身を乗り出し、下を覗き込む。
「陛下ッ!」
レイヴンが声を上げるも、恐らくそれは届かない。高さにして、およそ50メートルほどだ。
不幸にも落ちた場所は石畳。2つの身体は、身を寄せ合うようにして倒れていた。
当然それは動かない。静寂が辺りを包み、紙にインクが滲むように広がる鮮血。
急ぎ謁見の間を飛び出していく者達を横目に、九条は一人落ち着いていた。
公開処刑となる息子を憐れんだのか、ただ親としての最後のケジメであったのか……。理由はどうあれ、アドウェールが責任を取ると言ったのだ。
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