13 / 39
第三章
一
しおりを挟む
嘉暦三年(一三二八)初夏。
道誉は手勢数百騎を率い鎌倉に入った。
六月上旬の鎌倉は、浜から吹く初夏の爽やかな風を受け、とても過ごしやすかった。
狩装束を解き、初夏のこの時期に映える木賊色の地に、艶やかな中紅花色で芍薬の花弁を模した直垂を纏い、道誉は得宗家当主北条高時に拝謁するため、小町亭へ足を運んだ。
勝色一色に染め上げた直垂姿の高時は、相変わらずやる気のないしけた面で道誉の前に現れた。
「よう参った佐渡」
「得宗殿にもお変わりなく恙なくお過ごし遊ばし――」
と道誉の言葉に被せるように、高時は憮然と口を開いた。
「太郎が身罷った……太郎が……」
「太郎?」
道誉はやや怪訝気味に首を傾げ、同席する長崎円喜の顔を見やった。息子の高資もいる。
「得宗殿が愛でられておられたお犬様のことでござる佐渡判官殿。先年御辺が得宗殿に贈られた土佐の犬でござる。昨年の夏の盛りに、突然血を吐き亡くなった」
蚊に刺されたことによってフィラリア症に罹患し死んだのだ。鎌倉時代は現代とは違い、医学が発展しておらず、人畜問わず様々な感染症が広がり多くの生き物の命を奪っていた。
「ああ、あの犬のことでござるか」
道誉は素っ気なく言った。
すると忽ち高時が顔色を変えた。
「むむっ」
失言をした道誉を高時が睨め付ける。
「これはしたり、面目ござらぬ」
道誉も失言に気付き小さく頭を下げた。
「ならば某が、また新たな犬を得宗殿に進ぜましょう」
道誉は恭しく平伏して見せ、自らの失言で機嫌を損なった高時に取り繕った。
「いつじゃ、いつ儂に犬をくれる」
まるで新しい玩具を買ってもらう約束を交わした子供のように、高時は身を乗り出して道誉に尋ねた。その目は爛々とした輝きを放っている。
「取り急ぎ、我が家人に申し付け、鎌倉に贈らせまする」
「約束じゃぞ道誉。必ず贈ってくれ」
「ははっ、この佐々木道誉。得宗殿の御為、心血を注ぐ所存でござる」
道誉は、暗君北条高時を前にして忠実なその飼い犬を演じるのであった。
高時に拝謁を済ませた道誉は、控えの間に入り、振る舞われた酒とその肴に手を伸ばした。
そこに、長崎円喜と高資の親子が現れた。
「御辺も大変でござるな」
駄々っ子の高時の機嫌を取るため、あの手この手を講じる道誉を同情するかのように円喜は言った。
「いやいや身共などのは、御手前方親子に比べると」
と言うと、薄笑みを浮かべ、道誉は杯を口に運んだ。白酒をごくりと喉の奥に流し込んだ。酒の肴は貝の干したものだ。口の中で噛むとだんだんと味が出てくる。
「さて佐渡殿。例の件でござるが」
「足利治部殿の件でござるな」
道誉は自身の隣に腰を下ろした円喜親子を見やる。
「然様、あの御仁が何を考えており申すか、身共には全く分かり申さん」
「で、あろうな」
道誉は奥歯で干し貝を噛みながら言った。
「如何致せばよかろう」
「そうでござるな……彼奴の家人、高兄弟辺りから攻められては如何かな」
道誉はにやりと笑って見せた。
「高五郎左衛門とその弟でござるか」
円喜は確認の意味を込めて道誉に尋ねた。
「あの兄弟に、主が動かぬよう釘を刺しておけば宜しかろう」
道誉は足利家家宰高師直、師泰兄弟を味方に引き入れるように円喜に進言した。
「高兄弟か……」
円喜の息子高資が納得要ったように頷いた。
長崎親子と今後の情勢を占うかのように話をしたあと、道誉は得宗家の邸宅を離れ館に戻った。
