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第三章 美濃攻め
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隠居した承禎と、家督を譲られ六角家の当主となった義弼の親子関係は、浅井家と同じようにかなりぎくしゃくしていた。その要因となったのは、江北浅井家を牽制するため、東で国境を接する美濃斎藤との縁組を勝手に進めたからだ。結果的に、六角氏は斎藤氏と手を結び、浅井氏を挟み撃ちにすることになった。加えて、承禎は隠居した後も依然南近江の実権を握ったままだった。
当時六角氏は、畿内で覇権を握る三好長慶と対立関係にあった。長慶は、室町幕府管領細川京兆家の被官であったが、主家を凌ぐ勢いで忽ちのうちに畿内を席巻した。
その長慶と、承禎は幾度となく戦った。承禎の父六角弾正少弼定頼の娘が細川晴元に嫁いでおり、長慶と争う義兄を助けるため援軍を送ったのだ。
さて、佐和山城攻めであるが、承禎は浅井勢の美濃から大返しが予想以上に迅速な対応だったことに驚き、奪い取った城を捨て退却することに決めた。その理由は、退路を断たれることを嫌ったからだ。
一方、浅井側も六角との和議を進め、兵を小谷に引くことにした。
小谷城に戻った長政は、この度の美濃攻めと佐和山城の合戦の論功行賞を行った。
「此度の戦で討死した者の家族には、暮らし向きが成り立つよう配慮致せ」
長政は、清綱にそう命じた。
「お屋形様、討死した百々殿の代わりに、佐和山城には誰を入れますか?」
綱親が問う。
すると、長政は腕を組んだまま瞳を閉じ、暫く考え込んだ。瞼を開け、居並ぶ家臣どもを見回す。員昌のところで目を止めた。
「……磯野丹波、その方を佐和山城の城番と致す。六角に備えよ」
「ははっ、お屋形様よりお預かりし佐和山城をこの員昌、一命にかけてもお護り致す覚悟でござるっ」
「頼もしい言葉じゃ、励め。期待しておるぞ」
「ははっ」
員昌は恭しく頭を下げた。
五月に入ると浅井家を取り巻く環境が変わった。長良川の合戦で父斎藤道三を討ち破った一色左京大夫こと斎藤義龍が急死したのだ。死因は、病死である。義龍はハンセン病を患っていたのだ。家督を継いだ嫡男の龍興には、美濃の国人衆、豪族たちを抑えるだけの求心力もなかった。ここに至って、尾張の織田信長が本格的に美濃攻略へ乗り出した。
一方、長政も南近江六角氏に対し、積極的な侵攻を開始することになった。
「お屋形様、観音寺城下に放った細作(忍者)の報せによりますれば、何やら六角に動きありとのこと」
直経は、清水谷の浅井屋敷の書院で、漢書を黙読する長政に声を掛けた。
「承禎入道め、またもや我が領内に攻めて来る所存か……」
長政は漢書から視線を外し、直経の顔をちらりと見た。
「いいえ、然に非ず」
直経は素早くかぶりを振った。
「ふむ」
長政は訝し気に目を細め、直経を凝と見詰めた。
「喜右衛門、どういうことか……?」
「どうやら洛中にて、細川様と三好殿が、またもや一戦を交えるようで」
「なるほど、承禎入道は細川殿に後詰を出すつもりか」
「はい」
「ならば南近江は手薄となる」
「左様でござる」
「喜右衛門っ、海北と赤尾を呼べ。城内で二人と会う」
「ははっ、承知仕った」
直経は一礼すると、書院を離れた。
長政は漢書を閉じ、徐に立ち上がった。
「誰か、誰かあるっ!」
長政は大声を張り上げ、近習を呼びつけた。
「何用でございますか、お屋形様?」
小姓が尋ねる。
「これから登城する。仕度致せ」
「畏まりました」
湯帷子に袴を穿いただけの軽装だった長政は、素襖に着替えると、近習たちを引き連れ小谷城に入った。
平時、長政は清水谷の浅井屋敷を衣食住の生活の場としていた。北近江十二万石の領主としてしての執務を執り行う時だけ、館を出て小谷城に入った。
本丸主殿謁見の間で、長政は登城して来た海北、赤尾の両名と協議して、箕浦城主の今井定清と佐和山城主の磯野員昌を派遣することに決めた。
七月一日、両名が、手勢を引き連れ向かった先は、浅井、六角領の境目の城、太尾山城だ。米原山の頂きに築かれた山城で、城番は六角方の戦国武将吉田安芸守定雄である。
太尾山城の合戦は、浅井方の敗北に終わった。磯野、今井両隊が城を護る敵方吉田隊に夜襲を仕掛けた訳である。だが、その際味方である筈の磯野隊の将兵が敵方と見誤って、背後から鑓で定清の背中を突き刺すという悲劇が起こった。定清は死亡し、磯野、今井隊は総崩れとなった訳だ。
数年後、長政が江北に覇権を立て、六角方から太尾山城を奪い取ると、城番として中嶋宗左衛門が入ることになった。
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さて、佐和山城攻めであるが、承禎は浅井勢の美濃から大返しが予想以上に迅速な対応だったことに驚き、奪い取った城を捨て退却することに決めた。その理由は、退路を断たれることを嫌ったからだ。
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「此度の戦で討死した者の家族には、暮らし向きが成り立つよう配慮致せ」
長政は、清綱にそう命じた。
「お屋形様、討死した百々殿の代わりに、佐和山城には誰を入れますか?」
綱親が問う。
すると、長政は腕を組んだまま瞳を閉じ、暫く考え込んだ。瞼を開け、居並ぶ家臣どもを見回す。員昌のところで目を止めた。
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「なるほど、承禎入道は細川殿に後詰を出すつもりか」
「はい」
「ならば南近江は手薄となる」
「左様でござる」
「喜右衛門っ、海北と赤尾を呼べ。城内で二人と会う」
「ははっ、承知仕った」
直経は一礼すると、書院を離れた。
長政は漢書を閉じ、徐に立ち上がった。
「誰か、誰かあるっ!」
長政は大声を張り上げ、近習を呼びつけた。
「何用でございますか、お屋形様?」
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