元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第三章 美濃攻め

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 夜を徹しての行軍で、大垣、赤坂、垂井、関ケ原を抜け、国境を越えて長政本隊が近江国に入った頃には夜が明け始めていた。
 先陣の磯野隊は、既に枝折城を抜け、地頭山城に差し掛かろうとしていた。この先は、浅井、六角領の境目に築かれた鎌刃城だ。
 この鎌刃城を護る城番は、美濃攻めで桑原友国の居城大垣城を攻めた堀秀基だ。
「狼煙が上がっておるぞ」
 員昌が鎌刃城から上がる狼煙を指差した。白が三筋に黒が一筋だ。
 これの意味するところは、鎌刃城より南方で緊急事態が発生した、ということだ。
「六角の輩に、これ以上好き勝手させる訳にはゆかぬ」
 員昌は力いっぱい拳を握り、奥歯を噛み締めた。
 間もなくして、鎌刃城より使番がやって来た。
「磯野丹波殿とお見受け致す。某、堀遠州が家来、八木庄左衛門でござる」
 使番は馬上から告げた。
「磯野丹波である。申せっ」
「ははっ、佐和山城が六角方の手に落ち、城番百々内蔵助殿以下諸将の方々討死っ」
「何っ!? 百々殿が討たれたか……相分かった。八木とか申したな、その方」
「はい」
「その方は、お屋形様にご注進申し上げよ。我が磯野隊の後方におられる。今頃は国境を越えられた頃であろう」
「承知仕った。これにてご免」
 八木は員昌に一礼すると、馬の尻に鞭を入れた。
「者ども、すわ急げっ! 百々殿の弔い合戦じゃ!」
 八木を見送った員昌は、士気を高めるため家臣団を鼓舞した。
「おうっ!」
 先陣磯野隊の諸将は、皆奮起するように天高く拳を突き上げた。

 夜明け前に佐和山城を陥落させた六角勢は、これより北へは進軍することなく、城内に兵を入れこの場に留まっていた。
「ご隠居様如何なさる?」
 と家老の平井定武が問う。
 長政が離縁した萩の御前の父親だ。
「ふむ」
 六角承禎は低い声で唸ったあと、鼻の頭を掻き、そして鼻毛を何本か引き抜いた。指に挟んだ鼻毛をふうと吹き飛ばす。
「浅井の小倅も、このように吹き飛ばしてくれようぞ」
「今頃は、一色左京大夫殿のご家来衆にやられ、命辛々、小谷へ逃げ帰っておりまするぞ」
「浅井の山猿めが……」
 承禎は長政を蔑む言葉を吐き、唇の端に冷笑を浮かべた。
「但馬、皆に酒を振るまえ。勝ち戦の前祝じゃ」
 佐和山城を攻略した承禎は豪く上機嫌で、後藤但馬守賢豊に命じた。
「……酒ですか、あまり感心出来ませんな」
 賢豊は何か気掛かりがあるかのように言った。
 すると忽ち、承禎は眉間に皺を刻んだ険しい顔になった。
「儂の命に逆らうか……」
 先ほどとは打って変わり、承禎は刺々しい口調で言った。
「いいえ、滅相も」
 賢豊はにべもない表情で冷たく言い捨てると、話を続けた。
「某は、気を緩めるのはまだ早いと申しておるのです」
「……浅井の山猿が、儂に反撃して来ると申すのか? 彼奴は今頃斎藤勢と一戦交えておる頃じゃ。もしやすると、既に首級を取られたやも知れぬの」
 承禎は、良将賢臣の賢豊の忠告を嘲笑うかのように言った。
 そこに、物見櫓の上で監視任務に当たっていた足軽頭が、血相を変えて現れた。
「お屋形様、一大事にござりますっ!」
「何事ぞ、騒ぎ立てるな」
 佐和山城攻略に参陣していた六角義弼が言った。
「如何致したというのじゃ」
 承禎は怪訝そうに尋ねた。
「浅井の幟が……」
「はぁ?」
 承禎は首を傾げた。
 そんな筈はない……今頃、浅井勢は斎藤勢相手に苦戦している筈だ。と脳裏にその言葉を浮かべながら、承禎は急ぎ物見櫓に駆け上った。
 目を凝らして、北東艮の方角を見る。
 すると、彼方に風を受け揺れる井桁の幟が、承禎の目に映った。
「浅井じゃ、あれは浅井の幟に間違いない……」
 承禎は呟くと、利腕である右手の指四本を口の中に入れ噛んだ。
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