道誉は手勢数百騎を率い鎌倉に入った。
六月上旬の鎌倉は、浜から吹く初夏の爽やかな風を受け、とても過ごしやすかった。
狩装束を解き、初夏のこの時期に映える木賊色の地に、艶やかな中紅花色で芍薬の花弁を模した直垂を纏い、道誉は得宗家当主北条高時に拝謁するため、小町亭へ足を運んだ。
勝色一色に染め上げた直垂姿の高時は、相変わらずやる気のないしけた面で道誉の前に現れた。
「よう参った佐渡」
「得宗殿にもお変わりなく恙なくお過ごし遊ばし――」
と道誉の言葉に被せるように、高時は憮然と口を開いた。
「太郎が身罷った……太郎が……」
「太郎?」
道誉はやや怪訝気味に首を傾げ、同席する長崎円喜の顔を見やった。息子の高資もいる。
「得宗殿が愛でられておられたお犬様のことでござる佐渡判官殿。先年御辺が得宗殿に贈られた土佐の犬でござる。昨年の夏の盛りに、突然血を吐き亡くなった」
蚊に刺されたことによってフィラリア症に罹患し死んだのだ。鎌倉時代は現代とは違い、医学が発展しておらず、人畜問わず様々な感染症が広がり多くの生き物の命を奪っていた。
「ああ、あの犬のことでござるか」
道誉は素っ気なく言った。
すると忽ち高時が顔色を変えた。
「むむっ」
失言をした道誉を高時が睨め付ける。
「これはしたり、面目ござらぬ」
道誉も失言に気付き小さく頭を下げた。
「ならば某が、また新たな犬を得宗殿に進ぜましょう」
道誉は恭しく平伏して見せ、自らの失言で機嫌を損なった高時に取り繕った。
「いつじゃ、いつ儂に犬をくれる」
まるで新しい玩具を買ってもらう約束を交わした子供のように、高時は身を乗り出して道誉に尋ねた。その目は爛々とした輝きを放っている。
「取り急ぎ、我が家人に申し付け、鎌倉に贈らせまする」
「約束じゃぞ道誉。必ず贈ってくれ」
「ははっ、この佐々木道誉。得宗殿の御為、心血を注ぐ所存でござる」
道誉は、暗君北条高時を前にして忠実なその飼い犬を演じるのであった。
高時に拝謁を済ませた道誉は、控えの間に入り、振る舞われた酒とその肴に手を伸ばした。
そこに、長崎円喜と高資の親子が現れた。
「御辺も大変でござるな」
駄々っ子の高時の機嫌を取るため、あの手この手を講じる道誉を同情するかのように円喜は言った。
「いやいや身共などのは、御手前方親子に比べると」
と言うと、薄笑みを浮かべ、道誉は杯を口に運んだ。白酒をごくりと喉の奥に流し込んだ。酒の肴は貝の干したものだ。口の中で噛むとだんだんと味が出てくる。
「さて佐渡殿。例の件でござるが」
「足利治部殿の件でござるな」
道誉は自身の隣に腰を下ろした円喜親子を見やる。
「然様、あの御仁が何を考えており申すか、身共には全く分かり申さん」
「で、あろうな」
道誉は奥歯で干し貝を噛みながら言った。
「如何致せばよかろう」
「そうでござるな……彼奴の家人、高兄弟辺りから攻められては如何かな」
道誉はにやりと笑って見せた。
「高五郎左衛門とその弟でござるか」
円喜は確認の意味を込めて道誉に尋ねた。
「あの兄弟に、主が動かぬよう釘を刺しておけば宜しかろう」
道誉は足利家家宰高師直、師泰兄弟を味方に引き入れるように円喜に進言した。
「高兄弟か……」
円喜の息子高資が納得要ったように頷いた。
長崎親子と今後の情勢を占うかのように話をしたあと、道誉は得宗家の邸宅を離れ館に戻った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる