元亀戦記 江北の虎

西村重紀

文字の大きさ
31 / 35
第七章 謀叛

しおりを挟む
 四月二十日、信長は京を発った。
 公家山科言継の日記『言継卿記』によると、織田・徳川連合軍の総勢は三万という。
 織田勢に従軍する畿内の武将は、足利将軍家の名代として明智光秀、他に摂津の池田勝正、大和の松永久秀といった顔ぶれだ。公家の日野輝資、飛鳥井雅敦らも随行していることを考えると、当初は物見遊山のつもりだったのかも知れない。
 そしてこの出陣の最中、四月二十三日に改元され、永禄から元亀に元号が変わった。
 その当日、北近江小谷城では、当主の浅井長政と、隠居の身である久政が激しい論戦を繰り広げていた。
「やはり織田は初めから約定を違える気であったのじゃっ」
「いいや、斯様なことはござらぬ。織田殿は某に前以って越前への出陣をお知らせ下された。ここは我らも直ちに出陣致すべきでござるっ」
「何を申すかっ新九郎、その方血迷うたかぁっ!?」
 久政は血相を変え、激しく息子長政を恫喝する。
「お屋形様、御隠居様の申されることご尤も」
 浅井家の庶流の出身で、宿老の一人に数えられる浅井玄蕃允政澄が長政に対し、諫言を口にした。
「玄蕃、その方っ!?」
 長政は政澄を睨め付ける。
 政澄も一歩も退かず、
「お屋形様、当家が苦難の際、手を差し伸べて下さった朝倉殿に弓引くは、恩を仇で返すも同じ。この玄蕃、お聞き届け頂けない時は腹勝っ捌く所存」
「おお、よくぞ申した玄蕃」
 久政が言った。
 長政はキイっと奥歯を噛み締め、父を睨みながら歯軋りをした。
「お待ち下され、ご隠居様」
 口を挟んだのは直経だ。
 直経は久政の前に進み出て平伏する。
「以前、この喜右衛門がご隠居様に申し上げたこと覚えておられるかっ」
 言上すると直経は頭を上げた。
「無礼であろう、喜右衛門。家来の分際でっ、この慮外者めがぁっ!」
 久政は直経に罵声を浴びせた。
「無礼を承知で申し上げておるのでござる。織田信長と申す男を生かしておいたら、何れ当家に災いを為す故、始末するべしと言上致した。然るにご隠居様はその折、この某に人の道外れると仰せになられた。あの折、信長めを討ち取っておけば今日のような事態にならずに済んだのでござる」
 直経は臆することなく毅然とした態度で告げた。
「むむむ……」
 久政はバツ悪そうに口籠った。
「ならば喜右衛門、そちは何と致す所存か」
 政澄が尋ねた。
 直経は、久政と長政に一礼してから、
「朝倉と縁を切り、織田に与する以外当家に生き残る道はござらん」
「否、それは出来ぬ」
 政澄は険しい表情で首を横に振った。
「玄蕃、ここは喜右衛門の申す通りじゃ。儂は既に義兄上にお味方致すと決めておるっ」
「お屋形様っ」
 政澄は悲し気な顏になり、長政を見やった。
「どうしても織田に味方なされるならば、先ほども申し上げた通り某は腹を切りまするっ」
 言い終えると、政澄は脇差を抜いて、目の前に置いた。
 政澄に続き、脇に控える重臣たちも、前に進み出て政澄の隣に座る。彼に倣うように脇差を目の前に置いた。
「某も腹を召しまするっ」
「我も腹を切るっ」
 諌死覚悟で、重臣たちは長政の説得に当たった。
「くくっ……」
 長政は悔し気な表情を作り、無言のまま席を立った。
「これ、新九郎。その方、どこへ参る。話はまだ終わっておらぬぞ」
 久政が引き留める。
 だが長政は父の制止を無視して、評定の間を出た。
 小谷城本丸主殿を離れ、清水谷の浅井屋敷の奥座敷へ足を運んだ。
 愛妻お市の顔が、堪らなく見たくなったのだ。
 旧暦の四月二十三日のこの日は、現在の暦では五月二十七日に当たる。
 北近江の山々の樹々は、新緑の季節を迎え、陽の光を浴びて青々と輝いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

件と秀吉

西村重紀
歴史・時代
予知能力があるとされる妖怪『件』と秀吉の話です 本能寺の変が起こることを件の予知によって知った黒田官兵衛が、 中国大返しを行い秀吉を天下人にするまでの物語です

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

傾国の女 於市

西村重紀
歴史・時代
信長の妹お市の方が、実は従妹だったという説が存在し、その説に基づいて書いた小説です

道誉が征く

西村重紀
歴史・時代
南北時代に活躍した婆沙羅大名佐々木判官高氏の生涯を描いた作品です

奥遠の龍 ~今川家で生きる~

浜名浅吏
歴史・時代
気が付くと遠江二俣の松井家の明星丸に転生していた。 戦国時代初期、今川家の家臣として、宗太は何とか生き延びる方法を模索していく。 桶狭間のバッドエンドに向かって…… ※この物語はフィクションです。 氏名等も架空のものを多分に含んでいます。 それなりに歴史を参考にはしていますが、一つの物語としてお楽しみいただければと思います。 ※2024年に一年かけてカクヨムにて公開したお話です。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...